【里見四国八十八ヶ所霊場 画像集3(本村・高岡)】



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Uクリーナー本店前の丁字路を右折し、西へ137m進む

https://goo.gl/maps/YZ1ky88DiGF2










虚空蔵菩薩坐像(向かって右)

「廿四番 東寺」

里見四国24番最御崎寺 (虚空蔵) <>
 室戸山 明星院 最御崎寺 [むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ]
 『のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか』
 「明星の 出でぬる方の 東寺 くらき迷いは などかあらまじ」

向かって左は地蔵菩薩立像

『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/asQPwma6CUx

24番札所前から西へ66m進む

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石燈籠a(向かって右)

「奉燈」「昭和十八年」
「本願氏子中」「◯◯者 佐藤◯◯◯」

石燈籠b(同左)

「奉燈」「三月吉日」「本願氏子中」

玉垣a

「昭和十三年(1938年)十月」「氏子中」

一の石階の親柱a(向かって右)

「奉 藤井◯◯◯ 佐藤◯◯ 藤井◯◯ 藤井◯◯ 藤井◯◯◯」
「世話人 藤井◯◯」

一の石階の親柱b(同左)
「獻 藤井◯◯ 佐藤◯◯◯ 藤井◯◯◯ 藤井◯◯ 藤井◯◯」
「明治十七年(1884年)申八月吉日」





大鳥居

「天滿*神社(神社)」
「願主 仁科久太郎」「昭和十三年(1938年)九月下澣」




二の石階の親柱c(向かって右)

「奉獻」「昭和十三年十月」

二の石階の親柱d(同左)

「奉獻」「氏子中」

石燈籠cd

「獻燈」「明治十二年(1879年)」「己卯八月建之」
「本願池口氏子中」
「尾道石工 清水作兵衛 作」







三の石階の親柱e(向かって右)

「奉獻」「昭和十三年十月」

三の石階の親柱f(同左)

「奉獻」「氏子中」




唐獅子a(向かって右)

「奉獻」「發◯ (8人の芳名)」「◯◯◯◯◯年 ◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」

唐獅子b(同左)

「奉獻」「佐藤◯◯ 池口氏子中」「◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯」
「*㔺話人(世話人) (9人の芳名)」




注連柱

「可畏」「明治二十年(1887年)四月」




手水鉢

「本村 講中」




拝殿




唐破風の鬼飾りは3本の筆




隅巴蓋




天満神社

主祭神は菅原神、天穂日命、渡會晴彦。旧社格は村社。

「里庄町誌(pp.46-47 昭和26年)」に「天満神社 (由緒)当社は創立年月不詳なれども、
もと村内岩村の天満山に鎭座し附近の人々が崇敬していたところ、寛文六年(1666年)
藩主池田光政の社地整理に際し一時廢社となつていたものを、延宝年間(1673-1681年)、
深田・小坂及び当社の三か所に分祀したものである。当時は天神宮と称し、
神職は吉山重守であつた。此祭神は菅原神・天穂日命・渡会春彦の三神であつて、
舊記によれば醍醐天皇の延喜元年(901年)菅公が配所に遷さるゝや、*福島(福島)又は
天王寺より明石までは海路、それより陸路九州に下られたが、途中公が
一夜を過ごされた由緒の地であると云うので、後世山上に小祀(小祠?)を建てゝ
公を祀つたものである。現在の本殿は天保十二年(一八四一年)八月の
造營であつて、元文元年(一七三六年)八月再建の棟札がある。
(吉山匡氏蔵由緒による) 祭礼日 十月二日。氏子津江、岩村、本村、
殿迫の一部、土井、林山 二八〇戸。宮司吉山匡氏。小寺*淸之(清之)
(天保十四年(一八四三年)十一月十日歿、年七十四歳)著「備中誌」に
「大氏、天神宮池口、本社拜殿前殿石鳥居、寛文七年より神主神太夫」とある。
舊鳥居に「天神宮」の石額がかゝつており、笠石に「寛政三年」(一七九一年)と刻してある。
祭神渡会春彦は淨瑠璃院本「菅原傳授手習鑑」に出ている白太夫(しらたいふ)の
ことであつて、大神宮の仕人で、延喜三年二月二十五日菅公が筑紫に世を去るや、
春彦侍して遺命を奉し、公の息*高視(高視)が権守として土佐に左遷せるを
尋ねようと思い、老脚で險路をたどつて土佐の國内に入つたが、ある寺に宿つて
病死したという物語がある。(明治四十二年版「大日本人名辞書」による)」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

備中誌 浅口郡(p.134 明治35-37年)」を参照

https://goo.gl/maps/h7BuBJdEV952




年間行事予定







神庫?




石鳥居

「祈雨神社」
「◯◯◯奉建立鳥居一宇◯◯◯◯◯ ◯◯◯窮的稲涸?
 ◯政六◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」

文政6年(1823年)の大旱魃(文政の飢饉)の際に建立されたものか?

小田郡誌 上巻(p.626 昭和16年)」を参照





祈雨神社

石階の親柱(向かって右)

「奉 藤井◯◯◯ 佐藤◯◯ 藤井◯◯ 藤井◯◯ 藤井◯◯◯」
「世話人 藤井◯◯」

石階の親柱(同左)

「献 藤井◯◯ 佐藤◯◯◯ 藤井◯◯◯ 藤井◯◯ 藤井◯◯」
「明治十七年(1884年)甲申八月吉日」







小社(拝殿向かって右)

祭神未確認




石碑

「天壤無窮 昭和戊辰(昭和3年=1928年)御大禮御奉行以?◯◯子爵菅原長言謹書」

天壤無窮(てんじょうむきゅう): 天と地は、きわまることなく、永遠に続く

菅原長言=清岡長言子爵(1875-1963年)




英照皇太后御歌の碑

清岡長言子爵の揮毫。笠岡市高島の眞奈井の横にある。

https://goo.gl/maps/oRVjrA1Z6312


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Uクリーナー本店前の丁字路に戻り、右折して南へ360m進む




右カーブの標識の横で左折し、細道を南へ32m進んで右折




いざり松跡

消防機庫がある辺りに「いざり松」があった

「里庄町誌(p.72 昭和26年)」に「湯ノ池のいざり松 里庄町大字里見字 本村、
湯ノ池の畔にある。大きさ目通り十尺(約3.03m)、根廻り十一尺、地上六尺から三枝に
分岐し一枝は枯れている。南北八・五間(約15.45m)、高さ五間(約9.09m)。
樹齢三百年。クロマツとして町内随一のものである。」と記されている

「写真集 明治大正昭和 浅口(p.102)」に写真あり




三角点(22.6m)







地蔵菩薩坐像(向かって右)

「諸◯ 二十五番 津寺」

里見四国25番津照寺 (大師/揖取地蔵) <>
 宝珠山 真言院 津照寺 [ほうしゅざん しんごんいん しんしょうじ]
 『おん かかかび さんまえい そわか』
 「法(のり)の船 入るか出ずるか この津寺(つでら) 迷うわが身を 乗せて給えや」

https://goo.gl/maps/ULJwG9Q5eCS2




六字名号碑

「*(阿弥陀如来の種子「キリーク」) 南無阿弥陀佛 享保六丑年(1721年) 三月十五日」




牛供養碑(牛)

「牛供養」「昭和◯◯◯◯年◯月◯日」

万人講供養碑(牛)

「万人講 世話方 講中 施主 佐藤◯◯◯」




湯ノ池

「里庄町誌(p.130 昭和26年)」に「湯の池 むかし吉備津彦命が四道將軍の一人として、
吉備の國へ遣わされた時、鬼と戰われ、鬼はいくら攻められても、また負傷しても
暫くすると鬼が勇ましく戰うので、命が偵察させられると、今の湯の池あたりの
出で湯で傷をいやして出て来るのであつた。そこで命はその湯を封じてしまわれた。
そこで鬼も其後は傷をいやすという◯たこともできないようになり、命の勝ち軍となつた。
湯の池という名はこの傳説によりつけられたもので、今でも湯の池の中や近くの
たんぼから水がふき出ており、湯の釜とい地名も残り、湯ばた薬師も祀つてある。
これは今言う温泉であつたと思われる。」とある

25番札所前から湯ノ池西岸の道を北北東へ160m進む


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丁字路を左折して西へ41m進む




井戸の横の丁字路から西へ10m直進して右折




薬師堂

以前は四ツ堂と26番札所の小堂があった。
当時の写真は里庄町立図書館所蔵の資料
「里庄八十八カ所(広江充勇氏提供)」に掲載されている。

湯ばた薬師?




弘法大師坐像(向かって左)

「廿六番 西寺」

薬師如来坐像(中央)

里見四国26番金剛頂寺 (大師/薬師) <>
 龍頭山 光明院 金剛頂寺 [りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空」

千手観世音菩薩立像(右)

「三十二番」

西国32番 繖山 観音正寺b [きぬがさやま かんのんしょうじ] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「あなとうと 導きたまへ 観音寺(かんおんじ) 遠き国より 運ぶ歩みを」
https://goo.gl/maps/Et6n2HShjKn




26番札所から細道(墓地への参道)を北へ45m進む


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墓地の前(南端)の丁字路を右折し、細道を北北東へ80m進む







丁字路から北へ22m進み、つきあたりの丁字路を左折




北西へ20m下り、車道を横断。細道(墓地への参道)を北東へ102m進む。













大師堂

堂内にある再建寄進者芳名録には「大師堂 二十七番 建立 慶応二年(1866年)
二月吉日 再建 昭和五十二年(1977年)二月十三日」と記されている。

詳細は「民俗資料選集39(pp.157-159)を参照

「里庄町誌(p.130 昭和26年)」に「はたん堂 本村の湯の池の近くに十二片の菊花の紋章瓦を
つかつた大師堂がある。こゝは昔佐藤次若が奥州から来た時、持つてきた旗を埋めた
ところだとの云傳えがあり、「はたん堂」は「旗の」 no が n になつて
「はたん堂」と言うようになつたと思われる。」とある




本尊は木造如来坐像

両手首から先がないので特定困難

お腹の前で定印を結ぶ形(釈迦/阿弥陀/薬師)


 

十一面観世音菩薩立像(向かって左)

「廿七番 神峯」

里見四国27番神峯寺 (十一面観世音) <>
 竹林山 地蔵院 神峯寺 [ちくりんざん じぞういん こうのみねじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「みほとけの 恵みの心 神峯(こうのみね) 山も誓いも 高き水音」

地蔵菩薩立像(右)

台座「虚空藏菩薩」

『おん かかかび さんまえい そわか(地蔵菩薩)』

『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか(虚空蔵菩薩)』

https://goo.gl/maps/hfyo82q7H152


 




恵比寿様? 大黒様?

姿は大黒様で、神紋は恵美須様の神紋である三つ蔓柏








本村の荒神社

「棟札 平成十五年八月吉日 荒神社 再建 工匠 仁科◯◯」

https://goo.gl/maps/gDbS4MXHANx




石燈籠

「献燈」「施主 本村谷中」「天保六未(1835年)三月」




自然石の燈籠




珍しい花型の水溜




手水鉢

「本願氏子中 明治二十八年(1895年)八月建之
 *㔺話人(世話人) 藤井◯◯ 佐藤◯◯ 佐藤◯◯◯
 當番 佐藤◯◯◯ 藤井◯◯◯ 佐藤◯◯◯
 ◯當 ◯藤◯◯ 佐藤◯◯ ◯藤◯◯」




石鳥居




石鳥居の前から細道を東へ10m進し、丁字路を左折。




墓地への参道を北へ28m上る










大日如来坐像

「廿八番 大日寺」「施主◯◯ ◯◯◯◯」

里見四国28番大日寺 (大日) <>
 法界山 高照院 大日寺 [ほうかいざん こうしょういん だいにちじ]
 『おん ばざら だどばん』
 「露霜と 罪を照らせる 大日寺 などか歩みを はこばざらまし」

https://goo.gl/maps/fmwqQFguq1w

参道を南へ下って丁字路に戻る




「石散當」

石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)は
中国由来の魔除けの石碑。石敢当、泰山石敢當、石敢東、
石散當、石散堂、石厳當とも表記される。丁字路や丁字路の
つきあたりに置かれ、魔を散らす。沖縄県や鹿児島県に多い。

https://goo.gl/maps/axwVHmpz5Xv


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丁字路を左折して細道を東へ10m進み、右折して南へ41m進む




車道に出て左折し、湯ノ池北岸の車道を北東へ360m進む










県道434号線に出て右折し、東南東へ158m進む


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八幡池の前




高岡新池から高岡神社を望む

高岡神社の横に名木 「天狗松」があった

「里庄町誌(p.81 昭和26年)」を参照




石鳥居

「高岡*神社(神社)」「明治二十二年(1889年)」




里庄町指定文化財 絵馬伊勢参詣圖一面 附絵馬三面

里庄町歴史民俗資料館にある




石燈籠a(向かって右-前)

「奉寄進燈籠」

石燈籠c(同-後ろ)

「奉寄進燈籠」「元祿十天(1697年)丁丑八月吉日」
「田中儀左衛門」「右者*两(兩)施主祈願所」





石燈籠b(向かって左-前)

「奉寄進燈籠 田中儀左衛門重◯」「元祿十七甲申年(1704年)」「一?月十五日」

石燈籠d(同-後ろ)




石燈籠e(向かって右)

「奉獻」「天保十四癸卯年(1843年)」「七月吉日」
「生實氏」

石燈籠f(同左)

「奉獻」「嘉永六癸丑年(1853年)」「(月日は未確認)」
「赤木◯◯◯◯◯」







注連柱a

「吾許己呂(吾こころ)」「明治二十三年(1890年)九月上澣」
「須賀々々斯(すがすがし)」「願主 藤田富太郎義尚」




唐獅子(向かって右)

「奉獻」「*𫞕子(氏子)中」
「嘉永 五(1852年)子 八月 吉日」

狛犬(同左)

「奉獻」「*𫞕子(氏子)中」
「嘉永 五(1852年)子 八月 吉日」
「尾道住 石工勘十 ◯◯」

尾道の石工 嶋居勘十郎さんの作




百度石

「百度石」「大正十二年(1923年)十月◯◯」
「願主 山根◯◯◯」




手水鉢





拝殿




高岡神社(旧 八幡宮)

主祭神は應神天皇。旧社格は村社。

拝殿内に奉納絵馬多数あり

「里庄町誌(pp.46-47 昭和26年)」に「高岡神社 (由緒)当社は創立年月が詳かでないが、
祭神は應神天皇にして八幡宮と称し、神功皇后征韓の御帰路船泊りをせられた由緒と
傳えられている。二條天皇の保元三年(一一五八年)十二月二十日(もとの文に
二條天皇の養和五年十一月二日の大嘗会とあれど、養和元年(一一八一年)は
安徳天皇の代で、養和は二年で終つているから訂正した。)の大嘗会に、内藏権頭
善滋朝臣爲政の歌がある。 祝ひ子が *祈るもしろく 高岡の 社の神や 君をまもらむ
 慶長年間(1596-1615年)現在の地に移轉した。神職吉山氏の舊記によれば、
寛文六年(一六六六年)領主池田光政の寺社整理の際、当時*佛祖寺(佛祖寺)と称し
八幡宮別当たりし辻坊(俗名河田重守 元祿十四年巳(一七〇一年)十月十七日歿)が還俗して
吉山姓に改め、八太夫重守と名のり八幡宮の祀官となつた。其子が守定である。
 備中国浅口郡口林村八幡宮之祠官吉山斎宮源守定
恒例の神事参勤の時着風折烏帽子狩衣を神道裁許の*狀(状)如件
宝永三丙戌年(一七〇六年)七月二日
神祇管領長上從二位侍從卜部朝臣(花押)(吉山匡氏藏)
当社は弘化三年(一八四六年)八月の造營であつて、享保十二年(一七二七年)
八月再建の棟札がある。(吉山匡氏藏由緒による)
当社の〆鳥居に「吾許己呂須賀々々斯(わが心すがゝし)」とあるが、宮の丘に登り
前面の八幡池・新池・しゆんさい池・山王池を眺める時その心地がする。
一宝鏡 宝暦十辰(一七六〇年)八月十五日田中忠行寄進(田中貞雄氏藏「神社の記」)
例祭日 十月五日。氏子 高岡、別所、松尾、手ノ際、平井、殿迫 二二〇戸。
神職 宮司吉山匡。

一説に、源義経の四天王の一人、佐藤三郎継信は屋島の戰に主君の身代わりとなつて
戰死したが、後に其子佐藤三左エ門次若(寶治二年(一二四八年)二月十五日歿、
六十七才。佐藤氏墓地に五輪の塔がある。)は源將軍*賴朝(頼朝)を憚かつて
奥州しのぶの庄より池口に來りて土着し、源氏ゆえ男山八幡を今の高岡神社の
地に勧*請して家の鎭守として祀つた。其家に秘藏する源義経・佐藤忠信の古文書は
虫におかされて読みにくいが、「條々、壽永二年(1183年)二月八日 義経」
「元暦元年(1184年)五月廿五日、忠信、佐藤庄司殿」と書いてある。後世佐藤氏は
その社地を高岡に譲り高岡では高岡の産土神の山王様を移して八幡様と合祀し
今に至つたもので、元の山王原の地をふる八幡と称している。神功皇后
お船泊りの遺蹟は山王原の辺りであつたと。祭日御幸行の際にはまず佐藤氏を迎え、
本土手のお旅所・松尾の田中氏を経て還幸の古がたがある。
(佐藤次若の墓誌等による)」と記されている

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

備中誌 浅口郡(p.134 明治35-37年)」を参照

https://goo.gl/maps/gSWPH6J5GD82







注連柱b

「神徳」「昭和九年(1934年)五月吉辰」
「耿光」「願主 山根◯◯」

耿光(こうこう): ちかちかと輝く光。しんがかたく、堂々とした人がら。




日吉神社(山王様)

祭神は大山咋神と大己貴神(大国主神)
字 山王原から遷座







神庫?




石碑

「御列格記念 従四位子爵 久世章業」





本殿

本殿の向かって右から北参道を北東へ45m進む




石鳥居

「八幡宮」「元禄三年(1690年)癸午(以下判読困難)」

https://goo.gl/maps/HvXHP6rRdSp




高岡神社前から県道を更に東南東へ103m進む


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高岡新池の東端




高岡の道しるべ(地蔵菩薩坐像)

「右 西小坂 くわんおん(観音) 道
 左 かさを可(笠岡) こうの志ま(神島) 道」
「右 大川宮へ三十丁(約3272.7m)」

『おん かかかび さんまえい そわか』

西小坂観音道は小坂西の指田にある指田聖観音に至る観音道(道程は約3km)
神島道は神島四国霊場へ至る大師道(道程は瀬戸の渡し場まで約8.6km)

https://goo.gl/maps/Y1iMmZ5Vy5G2




指田聖観音(指田観世音)

本尊は聖観世音菩薩

https://goo.gl/maps/6foxjwsbigE2





懺悔庵

神島四国霊場巡拝の起点。本尊は地蔵菩薩。

https://goo.gl/maps/Ue1HAzuic3M2




大川神社(大川宮)

祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)

浅口市鴨方町益坂の山陽自動車道鴨方I.C. の東にある

https://goo.gl/maps/7vZuCifZoTk


道しるべの前から県道を東へ324m進む


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「←天草公園」の案内標識がある丁字路を左折し、北北西へ132m進む




自然石の燈籠

「明治十一(1878年)寅十月日 氏子中」

燈籠があるY字路から北北東(右)へ68m上る




鴨方往来










阿弥陀如来立像(堂内向かって左)

「三十番 土州一ノ宮」

里見四国30番善楽寺 (阿弥陀) <>
 百々山 東明院 善楽寺 [どどざん とうみょういん ぜんらくじ]
 『おん あみりた ていせい から うん』
 「人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな」

法界地蔵(堂内向かって右)

「法界」

『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/xu8GU3JJ2uF2








石鳥居

紀年銘未確認










地蔵堂

地蔵菩薩立像

『おん かかかび さんまえい そわか』







牛馬供養碑

「慶應元丑年(1865年) 奉供養牛馬◯◯昌 十一月日」




牛供養碑

「死牛」




四ツ堂(第三十番安楽寺)

昭和五十七年(1982年)四月再建




地蔵菩薩立像

『おん かかかび さんまえい そわか』

里見四国30番奥ノ院安楽寺

本四国の妙色山金性院安楽寺(真言宗豊山派)の本尊は阿弥陀如来

『おん あみりた ていせい から うん』




高岡の荒神社

昭和三十年(1955年)九月吉日再建

https://goo.gl/maps/REneLb8vnK62




荒神社から高岡新池の東端の道しるべの所まで戻る







鴨方往来(旧 浜街道)

「里庄町誌(p.72 昭和26年)」に「西國縣道 大正八年(1919年)九月道路法発布
 五階級となつた。西國縣道はもと浜街道といい、三等に属し岡山・*福山(福山)に
通じる。明治六年(1873年)当村の中部を貫通し、東は六条院西村界より
西小田郡絵師界まで、延長三十三丁(3.6km)余を改築した。明治三十九年(1906年)
三月縣道大原*清水川土橋の下手に新たに石橋を架し、ついで〃四十四年頃
字 一本木(隔離病舎下)の道路高低急勾配の個所を廢して更に位置をかえ、
延長二百三十間(約418.18m)の平直一線に改築した。また昭和六年(1931年)頃
天井川の土橋を石橋に改め、同所の直線道路をサイフオンとして天井川に添いて改修し
現在に至り、また今の農業協同組合前の道路も直線とした。」と記されている。

高岡新池の東端の丁字路を左折し、池の東岸を南西へ120m進む




高岡新池の南端







石殿

「明治十年(1877年) 高岡」「丁丑七月吉日 谷中」


千手観世音菩薩立像

「廿九番 土州 国分寺」

里見四国29番国分寺 (千手千眼観自在) <>
 摩尼山 宝蔵院 国分寺 [まにざん ほうぞういん こくぶんじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「国を分け 宝をつみて たつ寺の 末の世までの 利益(りやく)のこせり」

https://goo.gl/maps/4GQWYj5j68L2




山王中池と高岡新池の土手







五角柱地神

「天照大神」「少彦名命」「埴安姫命」「倉稲魂命」「大己貴命」
(南正面 時計回り)

https://goo.gl/maps/n1haC9zavWo




奉納石鉄山四十三度供養塔

「◯◯◯◯八月 奉納石鉄山四十三度供養塔 岡?田久兵衛」




29番札所前から南へ84m進む




山王中池の南端で右折




山王上池北岸を西へ104m進み、池の西端で左折




西へ127m進む







道しるべ

「右 かさ岡(笠岡) 左 あくら(寄島の安倉) ◯◯」

鴨方往来は向かって右へ下る道

https://goo.gl/maps/mxmHVW7bWU32


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