【魚荷道.5】


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書きかけです


小田郡矢掛町小田

小田郡地誌(明治26年5月17日発行)に「里道に四あり 小田村より川面、美山能(の)両村を過き
川上郡日里村尓(に)入る 之を成羽往來と云ひ 矢掛村より川上郡玉川村尓(に)至る
之を高梁往來と云ふ その往來は小林川に尓(に)沿へる處に鬼ヶ嶽と稱する地あり」と記されている。

川上郡玉川村は現在の高梁市玉川町。井原市美星町宇戸谷から岡山県道293号宇戸谷高梁線を北上し、
玉川町へ下り、高梁川に架かる玉川橋を渡って、国道180号線に至る。




万人講供養碑兼道しるべ(馬)

「万人講 本道高梁成羽 左 三山 八日市
 大正五○(1930年) 施主 瀧◯」

矢掛町小林(おばやし)の神子ヶ峠(みこがたわ)の岡山県道35号倉敷成羽線の丁字路にある。
左折して北北西へ進むと、庭園で有名な高峰山大通寺を経て、井原市美星町三山、黒忠に至る。

高梁町(初代)が発足したのは明治22年(1884年)

https://goo.gl/maps/pFv7cWezVsT2




万人講供養碑兼道しるべ(牛)

「万人講 右 はなし(羽無)
左 たかはし(高梁) なりわ(成羽)」

鬼ヶ嶽ダムの堤体の下に行く道の脇、名勝鬼ヶ嶽の標柱の向かって右にある。
矢掛町上高末の羽無地区には海棠で有名な萬松山吉祥寺、金比羅宮がある。

https://goo.gl/maps/b2avuHSiYwE2


成羽往來は概ね現在の岡山県道48号笠岡成羽線、高梁往来は岡山県道35号倉敷成羽線に相当。
車道化する際にルートが変更されている所が何箇所もある。
鬼ヶ嶽付近ではダム建設により、旧高梁往來が水没している。


「御登極記念 小田郡誌(p.131)」小田村の交通運輸の項に「大正二年(1913年)度より仝五年度に亘りて
改修したる一等里道は、本村を縦貫して北方、上房郡高梁町・川上郡成羽町に通じ、
外(ほか)堀越の南方約八町にして井笠軽便鐵道北川驛に達す。」とある




車の場合は共栄橋北詰から北北西へ下り、旧山陽道の十字路(靴屋の横)から北北西へ13m進む

徒歩でとと道遺構をたどる場合は、共栄橋を渡って直ぐの十字路を左折し、西南西へ70m進む





この通りが小田の堀越から高梁・成羽へ向かう高梁往還(松山成羽道)




昭和五十九年(1984年)七月吉日建之




薬師如来坐像(向かって左)

弘法大師坐像(同右)

「三十三」

明治四国33番雪蹊寺 (薬師/大師) <小田 松島履き物屋東>
 高福山 雪蹊寺 [こうふくざん せっけいじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「旅の道 うえしも今は 高福寺 のちのたのしみ 有明の月」

北川昭和四国33番雪蹊寺の北北西245mの所にある

https://goo.gl/maps/DBm1uvwbYQ82

北へ50m進む


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徒歩でとと道の遺構を辿る場合




共栄橋の西南西70mの所にある丁字路

https://maps.app.goo.gl/fWe1PRDvDfmvZRku7




旧辻橋跡を小田川北岸から望む




細道を北へ33m進む




旧山陽道

上方道、九州道、長崎街道ともいう

細道が旧山陽道に合流する手前に水準点があったが、現在は山王会館の横に移転している





旧山陽道大曲跡(井原市下出部町)

一六〇七号の旧水準点の標柱がある

現在の1607号一等水準点(30.2m)はこの場所の西608mの所(妹尾旭工業(株)前)へ移転

https://maps.app.goo.gl/34GVHfY6RsVKhsVB8




道しるべa(南向き)

「*(向かって右方向の指差し印)
右(東) 上可多(かた)道 左(西) 左(さ)く道」




道しるべb(東向き)

「右(北) きう志(し)う道 左(南) さく加多(かた)道」



旧山陽道に出たら右折し、東北東へ17m進んで丁字路を左折




細道を北北西へ42m進む




山王会館前で右折




一等水準点(点名1602/26.0m)




山王会館前

https://maps.app.goo.gl/JCmhSxuFxRowojuSA


山王会館前を通り抜け、Y字路を右(東)へ進む




山王会館横にトイレあり




東へ25m進み、つきあたりの丁字路を左折し、共栄橋北詰から下った来た車道に合流


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国道486号線の下を通過し、つきあたりの丁字路を右折




北東へ37m進む




電器店がある丁字路を左折し、北へ23m進む




井原線高架下のY字路から左へ進むと、武塔神社参道入口、右へ進むと、とと道

https://maps.app.goo.gl/b6ikwKbfy2aVCJGTA





武塔神社参道入口(井原鉄道井原線高架下)

石燈籠ab

「奉燈」「氏子中」「明治三十年(1897年)四月」

https://goo.gl/maps/ycxDkUhXEBT2


参道を東へ208m上る





武塔神社

祭神は素盞嗚尊。旧社格は村社。向かって右に郡神社がある。

https://goo.gl/maps/Lo8QFreNHG32





郡神社(拝殿の向かって右)

祭神は笠臣遠祖県守神

後出の郡宮址から大正三年(1914年)に当地へ遷座

前出の長福寺裏山古墳群に葬られているのは笠臣(かさのおみ)ではないかという説もある


武塔神社の境内から北北東へ74m進む




正覚山大弘寺(曹洞宗)

本尊は阿弥陀如来、合祀仏は大仙智明大権現(その本地である地蔵菩薩)、
八大龍王、稲荷大明神、南無地蔵菩薩。大仙智明大権現は昭和23年7月24日に勧請。

武塔神社の別当寺。

『南無阿弥陀佛』『南無地蔵大菩薩』

「矢掛町史(pp.999-1000)」を参照(旧本堂の写真あり)

https://goo.gl/maps/QCWvKh6XthC2


武塔神社の参道入口に戻り、左折して北へ73m進み、Y字路から北へ38m進む




万人講供養碑2基

https://goo.gl/maps/1P5N2Ps1ZQ82




万人講供養碑a(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講」




万人講供養碑b(地蔵菩薩坐像 + 向かい合う牛2頭)

「万人講 講主 深尾◯◯ 世話人 土井◯◯ 妹尾◯◯◯」

万人講供養碑aの台座

「講主 熊越◯◯」

万人講供養碑前の丁字路から北へ17m進む







道しるべ

「みき八(右は) まつ山(松山) なり八(成羽) 道」
「延享二丑歳(1745年) 十二月吉日」「*淸五良(清五良)」

小田の大弘寺の南東115mの所にある。松山成羽道を高梁往還ともいう
(美星町大倉の布東辺りで成羽道と松山道に分岐)。

「笠岡市史 史料編上巻(p.284) 皇国地誌 備中国第壱大区小田郡小拾壱区村誌(明治9年編)」に
「高梁往還 二等ニ属ス本村(小田村)堀越ヨリ上ル、長崎街道(※山陽道)岐レテ北ニ折レ
宇内村界マテ二十五町(約2,727.25m)幅壱間(約1.818m)」とある。

小田郡地誌(pp.7-8 明治26年) 」に「里道ニ四アリ 小田村ヨリ川面美山ノ両村ヲ過キ
川上郡日里村ニ入ル 之ヲ成羽往來ト云ヒ 矢掛村ヨリ美川字宇戸二村ヲ通リ川上郡
*增原村(増原村)ニ至ル高梁往來ト云フ 其小林川ニ沿ヘル處ニ鬼ヶ嶽ト稱スル
地アリテ溪路頗ル屈折セリ(以下、福山往來と井原往來は省略)」と記されている

川上郡日里村は現在の井原市美星町黒忠と明治。
増原村は現在の高梁市玉川町増原。

https://goo.gl/maps/dMgQJUjhiW52




道しるべ(不明の坐像)

「み起(き)ハまつやま な?りハみち(右は松山成羽道)」

新池の土手にある。風化の程度から、上記の道しるべよりも古いものかもしれない。

https://goo.gl/maps/yP7eVVyeHW82


丁字路から東へ71m、右折して南へ20m進んで左折。
小田郵便局前から県道48号線を北北東へ207m進む。







郡宮址の標柱

小田郵便局の北190mの所、中小田の字「郡の上」にある。
「郡の上」の北に字「郡の脇」、東に字「郡の下」がある。

「小田郡誌 上巻(p.28)」に「郡*神社(神社) 郡權現宮又郡の宮ともいふ。
備中國の*總社(総社)が、吉備郡*總社町(総社町)に在るが如く、
郡内著名の*神社(神社)の*神靈(神霊)を合祀したるものにして、
小田町字郡の上に其遺址あり。明治維新迄は、年々郡内各村に配札をなし、
*社殿(社殿)の新築又は修繕の際には、郡内各村より淨財を集むる例なりき、
大正三年(1914年)、*村社(村社)*武答神社(武塔神社)の境内に移轉し、
他の小*神社(神社)を合祀せり。」と記されている。

「備中誌 小田郡(明治36年、pp.165-166)」に「郡宮 郡權現と云 又郡大明神 畑中ニ在
 *社(社)方一間 *社僧(社僧)小田寺 今 *社人(社人)付 本地薬師佛
祭禮九月十七日十八日 之*社(社)修補近來小田郡村々ゟ爲立」とある


「矢掛町史(p.198)」「矢掛町史 民俗編(pp.347-348)」を参照

https://goo.gl/maps/nU9ZyEzz6sz


県道48号線を北北東へ100m進み、丁字路を左折して西へ245m上り、つきあたりの丁字路を右折




中小田公会堂前から北北東へ65m進む




中小田の魚荷引継所跡

https://maps.app.goo.gl/fJW8tM3kwY5gHYF27

北東へ180m進む




丁字路

徒歩の場合は左折して、山際の道へ向かう。
車の場合は右折して、東南東へ160m下って県道48号線に戻る。




十字路を右折して、県道48号線を北北東へ290m進む


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徒歩で中小田から熊へ向かう場合




丁字路を左折し、北西へ25m上る




正徹誕生の地(生家跡)




丁字路を右折し、北東へ50m進む







つきあたりの丁字路を右折し、山際の道を東へ60m、北北東へ345m進む





































十字路

https://maps.app.goo.gl/vzZjFYRHwj1oHpbN9




十字路を左折し、西へ90m上ると荒神社がある

向かって右の石垣は旧 負山小學(明治8年=1875年に新築)のもの。
負山小學は明治11年(1878年)に小田小學、明治16年(1883年)に小田小學校、
明治20年(1887年)に尋常小田小學校、明治26年(1893年)に小田尋常小學校と改称。

明治41年(1908年)に現在地へ移転し、小田尋常高等小學校と改称。
昭和16年(1941年)に小田国民學校、昭和22年(1947年)に小田町立小田小学校と改称。
昭和36年(1961年)の矢掛町と小田町の合併により、矢掛町立小田小学校となる。

「小田郡誌 下巻(pp.264-265、昭和16年)」を参照





十字路を右折し、東へ100m下ると岩見堂前に出る




十字路から北へ50m進む




左折して山道を登ると、熊一号古墳、熊二号古墳、小田政清夫妻の墓、
八幡神社を経て、山頂の神戸山城址に至る

https://maps.app.goo.gl/PgcKVEN7R1W7SJFWA

北へ170m進む



















丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/18eBm6DJcxbaDSx3A




細道を東へ33m下り、左折して北へ47m進む







県道407号線の十字路

細道を北東へ50m直進して林田川にかかる橋を渡り、
つきあたりの丁字路を左折して北西へ90m進むと沖の堂橋の北詰に出る

https://maps.app.goo.gl/vQX3xbeVrW7P3s1k8










沖の堂橋の北詰




十字路を左折して407号線を北西へ70m進み、
変則十字路を右折して北東へ85m進むと沖の堂橋の北詰に至る


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小田の熊地区



県道48号線のY字路を左折し、県道407号線を北(左)へ156m進む




岩見堂

字 熊ノ前にある

後方に見えている小田小学校のグラウンドは
小田小学校の校歌に登場する熊池を埋め立てて造成したもの

近隣市町村で池を埋め立ててグラウンドを造成した例としては、
大間池を埋め立てた新吉中学校のグラウンド(笠岡市山口)、
九沓池を埋め立てた井原運動公園野球場(井原市上出部町)などがある。

https://goo.gl/maps/M7ryKMLJkTk








弘法大師坐像、地蔵菩薩坐像(首なし)、地蔵菩薩立像3体

『南無大師遍照金剛』『南無地蔵大菩薩』




扁額

「弘法大師」

寄附者芳名録の文字は判読困難。
古くは地蔵菩薩が本尊で、後に弘法大師を合祀したものと思われる。




棟札a(向かって右)

「*(地蔵菩薩の種子「カ」) 奉再建岩見堂一宇本尊地藏尊 為人法紹隆 天長地久 御願*圎満(円満)
 文化十二年(1815年)乙亥歳 夏四月吉辰日成」

棟札b(同左)

「聖主天中天 迦陵頻迦聲 哀愍衆生者 我等今敬禮 
組頭 伊三郎 粂次郎 ○兵衛
大庄屋 眞安榮五郎 楞伽山小田寺 法印 範龍 十方○力
本願主 和○ 伊右衛門 大工 ○原 ○右衛門」

小田の大庄屋 眞安榮五郎さんについては「小田郡誌 上巻(p.571)」を参照

「矢掛町の辻堂(p.71)」によると岩見堂は中小田の字 砂原から当地へ遷座

「備中小田資料 社寺編(p.44)」を参照




向かって右から

 万人講供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講 施主 小◯◯◯ 昭和十六年(1941年)十二月二十七日」

 牛供養碑兼道しるべ (地蔵菩薩坐像 + 牛)

「牛亡爲 明治三十五年(1902年)十月 施主 杉本◯◯
 右 矢掛 左 三山◯(美星町三山)」


牛供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)




 堅牢地神(自然石)

「*(地天の種子「ヒリ」) 南無堅牢*地神(地神)」

『ナウマクサマンダ ボダナン オン ビリチビエイ ソワカ』




忠魂碑

「忠魂碑 陸軍大将 鈴木荘六」
「昭和九年(1934年)五月 帝國在郷軍人会 小田郡小田町分会建之」

小田小学校と小田公民館の間にある

https://maps.app.goo.gl/53mWXGuv8AbZwxKi9






岩見堂前から西へ上ると荒神社、小田政清夫婦の墓、熊一号古墳、熊二号古墳、
 八幡神社、神戸山城址等がある

県道407号線を北北西へ338m進む




変則十字路

https://goo.gl/maps/PcMQg4o477U2




万人講供養碑(不明の坐像 + 牛)

「万人講 右 神代 左 笠岡 道」

現在は小田寺に移設されているが、元はここにあったもの




松山成羽道

小田寺、羽賀峠、宇内方面

変則十字路を右折し、北東へ80m進む




沖の堂橋(おきのとうはし)

昭和43年(1968年)3月竣功。沖の堂と呼ばれるお堂があったのかもしれない。

林田川(はいだがわ)を渡り、北東へ15m進む


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Y字路を左折

https://maps.app.goo.gl/gtHPg7X5Yfa1e8BdA





西へ53m進み、右折して北西へ400m上る




新池の北にある五叉路

https://goo.gl/maps/yP7eVVyeHW82







道しるべ(不明の坐像)

「み起(き)ハまつやま な?りハみち(右は松山成羽道)」

松山成羽道はこの場所から南東へ450m下った所




万人講供養碑兼道しるべ(地蔵菩薩坐像?)

「右ハ山上ヲ経 八日市  左ハ神代ヲ経 井原◯ 亡牛二頭爲万◯◯」
「飼主 山◯◯◯」「世話人 妹尾◯◯ 川上◯◯ 」

山上は干し柿の里として知られる山ノ上地区。八日市は井原市美星町黒忠。
神代は井原市神代町。
本来はこの場所の西300mの所にある県道407号線の十字路にあったものと思われる。

五叉路から北北西へ28m進む










観音堂

新池の北岸にある

棟札

「昭和四十一年(1966年)一月吉日 建替新築する
平成十三年(2001年)一月吉日 屋根改善工事 寄重 川上◯」

「矢掛町の辻堂(p.69)」を参照

https://goo.gl/maps/FagffDYWJTk




お堂の横は流れ込み




堂内に観世音菩薩像なし




弁財天坐像?(向かって左端)




地蔵菩薩立像a(向かって左から2番目)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




地蔵菩薩立像b(同3番目)




地蔵菩薩立像c(同4番目)




地蔵菩薩坐像d(同5番目)





新池

「笠岡市史 史料編上巻(p.285) 皇国地誌 備中国第壱大区小田郡小拾壱区村誌(明治9年編)」に
「新池 東西六十間(約109m) 南北百廿五間(約227.26m) 周回三百八拾弐間(約694.51m)、
本村(小田村)西北ノ方ニアリ同上(田畑の用水トス)」とある。

松山成羽道に戻り、左折して北東へ155m、左折して北へ30m進む


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亀石

塞の神と呼ばれているという

https://maps.app.goo.gl/DxsgHAdZvifqq2nB7




北へ160m進む





十字路の南




牛供養碑群

向かって右から

万人講供養碑(地蔵菩薩坐像)

「万人講」「大正九年(1920年)」

牛供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「◯◯六年四月 爲牛亡」

大正6年(1917年)?

牛供養碑?

「◯武芳太郎 ◯野◯三」

https://goo.gl/maps/VimYPEpDXAu

北へ132m上る




ふれ愛バス停留所(旧お堂前)

変則十字路を左折し、西へ43m上る




地藏堂

字 栗元にある

https://goo.gl/maps/97eKVYdSq2q




本尊は地蔵菩薩立像

『南無地蔵大菩薩』




棟札

「*(地蔵菩薩の種子「カ」) 奉再建地藏堂一宇 天長地久 御願圓滿
 入佛導師 楞伽山小田寺 発願主 小埜倉太郎」




創立は慶長10年(1605年)。元文2年(1737年)、弘化3年(1846年)に再建。

「矢掛町の辻堂(p.68)」、「備中小田資料 社寺編(pp.40-41)」を参照

変則十字路に戻り、北へ80m上る




消防機庫前の丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/1sJiqM6h6bcMTLL56




北東へ53m進む




十字路を左折

https://maps.app.goo.gl/b57GcqiscrgZ3oHV8




北西へ60m進む






民家と田んぼの境にある細道がとと道の遺構

https://maps.app.goo.gl/NWrrAE9EmE1snd2x8

北西へ25m進む




日置谷公會堂前




地蔵菩薩立像(道しるべ)

「右 なり八(成羽) まつ山(松山) 道」

備中松山(高梁市)

https://goo.gl/maps/krUiU5jpsk32




公會堂前の五叉路から北西へ320m上って小田寺の境内へ




小田寺観音堂

本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像(観音堂と共に町指定重要文化財)。

観世音菩薩像の写真は「矢掛町史(p.1540)」に掲載されている。

備中国(小田郡・後月郡・浅口郡)三十三所観世音菩薩霊場第16番札所

「くもりなき 小田の原なる 月かげは 後の世てらす かがみなりけり」

石燈籠1対

「常夜燈」「寛延四(1751年)辛未 七月吉良日」「當村 施主 小野小兵衛」

https://goo.gl/maps/xoRrEx2zXrH2




万人講供養碑兼道しるべ(不明の坐像 + 牛)

「万人講 右 神代 左 笠岡 道」

宇内から羽賀を越えて松山成羽道(魚荷道)を南下してきた人のための道しるべ

小田寺の鐘楼の後ろの塀の際にある

https://goo.gl/maps/DwEAVfXgVF52

公會堂前に戻る




北東へ40m進む




とと道の遺構




北東へ60m進み、十字路を左折




北西へ37m上り、Y字路を右折




羽賀池の土手までの魚荷道は車道の東にある畑道(北へ約235m)

明治30年測図の地図にはこの道が二重実線で描かれているが、
1925年の地図では現在の車道が二重実線で描かれている。

https://maps.app.goo.gl/P2yVPyJvD3PN6gZc6
















羽賀池の堤体の西端にある変則十字路に出る







羽賀池

「笠岡市史 史料編上巻(p.285) 皇国地誌 備中国第壱大区小田郡小拾壱区村誌(明治9年編)」に
「羽賀池 東西四拾五間(約81.81m) 南北五拾五間(約100m) 周回百八拾四間(約334.53m)、
本村(小田村)北ノ方ニアリ同上(田畑の用水トス)」とある。




変則十字路を左折して旧道を西南西へ上ると小田寺に至る




法界地蔵

「法界」「明治五年(1872年) 申七月日 造立」

https://goo.gl/maps/9SSddoPiSVN2




万人講供養碑(地蔵菩薩坐像)

「万人講 施主 福島◯◯ 昭和十四年(1939年)九月」

北へ182m上る




旧道(とと道)を通る場合はY字路から北(左)へ90m進む。





旧消防機庫前のY字路を右へ13m下って左折し、県道48号線を北245mへ進む




普通車の場合はY字路から北北東(右)へ75m進む




丁字路を左折して県道48号線を北へ273m上る



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矢掛町宇内



羽賀峠を越える




車の場合はY字路から北北西(左)へ15m程上り、北北西へ300m下る。
1925年の地図には明治30年測図の地図に描かれた旧道ではなく、
こちらの道が二重実線で記されている。

https://goo.gl/maps/nSd8xdCEMLS2





















県道48号線の十字路を横断し、北東へ257m進む


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徒歩でとと道遺構を辿る場合




県道48号線の羽賀峠のY字路から北へ45m下った所

https://maps.app.goo.gl/NZsLUwu1urUi9xmh7





山際の細道(小田郡矢掛町宇内 道-126)を宇内蛍橋まで北へ195m下る

人通りが全く無く、夏季は草に埋もれて道が分かりにくい上に
ヘビを踏む可能性もあるので、草刈りがされている状態の時以外は
通るのはでやめたほうがよい












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草刈り後(12月以降)




県道48号線から細道を北へ105m下る










Y字路

https://maps.app.goo.gl/xEpLPp6C94zmCrax5

とびそを渡る場合は右折、宇内橋や宇内蛍橋を渡る場合は左折




右折して山際の道(小田郡矢掛町宇内 道-127→道-141)を東へ95m進む










明治30年や1920年頃の地図に記されているとびそ

星田川のとびそを渡り、左折して宇内ホタル公園内を通って宇内蛍橋の南詰めへ



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Y字路から北へ90m下る




宇内ホタル公園

トイレあり




宇内蛍橋(うないほたるばし)

平成6年(1994年)5月竣工

https://maps.app.goo.gl/VzkDL3fvdtHWwnVK9







明治30年や1920年頃の地図には、この辺りに橋やとびそは記されていない




宇内蛍橋南詰から北西へ50m進み、Y字路を右折

https://maps.app.goo.gl/KBiNDWaiXxFVyiRn8




細道(小田郡矢掛町宇内 道-116)を北北西へ65m進む




細道を北へ43m進む




つきあたりを左折




星田川沿いの細道(小田郡矢掛町宇内 道-76)を北北西へ65m進む




宇内橋(うないはし)

昭和43年(1968年)10月竣工。明治30年測図の地図に記されている。
皇国地誌(明治9年)によると宇内村内に3つの土橋が架けられていた。




宇内橋南詰

堀越から約1里




万人講供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛?)

「明治十◯(1877年)◯月十◯日 万人講 ◯◯◯◯」

https://maps.app.goo.gl/YcWpoChMHfn9jgfb6





海軍一等兵曹 勲七等功六級 有安伯夫之墓

航空隊の整備兵曹として勤務し、昭和13年(1938年)6月16日に龍州(現 黒竜江省寧安市)において25才にして戦死。
碑は昭和17年8月に建立。撰文并びに書は宝蔵院(井原市東江原町)の住職だった加賀尾秀忍さん(モンテンルパの父)。




宇内橋を渡って北東へ85m進む


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今石地区

「皇国地誌(明治9年)」に「今石 本村ノ西ヨリ東ヘ連ナリ小川橋前、東西弐町南北三町」とある







山縣商店前の五叉路

松山への道は直進して角坂を上り、小盛山の西を経て毛野の店ノ峠へ北上するルート(約2.4km)と、
左折して北西へ進み、鵜成神社の脇を通って北上し、毛野の西端から北東へ上って店ノ峠に至るルート(約2.3km)がある。
どちらのルートも明治・大正時代・昭和初期の陸地測量部の地図にはのっているが、
1965年以降の国土地理院の地図からは消えている。

https://goo.gl/maps/aZLfa8o4Fps




西明院の東にある大師堂

もとは四ツ堂で、字 今石の旧松山道と黒木(宇内の西1.3km)からの
道との交差点(山縣商店付近)にあった。お堂の横には地神碑(現 若宮神社前)や
大木があったという。道路拡幅工事に伴い、西明院の境内の東端に遷座。
現在のお堂は昭和51年に再建されたもの。

「矢掛町の辻堂(p.58)」を参照

棟札

「*(胎蔵界大日如来の種子「アーンク」) 奉新再建高祖大師御堂一宇
 天下泰平 萬民豊楽 如意祈収?
 聖衆天中天 迦陵頻伽声 昭和五十一丙辰歳(1976年) 四月吉祥日
 大工 清水◯◯ 供養導師 西明院現住 阿闍梨秋月代」


寄付者芳名録

「大師堂再建寄付者芳名録 (53人の芳名) 昭和五十一年四月吉日建立 宇内講中」

https://goo.gl/maps/KJJb5MXjVPS2





弘法大師坐像(向かって右端)

『南無大師遍照金剛』


地蔵菩薩坐像(向かって右から2番目)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

薬師如来坐像(同3番目)

地蔵菩薩立像(同4番目)

「◯◯◯◯ 寅◯月◯」

『南無地蔵大菩薩』

川面四国35番清滝寺 (薬師/大師) <>
 醫王山 鏡池院 清滝寺 [いおうざん きょうちいん きよたきじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「澄む水を 汲むは心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣」


茶接待の表彰状

「表彰状 宇内上部落殿 貴部落は明治四年(1871年)より八十𪠥(有)余年
間に亘り宇内上四ツ堂に茶所を設け 大師巡拝者を始め地方民に夏季湯
茶を接待し同胞愛の報謝をせられたる は我郷土の模範とする所なり 茲に金
壱封を贈り善行を表彰す 昭和丗一年(1956年)四月三十日(以下略)」

昭和31年は川面四国霊場開創百周年法要があった年

「矢掛町史 民俗編(pp.246-247)」を参照

北東へ83m上る




若宮神社(若宮様)

字 金原の片岡カブの鎮守

「矢掛町史 民俗編(pp.207-208)」を参照

https://goo.gl/maps/SPNgeDoC69H2




向かって左の小社には御崎様、摩利支天様、稲荷様が祀られている




堅牢地神(五角柱)

「*(地天の種子「ヒリ」) 堅牢地天尊」「涌出地神」「諸眷屬等」
「*五圡神等(五土神等)」「諸地神等」(南南西正面 時計回り)

『のうまくさまんだ ぼだなん おん びりちびえい そわか』




堅牢地神(五角柱)

「堅牢地天尊」「湧出地神」「諸眷属等」「五土神等」「諸地神等」(東正面 時計回り)

矢掛町里山田の 池尻公会堂の前に鎮座

https://goo.gl/maps/YBufXfThFXK2




堅牢地神(五角柱)

「*(地天の種子「ヒリ」)堅牢地天尊」「湧出地神」「諸眷属等」「五土神等」「諸地神等」
(南東正面 時計回り)

矢掛町里山田の清水谷にある

https://goo.gl/maps/NS3Mpte2i1x

若宮神社前から北へ70m上る




とと道(徒歩限定)は民家の手前にある丁字路を左折


車の場合は車道を北北東へ60m上り、つきあたりの丁字路を左折して西北西へ30m進む

https://maps.app.goo.gl/Ua17veA4AZXsv92M9




細道を西へ25m進む




丁字路を右折し、北北東へ60m上る







つきあたりの丁字路を左折




丁字路から車道を北西へ45m進み、丁字路を右折

https://maps.app.goo.gl/bRoTd3UWi9v2RAWu6




北へ140m上る















角坂荒神社

https://goo.gl/maps/ZMHswNGoaGr




注連柱

「奉」「願主 總産子中」
「獻」「明治十四年(1881年)辛巳初冬」

石燈籠

「施主 講中」




唐獅子a(向かって右)

「奉獻」「明治二十二 己丑年(1889年)初冬」「尾道 石井源兵衛 作」

唐獅子b(同左)

「奉獻」「氏子中」「同 作」




荒神社の向かって左




宝篋印塔型の供養塔

塔身南西面:阿弥陀如来の種子「キリーク」
同北西面:不空成就如来の種子「アク」
同北東面:阿しゅく如来の種子「ウン」
同南東面:宝生如来の種子「タラーク」

笠の上には五輪石塔の空輪風輪が載せられている

基礎南西面と北東面に銘文があるが判読困難

宇内今石所在石造物(仮称)

車道に戻り、北へ55m上る




大師堂(弘法大師堂)

宇内の字 滝谷(小田郡矢掛町宇内1865)にある。魚荷道沿い。

「矢掛町の辻堂(p.59)」を参照







大棟鬼には不動明王の種子「カンマン」

『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん』







隅鬼は「遍照金剛」




棟札

「*(弘法大師の種子「ユ」) 奉新建立弘法大師堂一宇 萬民豐樂攸
聖*衆天中天 迦陵頻伽聲 明治三十年(1897年)丁酉 拾月二十日 落◯成 願主◯◯◯
 入佛供養導師 西明院兼 鷲峯山主 照空和尚 大工 *當㪽(当所)住 ◯◯ 植田末?十郎」

鷲峯山=鷲峯山捧澤寺(真言宗御室派、矢掛町東三成)




二尊石仏(弘法大師坐像/薬師如来坐像)

「*土(土州)寺山寺 三十九番 弘化四年(1847年) 未七月吉日」

川面四国39番延光寺 (薬師) <今井ノ堂>
 赤亀山 寺山院 延光寺 [しゃっきざん てらやまいん えんこうじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「南無薬師 諸病悉除(しつじょ)の 願こめて 詣る我が身を 助けましませ」

https://goo.gl/maps/BkUxprznuN22




万人講供養碑群

大師堂の向かって右後方にある

向かって右から




万人講供養碑a(弘法大師坐像 + 牛)

「◯主 片岡◯◯ 為亡牛 万人講」




万人講供養碑b(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講 妹山雄一郎」




万人講供養碑c(牛?)

「万人講 妹山◯太郎」




地蔵菩薩坐像?




車の場合は大師堂前から南東へ54m、左折して北へ54m上る







Y字路を右折し、県道48号線を南へ85m上る

https://goo.gl/maps/12bZXgqUEz92




県道48号線の宇内 - 東水砂間(約3km)が開通したのは1994年3月




展望ポイント

https://goo.gl/maps/QrqwxYjwNht

県道48号線を北へ180m上る




左折して北へ32m下る

https://goo.gl/maps/DJtKdraEptN2








40番札所前のY字路




石殿の屋根と向かって左の壁が落ちているため露坐の状態




弘法大師坐像(向かって右)

薬師如来坐像(同左)

川面四国40番観自在寺 (薬師/大師) <津ノ坂>
 平城山 薬師院 観自在寺 [へいじょうざん やくしいん かんじざいじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「心願や 自在の春に 花咲きて 浮世逃れて 住むやけだもの」

https://goo.gl/maps/yp51fvU3n7E2


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徒歩の場合は大師堂(39番)前から細道(小田郡矢掛町宇内 道-29)を北北東へ90m上る




墓地の横を通過







県道建設のために切り下げられたので、本来のとと道は消失している

https://labs.mapple.com/mapplexml.html#18.09/34.64055/133.54588
(MAPPLE法務局地図ビューア)





右折して県道へ下る




県道48号線を横断して左折し、北北東へ95m上る

https://goo.gl/maps/A2Jtj4Yammt







6月頃は入口付近の草刈りをしないと通行困難。道の存在さえ分かり難い状態。










40番札所前のY字路





迂回路は右折して南へ32m上って左折し、県道48号線を北東へ290m上る




徒歩限定の旧道(小田郡矢掛町宇内 道-237)は左折して北北東へ95m進む




林の中を抜けた辺りから北北東へ45m進む

ここから先、県道に出るまでの道は草刈りをしないと通行困難




草刈り後










Y字路を右折し、北へ50m程進む

左折すると川へ下る

https://maps.app.goo.gl/NACf1ugBFJtmK1eR8








岡山県の境界標




2本のヒノキの大木の脇を通過




コンクリートの法面に沿って進む




道-237はコンクリートの法面が途切れる辺りで右折して北北東へ15m程上って県道に出る。
草刈りをしないと通行不可。県道合流点はガードレールに阻まれている。
県道造成時に旧道は消失したものと思われる。

https://labs.mapple.com/mapplexml.html#18.84/34.6425892/133.546788
(MAPPLE法務局地図ビューア)

北へ20m程上る








北へ10m程進む




県道48号線から不法投棄されたゴミが散乱している辺りで右折




ゴミが散乱している急斜面を北へ10m程上る




右折して5m程上る




ガードレールを跨いで県道48号線に出る

https://maps.app.goo.gl/DnhnVxvsTXdUdj8U9




不法投棄監視中の看板の向かって左

県道を南へ30m下る




道-237と県道48号線の合流点

https://maps.app.goo.gl/S3LEeCDQWnd3dEJfA




県道48号線を横断


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県道から右折し、階段を上って東へ16m進む

https://goo.gl/maps/gL8Zf4ghg172




夏場は雑草を刈り払う道具がないと接近困難




桜の木の奥










弘法大師坐像

川面四国41番龍光寺 (十一面観世音) <津ノ坂>
 稲荷山 護国院 龍光寺 [いなりざん ごこくいん りゅうこうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「この神は 三国流布(さんごくるふ)の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く」

https://goo.gl/maps/5NNEtMQ18ut




牛神様

「牛神」

「矢掛町史 民俗編(p.229)」を参照




万人講供養碑(牛)

「万人講」




牛供養碑(地蔵菩薩坐像? + 牛2頭)

「為亡牛供*養」


県道48号線に戻り、道路の右端を北東へ94m上り右折



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旧道(小田郡矢掛町宇内 道-234)



県道の東端に沿って15m程上り右折



不法投棄禁止の看板の前で左折

https://maps.app.goo.gl/C1qoGm9JTLZvPWoy7




道なき道を北東へ25m進む




北へ15m程上る







岡山県の境界標の横を通過




42番札所前に出る


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枝垂れ桜?の後ろ










弘法大師坐像a(向かって右)

大日如来坐像(中央)

川面四国42番仏木寺 (大日/大師) <津ノ坂>
 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺 [いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ]
 『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
 「草も木も 仏になれる 佛木寺 なお頼もしき 鬼畜人天(きちくにんてん)」

https://goo.gl/maps/65tVtFPi9cp




弘法大師坐像b(向かって左)


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県道に戻って北東へ50m上る

徒歩の場合は県道から別れて松山成羽道を北東へ140m上る

車の場合は県道を470m上る

https://goo.gl/maps/VxG4pP2ePnR2




6月頃は入口付近の草刈りをしないと通行困難。道の存在さえ分かり難い状態。




急な上りは最初の30m程で、それ以降はほぼ平坦な道になる







細い谷川が流れている







道の真ん中がぬかるんでいる所が20m程続く

https://goo.gl/maps/VXtxokyEF5y











二尊石仏(弘法大師坐像/千手観世音菩薩立像)

川面四国43番明石寺 (大師/千手観世音) <津ノ坂>
 源光山 円手院 明石寺 [げんこうざん えんしゅいん めいせきじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「聞くならく 千手不思議の 誓いには 大盤石(だいばんじゃく)も かろくあげ石」

https://goo.gl/maps/ArGpDQMZNhm




弘法大師坐像(手前)

千手観世音菩薩坐像(奥)

旧像が破損したので、二尊石仏型の新像に置き換えられたものと思われる

北へ15m進む




丁字路

左折して10m程下ると池の土手の端に出る

https://goo.gl/maps/xfXuVqEo7Nz




丁字路から松山成羽道(小田郡矢掛町宇内 道-230)を北東へ上る




以前は年に1回、11月に草刈りが行われていたので、夏や秋には雑草に覆われて通行困難となっていた。
2025年からは6月にも草刈りをする事となり、通りやすくなった。




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草刈りされた後のとと道







































四叉路(井原市美星町東水砂 道-316)

https://maps.app.goo.gl/i8jRmnhNDRis3zer8




北(小盛山)を望む







北東へ95m下る




井原市と矢掛町の境







五叉路

向かって右下へ下る道は川面四国霊場の大師道で、下っていくと
道沿いに46番札所、47番札所がある

https://maps.app.goo.gl/xcikw1eMzZV2JAVu9




水路に沿って旧道(井原市美星町東水砂 道-238→道-239→道-317、道-319)を東へ下る




60m程下った所から先は草刈りをしないと通行困難。
また46番札所と47番札所の間の道は大量の竹が倒れて不通となっている。
大師道は46番札所近くの橋を渡って大倉川東岸の道-243→県道408号線→道-322へと続く。

県道48号線を横断して左折


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通行困難な場合は角坂池の土手の横の丁字路に戻り、土手道を北西へ55m進む







角坂池




車の場合はここから徒歩で43番札所へ向かう

https://goo.gl/maps/TUJ5Ycga6a12

右折して県道48号線に北東へ190m上る


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井原市と矢掛町の境

この辺りを魚荷道が横断していた

https://goo.gl/maps/RaQBrkESb4Q2

北東へ125m進む




五叉路

https://goo.gl/maps/QsnJqDfArro

左折して北西へ25m進む




旧道(東ルート)入り口

ここから旧道(東ルート)を北へ約970m上ると毛野の御宝号碑の前に至る。
ここから旧道(西ルート)を約1050m上ると毛野の御宝号碑の前に至る。

二万分の一地形図矢掛(明治30年測図同32年製版)では東ルートは二重実線(県道か達路)、
西ルートは破線と実線(聯路)で描かれている

五万分の一地形図玉島(明治37年測図大正14年第2回修正測図)では
両ルートとも1本実線(道幅1m以上の町村道)で描かれている

かつては矢掛から毛野の大仙様(宝珠山寶積院)へ参詣する人が通った道。
昭和6年(1931年)に念佛山大善寺(矢掛2653)が大仙智明権現を勧請したため、道は廃れていった。

https://maps.app.goo.gl/ZmU9LDbVRA7i5JYs6


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ガードレールの端から谷沿いの道(井原市美星町東水砂 道-315)を北へ245m上る

https://labs.mapple.com/mapplexml.html#18.07/34.647663/133.550431
(MAPPLE法務局地図ビューア)

明治30年の地図には荷車の往来が可能な二重実線で記されている。
まぼろしの県道と呼ばれている西ルート(実線と破線で記されている)よりも勾配は緩い。

前半区間(約450m)の道幅は1.5m未満。
谷沿いの道の右手(東)には耕作放棄された段々畑?がある。
水害の影響で道が抉られているような所や、一部ぬかるんで通りにくい所がある。
倒木が道を塞いでいる所が多く、現状は徒歩でしか通り抜けできない。

牛供養碑兼道しるべがある変則十字路から先の後半区間(約285m)の道幅はかなり広く、
車(軽トラック)での通行が可能。路面は荒れていないが舗装はされていない。










道の所々に先行者が残したピンク色や青色の識別テープがある
































































倒木の下をくぐり抜けないと通行できない





























溜池

北へ85m上る




















道の真ん中に水たまりが出来ている所










左折して西へ55m、北北西へ65m上る

https://maps.app.goo.gl/Lpe2YbYXgQJe9nTT8








































黄色の矢印で示した道のほうが通りやすいが、広い道との合流点には不法投棄されたゴミがある。
赤色の矢印で示した道の先に牛供養碑兼道しるべがあるが、雑木が生えていいるため、
テープの目印が無いと、そこが道であることに気付けない。

https://maps.app.goo.gl/ybqNncyeqKu2xQH29




























牛供養碑兼道しるべ(牛)

「右 内道 左 八日市(井原市美星町黒忠)」

https://maps.app.goo.gl/Y4jjszSsNDAnkvmm7

北へ10m進んで丁字路を左折




短い笹に覆われた道を北へ125m、左折して西へ50m、、北西へ115m上る














































丁字路を右折し、西へ190m下る

https://maps.app.goo.gl/tcDdLbTe6e6hV6SR6




左折して南へ上ると龍王山の頂上に至る










塩竈神社前を通過







御宝号碑前に出る








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旧道(東ルート)入り口から北へ20m、南西へ120m上る




かつて松山成羽道が通っていた場所

西南西へ48m上る




車道から右折し、細道を北東へ41m上る

https://goo.gl/maps/XJZ3aDyxkHG2





小盛山への登り口(小田郡矢掛町宇内1955-20)

旧道は赤矢印の辺り










弘法大師坐像(向かって左)

十一面観世音菩薩坐像(同右)

川面四国44番大宝寺 (大師/十一面観世音) <丸山ノ下>
 菅生山 大覚院 大寶寺 [すごうさん だいかくいん だいほうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「今の世は 大悲の恵み 菅生山(すごうさん) ついには弥陀の 誓いをぞ待つ」

https://goo.gl/maps/2jtokAA5wc82


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細道(井原市美星町東水砂 道-313)を北へ54m上る

この辺りも草刈りをしないと通行困難となる





十字路(井原市美星町東水砂2244-1)

https://goo.gl/maps/oNrEaDdFPR72





左折して井原市と矢掛町の境をなす細道(小田郡矢掛町宇内 道-228、道-227、
井原市美星町東水砂 道-301、道-222、道-221)を北西へ400m程上ると
井原市東水砂の毛野地区に出る




十字路を右折




南東へ30m上って左折




小盛山の頂上(井原市美星町東水砂 道-316)

川面四国霊場の遍路道の中で最も標高い場所であり、
川面四国霊場と水砂西国観音霊場の接点でもある







石殿a(向かって左)




弘法大師坐像a

「四十五番 本尊不動」
台座「岩屋寺 ◯◯ ◯◯」

川面四国45番岩屋寺 (不動) <水砂丸山>
 海岸山 岩屋寺 [かいがんざん いわやじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 「大聖の 祈る力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある」




石殿b(中央)




十一面観世音菩薩立像(※)

「十二番」

水砂西国12番 岩間山 正法寺 [いわまざん しょうほうじ] “岩間寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「水上(みなかみ)は いづくなるらん 岩間寺(いわまでら) 岸うつ波は 松風の音」




石殿c(向かって右)




弘法大師坐像b(向かって右)

「神之嶋 八十八*所」

神島四国霊場から勧請したもの


弘法大師坐像c(同左)

高野山の弘法大師坐像か?

『南無大師遍照金剛』




*所




鞆・能登原・田尻新四国八十八ヶ所霊場の高野山

新四国霊場の札所の中で2番目に高い場所(標高282m)にある

https://goo.gl/maps/oAvS8


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