【南備四国八十八ヶ所霊場 画像集26(35番)】
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南備四国35番清滝寺 (薬師) <佐ミ 大師堂>
醫王山 鏡池院 清滝寺 [いおうざん きょうちいん きよたきじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「澄む水を 汲むは心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣」
沙美郵便局のに西南西60mの所にそれらしきお堂が
見えているが道が判らないので辿り着けていない
https://goo.gl/maps/fng2p
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沙美東海水浴場(沙美漁港海岸)
https://goo.gl/maps/w7rCAPXMyHC2
注連柱
「齋庭」
金毘羅宮と恵美須宮
沙美中公園と沙美漁港の東にある
石燈籠
「金毘羅 恵美須 宮」
https://goo.gl/maps/QXCu2wgXyMS2
沙美漁港
正面に見えている諏訪山の上に諏訪神社がある
「
浅口郡誌(p.180 大正14年)」に「大正五年(※1916年)諏訪山の東側に防波堤の築かれて
船舶の碇泊に便するあり。沿岸漁業の盛んなること安倉と伯仲せり。」とある
https://goo.gl/maps/T9KQX2vqNL42
石祠
祭神未確認
黒崎連島漁協の前にある
https://goo.gl/maps/hUvCCANUUhS2
南西へ84m進み、玉島黒埼公民館前で左折して南南東へ76m進む
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十字路を右折し、西へ55m進んで左折
石鳥居
「諏訪神社」「平成九年(1997年) 七月吉日」
百度石
合祀された神社のもの
石鳥居の社号額
「諏訪神社」
注連柱(石段下)
「奉」「大正十五年(1926年)紀元節建造」
「獻」「賽主 原田◯◯◯ 原田◯◯」
石燈籠ab
「奉寄進」「明治廿八年(1895年)九月廿七日」
「西中 荒神 講社」

唐獅子1対(石段下)

社号標
「諏訪*神社(神社)」「昭和七年(1932年)九月六日昇格?紀念建之」
昭和7年は諏訪神社が神饌幣帛料供進神社に指定された年
手水鉢(下)
紀年銘判読困難
石燈籠cd
「昭和伍年(1930年)拾月建之 森 ◯◯」

獅子1対
注連柱(石段上)
「洋々乎」「昭和二*秊(年)六月下澣建之」
「如在上」「賽主 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」
石燈籠ef
「奉燈」「昭和七年申十月建之」「家内安全」
手水鉢(上)

諏訪神社
「
浅口郡誌(p.290 大正14年)」に「(社名)諏訪神社 (祭神)建御名方命
倉稲魂命 地主命 大山祗命 猿田彦命 譽田別命 素盞嗚命 大山咋命
(社格)村社 (位置)沙美 (氏子)二三〇
(社殿及坪數)本殿、一 幣殿、三 拜殿、九 (建造物種類)鳥居
狛犬 燈籠 手水鉢 神庫 神饌所
(境内風致)瀬戸内海ニ突出セル一半島ノ山上ニ建立セラレ、内海ノ風光ヲ眺メ得テ絶景ナリ
(境内坪數)三反一畝七歩 (祭日)十月廿七日 (以下、氏子供進金一戸閉金額、備考は省略)」とある
諏訪山にある
https://goo.gl/maps/5gm9tpbdrR32

唐獅子1対(拝殿前)
「奉 天保三辰年(1832年) 八月吉祥日」
「*獻 天保三辰年 八月吉祥日」
瓦質の小祠
祭神未確認
本殿
祭神未確認
東の眺望
「天照大御神」「紀元二千五百九十五年(1935年)四月廿三日建之」
「金婚記念 原田◯◯◯一子 原田◯◯◯ 同 妻◯◯」
本殿の南
石祠群
祭神未確認
黒崎漁協前に戻り、北西へ52m進む。県道47号線の十字路を横断し、西へ70m進む。
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恵池

恵池碑(倉敷市指定史跡)
篆額「惠池碑」
「本州沙*美浦*民風俗淳美
闔郡少比 寛政改元(1789年)己酉三月 縣令
菅谷君 行春過之親驗其實具*狀(状)聞之 公朝九月六日有
旨 賞賜里民白銀二十錠
於是父老相議謂 朝賞不可浪費
迺資所賜開鑿一池于八幡山下 名曰惠池 示永*
世不忘也
因
立石池上 屬文于余 余甞有詩 稱*
述今又爲之 銘曰
逖矣此土 誰陶誰甄 斯民淳厚 奕世不遷 何學何慮
物則昭然
賞賚旌閭 如降自天 咸謂天賜 不忘不愆
畚*鍤戮力 鑿池引泉 陂塘十*畞(畝) 湛碧*漪漣 以*溉(漑)以灌
于圃于田 昔之*
瘠埆 今則沃衍
無旱無*澇(潦) 惠澤淵淵
非惟主聖 維令之賢 口碑所頌 石碣是鐫 戒爾于孫
勿壤勿湮 鍾泄適宜 修焉浚焉 恩波不涸 億萬斯年
寛政六年(1794年)歳次甲寅春三月 *
備中
西山正(拙齋)拜撰
阿波 *
曾道怡謹書 」
縣令菅谷君: 時の倉敷代官 菅谷長昌(すげのやながまさ)
闔郡(こうぐん): 郡内ぜんぶ。一郡ぜんたい。
親験(しんけん): 親しくためすこと。みずからためしてみること。
具状(ぐじょう): くわしく事情を書いて上申すること。また、その文書。
公朝(こうちょう): 古代官吏在朝廷的治事之所
奕世(えきせい): 世を重ねること。代々。累代。
昭然(しょうぜん): あきらかなさま
賞賚(しょうらい): 賞賜。賞して物を賜うこと。また、そのもの。
旌閭(りょにせいす): 村の門に、村人のよい行いをほめて書いた札をかけ、人々に示す。
畚*鍤(ほんそう): 盛土器(もっこ)と起土器(鋤や鍬)。土建。
戮力(りくりょく): 力をあわせること。協力。
陂塘(はとう): 土手。堤防。
瘠埆(そうかく): 地味がやせていて、作物ができない土地
沃衍(よくえん): 地味が肥えていて作物のよく実る広い土地。沃野。
口碑(こうひ): 言い伝え
石碣(せっけつ): 石碑。いしぶみ。
鍾泄(しょうせつ): 蓄洪和放水
恩波(おんば): 君主の恩恵のゆきわたるのを波にたとえていう語。めぐみを蒙ること。恩沢。
億萬斯年: 億萬年。
形容長遠的年代。
沙美浦詩(「浅口郡誌(pp.488-490)」より)
「 沙美浦在備中州*黑崎(黒崎)村西南 居民百餘家 家種梅數株 *迤邐成林 丙午歳仲春(※仲春十三日余適訪友人) 中藤(※中藤子元)
子元(※子元歡)余*遊賞焉 具言其民俗淳厚有太古風(※太古風*娓娓不置) 諮諸旁人言皆有徴 廼(すなわち)作此歌曰(※廼喟然作此歌云)
春雲靄靄海南濱(※海上村) 梅華開落認芳辰
行穿暗香疎影裏 茅簷百餘傾依山 友人云是沙美浦
浦口居民樸且淳 土田斥鹵王*稅(税)簿 丁壯耕漁*趂(趁)昏晨 兄執(※肄)耒耜弟罔罟 女務機杼童樵薪
皆安本業不*逐末 家々勤儉克謹身 夏租秋税先期完 仰事俯育常相親 不解樗博不捨遺
不*負市債不欺人 布粟交易無貳價 *遵約畫一睦*鄕鄰(郷鄰) 有無相資休戚共 凶歉猶無凍餒貧
黄童白叟怡然樂 婚嫁來住擬朱陳 褐衣蓬頭*情(※情)意厚
*社(社)酒*鄕(郷)*飲禮數寛
數世不起雀鼠訟 比屋皆承菽水歡 外人侮笑*迀且(※外人侮笑且)野 那識此中有天眞 世間浮靡未經目
人*情崎嶇寧疲*神(神) 孜孜恂恂成風俗 *皞皞熙熙(※熈熙)長兒孫 炎畦雪蓑雖然勞 四時自占物外春
嗟予(※予)探梅偶過此 觀聽始驗先修言
瘠土僻境不須患 樂國*膄(※*𦛈)田在一勤(※難) 不知不識順帝則
*擊(撃)壤奚獨唐虞民 羅浮*廋(※*𢈔)嶺僊蹤渺 桃源菊潭孰問津 顧言遷居携(※攜)妻子
卜鄰與爾同里仁
*況今方*遭盛明世 行當旌賞標閭門 先揮吟筆紀其實 辭陋無華君莫*嚬 他日如有陳觀命 歌此欲獻采詩官 」
(※)の部分は「西山拙齋全集 第一巻(pp.162-165)」の表記
*娓娓: 飽くことを知らない。聞く者を魅了する。
旁人(ぼうじん): 傍人。かたわらの人。第三者である他人。
*迤邐(いり): うねうねと折れ曲がって連なる
靄靄(あいあい): ほんのりと暖かく包まれたさま
開落(かいらく): 花が咲くことと、散ること
芳辰(ほうしん): 芳時。春の美称。
暗香(あんこう): どこからともなく漂ってくるよいにおい。やみに漂う花のかおり。
疎影(そえい): 月光などにてらされて、まばらにうつるかげ。梅の別名。
茅簷(ぼうえん): かやぶきの軒。また、その家。
樸淳: 地味で情が厚い。素朴で情のあること。
斥鹵(せきろ): 塩気を含んでいて作物のできない土地
丁壮(ていそう): 体がじょうぶなこと。若者。
昏晨(こんしん): 夕方と明け方。夜と朝。
耒耜(らいし): すき。畑にすじみちを入れる農具。
罔罟(もうこ): 網罟。鳥獣や魚をとるあみ。
機杼(きじょ/きちょ): 機織りの機械と、横糸を通す道具。機を織ること。
逐末(ちくまつ/すえをおう): 末利を求める。商業を営むこと。
勤倹(きんけん): まじめに働いて、むだづかいをしないこと
仰事俯育: 仰ぎて事(つか)え、俯して育つ。上要侍奉父母、下要*养(養)活妻儿。
樗博: 樗蒲。ばくち。
無二価(あたいをににするなし): 商売でかけ値をいわない
凶歉(きょうけん): 作物の出来が非常に悪いこと。はなはだしい不作。凶荒。
凍餒(とうたい): 凍え、飢える。衣食が欠乏する。
黄童白叟: 黄发儿童、白发老人
褐衣(かちえ): 闕腋の袍を着用する束帯の一種
蓬頭(おぼとれがしら): ばらばらに髪の乱れた頭
雀鼠(じゃくそ): すずめと、ねずみ。小さいもののたとえ。ともにうるさいので人が憎みきらうものとされる。
比屋(ひおく): 家並み。軒並み。家を連ねる。
菽水歓(しゅくすいのかん): まめを食い、水を飲む貧しい生活をしていても親を喜ばせる。貧苦な生活をしても親に孝行をつくすこと。
浮靡(うび): うわついてぜいたくなこと
孜孜(しし): こまめにつとめるさま
崎嶇(きく): 山路のけわしいこと。転じて、世わたりの困難なことのたとえ。
*皞皞(こうこう): 心が広くのびやかなこと。心が広くのびやかなさま。
熙熙(きき): なごやかに喜びあうさま
物外(ぶつがい): 俗世間の外。世事からはなれたところ。
恂恂(しゅんじゅん): まこと。行き届いた心。おずおずと、細かく心を配るさま。
撃壤(げきじょう): 地面をたたいて拍子をとること。平和な世の中を楽しむありさまをいう。
唐虞(とうぐ): 陶唐氏と有虞氏、すなわち、尭と舜の時代を併せ呼ぶ称。中国史上の理想的太平の世とされる。
問津(もんしん/しんをとう): 渡し場のあり場所をたずねる。転じて、学問をおさめるための方法をたずねる。また、人にものをたずねる。
旌賞(せいしょう): 善行・功労を公表しほめること
閭門(りょもん): むらの出入り口の門
吟筆: 詩人的筆
采詩之官(さいしのかん): 採詩之官。周代、人民の人情風俗を知ってよい政治を行うために、各地の民間の詩歌を採集した官。
https://goo.gl/maps/E1c9mvoehvP2
「
備中誌 浅口郡(p.25 明治35-37年)」に「淺口郡沙美浦の風俗すなほなりとて
公より白銀若干を賜ひけることを後の世まても傳へんとて
池を掘て惠の池と名付くるに拙齋翁に歌よめとすゝめられしかは
曇らしな此里人の心をも 照らす惠の池のかゝみは」と記されている
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惠池の北端にある五叉路から車道を北東へ50m上り、東へ25m進む。
左折して北へ70m上って右折し、東へ50m進む。
(※駐車する場所がないので徒歩で)
沙美漁港と諏訪山、塩飽諸島を望む
民家の横にある階段を北へ15m上り、左折して細道を北西へ10m上る
https://goo.gl/maps/teK62Gaq8ei7QKxz8
北へ105m上る
Y字路を左折し、細道を北西へ40m進む
https://goo.gl/maps/4YEa1tnwJ592tKQc7
畑の農作業小屋の西15m
御堂岩(みどういわ)
※浅口郡誌に記されているふりがなは「み」ではなく「お」
雑木に覆われているので岩の東面しか見えない。スズメバチの巣の残骸あり。
「
浅口郡誌(p.491 大正14年)」に「九、石塲と御堂岩 第四一〇節
沙美の中央、舊八幡神社の北二・三町の所に岩場と稱する地あり。
天正年間、豐太閤大阪築城の時、石材を得し所なりと云ひ傳ふ。
其れより*半町許、御堂岩(高、巾、各十九尺、長三十八尺)と稱する
長方形の巨岩あり。斧鑿を加へたる痕ありて、一部破壊せられ傳*説の昔を
偲ばしむ。(近年迄、岩上に一宇を建てゝ佛像を安置せしが、今跡なし。)」とある
19尺=約5.76m 38尺=約11.52m
https://goo.gl/maps/5BdGEm5VrLgHpRG17
南南西の眺望
「ふるさとの思い出 写真集 明治 大正 昭和 玉島(p.113)」に御堂岩の写真あり
写真にある沙美東濱、黒崎中学校、沙美小学校は見えない
岩の上にあがる道は雑草に埋もれているので接近困難
楔を打ち込む矢穴を穿たれた石
御堂岩から北へ40m程上った畑の隅にある
https://goo.gl/maps/e9VaV5jmBmfV9c6i8
国土地理院地図に記さている石切場跡は御堂岩の東300mの所
https://goo.gl/maps/ee9jFi5vint9Y1287
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恵池碑の北にある五叉路に戻って南へ47m進み、十字路を右折して西北西へ81m進む
阿弥陀堂
黒崎中学校の東の十字路にある
https://goo.gl/maps/vPkrn
阿弥陀如来坐像と弘法大師坐像
阿弥陀様の縁起を記した額
「上谷の東に荒神社が在りその西に阿弥陀様を祀ったお堂があった。明治の末頃
神社が合祀され 大正十年(1921年)頃その跡地が競売された。
阿弥陀様は中屋の原田要太郎氏の厚意でお堂と共に現在地に移転された。
当時原田亀太郎氏が自宅にお祀りしていたお大師様も地域の人々の強い要望で
このお堂に安置された。昭和六十三年このお堂が改築され同年九月遷座された。
昭和六十三年(1988年)九月吉日 世話人一同 記す」
弘法大師像は宝冠を被り、智拳印を結ぶ珍しい像
お大師様の縁起を記した額
「明治末頃(1911年頃)原田亀七郎氏が水島沖に出漁中 お堂と共に漂流するお像を発見した。
お助けして自宅に運び帰ってお堂を建てて祀った。沙美部落の参詣者は云うまでもなく
ご利益を聞き近隣の村々より参詣する人々が続いた。その後地域の人々の
強い要望で現在地のお堂に安置祭祀された。それから幾星霜も過ぎ 昭和六十三年
老朽したお堂を取り除き現在の立派なお堂に改築され
同年九月遷座式が挙げられた
昭和六十三年九月吉日 世話人一同 」
法界地蔵(向かって右端)
「*㳒界(法界)」「安永九歳(1780年) 子十一月吉日」
「願主 仁兵衛、角左エ門、定右エ門、◯左エ門、仁左エ門」
『おん かかかび さんまえい そわか』
鴨方四国?番の弘法大師坐像
「●番」「寛政六寅年(1794年) 施主 原田仁兵衛」
『南無大師遍照金剛』
弘法大師坐像(向かって右)
「
國防大師」
『南無大師遍照金剛』
阿弥陀如来坐像(左)
『おん あみりた ていせい から うん』
阿弥陀堂前の十字路から車道を西へ315m進む
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大師堂
沙美の西公会堂・黒崎中学校の北西
https://goo.gl/maps/DeqIQ

ご宝号塔(向かって左端)
「*(種子「ア」)南無大師遍照金剛」
岩仏?
御詠歌碑
「ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師は今に おわしまし ます」
「ありがたや 海より出し 岩ぼとけ 御かげも深き 沙美の 浦皮」
大師堂前から車道を南西へ250m進み、県道47号線に出て左折。
東へ125m進んで沙美小学校前の丁字路を右折し、南へ63m進む。
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沙美海水浴場
https://goo.gl/maps/AjJjQFNpa662
日本の渚百選
トイレあり

沙美海岸
「
浅口郡誌(pp.485-486 大正14年)」に「沙美は黒崎村の中央にありて東は矢崎より
西岩谷鼻に至る間を云ふ。金光驛を距る一里餘の南にありて自動車の便あり。
(玉島驛を距る南西二里餘) 地勢、神島(小田郡)に似て北に山を負ひ、
海に逼りて冬暖く、土地乾燥して霜を見ること稀なり。夏時海陸風吹きて涼し。
海岸東西に延長して長汀曲浦の間、白砂横はりて讃嶺(讃岐富士 箱崎等)
豫峯(石鎚山)を髣髴の林に望む。其風景最も愛すべく、實に海水浴場として
縣下に其名を恣にせるもの偶然にあらず。高倉上皇嚴島御幸記に
「廿四日寅の時、び中の國のせみとと云ふ所につかせ玉ふ。國々とほくなるまゝに、
山の木立石のたちやよもきびしく見ゆ」とあり。又向山(ムカヒヤマ)は
古來梅花を以て名あり。「西山翁及社中諸子、欲觀梅花‥‥‥有梅三百餘株、
盛開可愛、山脚方石如屋、大斧鑿痕存」と*有方錄(有方録)に見ゆ。
梅樹は今尚、老株向山に殘存し、山脚方石は今御堂岩と呼びて存せり。
沙美海濱院より西、一本松に至る海岸を燧濱と云ひ。海岸に古來往々石◯を
採集することあり。こは西元濱又は中津貝塚人種の遺棄せしものならん。
また同地の布原は海岸に松並木茂生し、舞子濱に髣髴したりしものありしが
維新の頃、伐採せられて今僅かに一二株を殘すのみ。」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
東の眺望
諏訪山
東南東の眺望
水島コンビナート
南東の眺望
下津井瀬戸大橋
南南東の眺望
飯野山(讃岐富士 標高442m)。距離は約32km。
手前にあるのはゴールドタワー。
南の眺望
塩飽諸島
西の眺望
岩谷鼻
「
浅口郡誌(pp.432-433 大正14年)」に「沙美と南浦との間に挟まれる地を岩谷と云ふ。
岬角海中に突出して斷岸をなせり。近年絶壁に沿ふて車道を開鑿し、交通便となる。
沿道の風景絶佳にして本郡沿岸中眺望の白眉たること第一六〇節にも述べたり。
南浦は曲浦をなし、海岸には白砂横たはり風色沙美に伯仲す。大正七年(1918年)
車道開通せしを以て交通便となる。夏時は避暑又は海水浴の好適地たり」とある
海水浴場の駐車場から北へ進んで丁字路を左折し、県道47号線を西南西へ275m進む
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法界地蔵
「法界」
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
https://goo.gl/maps/LLVCAoVDGQbPwAPf6県道を南へ720m進む
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岩谷地区
https://goo.gl/maps/uhhFD57EyRdgkmKq5
犬(ラブラドール)の寝姿に見える岩
石鳥居の残骸
「安政四巳◯(1857年)五月◯◯」
https://goo.gl/maps/fNnnT56hpvrE23xA7
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丁字路を左折して南西へ10m進む
https://goo.gl/maps/ctSXBspCzeEmXo7G6
電柱がある丁字路
https://goo.gl/maps/PWQhLvk5XwkrKyJw8南西へ85m上る
寄島往来(玉島往来)
大正7年(1918年)に断崖に沿って車道(現 県道47号線)が開鑿されるまでは
岩谷と南浦を結ぶ主要道だった
左折して南東へ35m上る
墓地
六地蔵尊
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
https://goo.gl/maps/H4ZoLPUGCYgoZSWL9
南南西へ105m上る
丁字路を右折
西へ30m上る
峠
弘法大師坐像
『南無大師遍照金剛』
https://goo.gl/maps/TeTQRHFpWczM5L7u9
法界地蔵
「寛政元(1789年)酉 六月◯◯」
「法界 念佛 講?中」
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび
さんまえい そわか』
北西へ250m下ると南浦の集落に出る
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電柱がある丁字路に戻って左折
岩谷川に沿って北上する
西北西へ120m程上る
岩谷川の水源付近

海蔵寺の東約520mの所にある岩
※毘沙門岩に形は似ているが小さい
https://goo.gl/maps/CgghhK6J3L7G398V9
「
浅口郡誌(p.491 大正14年)」に「毘沙門岩は南浦海藏寺の東方なる、山の東腹
(岩谷の北方奥)にあり。巾二十尺(約6.06m)、長二十七尺(約8.18m)、
厚十三尺(約3.94m)の花崗岩にして東方に口あり、さながら古墳に似て祠窟をなし、
内に七福神の一たる毘沙門の石像を祀る。陰暦正月には賽するもの多し」とある
※文中の「福」の字は旧字の*福
所在未確認
県道に戻って南西へ460m上る
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大柄杓嶋、小柄杓嶋、小杓嶋、大杓嶋、本島、六口島、瀬戸大橋、坂出を望む
帆崎からの寄島町を望む
https://goo.gl/maps/moyZKRigztK2

県道47号線を北へ355m下って左折し、西北西へ370m進む
画像集.1/画像集.2/画像集.3/画像集.4/画像集.5/画像集.6
画像集.7/画像集.8/画像集.9/画像集.10/画像集.11/画像集.12
画像集.13/画像集.14/画像集.15/画像集.16/画像集.17/画像集.18
画像集.19/画像集.20/画像集.21/画像集.22/画像集.23/画像集.24
画像集.25/画像集.26/画像集.27/画像集.28/画像集.29/画像集.30
画像集.31/画像集.32/画像集.33/画像集.34/画像集.35/画像集.36
画像集.37/画像集.38/画像集.39/画像集.40/画像集.41/画像集.42
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