【旧金浦町坂東三十三所観音霊場 画像集.12(31-33番)】


ルート: http://yahoo.jp/01YRcj


画像集.1画像集.2画像集.3画像集.4

画像集.5画像集.6画像集.7画像集.8

画像集.9画像集.10画像集.11画像集.12

吉浜菅原神社生江浜

  ⇒HOME



相生

木之目村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.201-204) 皇国地誌
備中国第壱大区小田郡小二区村誌(明治9年編)」を参照




車道を東(右)へ95m進み、丁字路(中国水道の看板あり)を右折して東南東へ128m進む




相生(木之目)の霧見神社(霧見宮、多賀権現宮)

「御登極記念 小田郡誌(p.62) 大正13年」に「七、霧見神社 大字木ノ目 字 宮ノ前に鎭座あり。
勸請年月不詳 祭神は伊弉諾尊伊弉冊尊にして村社なり。祭日は九月八日、社地反別
七畝十六歩、氏子四十九戸なり。境内建物本殿梁行二間、桁行二間三尺、拜殿梁行二間、
桁行三間、石鳥居高九尺八寸、所謂大平山南麓待松樹古き*綠(綠)を垂るゝ間に
ましまして華表(=鳥居)前に小流ありて、數尺の瀧をなす。幽邃閑雅神々しきこと
眞に*筆墨(筆墨)の表し難き境たり。」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

現在の祭日は10月10日

https://goo.gl/maps/CE9TRCtLY5t




注連柱

「宇宙無窮」「至誠通神」

「昭和十年五月吉日」 「児島郡興除村字内尾 平井半十郎建之」

石鳥居

「霧見宮」「昭和九甲戌歳(1934年)九月吉日」「木之目村惣氏子中」





陶製の狛犬と唐獅子

「奉獻」




自然石の燈籠

「奉燈」「勧善社」「明治廿◯◯九月吉日」







手水鉢

「勧善社」「嗽盥」「明治廿八年(1895年) ◯◯」




自然石地神

「地神」

https://goo.gl/maps/eeqt98dQZaU2




御代官燈籠

笠岡代官内方辰五郎が宝暦四年(1754年)五月に奉納した丸燈籠

https://goo.gl/maps/nMG9tk4dQS52




拝殿前の唐獅子

「奉獻」「昭和十三年(1938年)十月建之」「神戸 丸山」




拝殿




八幡宮(本殿の向かって左)




本殿




向かって右から荒神様、牛神様、煙草神様

「孫たちに語りつぎたい金浦(p.18)」を参照







丁字路(中国水道の看板あり)に戻り、右折して北北東へ200m上る





丁字路を右折し、東へ23m上る

https://goo.gl/maps/XyPW3H1Poe52




Y字路から急坂を南西へ100m上る




つきあたりの丁字路を右折し、西へ18m上る

https://goo.gl/maps/M8UYfYUnuev




丁字路を右折し、西へ42m進む




疫神社

https://goo.gl/maps/hXN87UDr6U72







疫神社前から東南東へ55m進み、墓地の横を通過してさらに東南東へ80m上る

ここから先が笠岡の上田頭と相生(旧 木之目村)を結ぶ旧道。
相生隧道ができる以前は、この道を通っていた。

「正式二万分一地形図集成 中国・四国1(p.120)」を参照 





丁字路を右折し、東へ70m進む

https://goo.gl/maps/hzTJBaDQmWS2




Y字路から南西(右)へ280m進む

https://goo.gl/maps/YUAzSLQ23RH2






















丁字路から東(左)へ37m進む

https://goo.gl/maps/gVyPYYRypXn










竹藪の横のY字路から細道を東(左)へ20m程上る

道は雑草に覆われているため判りにくい。ヤブ蚊、蜘蛛の巣、蛇等に遭遇する確率も高い。
それなりの服装で臨み、杖で足元を探りながら進む(途中、道の脇に2ヶ所水溜め or 肥溜めあり)。

https://goo.gl/maps/gQ7XfpKaaxT2







上に送電線がある所に出たら東南東へ145m進む

https://goo.gl/maps/8bXVoprmk9A2




電柱が目印







電柱の脇に水溜め(あるいは肥溜め)があるので要注意




一段高くなっている所を上ってさらに東南東へ進む









電柱の横から東へ45m程下る

https://goo.gl/maps/ViCvbQxWmZE2














次の電柱のところまで15m程上る




電柱を目印にして、東へ55m程下る








竹藪の端の方を通って東へ40m程進む

https://goo.gl/maps/VPz9zeje2rF2




竹藪を抜けたらさらに東へ進む




ここにも電柱の脇に水溜め(あるいは肥溜め)があるので要注意

https://goo.gl/maps/vgRH5gj3APs




さらに東へ85m程下っていく








笠岡西中学校のグラウンドが見えてくる




林の中の細道を東へ20m、南南東へ45m程下る

https://goo.gl/maps/gMFnqSYzkt32





お堂と墓地の横に出る




観音堂

https://goo.gl/maps/RNG2QfPQJpw




聖観世音菩薩立像?

風化により台座の銘文判読不可

旧笠岡西国11番 深雪山 上醍醐寺 [みゆきやま かみだいごじ] (准胝)
 『のうぼ さったなん さんみゃくさんぼだ くちなん たにやた おん しゃれい しゅれい そんでい そわか』
 「逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は 頼母しきかな」




如意輪観世音菩薩輪王坐像?

台座「坂東 七番」

旧笠岡坂東7番 金目山 光明寺 [かなめさん こうみょうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「なにごとも 今はかないの 観世音 ニ世安楽と 誰か祈らん」




墓地の西端から参道を西南西へ25m、南へ13m下る




広域農道の十字路を横断し、南東へ33m下る




Y字路を右折し、西へ110m程上る




水落の相生トンネル東口手前







旧笠岡西国番外 華頂山 元慶寺 [かちょうざん がんけいじ] (薬師如来)
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「待てといわば いともかしこし花山(はなやま)に しばしと啼(な)かん 鳥の音もがな」

https://goo.gl/maps/8cVDFpgbeR12







旧笠岡秩父の観世音菩薩立像?




千手観世音菩薩坐像

「*(千手観世音菩薩の種子「キリーク」) 十二番 岩間寺」

旧笠岡西国12番 岩間山 正法寺 [いわまざん しょうほうじ] “岩間寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「水上(みなかみ)は いづくなるらん 岩間寺(いわまでら) 岸うつ波は 松風の音」

https://goo.gl/maps/8cVDFpgbeR12




聖観世音菩薩立像

「○○ 坂○」

旧笠岡坂東8番 妙法山 星谷寺 [みょうほうさん しょうこくじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「障りなす 迷いの雲を 吹き払い 月もろともに 拝む星の谷」

西へ30m程上る




水落の相生トンネル東口の真上







如意輪観世音菩薩輪王坐像

「*(如意輪観世音菩薩の種子「キリク」) ◯◯◯ ◯◯◯」

札所番と寺号は地中に埋もれているので判読困難読困難

旧笠岡西国13番 石光山 石山寺 [せっこうざん いしやまでら] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「後(のち)の世を 願ふ心は かろくとも 仏の誓ひ おもき石山」

https://goo.gl/maps/JsJVQ




千手観世音菩薩坐像

「九番 坂東」

旧笠岡坂東9番 都幾山 慈光寺 [ときさん しこうし/じこうじ] (十一面千手千眼)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「聞くからに 大悲大慈の 慈光寺 誓いも共に 深き岩殿」




旧笠岡秩父の観世音菩薩立像?

東へ50m、南西へ100m程上る




水落の竹藪の中




お堂は昭和51年(1976年)6月に建立されたもの




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「*(如意輪観世音菩薩の種子「キリク」)十四番 三井寺」

旧笠岡西国14番 長等山 園城寺 [ながらさん おんじょうじ] “三井寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「いで入るや 波間の月は 三井寺(みいでら)の 鐘のひびきに あくる湖」

https://goo.gl/maps/VQObm




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「十番 坂東」

旧笠岡坂東10番 巌殿山 正法寺 [いわどのさん しょうほうじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「後の世の 道を比企見の 観世音 この世を共に たすけたまえや」

坂東10番の本尊は千手観世音菩薩




旧笠岡秩父の観世音菩薩立像?


https://goo.gl/maps/NwCYNMoa6HU2


広域農道の交差点に戻り、左折して西へ100m進む。
相生隧道(515m)を通過し、広域農道を西北西へ463m下る。




相生公会堂前の交差点を左折し、車道を北へ45m進んで右折




この辺りの字名を「宮ノ前」という










十一面観世音菩薩立像

「三十一番 ◯◯◯ ◯◯◯」

坂東31番 大悲山 笠森寺 [だいひさん かさもりでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「日は暮るる 雨は降る野の 道すがら かかる旅路を 頼む笠森」

  https://goo.gl/maps/iGEw8

31番札所前から細道を南西へ271m進む




31番札所の南西245m、相生の民家(相生1285)の西にある墓地(標高は約20m)

この辺りの字名を「ハナ」という




観音堂の横にある宝篋印塔型の供養塔

「*(一字金輪仏頂尊の種子「ボロン」)」「一禅二◯ ◯◯◯◯」
「◯以◯◯ ◯◯◯◯」「寛政九?丁巳◯(1797年) 二月◯日」

「爲 供 教圓 願主 ◯屋 治兵衛」




力石

「力石」

笠岡市立郷土館には県指定重要有形民俗文化財の「笠岡港の力石(東濱8個、西濱8個)」と
正頭の天王宮にあった力石2個が展示されている




神島神社の神武天皇御尊像の前にも力石がある

https://goo.gl/maps/Cqg7M7HKKqT2





千手観世音菩薩立像

「三十二番 上総國 清水寺」

坂東32番 音羽山 清水寺 [おとわさん きよみずでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「にごるとも ちひろの底は 澄みにけり 清水寺に むすぶあか桶」

堂内向かって右前に釈迦如来立像、その後ろに法界地蔵がある
『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
『おん かかかび さんまえい そわか』




牛供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)




地蔵菩薩坐像3体

『南無地蔵大菩薩』

 https://goo.gl/maps/Qv9J7

細道に戻り、細道を西へ134m下り、木之目池の南岸を西へ165m進む。

古比須団地内の車道を西へ260m進んで吉田川前に出て左折。




さくらい内科小児科医院金浦診療所前で右折し、北へ65m進む




古比須第1公園に入り、西へ20m進んで左折




古比須の碑

「古比須」「竹喬書」「昭和五十一年(1976年)六月建之」「区画整理事業
 完成にたいし 関係者ならびに協力者を刻む 組合関係者 理事長 ◯◯◯◯
 理事 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ 監事 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯
 組合員 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯
 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯
 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ 協力関係者
 工事設計 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ 区画設計 ◯◯◯◯◯◯◯◯
 土木工事設工 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯ 水道工事設工 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯」

田村奎三句碑(向かって右奥)

「古比須ハほととぎす の古稱 この地こひす と名にとりて なづな咲く 島を 花見に するまでに 奎三」
「笠岡市吉浜土手内土地区画整理事業*経過(*いとへんなしの字)」
 「昭和45、11 土地区画整理事業発想 〃45、11 関係者初会合
   〃45、12 組合準備委員会発促 〃46、 区域内埋立開始 〃46、1 幹線水路工事等
   〃47、3 組合正式発足 〃47、6 区画街路側溝工事 〃47、9 区画内工業用水路工事
   〃47、12 仮換地指定 〃47、12 上水道市設工事」
  「昭和49、2 街路舗装工事 〃49、3 区画内大規模農道工事 〃49、 字を古比須と改名
    〃50、 換地処分 〃50、12 登記完了 〃51、3 組合解散 〃51、7 整理事業完成
  記念行事 総面積 25,994,38*㎡(平方メートル) 有効宅地 17,125,87*㎡(平方
  メートル) 総工費 33,188,456圓」

https://goo.gl/maps/nZjLwXbE8Hp

診療所前に戻り、南西へ51m進み、相生橋東詰で左折




吉田川3号橋(相生橋)と新川水門の間にある民家の北




相生の字 孫右エ門バナにある




弘法大師坐像(向かって右)

千手観世音菩薩坐像(同左)

「八十二者゛ん(ばん)  ねころ○」

金浦四国82番根香寺 (千手観世音) <新川水門付近の民家の脇>
 青峰山 千手院 根香寺 [あおみねざん せんじゅいん ねごろじ]ろじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「宵の間の たえふるしもの 消えぬれば あとこそ鐘の 勤行の声」

https://goo.gl/maps/DwVGjUm67uN2




法界地蔵

「法界」「享保十七(1732年)壬子九?月日」「願主 木之目村」

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

享保17年は瀬戸内海沿岸一帯で冷夏と害虫により大凶作となり、
大飢饉が発生(享保の大飢饉)。同年芋代官こと井戸平左衛門が
笠岡代官となり、迅速に対処した。

法界地蔵は大飢饉の終息を願って建立されたものか?

享保12年に吉浜新田の土手の西水門が、同15年に東水門が竣工。
同17年に吉浜土手の拡幅工事が完成。

「孫たちに語りつぎたい金浦(p.77)」の金浦地区歴史年表を参照





千手観世音菩薩立像

「三十三番 ◯◯國 那◯寺」

坂東33番 補陀洛山 那古寺 [ふだらくさん なごでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「補陀洛は よそにはあらじ 那古寺 岸うつ波を 見るにつけても」

 https://goo.gl/maps/vkOQ1





新川井堰竣工記念碑?

「新川井堰工事 昭和二十五年(1950年)四月建設
 工事費 六拾萬圓
工事施工者 木之目池舛池掛
 工事代表者 大橋◯◯ 河内◯◯ 笠原◯◯
工事請負者 *桒田(桑田)◯◯◯」

現在の新川水門は

82番札所前から南南西へ14m進む




金浦四国83番一宮寺 (大師/聖観世音) <新川平の新川水門付近の民家の脇>
 神毫山 大宝院 一宮寺 [しんごうざん たいほういん いちのみやじ]
 『おん あろりきゃ そわか』
 「讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしら言ふ」

https://goo.gl/maps/AnBLNpCcben


画像集.1画像集.2画像集.3画像集.4

画像集.5画像集.6画像集.7画像集.8

画像集.9画像集.10画像集.11画像集.12

吉浜菅原神社生江浜

  ⇒HOME



**********************************************************************************