【小田四国八十八ヶ所霊場(仮)の画像集.1】


ルート: https://yahoo.jp/XANtDj


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資料なし。開創年は不明。探索中。


小田村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.281-287) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小拾壱区村誌(明治9年編)」を参照



大師堂

金龍寺参道の石段の脇にある

https://goo.gl/maps/3i9idT2EHFo








釈迦如来坐像(向かって左)

「一番 施主 信者中」

膝下に涅槃仏が陽刻されている


弘法大師坐像(同右)

「發起者 藤井米造 藤田与吉」

小田四国1番霊山寺 (釈迦)<>
 竺和山 一乗院 霊山寺 [ぢくわざん いちじょういん りょうぜんじ]
 『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
 「霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり」

金龍寺の周辺(堀越)の霊場はこちら





お題目塔a(法界塔)

「南無妙法蓮華経 法界 ◯◯明治丗七年(1904年) 善根主 大山◯◯」




石燈籠

「永經燈」




お題目塔b(法界塔)

「南無妙法蓮華経 *㳒界(法界)」「奉唱◯◯◯一千部成就」
「奉往詣一千箇寺供養塔」





お題目塔c

「南無妙法蓮華経」「一天四海皆帰妙法廣宣流布」




お題目塔d(法界塔、寺標)

「南無妙法蓮華経 法界」
「光應山」




山門




光應山円融寺(日蓮宗)

本尊は三宝尊。開山は大覚大僧正(1297-1364年)。

「矢掛町史(pp.996-997)」を参照

https://goo.gl/maps/GwGTNGPT8Zn







鐘楼




円融寺の参道を下り、左折して北北西へ60m進む。
十字路を右折して東南東へ273m下り、県道48号線の十字路を左折して北へ95m進む。








郡宮址の標柱

小田郵便局の北190mの所、中小田の字「郡の上」にある。
「郡の上」の北に字「郡の脇」、東に字「郡の下」がある。

「小田郡誌 上巻(p.28)」に「郡*神社(神社) 郡權現宮又郡の宮ともいふ。
備中國の*總社(総社)が、吉備郡*總社町(総社町)に在るが如く、
郡内著名の*神社(神社)の*神靈(神霊)を合祀したるものにして、
小田町字郡の上に其遺址あり。明治維新迄は、年々郡内各村に配札をなし、
*社殿(社殿)の新築又は修繕の際には、郡内各村より淨財を集むる例なりき、
大正三年(1914年)、*村社(村社)*武答神社(武塔神社)の境内に移轉し、
他の小*神社(神社)を合祀せり。」と記されている。

「矢掛町史(p.198)」「矢掛町史 民俗編(pp.347-348)」を参照

https://goo.gl/maps/nU9ZyEzz6sz





武塔神社の境内に遷座した郡神社

https://goo.gl/maps/DRFhyvnbj4G2

県道48号線を南南西へ193m進み、小田郵便局前から南南東へ80m進む。
丁字路を左折し、東南東へ80m進む。




井原線小田駅前

https://goo.gl/maps/TePPnSKG7sK2




正徹歌碑と正徹顕彰碑




詳細は「やかげの文学散歩道(pp.41-42)」、「小田郡誌 上巻(pp.126-129)」を参照




小田みどころマップ

セブンイレブン、ニシナフードバスケット等で弁当購入・トイレ休憩等


県道48号線の丁字路に戻り、南南東へ50m進んで国道486号線を横断。
さらに南南東へ130m進んでつきあたりを左折し、小田川の土手道を東南東へ420m進む。





小田の寺迫地区と甲弩の北畑地区を結ぶ流れ橋

小田川3号橋(通称 寺迫橋 or 北畑橋)。市道甲弩77号北畑線。1916年架設。

かつてこの辺りに「小田の渡り」があったとされる

「御登極記念 小田郡誌(p.4 大正13年)」に「小田川 源を備後國深安郡の
北部山間より發し、備後にては其の流路を山野川と云へり、後月郡芳井村
大字川相に至り、同郡共和村より來れる鴨川を合せ同村大字吉井に至り、
源を川上郡日里村大字*黑忠(黒忠)に發し山間を屈曲南流し來れる
宇戸川を入れ、水勢漸く大となり東南に流れ、井原町を經て、
西江原村字新町より、出部村字七日市に架せる有名な日芳橋下を潜り、
西江原及び荏原の兩村を過ぎ、更に源を本郡稲倉村大字上稲木より
發する稲木川を合はせ、之より本郡に入り東流して小田北川兩村の間を經、
中川川面の二村を貫き、尾坂川・小林川を合はせ、矢掛山田の村境をめぐり、
三谷村の中央を横ぎり、吉備郡呉妹村に入り、同郡南部を東方に向つて
一直線に貫流し、同郡川邊村に至りて高梁川に會す。全流程十八里(約70.691km)、
本郡内流程二里半(約9.818km)にして小田村より下流は小舟の便あり。
此の川の流路中 小田村に「小田の渡」とて古歌にも詠まれ
備中名所の一に數へられし古來名高き渡津塲ありしが、其のところ今は
板橋を架して交通の便を計れり

備中の國小田の渡しを 夜深に過ぎて
                  大江對馬守嘉言

有明の月に夜※ふかく出ぬれば 小田の渡りに雁ぞ鳴くなる
                    (岡山縣名勝誌)」と記されている



「小田郡誌 下巻(pp.612-613)」に「天保十一年十二月十七日、萬葉歌人平賀元義此所に來り詠ずらく
古への ますらたけお(※益荒猛男)か 渡りけん 小田の渡を 我も渡りつ」とある

小田の渡り跡についての詳細は「北川の史跡ガイドブック(p.68)」を参照

https://goo.gl/maps/samPhqWkCqD2




小田の渡りと仲秋の名月




小田川の水面に映る秋の月

「小田村                 嘉言(※大江嘉言)
有明の 月に夜ふけて 出たれば 小田の渡りに 雁ぞなくなる」

「小田郡誌 上巻(p.57)」を参照

有明の月は月齢16以降の月のこと。雁は晩秋に越冬のため北日本へ飛来する。




流された橋桁(2012年7月)




橋桁を更新(2016年2月頃)

岡山県の流れ橋については「高梁川 高梁川流域連盟 52(pp.262-274)」を参照




2017年7月

さらに東南東へ132m進み、五叉路を右折して南南東へ40m進む




寺迫地区の南(小田川沿い)




地蔵堂

法界地蔵(中央)

「法界」

地蔵菩薩立像a(向かって右)

地蔵菩薩立像b(同左)

紀年銘あり(判読困難)

https://goo.gl/maps/SJg7AMwEZqt

地蔵堂前から土手道を南南東へ210m進む




阿部山(397.7m)

向かって左が浅海の山手地区、右が甲弩の山手地区

北東へ385m進む


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矢神地区







田鶴橋の北詰の十字路を左折し、北へ48m下る



矢神の地藏堂(四ツ堂)

https://goo.gl/maps/B82yZWdLLr82




地蔵菩薩立像群(7体)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』





棟札

「*(地蔵菩薩の種子「カ」) 奉再建地藏堂一宇◯ 天下泰平 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯
 天保十五(1844年)甲辰◯ 八月◯日 備中国◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯」

判読困難




石燈籠(ヤトウ様)

「*𤣉燈(獻燈)」「明治八*㐪(亥)歳(1875年)」「八月吉辰日建」
「矢神中」




五角柱地神

「天照皇太神」「大己貴命」「少彦名命」「倉稲魂命」「埴安媛命」
(東正面時計回り)




一千五十年遠諱塔(弘法大師坐像)

「一千五十年遠諱塔 明治十七年(1884年)三月御正當日 光明真言百五十萬遍念佛」

御正當日=弘法大師の祥月命日

『南無大師遍照金剛』
『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』




念佛供養塔

「*(阿弥陀如来の種子「キリーク」) 奉唱念佛供養 講中
 乙 享保十天(1725年) 巳 二月十五日」

『南無阿弥陀佛』




弘法大師坐像(首なし)

「奉誦光明真言◯萬遍供養 明和七(1770年)庚寅◯月上浣 高◯◯◯◯◯」

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』




十一面観世音菩薩立像

「奉建立觀音講中 享保十一(1726年)午之?正月十八日」
台座「◯◯◯◯ ◯◯◯◯ 花◯◯◯ 末永◯◯」

毎月18日は観世音菩薩の縁日

『おん まか きゃろにきゃ そわか』

地蔵堂前から北へ128m進み、丁字路を左折して西へ67m進む




Y字路から西へ105m上ると荒神宮がある

https://goo.gl/maps/7mrcnQ4pL1Q2





Y字路から石段を南南西へ50m上る









鬼瓦に恵比寿様?




恵比寿宮?

https://goo.gl/maps/a6asSDZcUU32




天神社?

鬼瓦に梅花紋あり

https://goo.gl/maps/bkquHgBmuMF2




本殿

石燈籠

「安永六年(1777年) 丁酉十一月望日(=旧15日)」「高槻良*𨍚建」



*𨍚の字




天神社の横から西へ30m程上る




向かって左に矢神地区、正面(北)奥に本堀の大井地区




Y字路から西へ40m下る




荒神宮の境内




神楽殿?




石鳥居

「荒神宮」「文政三(1820年)庚辰四月吉日」




荒神宮

石燈籠

「奉夜燈」「安永二(1773年)癸巳天」「十月吉辰」

https://goo.gl/maps/qa1UPND7mw22

参道を東へ105m下ってY字路から丁字路と戻り、右折して車道を南へ175m進む




田鶴橋南詰の十字路を右折して北川の楠へ向かう


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甲弩の楠地区

楠地区の昭和四国霊場はこちら




楠渕橋と旧県道を渡って、正面にある墓地に進む







弘法大師坐像

「第十七番」「文化十四(1817年)丁丑 十二月吉日」「茅?原氏 謹調之」

小田四国17番井戸寺 (七仏薬師) <>
 瑠璃山 真福院 井戸寺 [るりざん しんぷくいん いどじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「面影を うつしてみれば 井戸の水 結べば胸の あかや落ちなん」

https://goo.gl/maps/hEtNoXKbJSx



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甲弩の岡田地区




甲弩神社の北にある橋を渡ってすぐの所









北川昭和四国44番大宝寺 (十一面観世音/弘法大師) <岡田 宮山東側>
 菅生山 大覚院 大寶寺 [すごうさん だいかくいん だいほうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「今の世は 大悲の恵み 菅生山(すごうさん) ついには弥陀の 誓いをぞ待つ」

https://goo.gl/maps/bqpTUN6TDJn









十一面観世音菩薩立像(向かって左)

「讃岐国七十九番」

弘法大師坐像(同右)

小田四国79番天皇寺高照院 (十一面観世音/弘法大師)
 金華山 高照院 天皇寺 [きんかざん こうしょういん てんのうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「十楽の 浮き世の中を 訪(たず)ぬべし 天皇さえも さすらいぞある」

https://goo.gl/maps/fP7BbyJL76S2


甲弩神社と神護寺はこちら


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甲弩の山手地区

山手地区の昭和四国霊場はこちら




阿部山(山手ルート)登山口から200m程登る











向かって左が小田四国12番、右が昭和四国38番




虚空蔵菩薩立像(向かって左)

「十二番 阿州 正◯◯」

弘法大師坐像(同右)

四国12番焼山寺 (大師/虚空蔵)
 摩廬山 正寿院 焼山寺 [まろざん しょうじゅいん しょうさんじ]
 『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
 「後の世を おもえば恭敬(くぎょう) 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」







北川昭和四国38番金剛福寺 (千手観世音/大師) <阿部山 登山道脇>
 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 [さださん ふだらくいん こんごうふくじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「ふだらくや ここは岬の 舟のさお とるもすつるも 法(のり)のさだ山」

https://goo.gl/maps/i46wvUbTLav




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