【南備四国八十八ヶ所霊場 画像集45(78-80)】



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県道60号線の交差点(セブンイレブン倉敷玉島インター店前)の横断歩道を渡り、
左折して西南西へ80m進む





両備バス 作陽学園北のりばの横







歌碑

「後三條天皇の御時大嘗會備中の國歌

はるかにぞ 今ゆく末を おもふべき
 長尾の村の ながきためしに
(藤原經衡 新捨遺和歌集巻第七賀歌)

大内谷御供田(神田 じんでん)の由来

治暦四年(一〇六八年)七月二十一日後三條天皇
が即位され、そのあとで御自ら新穀をお供えになり
天神地祇を祭らせ給う大嘗會が行われ、その時西日
本を代表して新穀を奉った主基田がこの地玉島長尾
字大内谷三、二八三番地でったとされている。その
後はこの水田に実った米を氏神社八幡宮(長尾神社)
の祭典に供し、大祭日七十五膳の奉供の神饌をつ
くった。この神田の耕作人には田邉豊三郎家が代々
これにあたった               .   
                長尾町誌より

当地がこの度 作用音楽大学及び県道倉敷笠岡線
用地として供用されるにあたり、ここに由来を記し
て後世に伝える。               」

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

大内谷神田については「浅口郡誌(pp.373-374 大正14年)」を参照

https://goo.gl/maps/bwoobNvTPRx

交差点に戻り、セブンイレブンの前を通過して東へ86m進む。
丁字路を左折し、北へ66m下る。

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中国職業能力開発大学校の南




道しるべ

「←善昌寺参道」「寄贈者 小野◯◯◯」

https://goo.gl/maps/rs4MHJmhuAr

西へ26m進み、右折して橋を渡る




轟橋

「長尾町誌(p.3 昭和26年)」に「轟橋は俗に馬橋という。旧高梁往來のうちで
本町東不動迫にある。昔から町内唯一の石橋である。」と記されている

「長尾町誌(p.70 昭和26年)」に「轟橋  義貞
野良人も ゆきかふ人も 打ちさわぐ とゞろき橋の 夕立のあめ
(田辺義貞稿「長尾村名勝五十首」より)」とある

轟橋を渡った先に続いていた高梁往來(玉島往來)は消滅

カシミール3Dの国土地理院空中写真(1961-1964年)で旧高梁往來を確認可能




千手観世音菩薩立像

「三十一八(は)ん 近江国 長命寺」
「◯◯ 中塚◯◯◯ 太田◯◯◯ 外三人」

長尾西国31番 姨綺耶山 長命寺 [いきやさん ちょうめいじ] (千手・十一面・聖観世音)
 『おん ばざら たらま きりく/おん まか きゃろにきゃ そわか/おん あろりきゃ そわか』
 「八千年(やちとせ)や 柳に長き 命寺(いのちでら) 運ぶ歩みの かざしなるらん」

https://goo.gl/maps/MLzuEpqPEqC2

県道60号線に戻り、東へ230m進んで十字路を左折




県道54号線を北へ600m進み、山陽自動車道の高架下を通過してさらに北へ360m上る




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丁字路を右折

https://goo.gl/maps/GVGMg7wjqwNSBQze9





北東へ417m上る













つきあたりの丁字路を右折し、南へ17m進む



左折して参道を南東へ8m上る










注連柱

「天下泰平」「氏子安全」
「昭和五午年(1930年)建之」




石燈籠

「鶏尾 (寄進者芳名) 上成 (寄進者芳名)」




浅野神社

浅野氏の氏神様。昭和四十六年(1971年)十二月吉日に修築。

https://goo.gl/maps/uVtKpCrHadLt6VeX8


参道を南東へ25m上る




石鳥居

「金毘羅大權現」
「文久四甲子年(1864年)三月吉日」「*𫞕子(氏子)中 世話人 若連中」





唐獅子(向かって右)

「奉」「*𫞕子(氏子)中」「文久四甲子年(1864年)四月吉」

唐獅子(同左)

「獻」「*𫞕子(氏子)中」










手水鉢




自然石3基

祭神未確認




金毘羅大権現

『南無金毘羅大権現』

https://goo.gl/maps/1wgWkphUABK2






堅牢地神(五角柱)

「*(地天の種子「ヒリ」)堅牢地神社」

『ナウマクサマンダ ボダナン オン ビリチビエイ ソワカ』




石柱

祭神未確認




石燈籠

「常夜燈」「金毘羅大權現」「文化九壬申年(1812年) 三月吉日」




立石

「伊邪那岐命 伊邪那美命 天照大御神」




鶏尾地区




車道に戻って左折

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南へ15m下って右折




墓地の南端






供養塔

「*(聖観世音菩薩の種子「サ」)石書普門品三十三巻
 丁 安永六年(1777年) 酉 三月吉日」
「奉讀誦普門品 三万三千三百三十三巻」

向かって右側の銘文は未確認

普門品 = 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)

『南無大慈大悲観世音菩薩』『おん あろりきゃ そわか』

https://goo.gl/maps/1wFThJ9gQGBa1S4u7





六字名号碑

「南無阿彌陀佛 小原◯◯」

車道に戻る
北へ105m上る


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北へ105m上る




十字路を右折し、東へ10m進む




鶏尾のお堂(大師堂)

「民俗資料選集39(p.124)」を参照

https://goo.gl/maps/gHZcUAPkj9B2



露盤の格狭間(西)

「*(種子「ア」)」





露盤の格狭間(東)

「*(地蔵菩薩の種子「カ」)」




隅鬼

「鬼*师(師) 服部邑 住人 瀬崎七藏正勝 作」

吉備郡服部村は岡山県総社市の服部駅や岡山県立大学付近

軒丸瓦に十六菊








弘法大師坐像(中央)

『南無大師遍照金剛』




地蔵菩薩立像(向かって右)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




厨子

仏像なし






法界地蔵

「法界」「願主 當所中 世話人 若連中」
「天保五甲午年(1834年) 十月奉安置」

お堂の向かって右にある



お堂の横の丁字路を左折




消防機庫




記念碑

「記念*𥓓(碑)
消防器具*置 篤志寄附者 金六拾萬圓也 神戸 ◯◯◯◯◯」
「昭和三十七年(1962年)三月建之」





北北東へ35m上る




右折して石壇を上る




注連柱

「奉」「献」「昭和廿七年(1952年)八月建之 小原*𫞕子(氏子)中」荅








石燈籠

「金毘羅宮」「稲荷大明神」
「願主 小原氏子中」「文化八年(1811年) 未三月吉日」




神社

祭神未確認

https://goo.gl/maps/EjyUPbrxe21CD5tF9










瓦質の小祠

祭神未確認




北北東へ385m上り、つきあたりの丁字路を右折して北東へ200m上る


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山門

山門と本堂の軒丸瓦に十六菊







鶏徳寺龍燈木










手水鉢

「奉寄進 寳永元甲申年(1704年) 七月十七日 (5人の芳名)」





鶏徳寺由来縁起

「備中洲淺口郡 平石山鶏徳寺由来縁起

抑々、当山の始めは、人皇四十代天武天皇、大友皇子と御争いの古跡なり。其後、
五十一代平城天皇、大同二年(西暦八〇七年)弘法大師の御開基にて、
本尊聖観世音も又、大師の御作なり。勿体なくも此尊像は、長谷寺観音の
御衣木(みそぎ)と同木なり。脇士は持国天・多聞天毘首羯磨の御作なり。
十一面観自在尊は御長六寸の霊仏にて御作知れず、天禄元年(九七〇年)
七月十七日、南海釣辺の浦といふ所にて浪江といふ漁者の網に御かかり
上らせ給ふは真の間浮檀金十一面観自在菩薩にと当院へ安置し奉る。
而して毎年七月十七日の夜・大晦日の夜・節分の夜の三度、南海より
龍燈上り、中天に輝き当院庭前圓栢(圓柏)の梢に燈らせ給ふ。依て龍燈木と申伝える。
此木は往古、天武天皇の御植置かせ給ふ古木なり。その頃は、五風十雨に叶ひ
末世に至ると旱ばつの節は雨をよぶごとに、必ず感応あらずと言ふことなじ。
其余、遠近信仰帰依の輩には、富禄福寿を授け給ひ、諸の病苦を助け災難を免ること、
かつて計へがたく、響の聲に応ずるが如く、影の形にしたがふに似たり。
夫、当山は地景高く、後には大山そびえ、紫雲峰にたなびき、松風梵音と成り、
前には海潮を湛へ渺々漫々たるその粧ひは補院洛界とも謂ふべき地なり。
此故に古へは七堂伽藍にて三重の塔あり。本坊の成就坊の外 胎蔵坊・金剛坊・
東光坊・西光坊・南光坊・北光坊以上七ヶ寺、甍をならべ軒を連ね、
繁栄世に希なり。鎮守の惣堂八幡菩薩、并に生土荒神両宮あり。御朱印三拾五石なり。
然るに人皇六十八代後一條院、長元二年(一〇二九年)六月回禄に及び、
寺中残らず焼失す。両尊は圓栢の森に御遷り給ひ、鎮守八幡宮は東の谷へ
飛び給ふ、土生荒神は後の山に鎮座し給ふ。残るものは両尊と圓栢の木ばかり、
実に不思議なる霊仏木なり。 破邪退轉以後、再建これなく、其後人皇八十一代
安徳天皇水島に御落陣の時、海中より龍燈上るを御叡覧ありて、御祈願
成らせられ、即時に諧叶あり、霊験奇意に御叡慮あつて再建遊さる。
其後人皇九十六代光厳院の御時、正慶二年(一三三二年)後醍醐天皇
隠岐の国より還幸の節、此山の麓に御懸り人里遠き所に鶏の尾を得さしめ給ふ。
程なく鶏の聲を聞しめし給ひて、当院へ行幸あり。其時寺号の文字を
鶏徳寺と改書遊ばさると傳へたり。 真にあらたかなる両尊、三帝の御由緒も
これある古跡なり。妙なるかな、古へにひさしく今に新たなり、日々に新たなり。
信ぜずんば有るべからず、信ぜずんばあるべからず。
文政六年(一八二三年)三月
(当寺什物木版より)

鶏徳寺 芳洲 作

弘法開基*ス救世*ノ源。 幾多*ノ霊験輝山門*ニ。
嘗*テ祈*ル*二領主墾田業*一。平石山頭*ノ古刹尊*シ。」

※*一、*二、は返り点
※文中の「徳」の字は旧字の*德

渺漫(びょうまん): 限りなく広いさま




平岩山 觀音院 鶏徳寺

水谷氏三代(水谷伊勢守勝隆公、水谷左京亮勝宗公、水谷出羽守勝美公)の祈願寺

高野山真言宗備中霊場第55番

『南無大師遍照金剛』

浅口郡誌(p.297 大正14年)」に「(名稱)鶏徳寺 平岩山 觀音院 (位置)船穂(平石)
(宗派)同(眞言宗 古義派) (本尊)聖觀音 (建立時代)大同二(※807年) 寛文一〇(再 ※1670年)
 (塔堂並境域)本堂、*敎院(教院)、回廊、鐘樓、門、一一〇三坪
(信徒 財産)一〇〇〇人 四町六反 (參考)同(河内町遍照院末)」とある

浅口西国21番 菩提山 穴太寺 [ぼだいさん あなおうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」

備中誌 浅口郡(pp.54-55 明治35-37年)」、
「船穂町誌(pp.275-278 昭和43年)」を参照


南備四国79番天皇寺高照院 (十一面観世音) <平石 鶏徳寺>
 金華山 高照院 天皇寺 [きんかざん こうしょういん てんのうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「十楽の 浮き世の中を 訪(たず)ぬべし 天皇さえも さすらいぞある」

https://goo.gl/maps/mU0if




釈尊聖地ルンビニー、ブッダガヤ、サールナート、祇園精舎、クシナガラ、お砂踏み石

祇園精舎=サヘート・マヘート




堂内に赤穂浪士 片岡源五右衛門の位牌が保存してある





いろは歌の石碑







鐘楼




梵鐘

「聖観世音菩薩」「弘法大師壱千百五十年御遠忌記念」
「***** ***** ***** ***** ****(光明真言 梵字)」
「南無大師遍照金剛」
「平石山観音院 鶏徳寺現住 信正代 昭和五十七年(1982年)四月吉日 鋳匠京都岩澤徹誠」
「平和萬民豊楽」

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』





南の眺望

高梁川の河口と水島コンビナート

お寺の周囲にあるビニールハウスでは船穂町特産のマスカットを栽培




南東の眺望

連島




回廊の向かって右




千手観世音菩薩立像

「千手 廿番 善峯」

西国20番 西山 善峯寺 [にしやま よしみねでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「野をもすぎ 山路に向ふ 雨のそら 善峯よりも 晴るる夕立」

https://goo.gl/maps/1eh2VT6xyCv




地蔵菩薩立像

「法印◯◯」「有井村 石川◯◯」




字輪塔(光明真言曼荼羅石)

「*****(胎蔵界大日如来の真言「あ び ら うん けん」) ***********************(光明真言)」

「南無大師遍照金剛」
「宝暦四(1754年)甲戌四月五日慧正 闍梨始巡*礼(礼)廿壱箇所大師 尊影至今諸人順其芳躅」
「茲歳明和三(1766年)丙戌四月五日 當四千日因修供養且建此 字輪塔云」

闍梨(じゃり): 阿闍梨の略
芳躅(ほうたく): よい行跡。古人または他人の事跡の尊敬語。

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』





地蔵堂

https://goo.gl/maps/cPcpsYdikYK2




本尊は石造地蔵菩薩立像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




法界地蔵

「法界」「天保十*㐪(亥)年(1839年)」「當村講中」

山門前に戻り、南南東へ360m下る



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コミュニティタクシーのりば(平石)

https://goo.gl/maps/KZVd2exe9HYoLomt6





Y字路から東(左)へ50m上り、丁字路を右折して南東へ35m進む。
つきあたりの丁字路から平石東橋(山陽自動車道の跨道橋)を東へ渡る。




跨道橋の東詰の丁字路から東へ210m下る








平成14年(2002年)3月吉日に本殿の屋根葺替







社号標

「*王子宮(※小文字で) 御名方神社」
「昭和十年(1935年)七月建之 願主 本村川筋 小山◯◯」







石鳥居

「奉寄進宝暦五(1755年)乙亥六?月」「小野市良左衛門介◯」




建神社

「船穂町誌(p.252 昭和43年)」を参照

https://goo.gl/maps/2Wsy6NLEKb32













唐獅子(向かって右)

「奉獻」「産子中」「文久二年(1862年) 壬戌正月 長尾豊嶋屋 石工清助」

唐獅子(同左)

「奉獻」「産子中」「文久二年 壬戌正月」




参道を北北西へ75m進む










手水鉢

「文化十一年(1814年) 甲戌四月吉日」




石燈籠1対

「奉献」「氏子中」「天保十四(1843年)*𫝁(卯)九月日」




石鳥居

「王子宮」

明治5年に御名方神社と改称




御名方神社(王子宮、中山の王子権現)

建御名方命は大国主神の御子神

「船穂町誌(p.252, p.264 昭和43年)」を参照

https://goo.gl/maps/XfCtiGEjxNU2




拝殿内

幣殿拝殿は平成9年(1997年)7月吉日に改築

乳房を象った絵馬が奉納されている




本殿




立石

「備中十八神」

備中国の式内社十八座

拝殿の向かって左にある




和霊神社

「和霊神社」
「昭和三*年(年)六月建之 *卋話人(世話人)中山*
石工フナホ 小山幸太朗」

拝殿の向かって右にある




車道に戻り、東へ30m下る


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中山のお大師様

https://goo.gl/maps/PYOxD

「民俗資料選集39(pp.123-124)」に旧堂の写真あり




手水鉢







奉納四国西国秩父坂東順拜供養塔(弘法大師坐像と聖観世音菩薩立像)

「*(阿弥陀如来の種子「キリーク」)奉*順拜供*
四国 西*圀(国) 秩父坂東」
「行者 *芲田(花田)嘉太郎」

「民俗資料選集39」によると明治26年に建立

『南無阿弥陀佛』『南無大慈大悲観世音菩薩』
『南無大師遍照金剛』




薬師如来坐像

「本尊 藥師如來」
「明治丗六年(1903年)八月建 中山中」

四国79番 奥の院 瑠璃光寺(金山薬師 香川県坂出市江尻町)

『南無薬師瑠璃光如来』『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

南備四国79番奥之院 <中山 奥院>

東へ130m下る

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Y字路




道路改修碑

昭和二十一年(1946年)建立

https://goo.gl/maps/To3AMXpPZkFpWk2i7


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東へ55m下って左折し、北東へ35m下る




前谷池の南の十字路から北東へ25m上る

https://goo.gl/maps/9xm3tpzuvVWQX86B8




ゴミステーションと消防機庫の間




観音堂

千手観世音菩薩立像

「廿二番 千手 相持寺(※ママ)」
「施主 *舡(船)◯ *◯」

西国22番 補陀洛山 総持寺 [ふだらくさん そうじじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「おしなべて おいもわかきも 総持寺の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」

https://goo.gl/maps/VSUY9wy95ZAq4L7A7

北東へ15m進む







恵比須神社

https://goo.gl/maps/qGbDVHUjmoRB6zn86




石燈籠

「奉燈」「文政六未天(1823年)」「十二月吉日」

手水鉢

「奉*竒(奇)進」「嘉永五子◯(1852年) 法蓮寺 本◯」







千手観世音菩薩坐像?

「文化 六巳 年(1809年)六? 月十八日」

『南無大慈大悲観世音菩薩』







恵比須神社本殿




自然石地神

「地神」




小社

祭神未確認

北へ5m進む




地蔵堂(前谷のお地蔵様)

「民俗資料選集39(pp.122-123)」を参照

https://goo.gl/maps/1b3L57uRo5AmnU7d9








地蔵菩薩坐像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




棟札

「奉再建一宇地藏堂◯◯◯◯(以下判読困難)」

「民俗資料選集39」によると明治二十九年(1896年)再建

塔婆

「奉爲六道*能化地藏菩薩倍増法樂也」








前谷池

地蔵堂前から徒歩で北北西へ150m上る







十字路を右折して細道を北へ35m上る







羅斉神社

https://goo.gl/maps/5HKQgruCHpe7NVHS7







人の姿に見える木







前谷池の南の十字路に戻り、左折して車道を東へ90m下る


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丁字路を左折

https://goo.gl/maps/THjtfvXfCTwTgkd26





北北東へ18m上り、丁字路を右折して東へ30m進む(徒歩で)




北北東へ85m上る




北北西へ35m上る




丁字路を右折して北へ17m上り、墓地の横にある十字路を左折して西へ18m進む







手水鉢

「◯主 ◯◯◯◯◯◯ 明◯◯十◯年 ◯◯日」








法界地蔵a(向かって左)

「*㳒界(法界)」「*寚暦(宝暦)八戊寅天(1758年) 九月日」
「願主 信求」




法界地蔵b(同右)

「法界」「久西?◯」







大師堂

https://goo.gl/maps/vwpZd







昭和34年(1959年)旧3月に改築
昭和60年(1985年)8月吉日と平成14年(2002年)12月吉日に修繕




阿弥陀如来坐像(中央)

「*(阿弥陀三尊の種子「キリーク・サク・サ」)」

『おん あみりた ていせい から うん』
『おん さんざんさく そわか』『おん あろりきゃ そわか』

弘法大師坐像a(向かって右)

弘法大師坐像b(同左)

木造立像(向かって左端)

南備四国80番国分寺 (十一面千手観世音) <岡ノ辻 大師堂>
 白牛山 千手院 國分寺 [はくぎゅうざん せんじゅいん こくぶんじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ」




丁字路に戻り、左折して車道を東へ200m進む




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