【備中西国三十三所観音霊場 画像集6】



画像集.1画像集.2画像集.3画像集.4画像集.5

画像集.6画像集.7画像集.8画像集.9画像集.10

画像集.11画像集.12画像集.13画像集.14画像集.15


HOME


追記する予定


矢掛町前半(16番)

小田郡矢掛町小田→浅海→本堀→西川面→東川面



備中州巡礼畧記の順路


拾六番 小田郡小田村岩屋山金龍寺(小田郡矢掛町小田5829 岩屋山金龍寺)

小田渡(小田郡矢掛町小田 小田川)

富の山(小田郡矢掛町本堀 鳶山 本堀村まやの観音=摩耶庵の上の山)


●轟の橋(江良と本堀の旧村境 小田郡矢掛町江良)

拾七神 鵜江神社(小田郡矢掛町西川面1334)

蓮花寺(小田郡矢掛町西川面1138 圓通山蓮華寺)

●北田村古城(城主 蓮池和泉九郎)


拾七番 矢掛町忍辱山觀音寺(小田郡矢掛町矢掛3107 忍辱山観音寺)

小林村神子山城(小田郡矢掛町小林 神子山城跡)

羽無村吉祥寺(小田郡矢掛町上高末 羽無 萬松山吉祥寺)

鷲峯山の坂口、神遊山國勝寺(小田郡矢掛町東三成1344)

東実成村鷲峯山捧澤寺(小田郡矢掛町東三成 鷲峯山捧澤寺)

吉備大臣琴引玉ふ岩(倉敷市真備町妹 琴弾岩)
◯猿掛の城(倉敷市真備町妹 猿掛山 猿掛城跡)

◯船木山(舟木山)
洞松寺(小田郡矢掛町横谷 舟木山洞松寺)

◯妙法院(小田郡矢掛町横谷 所在不明)
◯中村舟ヶ*𢌞(廻)城(※ママ 舟ヶ迫城?)

東三成西三成境 茶臼山城(小田郡矢掛町矢掛・東三成 茶臼山城址)

江良村伽藍山城(小田郡矢掛町江良・里山田 伽藍山)

浅海村中山城(小田郡矢掛町浅海 太郎丸)



▲備中西国札所/■備中国十八座
/●順路周辺の寺院名勝旧跡/◯順路から遠い名勝旧跡



----------------------------------------------------------------------------------


小田郡矢掛町小田










明治四国38番金剛福寺 (三面千手観世音/大師) <小田 国道486号線 備中ガス北コンクリート壁上>
 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 [さださん ふだらくいん こんごうふくじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「ふだらくや ここは岬の 舟のさお とるもすつるも 法(のり)のさだ山」

https://goo.gl/maps/UrDcW9P3G9F2

国道を東へ275m進む


----------------------------------------------------------------------------------




明治四国37番岩本寺 (不動・聖観世音・阿弥陀・薬師・地蔵) <小田 国道486号線有木谷部落入り口>
 藤井山 五智院 岩本寺 [ふじいさん ごちいん いわもとじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 『おん あろりきゃ そわか』
 『あん あみりた ていせい から うん』
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 『おん かかかび さんまえい そわか』
 「六つのちり 五つの社 あらわして ふかき仁井田(にいだ)の 神のたのしみ」


川上歯科医院前の十字路にある

https://goo.gl/maps/YcYstcxL1PJ2





大岬國之助墓

「大岬國之助墓 十方助力 *當㪽(当所)世話人」

「安政三(1856年)丙辰六月廿三日」「近州野洲郡小南◯◯産」

当地で亡くなった力士のお墓。37番札所の向かって左にある。

https://goo.gl/maps/cGxBkkYpqRn


国道を東へ235m進む


----------------------------------------------------------------------------------







参道口




金龍寺の寺標

「當國順禮 第十六番 岩屋山金龍寺」「天保三壬辰年(1832年)正月吉旦 住山石雲代」

「十方施主 世話人 ◯屋藤兵衛 丸屋源次郎 蔦?屋茂平治 ◯屋岩三郎」「石工 ◯◯◯郎」

https://goo.gl/maps/Btibz3afPTK2

参道を北へ50m上る








四国1番霊山寺 (釈迦/大師)
 竺和山 一乗院 霊山寺 [ぢくわざん いちじょういん りょうぜんじ]
 『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
 「霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり」

https://goo.gl/maps/Dop1MNS5DmUavKR27

参道を北へ100m上る







備中西国第16番札所 岩屋山金龍寺(曹洞宗)

小田郡小田村(小田郡矢掛町小田5829)。本尊は千手観世音菩薩。

https://goo.gl/maps/wFDTUb1Tt6E2





「拾六番 小田 金龍寺                        .
 多へずきく岩屋の 可袮能飛ゞき 可奈 い可爾つきせぬ おしへなる らん
 施主 當國後月郡下鴨村 佐々木清三郎 泉州 三雲芳兵衛」

備中国(小田郡・後月郡・浅口郡)三十三所観世音菩薩霊場第17番札所

御詠歌「たえずきく 岩屋のかねの ひびきかな いかにつきせぬ おしへなるらん」




明治四国30番善楽寺 (阿弥陀)
 百々山 東明院 善楽寺 [どどざん とうみょういん ぜんらくじ]
 『おん あみりた ていせい から うん』
 「人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな」

https://goo.gl/maps/ojZKHSFQYkE2




境内から南を望む

向かって左に堀越宿

小田川に架かる観音橋(県道48号線)を渡り、向かって左が甲弩有江、千田、右が走出の有江

その奥、左に甲弩神社がある宮山、右に天神山と尾敷山




観音橋より岩屋山(観音山 標高151m)を望む

岩屋山城趾(城主 小田政清)については「小田郡誌 上巻(pp.219-225 昭和16年)」、
「御登極記念 小田郡誌(p.133)」を参照




山頂には龍王神が祀られている

https://goo.gl/maps/LSZmGKgPbtq


「是より鵜江神社へ壹里 淺海、本ほり、川面」



----------------------------------------------------------------------------------



観音橋より東を望む





月輪を映す小田川

光の筋の向かって左が小田郡矢掛町小田の堀越、右が笠岡市甲弩の有江

向かって左、鉄塔が立っている山が田鶴山(標高75m)。
山中に浅海の村社 岩山神社が鎮座(祭神岩土彦命・岩須姫命)。

向かって右、地デジアンテナの横に見えているのが伽藍山(標高292.2m、従是約4.5km)。
山中に極楽寺(本尊阿弥陀如来)があった。

月の下に姿は見えねど鷲峯山(標高392m、従是約9.4km)と捧澤寺中之院(本尊正観世音菩薩)あり

中央を大正10年から昭和42年まで(1921-1967年)井笠鉄道矢掛線が通っていた


「御登極記念 小田郡誌(p.164 大正13年)」に「龍山城址 本村(※中川村)の西方
小田川に沿ひ小田村との境にある一丘陵にして田鶴山とも稱す。小田孫兵衛の一族譜代城を
築きて籠城せりと中島兵亂記にある。(以下略)」と記されている

https://goo.gl/maps/osCJY18FUuFuLZXRA

観音橋北詰から小田川沿いの道を東へ210m進む




井笠鉄道矢掛線の鉄橋跡

https://goo.gl/maps/HNEjnfgCtUBwV5JS9

北東へ290m進む




共栄橋より小田渡(おだのわたり)を照らす月を仰ぎ見る

平成30年7月豪雨の翌年からカラシナが大量発生

「御登極記念 小田郡誌(p.132 大正13年)」に「小田の渡
 小田川に架せる觀音橋の少し下より約三丁下平寺迫の前面は、
往昔小田の渡と稱せし所にして、古來名高き渡津塲なり。(以下略)」とある

https://goo.gl/maps/pgEnBv8E9ybiFdeH7

東へ170m進む





田鶴山と小田渡にかかる虹

東南東へ400m進む




北畑橋




丁字路を左折して寺迫地区を北へ405m進み、十字路を右折して東北東へ205m進む


----------------------------------------------------------------------------------









旧山陽道備中國浅海村官蛇下座所跡

https://goo.gl/maps/ZEtaJPqLm5u

国道486号線を 東北東へ97m進む





旧山陽道一里塚跡

備後尾道より十里、備中板倉より七里

https://goo.gl/maps/LQ2moHqGXTB2

国道を東へ260m進む


----------------------------------------------------------------------------------



毎戸池




奉為弘法大師一千年忌光明真言三十八万遍供養塔(向かって右)

「*(胎蔵界大日如来の種子「アーンク」) 奉為弘法大師一千年忌光明真言三十八万遍供養塔」
「矢神 毎戸 谷中 *㔺話人(世話人) (5人の芳名)」
「天保五(1834年)甲午歳三月◯八日」

奉唱光明真言三百万遍供養之塔(同左)

「*(胎蔵界大日如来の種子「アーンク」) 奉唱光明真言三百万遍供養之塔」
「願主 當邑 妹尾原藏」「弘化四年(1847年)丁未二月吉日」

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』

後ろに万人講供養碑2基、牛供養碑1基あり

https://goo.gl/maps/P1o3A69S67v

丁字路を右折して南へ275m進むと岩山神社参道口

国道を東へ100m進む


----------------------------------------------------------------------------------








お堂

本尊は地蔵菩薩坐像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/zxKhj16nRaiCQX1d9

国道を東へ90m進む

----------------------------------------------------------------------------------



浅海と本堀の境




備中國浅海村才の前下座所跡

https://goo.gl/maps/sjP7rNHnkEk





万人講供養碑兼道しるべ(地蔵菩薩坐像?)

「万人講 左 古(こ)んひら道(金毘羅道)」

https://goo.gl/maps/p5wkJ4tpbyN2

国道を東へ30m進む


----------------------------------------------------------------------------------



Y字路を左折して北北東へ10m進む




備中國本堀村庭下下座所跡

https://goo.gl/maps/cjVsndPtok32

北へ130m進んで変則十字路を左折




自然石の燈籠(ヤトウ様)

「*太神宮(太神宮) 金毘羅宮 大井 六反 氏子中」
「文化九(1812年)壬申十二月吉日」

『南無金毘羅大権現』

https://goo.gl/maps/KaK6uk7Tse92

西へ130m上り、右折して北へ60m上る


----------------------------------------------------------------------------------



大井池

水面反別20反。寛永七年(1630年)築造。

池の東端から山道を西北西へ約900m上ると鳶山の頂上に至る

https://goo.gl/maps/aeyn8GCNMmRHGGvo7

池の西端から北へ40m上り、丁字路を左折して参道を西へ25m上る





摩耶庵

高野山真言宗備中霊場 第103番

尼寺。以前は釋迦堂と呼ばれていた。

小田郡誌 下巻(p.495 昭和16年)」に「中川村 摩耶庵 本堀 古義眞言宗
 紀伊國伊都郡高野山金剛峯寺 釋迦如来
 承安元年(1171年) 本堂 十八坪 境域 九九坪」と記されている


現本尊は薬師如来

『南無薬師瑠璃光如来』『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
『南無大師遍照金剛』

https://goo.gl/maps/qGCzfZnqqV82




小田川から鳶山(標高133m)を望む

「吉備物語 下巻(在田軒道貞 著)」に「富ノ山、藻塩に備中と云々、
小田郡本堀村まやの観音の上の山ともいへ共、浅口郡富村の上の山なるへし」とある



「浅口郡富村の上の山」とは八幡神社(倉敷市玉島道口2469)が鎮座する富山のこと

浅口郡誌(pp.407-408 大正14年)」に「六、富山 第三二四節 道口より富峠に至る
坂路の左方、富の南に屹立し、村社八幡神社を祠れる山なるべし。詠歌あり。
大甞會和歌集 村上天皇天慶九年(946年)、主基方備中國風俗神歌
昔しより名付そめたる富山は 我君か代の爲にそありける
大甞會和歌集 後一條院長和五年(1016年)、主基方備中國 内藏權頭善滋爲政
富の山風まさりけり君か代は 峰の白雪たゆたふまてに
                題しらす     よみ人しらす
夫木抄 昔より名つけそめける富山は 我君か代のためにそありける」と記されている

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

自然石の燈籠がある変則十字路に戻り、左折して南へ90m進んで国道486号線に戻る


----------------------------------------------------------------------------------



石橋跡

「中国行程記」に「石橋 長一間」「浅海村 本堀村 村境」と記されている

https://goo.gl/maps/MZU8ELt1ukNPL7Nh7




大井池からの用水路





阿部山とその麓の日妻・高柳・山手地区を望む

道の向かって左が本堀、右が浅海

国道を東へ980m進む


----------------------------------------------------------------------------------



本堀と西川面の境




国道を東へ440m進む


----------------------------------------------------------------------------------




コスモス矢掛店の西にある丁字路を左折し、北へ109m進む




四等三角点(伊勢谷)

標高22.9m

https://goo.gl/maps/eMQi4DhevUaNLNeF9

北へ65m進んで十字路を右折




旧井笠鉄道川面駅跡


東へ10m進んで左折




郡家址の標柱

「郡家跡」「當山」

西川面の字「城ノ内」にある。昭和49年の発掘調査時に郡家の遺構は発見されなかった。

「矢掛町史(p.191)」、「小田郡誌 上巻(pp.23-25 昭和16年)」、
小田郡誌 下巻(p.632 昭和16年)」を参照

岡山県埋蔵文化財調査報告(川面舘跡、毎戸西遺跡、毎戸遺跡) 

「御登極記念 小田郡誌(p.160 大正13年)」に
「城址(※郡家跡) 轟の橋の西北一丁餘にして古城址あり。面積八段ばかり。城の土手堀などの
名称残れり。由来細ならす。*舊記に 古城の跡は一ヶ所御座候、所はいせ谷表(※伊勢谷表)
城主後鳥羽院被御座候 由申しならはし候。只今はかこい斗にて
 内は御田地にて御座候。(寛文四年二月記載)」と記されている

https://goo.gl/maps/vsKUnZudGAm

国道に戻り、東へ100m進む


----------------------------------------------------------------------------------



轟の橋(初代)

石橋は確認できず


「御登極記念 小田郡誌(p.160 大正13年)」に「轟の橋 矢掛町榮橋の西
十五六町(約1.636-1.745km)の所にあり(※コスモス矢掛店付近)。
昔時 川面川(※星田川のこと) 此の邊にて小田川と落合ひて渦巻奔騰せし所と察せらる。
備中四橋の一とてその名高きも今は唯一小石橋の古りたるが架せられるのみ。
この石橋の裏に歌あり。旅人の立つ朝露の音ばかり きゝ渡るなり轟の橋。
因にいふ。此所より下流に架せる今の轟橋(※現在の轟橋よりも下流にあった旧 轟橋)は
この轟の橋にはあらざれども襲名せるものなり。」とある


「吉備物語 下巻(在田軒道貞 著)」に
「とゝろきの橋 小田郡江良村本堀さかひ往還の街道(※旧山陽道)に在、
藻塩に近江と有、又清少納言抄には大和と有、同名成へし(以下略)」とある

「笠岡市史 史料編上巻(p.102) 吉備物語(抄)」に「藻塩 読人知らす 霰降る 玉ゆりすへて
見る計 しはしなふみそ とゝろきの橋」とある。

「霰降り 玉ゆりすえて 見るはかり 暫しなふみそ 轟の橋」という古歌の
轟の橋の所在については、近江の轟橋(滋賀県近江八幡市安土町東老蘇)、
大和の轟橋(奈良市の東大寺西門跡附近)、賀陽郡板倉の轟橋(岡山市北区の吉備津駅周辺)等、諸説ある。

「笠岡市史 史料編上巻(p.117) 吉備物語(抄)」に「轟の橋 小田郡江良村の往還の辺に在
 藻塩には近江といへり 又清少納言妙には大和国と云り 各国名成へし
 昔は轟の橋国々に在 車二ツならひて(並びて)渡る橋を云る由 轟の橋は一国一橋とそ」とある。

「備中誌 小田郡(p.196)」には「江良村 此地に轟の橋といふ橋ありて名所とすれど
誤り也 賀陽郡板倉の處に辨し置たり 此橋本堀川面江良三ヶ村の堺にて一石の橋也
 俗にこのはしを御所車通らせ給ひしと云」と記されている。

明治初期の旧山陽道(長崎街道)の道幅は2間(約3.6m)
「笠岡市史 史料編上巻(pp.357-361) 皇国地誌 備中国第壱大区小田郡小廿区村誌
(明治9年編)」の西川面村の項を参照

小田郡誌 下巻(pp.635-636 昭和16年)」に「轟橋 大字江良の小田川に架せる橋を云ふ。
昔の轟橋は川面村大字西川面の境なる、舊山陽街道に架せる極めて短き石橋を
云ひしなり。」と記されている。

https://goo.gl/maps/ZXDLoQoTpvrpuKuH7





橋の下へ通じる用水路(大日池より)




国道を東へ125m進み、矢掛町江良交差点を右折して南へ150m上る


----------------------------------------------------------------------------------



轟橋(3代目)

昭和52年(1977年)9月竣工。橋長140m。

https://goo.gl/maps/KWiUo2nfvQR2




轟橋跡(2代目)

明治30年測図の地図に記されている。轟橋の東約100m。

https://goo.gl/maps/mCgwZXaHmB8T6szy5




平成30年7月豪雨後、河川敷の雑木が撤去された

矢掛町江良交差点に戻り、東へ90m進む


----------------------------------------------------------------------------------




セブンイレブン矢掛江良店の駐車場の東端




貴布袮宮の道しるべ

「貴布袮宮道」「是より南十丁(約1090.9m)」
「文化七年(1810年)庚午三月 森岡氏◯之」

南へ進むと轟橋(2代目)を経て貴布祢神社に至る

https://goo.gl/maps/KtzhTbqwAphRkRp89

交差点を左折し、北へ150m進む


----------------------------------------------------------------------------------




鵜江神社への参道

道の向かって左は字 宿、その奥に松ノ西
同右は大鳥居、その奥に松本




鵜江神社の大鳥居(町指重要定文化財)

旧山陽道沿いから当地へ移転

https://goo.gl/maps/VBoszGc73aKi2XiS6





「式内」

北へ285m進む

----------------------------------------------------------------------------------




十字路

道の向かって左は字 小田田、右は雁門




万人講供養碑兼道しるべ

「万人講 供養 右 矢掛 左 小田
世話人 井上◯◯ 藤原◯◯◯ 豊田◯◯ 瀧本◯◯◯ 施主 藤脇◯◯」

https://goo.gl/maps/q3VGUXQhPD42

交差点を横断してさらに北へ315m進んで右折


----------------------------------------------------------------------------------


備中國十八座その五










鵜江神社

小田郡川面村(小田郡矢掛町西川面1334)。祭神は大吉備津彦命。

拝殿の向かって左(西)にある丁字路から北西へ230m進み、
十字路を右折して北へ60m進む


----------------------------------------------------------------------------------







道しるべ

「*(向かって右方向への指さし印) 蓮華寺道 四丁(約436.36m)」
「大正十一年(1922年)立之」

https://goo.gl/maps/tG6cJVqyy6S2

細道を 西へ60m上る








川面四国14番常楽寺 (弥勒) <尾谷>
 盛寿山 延命院 常楽寺 [せいじゅざん えんめいいん じょうらくじ]
 『おん まい たれいや そわか』
 「常楽の 岸にはいつか 至らまし 弘誓(ぐぜい)の船に 乗りおくれずば」

https://goo.gl/maps/vWVsmCjDSWr

西へ25m上る





護王神社

https://goo.gl/maps/hbc7vAxaiHA2





道しるべ

「*(向かって右方向への指さし印) 蓮華寺道 三丁」
「*(向かって左方向への指さし印) 蓮華寺道」
「二十世百仙 代」




丁字路を右折して石段を北西へ260m上る

段差が大きく、荒れているので要注意








川面四国12番焼山寺 (大師/虚空蔵) <蓮華寺山門前>
 摩廬山 正寿院 焼山寺 [まろざん しょうじゅいん しょうさんじ]
 『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
 「後の世を おもえば恭敬(くぎょう) 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」

蓮華寺の石垣の前、六地蔵尊の横にある

https://goo.gl/maps/WJsuYPPkF7U2




圓通山蓮華寺(曹洞宗)

本尊は聖観世音菩薩

備中国(小田郡・後月郡・浅口郡)三十三所観世音菩薩霊場 第20番札所

御詠歌「うへをきて みぎは(汀)のはす(蓮)に 咲く花の 匂ふ川面の 風のすずしさ」

https://goo.gl/maps/sWgTYscuduu

鵜江神社に戻る


「是より觀音寺へ半里」


----------------------------------------------------------------------------------

古城

所在不明

「古戰場 備中府志」に「古城 北田村 城主蓮池和泉九郎
軍功太平記尓(に)見へたり」とある

備中誌 小田郡(p.128 明治36年)」には「古城 小田村(※ママ 北田村)二(に)有
 府志二(に)城主蓮池和泉九郎 山名の麾下也 川上郡佐々木村二(に)蓮池の城主とも云ふ
太平記理盡抄二(に)都へは河村彈正次郎蓮池和泉九郎を以てこのよしを申ければ
御□(本のマゝ)恩輔せられたり
小寺云 東鑑二(に)養和二年(※1182年)九月廿五日條二(に)小松内府家人蓮池權守家經と見へたり
 蓮池和泉九郎か*祖(祖)なるか」とある


万人講供養碑兼道しるべがある交差点に戻り、左折して東北東へ680m進む。
Y字路から星田川沿いの道を東へ680m進む。


画像集.1画像集.2画像集.3画像集.4画像集.5

画像集.6画像集.7画像集.8画像集.9画像集.10

画像集.11画像集.12画像集.13画像集.14画像集.15


HOME