【魚荷道.6】


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ルート(仮):魚荷道(仮).gpx

東水砂の毛野→大倉の布東→三山の迫→(尾崎→塚原→名畑→谷上→谷下)→宮迫

井原市美星町東水砂

備中国小田郡東水砂村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.293-297) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小十二区村誌(明治9年編)」を参照。




小盛山から毛野地区へ上る

この道は成羽への通い道でもあり、毛野大仙道でもあり、水砂西国観音道でもある

画像は2017年11月に撮影

https://goo.gl/maps/qjgq6PntXo12




以前は無かった階段が設けられて、登り易くなっている




目印(ピンク色の紐)あり




道(小田郡矢掛町宇内 道-228)は井原市と矢掛町の境となっている

https://goo.gl/maps/DgCer8ynVdK2













Y字路から右へ上る


































墓地

墓地の手前にあるY字路(井原市美星町東水砂 道-222)から龍王山の頂上に上る道があるが、
雑草に覆われているため通行困難


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毛野地区



墓地の手前のY字路から北へ122m進んだ所

Y字路から未舗装の細道(井原市美星町東水砂 道-221)を北へ40m進む

https://goo.gl/maps/pwfx73d7Lg82








牛供養碑 兼道しるべ(牛)

「為亡牛 右 小田矢掛 左 舊道」
「大正十*𫝀(五)年(1926年)六月二十日」「施主 森岡◯◯」

https://maps.app.goo.gl/YyehtPf6vssAafNH6

北へ46m進む








左折して細道(井原市美星町東水砂 道-199)を北西へ55m進む

https://goo.gl/maps/Tp7fT16D5D42







牛供養碑 兼道しるべ

「為亡牛 右 成羽 左 毛野 施主 室◯◯◯」

https://maps.app.goo.gl/YqJoi52pr9K7NDo26

丁字路から山際の道を北へ142m進む




ご宝号碑2基

https://goo.gl/maps/TDWU4iSsiET2





ご宝号碑a(向かって右)

「*(弘法大師の種子「ユ」) 南無大師遍照金剛
 享保十九◯(1734年) 甲寅三月二十一日」

宗祖弘法大師九百年御遠忌供養のために建立されたものと思われる




観音堂(鳥越堂)

高梁市川上町三沢795。昭和五十五年(1980年)五月吉祥日に再建。
平成30年(2018年)に大師堂を遷座合祀。

https://maps.app.goo.gl/AJAvyQxE1vPNo8nD8




弘法大師坐像a

「本邦鼻祖弘法大師 奉為九百年廻法樂
 享保十九歳(1734年)甲寅稔 三月廿一日 講中 二拾八人
七兵衛 忠左衛門 ◯◯ ◯◯」

享保19年は宗祖弘法大師九百年御遠忌にあたる




ご宝号碑b(同左)

「*(胎蔵界大日如来の種子「アーンク」) 南無大師遍照金剛
 文政十年(1827年) 亥八月吉日 中尾 毛野 谷中」

「美星町史 史料編(p.636、昭和51年)」によると中尾の大師講(12戸)の縁日は毎月25日
毛野の大師講(13戸)の縁日は毎月20日。




ご宝号碑の前にある丁字路(井原市美星町東水砂 道-196)を右折して参道を東南東へ73m進み左折




塩竈神社(井原市美星町東水砂2078)

安部氏の鎮守の神であり産土の神として祀られている

https://goo.gl/maps/a31S31RDXgt




塩竈神社から東へ110m上る




Y字路

小盛山へ下る旧道(東ルート)

https://goo.gl/maps/zfgXPoYTEtL2

Y字路から東へ25m上り、右折して南へ155m上る




龍王山の頂上

桜の木に囲まれている




宝珠山寶積院(天台宗寺門派)の大仙智明大權現(毛野大仙寺)跡

「増訂 小田郡誌 上巻(pp.621-622 昭和16年)」に「寶積院 美山村大字東水砂
海抜三五〇米の高地に在り。傍らの山頂に上れば、南は遙に瀬戸内海を隔てゝ
讃豫の連山を望むべく、北は中國山系の連峰に對し、眞に天空海闊の靈地たり。
天台宗寺門に属し、山城國愛宕郡聖護院村聖護院末寺なり。開山壽性院源性、
寛政二年(二四五〇)四月二十四日伯耆國大山智明權現の分躰を奉祀したるを
起源とす。爾後陰暦毎月二十四日の縁日には賽者頗る多く、殊に正月二十四日は
其最なるものにして、參拝者全山に溢るゝの盛況を呈せしが、交通往來の不便なると、
昭和六年矢掛町大善寺境内に堂宇を造營して、伯耆より大山智明權現の分躰を
迎へて奉祀したるとによりて、近年賓者の激減したるは惜むべきことなり。」とある

寛政2年は1790年

大善寺については「矢掛町史(pp.956-958)」を参照

「御登極記念 小田郡誌(p.138 大正13年)」に「九、寳積院 大字東水砂字※中尾にあり。
山城國愛宕郡聖護院村聖護院の末。天台宗寺門派にして、本尊は大仙地藏菩薩なり。
創立は寛政二己◯(※寛政元年は己酉、同2年は庚戌)四月廿四日なり。
開山壽性院源春。檀家僅かに一戸」と記されている

※大正時代に寶積院は毛野ではなく中尾にあった

「美星町史 通説編(pp.810-811)」を参照

『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/BjRfH23ivNn


昭和30年代に井原堤の桜橋公園の東(井原市北山町)へ遷座。
北峰山大仙院と改称。




北峰山大仙院(井原大仙院)

https://goo.gl/maps/2uacn1D2n2v









龍王社の石祠

石祠の中に水甕がある




龍王山の四等三角点(標高352.8m)

龍王社の石祠の後ろにある




三角点の南5m




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「十三番」

水砂西国13番 石光山 石山寺 [せっこうざん いしやまでら] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「後(のち)の世を 願ふ心は かろくとも 仏の誓ひ おもき石山」

https://goo.gl/maps/uPYwQEpa7B42

近くに水砂西国14番の石仏があったが、現在は33番札所がある中尾の觀音寺の境内に遷座




山頂から南へ30m程下った所

ここから南へ76kmの所に四国霊場65番札所三角寺がある

「小田郡誌 上巻(pp.621-622)」に「傍らの山頂に上れば、南は遙に瀬戸内海を隔てゝ
讃豫の連山を望むべく、北は中國山系の連峰に對し、眞に天空海闊の靈地たり。」とある




ご宝号碑の前にある丁字路に戻り、右折して北へ41m進む




店ノ峠

「美星町史 史料編(p.644)」の字名一覧を参照

直進して北東へ約1.2km下ると県道48号線の美砂橋(みさごばし)に至る

https://maps.app.goo.gl/xQVoZUijVLZd4TXXA

丁字路を左折




道の向かって左が毛野、右が中尾

車道を北西へ192m上る




Y字路の南




牛供養碑兼道しるべ(牛)

「為亡牛 右(西) 内道 左(南) 小田」「大正十一年(1922年)七月七日」
「施主 森岡◯◯◯」

北から下って来た人用

「美星町史 通説編(p.493)」の町への通い道の地図にはこの近くに一里松の印がある

https://goo.gl/maps/cLZu2T7jqFq

北北西へ443m進む


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東水砂のさいの神






石殿




千手観世音菩薩坐像

「三十番」

水砂西国30番 厳金山 宝厳寺 [がんこんざん ほうごんじ] “竹生島” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積むここちして」

https://goo.gl/maps/gFw99mhYLKB2



北西へ64m進む




十字路(井原市美星町東水砂 道-50)

直進すると志村、蔵光を経て八日市に至る

https://maps.app.goo.gl/oMEQmejGjAqXF6xE7

右折して北へ150m下る




十字路(井原市美星町東水砂 道-47)

向かって左の道は八日市への道に再度合流する。

「皇国地誌」に「道路 高梁往還 三等ニ属ス、
南宇内村界ヨリ北大倉村界マテ長サ十三町(1,418.18m)幅壱間阪路羊腸」とある。

阪路:坂道
羊腸:羊のはらわたのように、山路などの屈曲して険しいこと。つづらおり。

明治30年測図の地形図には真ん中の道(布東への道)しか記されていない。

向かって右下に今サヤ池(井原市美星町東水砂1576)がある。
字 今サヤ(あるいは今ザヤ)の近くには今ザヤノ上、今ザヤノ下、池ノ奥、ケノコシ等の地名がある。

https://maps.app.goo.gl/SoWWMPsT989AsemZA

真ん中の道を北へ70m進む


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井原市美星町東水砂の大和地区

小宇内の地神様の所まで約2.7kmの道程




十字路から道-49、道-44、道-84を東へ約700m下る
















自然石地神

「地神」

https://goo.gl/maps/v3EFxVGg99o

南へ10m下り、つきあたりの丁字路を左折




道-87を東へ85m下る




大和橋

https://maps.app.goo.gl/1rLESRJqBbegLUUDA





県道48号線の丁字路を左折(井原市美星町東水砂 道-85)

https://maps.app.goo.gl/zzBkjpQbWt975qmt7




県道48号線を北東へ210m上る




丁字路を右折(井原市美星町東水砂 道-16)

https://maps.app.goo.gl/eYA1sARHHtZdjAZn9




木舟地区への道を北へ約1.15km上る




井原市美星町大倉の木舟(きぶね)地区




木舟の大師堂(井原市美星町大倉1851-1)

「民俗資料選集39(p.176)」を参照

https://maps.app.goo.gl/Rhe7DoqM7WwqqLck6




手水鉢




棟札

「奉再建大師堂壹宇 ◯願成就◯◯ 天下◯◯ 国家◯◯ ◯◯◯◯(紀年) 寅三月二十一日
◯◯◯◯◯ 大工 ◯◯◯右衛門 」

半分程消えて判読困難

寄附者芳名録は半分以上消えて判読困難





弘法大師坐像

「二拾三番 阿和国(※ママ) 役王寺」

四国23番薬王寺 (薬師)<美星町大倉木舟>
 医王山 無量寿院 薬王寺 [いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「みな人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えまします」




地蔵菩薩像と自然石(ミサキ様?)

お堂の後方にある

北北西へ450m上る




小宇内(こうない)地区の五叉路(井原市美星町大倉 道-62)

その先は吉田布郡




自然石地神

「地神」

https://maps.app.goo.gl/oXe1EEEsXFmJHdhY6



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美星町大倉の布東(ふとう)地区

備中国小田郡大倉村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.300-304) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小十三区村誌(明治9年編)」を参照。

「皇国地誌」の備中国小田郡大倉村の項に、「道路 伯州往還三等ニ属ス
 南ノ方東水砂村界ヨリ北ノ方三山村界マテ長サ十七町三拾間(1,909.09m)幅壱間」とある。

ここから先は高梁往還ではなく、伯州往還(伯州に至る道=大山道)になる。

伯耆大山の博労市で買われた牛が伯州往還を遥々旅をして備中の各村にやってきた。
小田郡・後月郡・浅口郡の牛供養碑や万人講供養碑には
地蔵菩薩(大仙智明権現の本地仏)を刻んだものが非常に多い。
牛の守護仏である大日如来を刻んだものは稀である。




変則十字路(井原市美星町大倉 道-280)

西水砂と東水砂と大倉の境に位置する

明治30年測図の地形図に向かって左に西から接続する旧道が記されているが
現在は消失している

https://maps.app.goo.gl/WESDzAiEtsib36ZD7




向かって左に虫送りの札がある

北西へ10m下る




向かって右の道が高梁往還

「美星町史 通説編(p.493)」の町への通い道の地図にはこの辺りに道しるべの印があるが、所在不明

https://maps.app.goo.gl/s9FNPZASqQpgbauq7




布東公民館前の道しるべ

とと道(成羽往還)は道なりに北へ約560m進む


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布東から高梁への道

ここから小宇内の地神様の所まで約2.08kmの道程




右折して北東へ852m下る

途中、耕地整理によって旧道が消失している所や草刈りをしないと通れない所がある




迂回のため変則十字路を右折し、東北東へ155m進む




丁字路を左折




北へ90m下った辺りで旧道と合流。
道-279、道-229を北へ進み、字 広間の十字路から未舗装路を北へ73m進む。
山際の小屋の前で右折し、北東へ180m進む。
橋を渡り、北西へ25m進んで右折し、山際の道を東へ210m進む。

舗装路を北西へ進むと布東酪農へ至る

https://maps.app.goo.gl/yVWLrzh1cLEcWfRc8




舗装路に出たら北東へ55m、北へ30m上る

https://maps.app.goo.gl/8q3YptS8JaBXqc8X6










県道48号線の十字路

三宅果園の西を上る旧道(井原市美星町大倉 道-254)は草に埋もれている

https://maps.app.goo.gl/s1bSR7fMDeyJgQR36

県道を横断し、南南東へ20m下る




石燈籠の竿と笠?

https://maps.app.goo.gl/sFH96BgL7gCnKN67A

南東へ25m下り、丁字路を左折して北へ775m上る




三宅果園前











井原市美星町大倉 道-248




十字路(井原市美星町大倉 道-247)

https://maps.app.goo.gl/b1mc2QYyiu8S3unC6







井原市美星町大倉 道-276

https://maps.app.goo.gl/Wh6MvdNG6k64qG1D6




井原市美星町大倉 道-93







小宇内地区の南西、美星天文台の東175m、Y字路(井原市美星町大倉 道-292)




亡牛供養碑兼道しるべ(牛)

「亡牛供養 右(西) 五万原 左(南南西) 布東」
「昭和四十六年(1971年)八月吉日 施主 川上◯◯」

北から上って来た人用の道しるべ

https://maps.app.goo.gl/A73tS2mk44xow7bE6




峠を越えて北北東へ250m下る




つきあたりの丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/UqvGN8sFSMuHpvho9




向かって左の地区が吉田布郡

東へ235m上る







地神様がある五叉路を左折し、北東へ150m進む

https://maps.app.goo.gl/oXe1EEEsXFmJHdhY6




野呂地区

小宇内公会堂前にある丁字路を右折し、東へ100m下る


護法山禅林寺(曹洞宗)

井原市美星町大倉の野呂(のろ)地区 字 寺屋敷にある。
本尊は釈迦如来。矢掛町小林の高峯山大通寺末。
開山は月岩和尚。創立は慶長年間(1596-1615年)。

「御登極記念 小田郡誌(p.138)」を参照

『南無釈迦牟尼佛』

https://maps.app.goo.gl/LL1CgEmcAQox2tmY9

車道に戻り、北東へ155m進み、五叉路から東へ175m進む







万人講供養碑兼道しるべ(井原市美星町大倉 道-179)

「万人講 右(北北東) 宇戸 左(北北西) 黒萩(井原市美星町明治 黒萩)」
「施主 片岡◯◯」「昭和十六年(1941年)十◯」

西から来た人用の道しるべ

この場所から北北西へ20m進んだ所(Y字路)にあったものと思われる

https://maps.app.goo.gl/JNGHPC4LEaAWhGzt6

北北東へ290m進む




井原市美星町大倉の上組(かみぐみ)地区




上組の大師堂(井原市美星町大倉437-6)

「民俗資料選集39(p.176)」を参照

https://maps.app.goo.gl/CYX7b77B1mJdMVmMA




亡牛供養碑兼道しるべ(牛)

「為亡牛 右(南西) 井原 左(南) 矢掛」
「施主 廣谷◯◯」

北から下って来た人用の道しるべ

左(南)へ下ると、千の坂を経て東水砂の美砂橋に至る。
右(南西)へ進むと井原に至る。

井原市美星町黒忠(八日市)や井原市西江原町からの高梁往還もここを通る。

「笠岡市史 史料編上巻(pp.307-311) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小十四区村誌(明治9年編)」の備中国小田郡星田村の項に、
「道路 高梁往還三等ニ属ス、西本国後月郡山野上村ヨリ東シ西水砂村界マテ長二十町三十間(2,236.36m)
幅壱間、道傍並樹等ナシ」とある。




牛供養碑兼道しるべ(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「右 三山松山 左 八日市 川上定之◯」

井原市美星町星田の蔵光の市場堂の前にある

https://maps.app.goo.gl/fLhBpNSnqPkhnUCs8




亡牛供養碑兼道しるべ(井原市美星町星田587)

「爲亡牛 右(東南東) 志村矢掛 左(北東) 三山高梁 道」
「大正七年(1918年)五月十九日」「施主 三村◯◯」

西から来た人用の道しるべ。蔵光の稲荷神社の下にある。

「御登極記念 小田郡誌(p.136 大正13年)」に
「一、高梁往來 後月郡西江原村にて國道より分岐し本村(堺村)を通過し、
美山村を經て高梁町に至るものなり。(中略)
二、矢掛往來 川上郡日里村八日市より本郡矢掛町に通ず。」とある

https://maps.app.goo.gl/PsBf5wG1CvfCAy2U6




自然石地神

「*地神(地神)」




自然石の燈籠

「献燈」




お堂は平成10年(1998年)9月26日に再建入仏式





弘法大師坐像

「世話人 大師講中」
「安政ニ卯年(1855年) 七月吉祥日」「願主 丑年男」

『南無大師遍照金剛』

札所番号等は確認できず

つきあたりの丁字路を左折し、北北西へ240m上る











三村正勝先生顕彰碑(井原市美星町大倉190-4)

備中神楽の興隆発展・後進の育成に尽力された三村正勝先生の顕彰碑

昭和33年(1958年)10月2日に建立

岡山県神社庁神楽部長だった神埼勝之氏の撰并書

https://maps.app.goo.gl/TLbWvpRDjsfMZGAB7

北へ35m進む





Y字路から北北東へ3m程進んだ所(井原市美星町三山 道-381)

三山と大倉の境にあたるので、虫送りの辻札が2本立てられている




弘法大師坐像

「四国 十六番 觀音寺」

四国16番観音寺 (千手観世音) <美星町大倉上組>
 光耀山 千手院 観音寺 [こうようざん せんじゅいん かんのんじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「忘れずも 導き給え 観音寺 西方(さいほう)世界 弥陀(みだ)の浄土へ」

https://maps.app.goo.gl/M8GMivF1sf5Zq8Xn9

北へ450m下る




谷上地区




阿弥陀堂

木造阿弥陀如来立像1躰が安置されている

棟札「阿彌陀如來◯◯◯◯◯◯◯ 平成八年(1996年)二月三日(以下判読困難)」

『南無阿弥陀仏』


お題目塔

「南無妙法蓮華経 明和元甲申天(1764年) 十月十三日 看*𦀇(経) ◯中 」




看経講中?

カンキ講については「岡山県史 第十五巻 民俗1(p.96)」を参照

https://maps.app.goo.gl/yPfRbTdpTpjdZwxdA





自然石の燈籠

「三寶大荒神 文政十二己*丑年(1829年) 九月吉辰日 氏子中」








三寶大荒神社(井原市美星町三山3523)

石標

「谷御堂普賢三寶大荒神 改築遷宮祭」
「平成拾七年(2005年)拾壱月参日」

https://maps.app.goo.gl/UfTiso9Bnzbp4zP87

北西へ230m下る





谷下地区の十字路の横にある墓地の端(井原市美星町三山3543)

備北バス 谷下乗り場の下

東へ直進すると美星町宇戸(うと)、烏頭(うとう)、矢掛町上高末へ。
烏頭の八幡神社参道口から北へ150m上り、峠から約1.3km下ると宇戸谷の谷下地区へ。

左折して北へ下ると 県道166号線、県道48号線、県道35号線を経て成羽へ。
右折して南へ進むと、美星町大倉、県道48号線、県道408号線を経て矢掛へ。




道しるべ

「*(方位記号)」
「北ハ成羽」「東ハ宇戸」「南ハ矢掛」「西ハ八日市」

美星町宇戸には笠岡市の西浜(ようすな)から魚介類、井原から馬肉と牛肉を売りに来ていたと云う

「岡山県史 第十五巻 民俗1(p.334)」を参照

https://maps.app.goo.gl/nrTzG8tXpkmtk7Lx5

北へ370m下り、県道48号線(県道166号線と重複)の十字路を右折。
県道を北東へ315m下って丁字路を右折し、赤の谷地区へ。
そこから一本松峠を越えて宇戸谷に下り、
増原へ上って玉川橋まで下り、橋を渡って広瀬から高梁川沿いに北上して高梁に至る。


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布東地区











徳山牧場の横を通過




徳山牧場の北端にある丁字路

黄線で示したルートがとと道の遺構
(井原市美星町大倉 道-55→道-52→道-48→道-49→道-46→道-44)。
丁字路から北へ進む道(約90m)があったが、耕地整理により消失している。
耕地整理以前の道は1974-1978年の空中写真で確認できる。

https://maps.app.goo.gl/z3qpDj7Jsf4Dfds87





畦道を通るには地権者の許可が必要

徳山牧場の北端にある丁字路から車道を北西へ170m進む




丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/xEv7eSN51gSvD7nv7




布東酪農への道(下道)を徒歩で東へ115m進む











Y字路

近くに電柱が立っている

https://maps.app.goo.gl/zdvW1Q3uCdpuyCVF9




斜面の道を南東へ20m程下る

https://maps.app.goo.gl/K9cdBGpAAtbXuU5K9




道-55

https://maps.app.goo.gl/JS7Rr1jEYUZK6oD17




道-55付近から徳山牧場の北端にある丁字路を望む







布東酪農への道(下道)に戻り左折




道-52を西北西へ約15m進む




丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/wV3AYZ2MefUxXX9s8




道-48

草刈りをしないと通行不可





道-49

牧草地の東端に沿って道-48、道-49を北へ約130m上ると、布東酪農への道(上道)に出る

車道に戻り、右折して北へ95m上る




Y字路を右折し、北へ150m上る

https://maps.app.goo.gl/AA4VCrcqms4PzCsE6




Y字路を右折

https://maps.app.goo.gl/fCaWjSrrHGpX3Mb28




布東酪農への道(上道)を南南東へ105m進む







とと道の遺構(井原市美星町大倉 道-48→道-49)

https://maps.app.goo.gl/fJPLL4RMS5dbfAr76













Y字路に戻る




Y字路(井原市美星町大倉 道-44)から更に北へ30m進んで右折




標高359m





道しるべ

「北 なり八(は)(成羽) 東?田光五郎」
「東 う止(と)(宇戸)」
「南 かさを◯(笠岡)」
「西 い者(は)゛良(ら)(井原)」

宇戸への道はここから東へ715m進み、県道48号線の丁字路(星空農園の南)を右折して南東へ140m下る。
丁字路を左折して、井原市美星町大倉 道-231、道-247を 北東へ240m上って左折。
高梁往還を北へ上り、上組地区のY字路を右折し、北東へ上る。

https://maps.app.goo.gl/m3s4rqZ9PbXeUsT76





不明の石造物


丁字路から北へ15m下る








布東下が市の大師堂(観音堂)

棟札a

「*(聖観世音菩薩の種子 サ) 奉修本尊正観音如意圓満修祈祷
昭和四十七年(1972年) 改◯◯◯◯◯
祈祷導師観音寺住職権大僧都法龍 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」

判読困難

寄付者芳名録

「(寄附者19人の芳名)
起工昭和四拾七年四月貳拾参日 完成 仝年 四月貳拾八日
小田郡美星町大字大倉 発起人 妹尾◯◯」


棟札b

「*(聖観世音菩薩の種子 サ) 奉修本尊正観音秘法壹◯◯◯◯◯◯
上棟 天◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯◯」」

判読困難


棟札c

「南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼佛 南無◯◯◯◯◯ 奉建立弘法大聖堂◯◯
◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯」

観音の信者が眼病平癒の霊験に感じ、明治31年(1908年)に建立したお堂
美星町史 通説編(p.770)には「布東下が市の堂」とある

井原市美星町大倉2229-4

「備中とと道トレイル(2022年版 p.34)」には「棟札に地蔵堂改修という墨書が見える」との」との
記述があるが、それらしき棟札は発見できず。
「*(地蔵菩薩の種子「カ」) 隠岐國 南無地藏大菩薩」と記された木札はある。
歯痛に霊験があるとされる隠岐のあごなし地蔵大菩薩のことであろうか?

https://maps.app.goo.gl/uEbHBrXRPwgH5dE78





弘法大師坐像(中央)

「*(種子 ア) 奉納 *髙(高)野山」
「廣畑」

小盛山にある川面四国霊場の弘法大師坐像と同じ、高野山の弘法大師坐像か?


地蔵菩薩立像(向かって左)

木造立像(同右)

『南無大師遍照金剛』

『南無地蔵大菩薩』

『南無大慈大悲観世音菩薩』


----------------------------------------------------------------------------------

美星町内の八十八ヶ所霊場札所(四字四国霊場札所を除く)

美星町内の新四国霊場札所については、美星町星田の長草の六角堂(19番)、
堺地区、宇戸谷地区、烏頭地区にも札所があるという事以外分かっていない。
情報が少なく、霊場名、霊場開基、開創年、全札所の位置等、全容は不明。

「美星町史 通説編(pp.763-764)」を参照

開創年は大正時代のように思えるが、確証は得られていない

霊場開創にあたり、新たに大師堂を建立し、弘法大師と本尊の石仏を造って安置したのではなく、
旧来の大師堂に扁額や本尊の石仏を追加して、札所にしたのかもしれない

近隣の四字四国霊場の開創は明治29年(1896年)頃。川面四国霊場の開創は安政3年(1856年)頃。




地蔵菩薩坐像(向かって左)

「大正五年(1916年) 三月吉日」


弘法大師坐像(同右)

「大正五年 三月吉日」

台座

「四國八十八ヶ所札場」

『おん かかかび さんまえい そわか』
『南無大師遍照金剛』

経王山の墓地、水砂西国7番東光山 岡寺 龍蓋寺の如意輪観世音菩薩輪王坐像の横にある

札所番号不明

https://goo.gl/maps/vrRESTB4qcTw5RXi9





弘法大師坐像(向かって右)

「大正九年(1920年) 二番 午之年男」

阿弥陀如来坐像(同左)

「大正九年 ◯◯◯ ◯之年女」

四国2番極楽寺 (阿弥陀/大師) <>
 日照山 無量寿院 極楽寺 [にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ]
 『おん あみりた ていせい から うん』
 「極楽の 弥陀の浄土へ 行きたくば 南無阿弥陀仏 口癖にせよ」

美星明治簡易郵便局前、宗金林峠線の十字路にある

https://maps.app.goo.gl/EzSYXfwweSrpy4uY7




國光堂(井原市美星町黒忠1631-4)

棟札a

「奉新 勧請切幡観音 建設弘法大*師 堂宇壱棟者
爲勧請施主息災延命 天下泰平五穀豊穣 國家安穏諸人快樂 講中祈願福壽増*長 乃至法界平等利益
昭和二十七年(1952年) 旧七月二十一日良辰 大照寺」

棟札b

「國光堂移転及瓦葺替 平成三年(1991年)八月吉日 事業費丗二万円 (世話人、敷地提供者の芳名) 」

https://maps.app.goo.gl/RJ7xJVqaVpuJi2ADA




千手観世音菩薩立像(向かって右)

弘法大師坐像(同左)
台座「明治三十三年(1900年) 四月八日 本尊 千手観音 十番 切幡寺 向組中」

四国10番切幡寺 (大師/千手観世音) <>
 得度山 灌頂院 切幡寺 [とくどざん かんぢょういん きりはたじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる」




弘法大師坐像(向かって右)

「弘法大師 阿波国焼山寺」

四国12番焼山寺 (虚空蔵) <>
 摩廬山 正寿院 焼山寺 [まろざん しょうじゅいん しょうさんじ]
 『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
 「後の世を おもえば恭敬(くぎょう) 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」

薬師如来坐像(同左)

「薬師如來」

『南無薬師瑠璃光如来』『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

井原市美星町明治 黒萩にある

https://maps.app.goo.gl/nwHqSQYLdaKECLdz6





お堂(大師堂)

黒萩公民館の北東45mの所にある

堂内に札所番号を記した石仏、棟札、扁額などは無い


棟札a

「奉理趣法爲*髙(高)祖弘法大師報恩謝徳堂宇建立也
昭和三十四年(1959年) 四月二十七日
法主 敬白」

棟札b

「*(十一面観世音菩薩の種子 キャ) 奉勧請十一面観*世音菩薩像壱體
大正◯◯◯ 正月廿二日
◯◯◯◯ 如意圓満
◯◯◯◯主 白田増五郎 」


芳名録

「奉再建 弘法大師 十一面観世音 ◯◯◯
(世話人5人、大工5人の芳名)
昭和丗四*己亥年四月◯◯ 陰暦三日二十一日」

https://goo.gl/maps/qEg1jRA3mze8CZwZ8





弘法大師坐像(向かって右)

「明治四十三年(1910年) 四月吉日 願主 申之年◯」


十一面観世音菩薩立像(同左)

「願主 辰之年女 大正二年(1913年)」

『南無大師遍照金剛』

『おん まか きゃろにきゃ そわか』




三山八幡神社前の大師堂

https://maps.app.goo.gl/YKih6A9ShVMThQ4c7




向かって右端に薬師如来坐像、そのとなりに弘法大師坐像が安置されている

札所番号不明。四国23番平等寺?




才原大師堂

棟札

「*(弘法大師の種子「ユ」) 奉弘法大師御寶前 滿期退営 大願成就 *祈禱(析祷)攸
 法主 敬白」

滿期退営は兵役を勤め上げて退営すること

寄附者芳名録の日付は「◯◯六年四月(昭和か明治)」

平成14年(2002年)に改修

https://goo.gl/maps/bWZgLTpui3o




弘法大師坐像a(中央)

「*(弘法大師の種子「ユ」)」
「奉供養 天明四(1784年)甲辰三月廿一日 九百五十年回建之」

弘法大師九百五十年遠忌

『南無大師遍照金剛』




弘法大師坐像b(向かって左)

「ヒワサ(日和佐)  藥王寺本尊 願主 山岡◯◯ 大正七年(1918年) 三月廿一日立之」

四国23番薬王寺 (薬師)
 医王山 無量寿院 薬王寺 [いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「みな人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えまします」





高祖堂(大師堂)

美星町星田の金野地区、水砂西国22番札所の近くにある


棟札

「奉建立高祖堂爲字 金野 字 *柗目(松目) 字 ◯◯ 字 *柗目谷(松目谷)
 四部樂組中安全  *𫝀(五)穀成就 如意圓滿攸
天下*𣳾(泰)平 佛法*
明治◯三拾三年(1900年)舊三月廿壱日 ◯◯(施主か願主)堺村西水砂鷹家◯◯◯
法雲山中興寺(曹洞宗、井原市星田)◯◯代 智光山観音寺◯◯代」

https://goo.gl/maps/fAwkpqC5xnn3VTe96




一石二尊仏(弘法大師坐像/薬師如来坐像か地蔵菩薩坐像?)

『南無大師遍照金剛』




不動明王立像(向かって右)

弘法大師坐像(同左)

「伊◯國 不動明王 四十五番 岩屋寺 ◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」

四国45番岩屋寺 (不動) 海岸山 岩屋寺 [かいがんざん いわやじ]
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん』
「大聖の 祈る力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある」

美星町宇戸谷の越出地区、県道48号線沿いにある

https://maps.app.goo.gl/8fWxcfWFD9menJfk7


----------------------------------------------------------------------------------

布東下が市の大師堂から北へ125m下る







万人講供養碑兼道しるべ(井原市美星町大倉 道-41)

「右(西) ハ井原 左(南) 小田ヲ経 テ笠岡」「施主 妹尾◯◯」◯◯」
「大正十五年(1926年)十一月十◯◯」

三山(北)から下って来た人用

https://goo.gl/maps/L9HVPwet2b32

十字路から北へ30m下る




Y字路から北へ205m上る




道しるべがある丁字路(井原市美星町大倉 道-32)

https://goo.gl/maps/LTCe8pbtajmajm




道しるべ

「右(北) 三山 成羽 吹谷」「*㔫(左) 小田 笠岡 神嶋」

右は三山(井原市美星町三山)、成羽(高梁市成羽町下原・成羽)を経て、吹谷(高梁市成羽町吹屋)に至る。
左は小田(小田郡矢掛町小田)、笠岡(笠岡市笠岡)、神嶋(笠岡市神島)に至る。

吹屋ではなく吹谷と刻まれている。西浜の吉田川河口から約20.5km地点。

西浜→吹屋のとと道の道中に成羽の銘がある道しるべは10基(小田に3基、毛野に2基、布東に2基、明治に2基、後谷に1基)。
笠岡の銘がある道しるべは5基(小田に1基、布東に3基、三山に1基)。
小田の銘がある道しるべは5基(毛野に2基、布東2基、三山に1基)。
三山の銘がある道しるべは2基(小田に1基、明治町に1基)。
神嶋と吹谷(吹屋)の銘が入っているものはこの1基のみ。

ここから笠岡の伏越港まで、旧道を使ったの最短ルートは、魚荷道をききなの峠まで通り、
峠から玉島井原道を山口へ下って新賀まで進み、笠岡松山往来を南へ進む。
追分の交差点で左折して笠岡井原往来(岡山県道34号笠岡井原線)を南へ進み、鴨方往来との交差点を左折。
鴨方往来を南東へ進み、薬師堂前を通過して直ぐの山陽本線(明治24年開通)伏越一踏切を渡る。
旧遊郭街を南へ下り、国道2号線伏越交差点を横断し、伏越港に至る。
その道程は約23.3km。

笠岡の伏越港から神島(神島瀬戸)まで海路2.73km

伏越一踏切前から陸路で神島瀬戸への渡し場まで行くには、鴨方往来を東へ1.2km進み、
富岡新田の土手道との交差点(道しるべあり)を右折し、九丁目三踏切、富岡交差点を渡って南へ665m進む。
小林商店前の丁字路から、樋守の薬師堂と観音堂(西国5番葛井寺)前を通って南南東へ460m進む。
ザ・ビック笠岡店前の交差点を右折して南南西へ375m進み、横島児童公園前の十字路を左折して南南西へ330m進む。
美の浜の南端にある交差点を横断して、山際の道を西へ200m進み、大日堂前から南へ260m進み、渡し場に至る。
その道程は約4.22km。

北北東へ48m上る




十字路を左折

https://maps.app.goo.gl/dCAa87M9Ty4iCB4B9





北西へ72m進む




西へ55m上って右折し、北東へ50m上って左折





西へ40m上西へ40m上って右折し、東へ30m進む




魚仲仕達が寝泊まりしていた仲仕問屋(仲継)跡

「美星町史 通説編(p.503)」を参照

https://maps.app.goo.gl/fVSJa8qcw1QqXSLN6





北東へ60m進む







北東へ90m下る







布東公民館の西にある丁字路を右折し、南へ22m進む




子供観音(井原市美星町大倉2320-10)

「美星町史 通説編(p.771)」を参照を参照




如意輪観世音菩薩坐像(向かって左端)

「一番 川上◯◯」

西国1番 那智山 青岸渡寺 [なちさん せいがんとじ] “那智山寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」




千手観世音菩薩坐像?※(向かって左から2番目)

「十一番 川上◯◯」

西国11番 深雪山 上醍醐寺 [みゆきやま かみだいごじ] (准胝)
 『のうぼ さったなん さんみゃくさんぼだ くちなん たにやた おん しゃれい しゅれい そんでい そわか』
 「逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は 頼母しきかな」





聖観世音菩薩立像?※(同3番目)

「十九番 川上◯◯」

西国19番 霊ゆう山 行願寺 革堂 [れいゆうざん ぎょうがんじ こうどう] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」




聖観世音菩薩立像(同4番目)

「二十一番 川上◯◯」

西国21番 菩提山 穴太寺 [ぼだいさん あなおうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」




十一面観世音菩薩立像※(同5番目)

「三十番 川上◯◯」

西国30番 厳金山 宝厳寺 [がんこんざん ほうごんじ] “竹生島” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「月も日も  「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積むここちして」




布東公民館(井原市美星町大倉2320-17)

井原市美星町大倉。標高371m。1m。




道しるべ

「右ハまつ山道 左ハなり王(わ)道 元禄十(1697年)丁丑天 三◯」

成羽道(成羽往還)と松山道(高梁往還)の分岐点にあった道しるべ。

https://goo.gl/maps/QZ1umo6eJ8K2





布東公民館前から北東へ217m上る




県道48号線に出たら左折して北へ90m上る

**********************************************************************************

井原市美星町三山

備中国小田郡三山村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.312-316) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小十五区村誌(明治9年編)」を参照。

「皇国地誌」の備中国小田郡三山村の項に、「道路 成羽往還三等ニ属ス
 本村西南大倉村界ヨリ北 川上郡黒萩村ニイタル 長サ三拾七町幅壱間 道傍並樹等ナシ」とある。




五叉路(叉路(中世夢が原の西)を右折

標高391.6m




北東へ416m下る







丁字路を右折し、東へ45m下って左折




北東へ170m下り、つきあたりの丁字路を左折して北北西へ40m進む




井原市美星町三山 迫(さこ)地区




岸本山覚林寺(日蓮宗)

「御登極記念 小田郡誌(p.138 大正13年)」に「一、覺林寺 大字三山字 迫。
本山は山城之國愛宕郡小川頭妙顯寺なり。日蓮宗にして、本尊は釈迦如來なり。
創立は暦應四年(1341年)未二月七日。開山は大雲院日槃聖人にて、
檀家九十七戸なり。」とある

「小田郡誌 下巻(p.617)」に美山八景のひとつとして
「覺林寺の晩鐘 雪の鐘 一羽後れし 夕烏」とある。

『南無妙法蓮華経』

https://goo.gl/maps/UnkLB7dZZT52




北へ90m上る




丁字路

お墓が3基(向かって右から延宝三年=1675年、元文元年=1736年、延宝三年)ある

https://goo.gl/maps/HNgiiqaGpvN2


右折して東へ進むと、万人講供養碑 兼道しるべが所々にがある。
高梁(備中高松)への魚荷道は右折して北東(尾崎、塚原、名畑、張屋、下田)へ進み、
岡山県道166号美袋井原線を美山川沿いに下って行く。
途中、尾崎、名畑、宇戸谷に仲つぎ場があったという。

「美星町史 通説編(p.502)」を参照



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高梁(備中松山)への道

三山→宇戸谷→県道293号線→玉川橋→広瀬

「美星町史 通説編(p.493、p.502)」の町への通い道の地図と魚仲仕の道の地図を参照



井原市美星町三山 尾崎(おさき)地区

 尾崎、名畑、吉田布郡には魚荷の仲継ぎ場があった




自然石地神

「地神」

https://goo.gl/maps/wGKc54rHVek

東へ280m進み、歌の広場一番星がある変則十字路から北北東へ70m進む。
変則十字路からコンクリート舗装の道を北北東へ90m上る。


井原市美星町三山 塚原(つかばら)地区



旗道大師堂(井原市美星町三山4390)

堂内に弘法大師坐像、御宝号碑、コゴメ石の地蔵菩薩像等が安置されている。
お堂の脇に自然石地神、自然石の燈籠2基、手水鉢がある。

https://maps.app.goo.gl/H2rEKLJ8J7DNGW6UA

大師堂前の丁字路を右折し、東へ190m進む。
三山第三公民館前の丁字路を左折し、北東へ15m進む。
酒の店 菊池の前の十字路を右折し、南東へ33m進む。







万人講供養碑 兼道しるべ

「万人講 右 経堺(旧小田郡堺村)至井原 左 経烏頭(旧小田郡烏頭村)至矢掛」
「施主 菊池◯◯建」「昭和三十七年(1962年)四月」

https://goo.gl/maps/9CgGBfiZpe92

酒の店 菊池の前の変則十字路に戻り、北東へ620m進む




井原市美星町三山 名畑(なばた)地区




井原市美星町三山 谷下地区にある変則六叉路





万人講供養碑 兼道しるべ(牛)

「万人講 右 宇頭 高末 左 八日市 井原」

「昭和二十八年(1953年)七月之建」「施主 細川◯◯◯」

南(三寶大荒神社前の十字路)から来た人用の道しるべ

https://maps.app.goo.gl/jdppnWTCPPyfjJnB9

東へ105m上る




十字路の横にある墓地の端

備北バス 谷下乗り場の下

東へ直進すると美星町宇戸(うと)、烏頭(うとう)、矢掛町上高末へ。
烏頭の八幡神社参道口から北へ150m上り、峠から約1.3km下ると宇戸谷の谷下地区へ。

左折して北へ下ると 県道166号線、県道48号線、県道35号線を経て成羽へ。
右折して南へ進むと、美星町大倉、県道48号線、県道408号線を経て矢掛へ。




道しるべ

「*(方位記号)」
「北ハ成羽」「東ハ宇戸」「南ハ矢掛」「西ハ八日市」


美星町宇戸には笠岡市の西浜(ようすな)から魚介類、井原から馬肉と牛肉を売りに来ていたと云う

「岡山県史 第十五巻 民俗1(p.334)」を参照

https://maps.app.goo.gl/nrTzG8tXpkmtk7Lx5




牛供養碑兼道しるべb

「牛供養 右ハ山 左ハ 宇戸谷」

烏頭中の地蔵峠(烏頭の八幡神社の北西130mの所、美星町烏頭 道-29)から
宇戸谷の谷下地区へ下る道(美星町烏頭 道-27)の丁字路にある

https://maps.app.goo.gl/cvrdm2cozg5TEdxs5

西北西へ250m下る







宝篋印塔型の供養塔2基と地蔵菩薩立像

上記の道しるべから、250m下った所にある

『南無地蔵大菩薩』

https://maps.app.goo.gl/opZmPCLFg2cQ345X9

北へ215m下る




張屋妙見社前

県道166号線の変則十字路を右折




張屋妙見社

「井原・笠岡・浅口今昔写真集(p.92 2014年)」に古い写真がある

https://goo.gl/maps/7BmSDQ6wm6z

県道166号線を北東へ425m下る




県道166号線と県道48号線の分岐から、県道166号線を北北東へ90m進む





山際で県道166号線の丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/HRNHLyBYxZ5kjten8




東へ170m上る




井原市美星町三山の赤の谷地区の旧道との交差点




Y字路を左折し、北西へ20m上る




次のY字路を左折し、西へ40m下る










お題目塔(法界塔)a

「南無妙法蓮華経 法界 明治十七年(1884年)四月十二日」




自然石の燈籠




お題目塔(法界塔)b

「南無妙法蓮華経 法界 安永二癸巳年(1773年) 十月吉日 ◯中」




自然石地神

「地神」

https://maps.app.goo.gl/ESpyy98BUyDKDYV88




Y字路に戻って左折




北西へ30m、北へ35m、北東へ53m上る







三山から宇戸谷への旧道(高梁往還)

Y字路から道-63、道-38、道-425、道-429、道-416を北北東へ上り
井原市美星町宇戸谷 道-279、道-270、長狭物不明-1を下ると宇戸谷の美山川近くに出る。
陸地測量部の明治31年(1898年)測図同34年製版の地図に三山と宇戸谷を結ぶ道として
この一本松峠を通る道が二重実線で記されているが、美山川沿いに道は記されていない。
現在の美山川沿いに下る県道166号線は
明治29年測図の縮図及同31年測図同43年修正測図昭和7年(1932年)要部修正測図及修正縮図から二重実線で記されている。
一本松峠を通る道は三山側が二重破線、宇戸谷側が破線で記さている。

「皇国地誌」の宇戸谷村の項に「道路 高梁往還三等ニ属ス、
西三山村界ヨリ東増原村界マテ長二十八町(3,054.54m)幅壱間、道傍並樹等ナシ」とある。

実測では三山と宇戸谷の境(一本松峠)から高梁市玉川町増原上野との境までの道程は約3,830m

https://maps.app.goo.gl/11nbnMxCpAba7fBy6





井原市美星町宇戸谷の谷上(たにかみ)地区

https://maps.app.goo.gl/eSBVotQBfwMmZ1iH9

県道166号線の脇にある墓地の南で左折し、細道を北西へ30m程上る




旧堂の平瓦と宝珠が残されている




手水鉢







「本願講中」「文化十一戌天(1814年)」
「十方施主」「大師遍照」




青高 岡の鼻の大師堂(井原市美星町宇戸谷879)

御堂屋根替の際の寄附者芳名録(大正12年)あり

「美星町史 史料編(p.624)」を参照

https://goo.gl/maps/FhkK1xTmr2F2




弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』

県道に戻り、北東へ610m下る







お堂(井原市美星町宇戸谷1133-6)

「美星町史 史料編(p.624)」にある引原の大師堂?

https://goo.gl/maps/VHk6dtcEyPx







お堂の前から県道を北東へ22m下り右折




自然石地神

「地神」

スクールバスの停留所(引原)の前、引原橋の西詰にある

https://goo.gl/maps/2Ffa73GMdVy

県道に戻り、右折して北北東へ295m進み左折







旧美星町立宇戸谷小学校(現 雑貨とアンティーク 海猫)

1971年に廃校。現在、アンティークショップになっている。

宇戸谷小学校の沿革は「小田郡誌 下巻(pp.271-273)」、
「御登極記念 小田郡誌(p.141 大正13年)」を参照

https://goo.gl/maps/qfV9otCQXd22

県道166号線を北北東へ220m下る





宇戸谷の仲継ぎ場跡

午後9時に西濱(ようすな)を出発した高梁向けの魚荷は、午前4時頃宇戸谷に着いていたという。
ここまで約28kmの道程。


「高梁川 No.83(高梁川流域連盟 編、2025年)」の特集Ⅱ「-歩こう 愛そう いつまでも ♪♪
「備中とと道トレイル60km!」- 笠岡市・金浦から高梁市・吹屋まで全コース再開発報告」の項を参照

https://maps.app.goo.gl/PJnneu2AwpffW1j99

北東へ100m進む





西平橋西詰の丁字路を左折し、川沿いに北へ30m進む




自然石地神(井原市美星町宇戸谷1317)

「地神」

自然石地神の西50mの山中に井原市指定文化財 宇戸谷の五輪塔群(宇戸谷1379-2)と
摩利支天神社がある

「井原石造物歴史散策(大島千鶴著、pp.26-29)」を参照

https://maps.app.goo.gl/CrmXm7fpqsUtCVD26

県道166号線を東北東へ90m進む




県道166号線と県道35号線の交差点を左折し、西北西へ2m進む







万人講供養碑兼道しるべ(牛)

「右(西北西)ハ成羽 左(南南西)ハ三山 講主 木口◯◯◯」

矢掛(東)から県道35号線を上って来た人、あるいは増原(北)から下って来た人用

ここから高梁市成羽美術館(下原1068-3)前まで約12.2km。
高梁市役所(松原通2043)まで約12.9km。矢掛町役場(矢掛3018)まで約13.3km。

https://goo.gl/maps/2YVaXAYxM2L2




スクールバスの停留所(谷中)前から県道35号線を東へ40m進む




県道35号線のY字路を左折して道-92、道-64を北東へ40m進む

https://maps.app.goo.gl/zn1rWjwM5DxjcM5h8




Y字路を左折

https://maps.app.goo.gl/G2MhGiSbdnVbz2BM8




北へ15m上り、Y字路を左折




北西へ35m上る







自然石の燈籠

「金毘羅宮 諸神燈」
「文化十癸酉年(1813年)六月吉日」

『南無金毘羅大権現』




大師堂(井原市美星町宇戸谷1793)

昭和六十二年(1987年)八月吉祥日の棟札あり

https://maps.app.goo.gl/c6ACQ2yvGqCKRHmY9







弘法大師坐像a(御宝号碑)

「*(種子「ア」)」
「南無大師遍照金剛 文化元甲子年(1804年) 三月二十一日 *𭤮主(施主) 甚藏」




弘法大師坐像b(向かって右端)




弘法大師坐像c(向かって左端)

「講連中」




不明の立像




コゴメ石の地蔵菩薩像3躰

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




五輪塔の水輪




大師堂前から道-64を北へ20m上る




Y字路から道-64、道-375を北へ約150m上る













右折して水路を横断







道-373を北へ45m上る




右折して道-383を北東へ20m上る







道-331を北北東へ195m下る
















丁字路(道-333)を左折

https://maps.app.goo.gl/g3AmsjBg1skFsU939




井原市美星町宇戸谷 道-329、道-251、道-271、道-277、道-256、道-248、道-245を北へ720m上り、
高梁市玉川町(たまがわちょう)増原(ましはら) 道-198、道-199、道-181、道-175、道-188を北東へ435m下り、
上野下(うえのしも)から岡山県道293号宇戸谷高梁線を増原川沿いに北北東へ下る。
高梁市玉川町玉で高梁川を渡り、広瀬(高梁市松山)から北上して高梁に至る。約3里の道程。




木口政次郎君碑銘(井原市美星町宇戸谷1864-2)

県道166号線と県道35号線の交差点から東へ230m進んだ所にある。

宇戸村出身の陸軍一等兵 木口政次郎さんの碑。
明治三十三年(1900年)北清事変に従軍。同年8月5日の開戦時、胸部に被弾。
8月9日、天津戦地定立病院にて享年24歳で歿。

文学博士 重野安繹(やすつぐ 1827-1910年)翁の撰并びに書

碑の建立は明治39年

「小田郡誌 下巻(p.328 昭和16年)」を参照

https://maps.app.goo.gl/vsWPjZB3HGGqMBVR8

県道35号線を東へ20m進む





県道35号線のY字路を左折

https://maps.app.goo.gl/P23sAYnovUGvxLnFA




川沿いの道を北へ493m上る

















丁字路(道-333)で道-331と合流

https://maps.app.goo.gl/g3AmsjBg1skFsU939










農作業小屋の横を通過




道-251

軽トラックでの通り抜けは不可能

https://maps.app.goo.gl/XLwmCuDLq3YXVn4C6




道-271




出谷2号池

https://maps.app.goo.gl/5jHFKuNqdNfTAcNF7




道-277







鉄塔巡視路と合流する手前辺りが最も急勾配

「美星町史 通説編(p.494)」に記されている通称ケツノコ坂か?




Y字路

右折して巡視路を南へ65m進むと鉄塔がある

https://maps.app.goo.gl/yLhZnDkr4TRipxWQ7

北へ25m程進む




Y字路から左へ上る




道-256

ここから先(北)は草刈りが必要

https://maps.app.goo.gl/aQjBL5aQMp2qjjjf7

北へ55m上り、ため池の横で右折して東へ47m、左折して北へ110m進む




増原の上野側から上った際の到達点(井原市美星町宇戸谷 道-245)

井原市と高梁市の境から南へ40m程下った所。ここから先(南)は草刈りが必要。

https://maps.app.goo.gl/3ozLKhwBDpKWbAo18




道-245を北北東へ上り、市境を越える




高梁市玉川町増原 道-198を北北東へ下る







タワノ池の横を通過













民家の横を通過したら、つきあたりの丁字路を右折




東へ77m上る




つきあたりの丁字路を左折




上野下(うえのしも)の大池前の丁字路

乗合タクシー待合所

カーブミラーの後方に玉川町の観光案内板があるが、草に埋もれているため見えない

https://maps.app.goo.gl/LhRb6iZoPh77YqqPA

県道293号線を北へ780m下る







増原農村生活改善センター(高梁市玉川町増原779)

大正天皇御即位記念の門柱(大正4年=1915年11月10日の紀年銘あり)と二宮金次郎像がある。
高梁市立玉川小学校増原分校(昭和38年=1963年2月末を以て廃校)のものか?

https://maps.app.goo.gl/bL22kJ71df4bGASb6











お堂

高梁市玉川町増原の中仙戸(なかせんど)地区にある。大師堂か地蔵堂。

https://maps.app.goo.gl/dJJW7Xvg3cSULRXc8




堂内に石仏3躰が安置されている。
中央の石仏は前のめりに倒れているので、弘法大師坐像なのか地蔵菩薩坐像なのか確認できず。




弘法大師御影

「五拾五番」

四国55番南光坊 (大通智勝) <>
 別宮山 金剛院 南光坊 [べっくざん こんごういん なんこうぼう]
 『なむ だいつう ちしょうぶつ』
 「このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても 同じ垂迹(すいじゃく)」

増原に点在する新四国霊場の名称は未確認

近くでは広瀬の大嶽山法林坊(備中西国観音霊場2番札所)の裏山に八十八ヶ所霊場がある。
裏山の山頂には廣瀬固屋の趾(三村氏の陣屋跡。天正3年=1575年3月の毛利氏との合戦の際に落ちる。)もある。




地蔵菩薩立像?(向かって左)

札所案内板

「豫州第五十五番 本尊 大通智勝◯」




北へ20m進む




自然石地神

「地神」

https://maps.app.goo.gl/u9wz3TRGAq6Kdxe4A




県道293号線を北北東へ130m下る




十字路

右折して北北東へ190m上ると八幡神社の境内へ至る

https://maps.app.goo.gl/odvQbcPC6RDHWbVU6

県道293号線を北へ210m下る








宮ノ下橋の手前で右折




八幡神社(高梁市玉川町増原971)

旧社格は村社


注連柱

「報本」「反始」

参道は通行困難

https://maps.app.goo.gl/fEdeSB5rpnuiTLYs7




宮ノ下橋

県道293号線を北へ380m下る










瓦質の小祠

祭神未確認





お堂

高梁市玉川町増原の下村地区の南端にある

https://maps.app.goo.gl/fBXX8d8mbSi4v9Rk8




弘法大師坐像

「昭和七年(1932年)三月」「長谷川◯◯」


不明の坐像




四国41番龍光寺 (十一面観世音) <>
 稲荷山 護国院 龍光寺 [いなりざん ごこくいん りゅうこうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「この神は 三国流布(さんごくるふ)の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く」




県道293号線を北北東へ320m下る







下村集会所前の丁字路を左折




寺標

昭和六十三年(1988年)十月吉日に建立

参道を北西へ上る




徒歩の場合は右折、車の場合は左折







真言宗 梅木山蓮金院寶藏寺(高梁市玉川町増原407)

開創は康永2年(1343年)3月、開山は僧増範。
日照山国分寺(備中国分寺)末。

高梁市史によると本尊は阿弥陀如来。
石段の途中にある赤い幟旗には「奉納 南無薬師如来」とある。

『おん あみりた ていせい から うん』

https://maps.app.goo.gl/iW12REoMuUny86rr7




宝篋印塔

「*(宝篋印陀羅尼経の種子「シッチリヤ」」
「若有有情能於 此塔一香一花 礼拜供*𫝥(養)八十
 億劫生死重罪 一時消滅生免 災殃死生佛家」
「若有應堕阿鼻 地獄若於此塔 或一礼拜或一
 右遶塞地獄門 開菩提路◯◯◯ ◯◯安穏快樂」
「◯◯◯◯◯◯◯居士 ◯◯◯◯◯◯◯大姉」

「現住 増◯代 施主 真野◯◯◯」
「宝暦八戊寅年(1758年)九月吉辰」







弘法大師坐像

「爲法界萬霊」

『南無大師遍照金剛』




鐘楼堂




手水鉢

「宝暦六丙子天(1756年)」




県道293号線に戻り、北北東へ130m下る







自然石地神

「地神」

https://maps.app.goo.gl/8bnJitRLzmYWQMjL6




県道293号線を約2.8km下り、丁字路を道なりに370m進むと、玉川橋に至る。
丁字路を左折して北へ310m進むと、玉川橋跡に至る。

高梁市玉川町玉と高梁市松山(広瀬)間は古くは渡船を使い渡っていた(玉川の渡)。
先々々代の玉川橋の竣工年は未確認。
昭和4年(1929年)に竣工した先々代の玉川橋は現在の玉川橋より200m上流に架けられていた。
半下路式曲弦プラットトラス構造の橋と木桁橋からなっていた。
昭和9年9月20日の室戸台風で木桁部分が損壊。広瀬では26人死亡し、大半の家屋が失われた。
昭和11年(1936年)竣工の先代の玉川橋は先々代の玉川橋と同じ場所に再建。
流された木桁橋部分を2連の半下路式曲弦プラットトラス構造の橋とコンクリート桁橋で補った。
昭和47年7月豪雨後の昭和48年(1973年)に修理されている。現玉川橋の竣工に伴い、撤去された。
現在は高梁川を渡るのに平成26年(2014年)8月に竣工した玉川橋を渡る。

玉川の渡については「沿線誌集成 第1輯(宇垣武治 編、昭和2年、p.532)」の廣瀬固屋の趾の項を参照

昭和47年7月豪雨時や平成30年7月豪雨時の玉川橋周辺の被災状況については
高梁市平成30年7月豪雨災害記録誌」を参照

旧玉川橋については「増補版 高梁市史 下巻(平成16年、p.184)」を参照

「笠岡市史 第三巻(pp.700-703)」の「魚介類の行商」の項に、自転車を押して広瀬まで来た行商人が
川が増水していたために高梁の町へたどりつけず、泣く泣く魚を投げ売りして帰った話がある。


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お墓がある丁字路を左折して南西へ44m上る




ドブウ畑(井原市美星町三山5096)の端




お題目塔

「南無妙法蓮華経 宝暦二壬申天(1752年) 四月十三日 題目 講中」

美星町史 通説編(pp.758-759)を参照

https://maps.app.goo.gl/BhCq4gqmaKmsFbjY8

西へ42m上る




Y字路

向かって左から下って来る道(井原市美星町三山 道-217)が旧県道48号線

https://maps.app.goo.gl/crZVQuWMdMwPwZqUA




覚林寺裏手口

この辺りの山を岸本山という

向かって左の新県道48号線は1961-1964年の空中写真には無く、
1974-1978年の空中写真には一部建設中(未舗装)の状態で写っている

旧県道48号線(井原市美星町三山 道-219)を北東へ100m程下る




宗泰駒止岩




自然石地神

「地神」

https://maps.app.goo.gl/Hw96BdjUe3rPALhT8





岸本兵庫頭供養塔


「岸本兵庫頭供養塔 昭和和乙丑(1985年)秋 勲六等岸本*猿城建之 協力 岸本剛一」

「岸本氏清和天皇子貞純親王ヨリ出ズ 摂津多田ニ住シ清和源氏ト稱ス
 源*満季(みつすえ)九代十郎遠綱近江國岸本庄ニ住シ岸本氏を稱ス 東鑑(あずまかがみ)ニモ見ユ
 次男治郎大夫美作國吉野郡押領使兼金山奉行トシ
源頼朝ノ命ニ依リ再興ニ*盡スモ再興不成 鎌倉ニ帰還
 次男泰綱拜慈(はいし)郡三山岸本山ニ住シ三代宗泰兵庫頭任官
三山八幡宇戸谷ニ男山石清水八幡宮ヲ勧請 二社ヲ建立ス
 此時住民狂喜之迎斉戒沐浴炊飯ヲ素手ニテ握リ飯ラ作リ供
以後宗泰駒止ノ由*来ル鎌ヲ紙搓リニテ結ビタルヲ祭典ノ際同時供六*陌?八十余年ニ至ル
備北見聞録神社縁起及小田郡志ニ依ル
 又日蓮宗大覺大僧正ニ帰依シ岸本山南麓兵庫頭厩跡ニ覺林寺ヲ建立
時南北爭乱有 備後櫻山茲俊舉兵ニ參加*負傷
 暦応元年(1338年)三月八日逝去 室翌二年同月同日夫ニ殉自刃ス
法名本覺院殿芳譽天岸大居士 妙林院殿貞松大姉
岸本山南面宗泰駒止岩有 岩前ニ兵庫頭妙見神ト合祀シ岸本大明神ト神號ス
尚備前中納言秀家家老花房志*摩守宇喜田家内*纷(紛)ノ際徳川家康之元ニ奔走リ
関ヶ原合戰ノ功ニ依リ三山ヲ領ス
 日蓮宗ニ深ク帰依持ニ覺林寺ニ対シ永代十石ヲ寄進ス 花房家文書

*𫞃和(昭和)乙丑秋撰文書猿城」

炊飯(かしきかて):雑炊の類の古称

自然石の燈籠(常夜燈)は平成2年(1990年)に建立





八幡神社(はちまんじんじゃ)

祭神は應神天皇、境内社、竜王神、稲荷大明神。無格社。

「御登極記念 小田郡誌(p.138 大正13年)」に「二、八幡神社 大字三山字 宮迫にある。
無格社にして創立暦應年間(1338-1342年) 岸本兵庫頭鎭守たり。後世本村大字三山
字 宮迫外五ヶ所の崇敬する所なり。明治年間社格御定めの時、村社國司神社の屬社たり。
祭神は應神天皇。氏子數七十五戸。」とある

「美星町史 通説編(pp.720-722)」には八幡(やはた)八幡神社と記されている

「小田郡誌 下巻(p.617)」に美山八景のひとつとして
「八幡の青嵐 葉がくれに 一部落ちあり 青嵐」とある

https://goo.gl/maps/4KmmQYuGjBo






妙見神社?(井原市美星町三山5071)

岸本大明神と合祀


さらに80m下った所にあるY字路から北へ90m下ると、Y字路aに出る

Y字路aから西へ40m上り、丁字路を右折して県道48号線を北西へ350m下ると
県道77号線との交差点に出る


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