【旧金浦町坂東三十三所観音霊場 画像集.6(11-12番)】


ルート: http://yahoo.jp/01YRcj


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押撫

押撫村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.230-233) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小四区村誌(明治9年編)」を参照







笠岡陶山郵便局前の県道交差点(有田と押撫の村境)

この辺りの字名を土橋という。下船着き場があったとされている。
交差点は海抜約19m、橋の下を流れる有田川の川底は約15m。
土橋の東の字名は大坂。

「御登極記念 小田郡誌(p.70)」に「有田川 一名浮見川とも云ふ。源を大字押撫字 林平に發し、
其中央を流れ*田鄕川(田郷川)と稱へて、大字有田に流入し、更に字 寺下及び大塚(犬塚?)より來る
小支流その他渓間の細流を合せて、大字有田の平坦部を南下し金浦町吉濱に流入し、
城見村より來る用之江川と合して金浦灣に注ぐ、其の本村(※陶山村)内流約一里にして
灌漑排水に便する所大なり。且毎年五月間の候 川筋一帶蛍群の飛雄するあり、
數万の流星か將又星の子か、實に年中の一美觀たり。浮見川の稱も亦宜なるかな。」、

「三、土地の變遷 本村大字有田の平坦部は勿論、大字押撫の一部なる岩貝附近までは、
往時潮水浸入し、一時潭縁たりしが、其の後大字有田と金浦町との境界なる、土手畑と
稱する所に於て海水堰止められ、爲に有田に新開地を生じたるものなりといふ。
今に至り新開地は其の中央を流れる有田川に依り二分せられ、北を新涯川北、南を新涯川南と
稱すると。因にこの地所々に貝塚現存せり」とある

大字押撫 字 田郷は画像向かって左(土橋よりも上流の有田川東岸)。
土橋よりも下流に大字有田 字 田郷がある。大字有田字 寺下は教積院がある辺り。
岩貝は大字押撫字 岩カイのこと。土橋から有田川沿いに北北西へ400m上った辺り(標高約35m)。

https://goo.gl/maps/xqTM93JCbnN2




有田川

土橋より下流はコンクリート三面護岸となっている




土橋より上流は側壁のみコンクリート護岸化され、自然河床が残されている

県道を横断し、西へ36m上って右折







笠岡陶山郵便局の前にユニークな地蔵菩薩像が安置されている。
同一作家の像が絵師の金剛庵の境内にもある。

「ふるさと探訪(笠岡東公民館 発行 p.105)」を参照

https://goo.gl/maps/YLiHDZCoWuC2

車道を西へ75m上る







万人講供養碑(地蔵菩薩坐像 + 馬)

「万人講」「世話人 森岡◯◯ 森岡◯◯ 川◯◯◯ ◯◯◯◯」「◯◯◯◯ ◯◯◯◯」

https://goo.gl/maps/ttqrsjccQ4K2




堤防改修記念碑

「堤防改修記念碑 施主 タブロキ池水利組合」
「昭和56年10月起工 昭和59年3月完成 工事費2520万円(以下略)」




タブロキ池

「タブロキ池 東西百間(約181.81m) 南北四十一間(約74.55m) 周回三百二間(約549.09m)
本村ノ西北ニアリ田畑ノ用水トナス」(「皇国地誌」より)

https://goo.gl/maps/BsAepXVJQV72

タブロキ池の東の十字路から車道を北北西へ316m上る




御塚古墳

この辺りの字名を三塚谷という

https://goo.gl/maps/njD4Nz3JXGL2




二塚古墳

この辺りの字名を二塚谷という

https://goo.gl/maps/73gRg3cco8k




「ガイドブック陶山100選(p.40)」を参照

https://goo.gl/maps/YoqPZ2wyph92


押撫集会所の北にある十字路から北へ230m進む




仁池の南端

押撫の県道3号線と377号線の交差点の南西にある。
仁池の北の字名を花屋という。




 墓地への参道の横




六十六部供養塔(地蔵菩薩坐像)

「為法界 萬霊 菩提也」「享保九甲辰(1724年) 十一月廿四日」「奉供養六十 六部 善覺」

『おん かかかび さんまえい そわか』




新四国38番金剛福寺 (大師/千手観世音) <>
 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 [さださん ふだらくいん こんごうふくじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「ふだらくや ここは岬の 舟のさお とるもすつるも 法(のり)のさだ山」

https://goo.gl/maps/iRmw9iN9pXm

車道を北へ133m進み、県道3号線を横断して県道377号線を東へ120m進んで左折




押撫の的場酒店の横の階段を上る




舗装路を北北東へ50m程進んだ所で左折し、竹藪の中の細道を西へ25m上る




竹藪の中にあるのでわかりにくい




聖観世音菩薩立像

台座「武州 十一番 吉見岩戸」「施主 西大戸 ◯◯◯」

 坂東11番 岩殿山 安楽寺 [いわどのさん あんらくじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「吉見よと 天の岩戸を 押し開き 大慈大悲の 誓いたのもし」


10番札所の北1.21km。押撫の陶山皇子神社の西の竹藪の中。

後ろにあるのは地蔵菩薩立像

『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/SbO9z

舗装路に戻り、東へ15m程上る




墓地の横にある弘法大師坐像

「文政◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」

新四国霊場の開創年は文政9年(1826年)

『南無大師遍照金剛』





墓地から少し上った所にあるお堂







薬師如来坐像(向かって左)

新四国39番延光寺 (薬師) <笠岡市押撫 築田浩志氏宅裏 墓地の上>
 赤亀山 寺山院 延光寺 [しゃっきざん てらやまいん えんこうじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「南無薬師 諸病悉除(しつじょ)の 願こめて 詣る我が身を 助けましませ」

https://goo.gl/maps/3KDQh2vr3592

堂内向かって右にあるのは地蔵菩薩坐像

台座「八十八◯ 願主 ◯◯」

『おん かかかび さんまえい そわか』

参道を東北東へ約50m程進む











手水鉢

「大正十一(1922年) 有志」




石燈籠

「嘉永二(1849年)酉六月吉日」




押撫の荒神社

https://goo.gl/maps/Jg6H1izuNsy




御神酒鉢?

「奉上」

参道を北東へ85m程上る




皇子神社の石鳥居

「◯◯○○三◯十一月十一◯ 氏子◯」

紀年銘(向かって左の柱にあり)は判読困難




神額「王子*明神(明神)」




石燈籠

「常夜燈」「嘉永元年(1848年)」「戊申十二月吉日」
「若連中」




石段の親柱

「氏子中」「◯◯◯(紀年銘?)」





唐獅子1対

「奉納」「昭和捨年(1935年) 旧三月三日」

手水鉢

「奉納 惣氏子 慶應三○(1867年) 丁卯八月吉◯」「◯◯◯◯ ◯◯◯◯」




押撫の皇子神社

「小田郡誌 下巻(p.483)」に「皇子神社 神日本磐余彦命(祭神) 村社(社格) 四三(氏子数)
 押撫(位置) 九・〇〇(社殿坪数) 二三九・〇〇(境内坪数) 十月八日(祭日)
 ナシ(共進金) 山林九三〇坪(財産)」と記されている。

「ガイドブック陶山100選(p.42)」をよると、元々の祭日は旧暦の8月10日で、
大正2年4月に10月8日へ変更されたという

https://goo.gl/maps/FFJ6E8qE6w62




拝殿の棟札

「當社氏神*朙(明)皇子宮興建巧匠木梁 入田住 瀬戸雄一 藤原義乃*䕃(蔭)再拜拍掌(びゃくしょう)
維(これ)明治第丗一年(1898年)*亗(歳)龍集戊戌天 太陰九月 神應威力和善 宿奎辰」

明治31年旧9月6日(1898年10月20日木曜日)の干支は丙辰、宿は奎(けい)




御神酒鉢

「奉上 御神酒鉢」「文久二壬(1862年) 戌九月日」




御神酒ではなく白米が祀られている




この辺りの字名を林平という

石段を南へ43m下り、左折して細道を東北東へ65m下る




皇子神社の案内板




墓地(皇子神社の案内板の後ろ)







弘法大師坐像(向かって左)

『南無大師遍照金剛』

波切不動明王立像(同右)

「三十六 ○○○」

新四国36番青龍寺 (大師/波切不動) <>
 独鈷山 伊舎那院 青龍寺 [どっこざん いしゃないん しょうりゅうじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 「わずかなる 泉に住める 青龍は 仏法守護の 誓いとぞ聞く」

https://goo.gl/maps/Rx33SYecY8s

県道377号線に出て左折し、東へ27m上って右折




陶山小学校・陶山幼稚園・陶山公民館への入り口
















陶山小学校

平成30年度以降、金浦小学校に統合されることになっている

「ガイドブック陶山100選(pp.45-46)」を参照











陶山幼稚園の西南西100mの所にある墓地




35番札所と36番札所の間には田んぼの畦道しかないので大きく迂回することになる




新四国35番清滝寺 (薬師/大師) <>
 醫王山 鏡池院 清滝寺 [いおうざん きょうちいん きよたきじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「澄む水を 汲むは心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣」

https://goo.gl/maps/oBwWFKvKXMk




陶山小学校北東の県道377号線から右折して墓地への参道を上る




八瀬観音堂

棟札

「奉再建八瀬堂本尊 観世音菩薩 武蔵國十二番慈恩寺 地蔵菩薩 旧東堂本尊
 大正三年(1914年)五月◯日上棟」
「巨匠 本郡城見村大字大冝住 松浦音四郎」
「周旋人 的場 ◯◯◯ 的場◯◯ 佐藤◯◯ 西江◯◯◯ 西江◯◯◯
的場 ◯◯ 西江◯◯ 佐藤◯◯ 西江◯◯ 西江◯◯◯」

昭和61年(1986年)3月と平成22年(2010年)9月に修復されている







千手観世音菩薩立像

「十二番 *武刕(武州) 慈恩寺」

坂東12番 華林山 慈恩寺 [かりんさん じおんじ] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「慈恩寺へ まいるわが身も たのもしや 浮かぶ夏島を みるにつけても」

坂東11番札所の東330m。押撫の陶山小学校の南東。陶山幼稚園の東。

https://goo.gl/maps/6eRQe




地蔵菩薩坐像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




地蔵菩薩像




弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』

所在の不明の37番札所か?


新四国37番岩本寺 (不動・聖観世音・阿弥陀・薬師・地蔵) <不明>
 藤井山 五智院 岩本寺 [ふじいさん ごちいん いわもとじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 『おん あろりきゃ そわか』
 『あん あみりた ていせい から うん』
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 『おん かかかび さんまえい そわか』
 「六つのちり 五つの社 あらわして ふかき仁井田(にいだ)の 神のたのしみ」




忠魂碑兼御大典記念碑

「忠魂碑 陸軍大将宇垣一成書」

「御大典記念 昭和三年(1928年)十一月 昭和廿八(1953年)年三月 帝國在郷軍人會陶山村分會 再建 」

坂東12番札所のお堂の北西5mの所にある。古城山十勝地入選記念碑も宇垣一成氏の書。

https://goo.gl/maps/JSHkdgZ9Wd52




押撫の夕日

向かって左は陶山公民館

「ガイドブック陶山100選(p.43)」を参照




坂東11番札所から細道を東へ17m上った所で左折。車道を北へ161m進む。






陶山小学校の屋上プール

県内の小学校では初となる屋上プールとして平成5年(1993年)4月に完成。
2017年度末を以て陶山小学校とともにその歴史に幕を下ろす。

「ガイドブック陶山100選(p.46)」を参照




右折して池の土手まで24m上る











弘法大師坐像(向かって左)

薬師如来坐像(同右)

台座「三十三番 下稲木村 ◯◯ ◯◯」
台座の向かって左側面にも刻字あり

新四国33番雪蹊寺 (大師/薬師) <>
 高福山 雪蹊寺 [こうふくざん せっけいじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「旅の道 うえしも今は 高福寺 のちのたのしみ 有明の月」

https://goo.gl/maps/rcam2SLKBRK2

池の土手から下りて車道に戻り、右折して北へ42m進む。
丁字路を右折し、県道377号線を北東へ30m上る。




丁字路を左折して北へ88m進む










こうご

こうご(河童)が住んでいたという伝説がある

「ガイドブック陶山100選(p.44)」を参照

https://goo.gl/maps/hqKT4zzpS7v

県道377号線に戻り、左折して東へ180m上る


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吉浜菅原神社生江浜

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