【明治四国八十八ヶ所霊場の画像集.3】
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観音橋南詰
南詰の高欄の親柱は大名行列の駕籠、南詰の高欄の親柱はカブトガニ
https://goo.gl/maps/2KzYEmXTcfD2
春の金龍寺(観音橋より)
「
小田郡誌 上巻(p.220)」にほぼ同じ構図の写真(タイトルは「小田町
岩屋山城址」)が載っている

観音橋と小田川を照らすスーパームーン(2019/01/21 大寒 18時頃)
観音橋より東を望む
観音橋の東210mの所に井笠鉄道の鉄橋が架かっていた
下流約1kmの所に小田の渡がある
秋の金龍寺
金龍寺(観音橋の上)と観音堂(岩屋山=観音山の中腹)
観音橋北詰
「御登極記念 小田郡誌(p.131 大正13年)」に「縣道は笠岡町より來り 小田川を渡りて
堀越に於て國道に合す。其の本村内通過里程僅かに三十間(約54.55m)に過ぎざれども、
國道(※旧山陽道)と相まちて便宜を與ふる多大なるものあり」と記されている
https://goo.gl/maps/wAd5CmPfDLK2
国道486号線小田西交差点の北にある参道入口
金龍寺の寺標
「當國順禮 第十六番 岩屋山金龍寺」「天保三壬辰年(1832年)正月吉旦 住山石雲代」
「十方施主 世話人 ◯屋藤兵衛 丸屋源次郎 蔦?屋茂平治 ◯屋岩三郎」「石工 ◯◯◯郎」
當國順禮とは備中西国三十三所観音霊場巡りのこと。
https://goo.gl/maps/Btibz3afPTK2
参道を北へ38m上る
十字路から石段を北へ8m上り右折
大師堂
https://goo.gl/maps/3i9idT2EHFo

釈迦如来坐像(向かって左)
「一番 施主 信者中」
膝下に涅槃仏が陽刻されている
弘法大師坐像(同右)
「發起者 藤井米造 藤田与吉」
四国1番霊山寺 (釈迦/大師) <>
竺和山 一乗院 霊山寺 [ぢくわざん いちじょういん りょうぜんじ]
『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
「霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり」
小田の四国霊場の全容は未確認。江良、小田、浅海に
(一部は北川昭和四国霊場内にも)広がっていると思われる。
小田四国八十八ヶ所霊場(仮)

井原線の上を通過(堀越トンネルの西口)
参道途中の十字路を左折。直進して石段を上ると観音堂。
戒壇石(禁葷酒塔)
「不許葷酒入山門」「天保七(1836年年)丙申二月吉元旦 住山石雲代」
金龍寺の参道脇には句碑が点在している
俳句の小径につていは「やかげの文学散歩道(pp.43-49)」を参照
https://goo.gl/maps/KJWE5rCdRby
参道を西へ40m進む
木山桃村句碑
「桃村(とうそん) 観音は 高きに在(おは)し 鵙(もず)の秋」
詳細は「やかげの文学散歩道(p.46)」を参照
https://goo.gl/maps/iHhp19zpW9S2
参道を西へ10m進む
植え込みの陰に隠れているので判りにくい
中務満智子句碑
「故里の 目尓(に)ふるゝも能(の) 皆涼し 満智子」
詳細は「やかげの文学散歩道(p.47)」を参照
https://goo.gl/maps/rwniLuGXWNx
岩屋山金龍寺(曹洞宗)
本尊は釈迦牟尼佛
『南無釈迦牟尼佛』
詳細は「矢掛町史(pp.997-998)」を参照。
https://goo.gl/maps/mgQMeJQJN8M2
弘法大師坐像(本堂の西)
「廿九番 施主 金◯◯◯ 高◯◯◯」
明治四国29番国分寺 (千手千眼観自在) <小田 金龍寺の境内の西>
摩尼山 宝蔵院 国分寺 [まにざん ほうぞういん こくぶんじ]
『おん ばざら たらま きりく』
「国を分け 宝をつみて たつ寺の 末の世までの 利益(りやく)のこせり」
https://goo.gl/maps/tnLopxn7zNw
金龍寺から参道を東へ30m下り、Y字路を右折して西南西へ30m下る

上原笛水句碑
「笛水 鐘の 音能(の) しきりに 花の 観世音」
「やかげの文学散歩道(p.45)」を参照
https://goo.gl/maps/Y1tBnK5mmFn
十字路に戻り、左折して観音堂へ上る
句碑
「登り来て 初音の しきり *観㔺音(観世音) さだお 貞子かく」
初音(はつね): 鶯・杜鵑ほととぎすなどのその年の初めての鳴き声
https://goo.gl/maps/3upbtQQKkMM2
旧鳥居
社号標
「八將稲荷 あすなろ会 平成三十年十二月吉日建之 贈 井原石材」
小野たゝし、操 比翼句碑
「たゞし 札所より 見下ろす 広さ 稲刈って
操 腰おろし たき 日だまりの 草紅葉」
詳細は「やかげの文学散歩道(p.34)」を参照
https://goo.gl/maps/5JoRqngvQ8E2
桑田桑雨句碑
「桑雨 飯櫃を 磧に干して 紅葉茶屋」
磧(かわら): 川原
詳細は「やかげの文学散歩道(p.38)」を参照
https://goo.gl/maps/xwnveZ284oP2
松永みのる句碑
「一煎をたまはる 寺の朝涼し みのる」
詳細は「やかげの文学散歩道(p.49)」を参照
https://goo.gl/maps/Y35AuLYH7992
六地蔵前
向かって左の山道を上ると観音山の頂上、右の石段を上ると観音堂
北西へ25m上る
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立石
祭神未確認
標柱a
「昭和五十八年度治山事業施行地」「岡山県」
標柱b
「平成九年度 予防治山事業施工地 岡山県」
https://goo.gl/maps/6RwoFukPEHq
北北西へ25m上って右折し、東へ35m上る
磐座?
謎の穴(手水鉢?)
https://goo.gl/maps/g3qk7r8WWGv
展望は僅か(西)
小田川、薬師橋、国道486号線、おださくら公園、押延トンネル東口
薬師橋の向かって左に城・花屋地区(笠岡市走出)、右に南平井地区(井原市神代町)
山頂へ向かう道
小社(祭神未確認)
https://goo.gl/maps/6qZupefiigN2
岩の上からの展望(南-小田川、甲弩有江、千田、興山、岡田地区)
東へ15m進み、左折して北へ20m上る
五輪塔と宝篋印塔
https://goo.gl/maps/J9RUnUzFHWU2山道を北へ150m程上る
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観音山の頂上付近
岩屋山城址
龍王神
渇水時には雨乞い祈祷が行われていた
https://goo.gl/maps/LSZmGKgPbtq観音堂の前に戻る
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手水鉢(六地蔵前)
石段を上り、境内に上がる手前で左折
法華書寫塔
「法華書寫塔」「享保六年(1721年) 辛丑夏中」「聚沙?謹書 沙門 錯?春」
大師堂
棟札
「奉新建大師堂壹宇祈◯志上?谷家◯◯成就攸 皇圖鞏固 國土昇平
維時明治丗?四稔十二月吉祥日 現住十三世橋?本海◯謹誌
棟梁濱田◯◯◯ 施主 堀部福太郎 川上武一郎 井上重四郎 井上◯造
亀井◯平 渡邉仲次 大◯◯◯ 發起者 近藤◯◯」
皇図鞏固(こうときょうこ)は天子の領土が強く固いさまの意
弘法大師坐像
「土佐 三十番 一ノ宮」「當村 近藤◯◯ 川上武一郎 堀部福太郎」
明治四国30番善楽寺 (阿弥陀) <小田 観音院の境内の西>
百々山 東明院 善楽寺 [どどざん とうみょういん ぜんらくじ]
『おん あみりた ていせい から うん』
「人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな」
https://goo.gl/maps/ojZKHSFQYkE2
八將稲荷大明神
伏見稲荷より勧請。拝殿は昭和12年に建立。
石香炉
「松永広太 大月勝志」
https://goo.gl/maps/QtEdrJzFsaq
「*最髙位八將稲荷尊神(最高位八將稲荷稲荷尊神)」
石燈籠a
手水鉢(地蔵菩薩立像が陽刻されている)
「延宝四年(1676年)◯◯ 正月◯◯◯」
卵塔場(観音堂の向かって左)

地蔵堂
万霊供養塔(地蔵菩薩立像)
「萬霊 ◯◯◯◯信女 ◯◯◯◯信女」
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
石燈籠b(観音堂の前)
「永代常夜燈」「宝暦十一辛巳年(1761年)」「十一月十七日造立 當山 享外代」
「願主真安伊右衛門 并十方施主寄附焉」
石燈籠c(観音堂の向かって右前)
「奉燈」「明治廿五年(1892年)一月建之」
観音堂
https://goo.gl/maps/wFDTUb1Tt6E2
備中西国三十三所観音霊場第16番札所
「拾六番 小田 金龍寺 .
多へずきく岩屋の 可袮能飛ゞき 可奈 い可爾つきせぬ おしへなる らん
施主 當國後月郡下鴨村 佐々木清三郎 泉州 三雲芳兵衛」
備中国(小田郡・後月郡・浅口郡)三十三所観世音菩薩霊場第17番札所
御詠歌「たえずきく 岩屋のかねの ひびきかな いかにつきせぬ おしへなるらん」
今は「岩屋山 歌に聞こえし 鐘も音も 今は途絶えて さびし観音」といった状態
本尊は千手観世音菩薩 ? 十一面観世音菩薩 ?
「矢掛町史」によれば千手観世音菩薩
『おん ばざら たらま きりく』
鐘楼
梵鐘
「平和之鐘」
「梵鐘銘 梵鐘一音 上通三十三天 下徹無間地獄
佛 菩薩 増本地法樂 新覚道荘嚴 群類皆共 身心清浄 証大解脱 爲戰死病歿英靈
心華開発(しんげかいはつ) 万邦平和 万民豊樂 國土昇平 家内安全 除災招福 矣」
「昭和三十年二月再鋳 金龍寺十五世文雄謹誌 岩屋山梵鐘再建期成会 世話人一同」
「高松市町島町 工匠 多田数衛」
「南無観世音菩薩」
平成以降、浅口郡・小田郡・後月郡内のお寺の夕の鐘撞きは激減している。
日々衆生の菩提心を呼び起こす鐘音が世に響かないのは寂しい限りである。
観音堂からの眺望(南)
小田川の手前(北)は旧山陽道の堀越宿。かつて毎年7月中に大市が開かれていたが
享保5年(1720年)の火災の後、廃止された。
観音橋の南に広がる田園の中央を貫くのは県道48号線。
県道の向かって左は笠岡市甲弩の有江、千田、興山。
その奥の岡田の宮山に甲弩神社(甲弩の旧村社)が鎮座し、
その奥の山手に神護寺(本尊
不動明王)がある。
県道の向かって右には笠岡市走出の有江(走出)、岸、城址がある尾敷山、天神山、和田山。
観音橋の向かって右手(西)のカラシナが生えている辺りが走出の字 栗田
「御登極記念 小田郡誌(p.129
大正13年)」に「小田川は往古より其の河道
現今の北川村大字走出字 栗田の南境を廻流せしかば、
栗田は本村(小田村)の一字(いちあざ)なりしが、従来備後*福山(福山)に流出せし出部川の、
元和年中(1615-1624年)東流して雄神川に合し所所謂小田川となりしより水量俄に增加し、
爲めに迂廻せし河道の北に更に新河道を生ぜり。
然るに舊來河道を以て村境となす風習ありしかば、
爾来走出と有木谷との間に村境に付きての紛爭絕ゆること無かりき。
降つて文化年中(1804-1818年)走出村民井堰を築きて舊河道を絕ちしかば、
全水ために北の新河道に移り、現今の狀態となれり。
越江(え)て明治十二年(1879年)行政區域の變更をなし、小田川右岸の地
即ち栗田の地全部を北川村に編入せり。其の面積凡そ六町七八反歩なりき。」とある。
栗田の西に字 長瀬があり、その南に字 稗樋がある。
井堰は
菱陽電機(株)
第2工場(小田郡矢掛町小田6521-1)の南にある。
観音堂からの眺望(南西)
向かって右の山(元は木山と云、浄瑠璃山と改む)の麓(字 政所)に武宮神社(走出の旧村社)が鎮座。
山上には持法院(本尊 薬師如来)・明王院(本尊 不動明王)がある。
参道を下って国道486号線を横断し左折。東へ251m上り、右折して日吉神社境内へ。
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