【新山走出西国三十三所観音霊場.6(関戸・新賀・長迫)】
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関戸観音堂(笠岡市関戸1177)
字 観音にある
「ふるさと よしだの史跡(p.21)」の笠岡八十八ヶ所四十七番関戸観音堂の項に
「最初、馬頭観音を観音山に安置する。貞享3年(1686)山麓に移転再建。
寛政9年4月(1797)吉日伊州八坂寺より阿弥陀如来を勧請して馬頭観音と合祀する。
天保11年(1840)観音堂再建(現在地)。」と記されている。
https://goo.gl/maps/gyFFn
新山走出西国29番 青葉山 松尾寺 [あおばさん まつのおでら] (馬頭)
『おん あみりとう どはんば うんぱった そわか』
「そのかみは
幾世(いくよ)経ぬらん 便りをば 千歳をここに 松の尾の寺」
阿弥陀如来坐像(向かって右から2番目)
「豫州 四十七番 八坂寺」
笠岡新四国47番八坂寺 (阿弥陀) <関戸観音堂>
熊野山 妙見院 八坂寺 [くまのざん みょうけんいん やさかじ]
『おん あみりた ていせい
からうん』
「花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け」
向かって右から3番目は地蔵菩薩坐像、4番目は地蔵菩薩立像。
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
観音堂前の十字路から細道を北西へ80m進む
七鍬池
「皇国地誌(「笠岡市史 史料編上巻(p.271)」)」には「新池」と記されている。
「東西弐十八間(約50.9m) 南北五十八間(約105.45m) 周回三町(約327.27m)」。
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.23)」、
「笠岡市史 第二巻(pp.416-428)」の関戸村と新賀村の水論の項を参照
七鍬池の脇堤の道を北西へ104m進み、右折して細道を北へ32m下る。
丁字路から北西へ65m進み、丁字路から車道を北西へ70m進む。
ソーラーパネルが横に設置されている丁字路を右折し、
墓地への参道を北北東へ48m進む。つきたありを左折して、北西へ15m上る。
笠岡新四国46番浄瑠璃寺 (薬師) <新賀の片山>
医王山 養珠院 浄瑠璃寺 [いおうざん ようしゅいん じょうるりじ]
『おん
ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし」
https://goo.gl/maps/ZHVcFcWSAXC2
本尊の脇に素焼きの仏像が多数奉納されている
丁字路に戻り、車道を南東へ65m進む。
丁字路を右折して南南西へ99m進み、十字路から南南西へ31m進み墓地の前へ。
墓地(笠岡市新賀161)
堂ノ下の地蔵堂と万人講供養碑
https://goo.gl/maps/GurSYyRu6QP2
地蔵菩薩立像
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
万人講供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)
「万人講 大正二年(1913)六月 施主 ◯◯◯◯」
十字路に戻り、左折して西北西へ68m進む。
十字路を左折し、南南西へ64m進む。つきあたりを右折し、西へ23m進む。
吉岡信元(在田軒道貞)の生家
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.22)」を参照
https://goo.gl/maps/6Ak6GxrK3o52
生家前から西へ64m進む
安養寺の鐘楼門
新賀小学の跡
「[新山施設顕彰碑] 新賀小学の跡 (明治十年~明治十六年)
山口(~12) 尾坂(~12) 関戸(~13)」
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.19)」を参照
新賀の蓮向山恵光院安養寺
高野山真言宗備中霊場第76番
安養寺については「伝えたいわがふるさとの文化財(pp.19-20)」、
「伝えたいわがふるさと(pp.155-157)」を参照
安養寺は昭和20年8月から9月にかけて神戸市立六甲国民学校6年女子25名の疎開児童を受け入れた。
笠岡市の疎開児童の受け入れについては「笠岡市史 下巻(pp.945-952)」を参照
本尊は阿弥陀・大日如来・不動明王
『おん あみりた ていせい からうん』
『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん』
安養寺の観音堂
備中国小田郡・後月郡・浅口郡三十三所観世音菩薩霊場第32番札所
本尊の魚籃観音は市指定の重要文化財
「いかばかり うれしからまし はちすには 向ふ心も 西へゆくらん」
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.20)」を参照
新山走出西国30番厳金山宝厳寺かもしれないが未確認
石燈籠
「奉寄進石燈籠」「◯◯三◯七月吉日」
https://goo.gl/maps/jwPnb97unJD2
観音堂の前
弘法大師坐像(向かって左)
「佛木寺 四十二番 講中」
笠岡新四国42番仏木寺 (大日/大師) <安養寺の境内>
一カ山 毘盧舎那院 仏木寺 [いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ]
『おん
あびらうんけん ばざら だどばん』
「草も木も 仏になれる 佛木寺 なお頼もしき 鬼畜人天(きちくにんてん)」
千手観世音菩薩立像(同右)
「四十三番 千手觀世音 明石寺」
笠岡新四国43番明石寺 (千手観世音) <安養寺の境内>
源光山 円手院 明石寺 [げんこうざん えんしゅいん めいせきじ]
『おん
ばざら たらま きりく』
「聞くならく 千手不思議の 誓いには 大盤石(だいばんじゃく)も かろくあげ石」
https://goo.gl/maps/6Cxbzpipp6A2
大峯山上廿一度供養塔
「*(釈迦如来の種子「バク」)奉供養大峯山上廿一度爲二世安樂(安楽)◯」
「◯◯◯◯◯◯寅七月」
六字名号碑(光明真言曼陀羅付き)
「南無阿弥陀佛」
「◯◯ 享保十二(1727年)龍集丁未 ◯◯◯浣◯◯◯
蓮行山 安養寺秀尊 本願主 中谷作次郎 中谷栄藏
同人*祖母(祖母) ◯井孫右衛門 ◯谷次郎右衛門
長廻與十郎 同◯彦三郎 總村中」
『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』
法界地蔵
「法界 享保廿年(1735年) 卯三月日」
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
奉唱光明真言百万遍供養塔
天保十三壬寅(1842年)
『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』
大日如来坐像(向かって左から2番目)
『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
奉慶讃法華經五千部塔
「*(釈迦如来の種子「バク」) 奉慶讃法華經五千部
寛保四(1744年)甲子 三月廿一日 誦經行者 慈正法師」
誦経(ずきょう)とは経文を声を出して唱えること
宝篋印塔a
「*(一字金輪仏頂の種子「ボロン」)」「寛政五年(1793年)癸丑三月」
塔身の正面(東)は阿しゅく如来の種子(ウン)
宝篋印塔b
「*(一字金輪仏頂の種子「ボロン」)」
塔身の正面(東)は阿しゅく如来の種子(ウン)
水子地蔵尊
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
荒神社
安養寺の境内の西にある
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.21)」を参照
安養寺前から西へ29m進み、十字路を右折して旧県道を北へ140m進む
新賀郵便局前
https://goo.gl/maps/P4afxE4VLZy
さらに北へ76m進む
旧県道48号線
「皇国地誌」には「矢掛往還 三等ニ属ス 北山口村界ヨリ南関戸村ニ至ル
長サ三町(約327.27m)幅弐間(約3.64m)」と記されている
向かって右は新山村役場跡(笠岡市山口1549-1)。
新山村役場は後に現在の晴れの国岡山農協 笠岡北支店がある所へ移転した。
松岡薬局の北にある十字路を右折
万人講供養碑(兼道しるべ)
「亡牛万人講供養」「東 鴨方道 西 新山駅」「施主 安藤吉一」
井原笠岡軽便鉄道(井笠鉄道)の笠岡-北川-井原間が開業したのは大正2年(1913年)
https://goo.gl/maps/NVqFAU6LRjJ2
供養碑前の十字路から西へ41m進む
笠岡新四国69番奥の院の大師堂
https://goo.gl/maps/Ccg2GpWnQPH2
大師堂前から西へ47m進み、十字路を右折
山口村役場跡・遠来学舎・杏月堂
向かって右の道は松山往来(笠岡往来)
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.62)」を参照
十字路に戻り、北西へ110m進む
Y字路を西(左)へ27m進み、右折して県道168号線の下を通り抜けて北へ48m進む
雁名橋(がんなばし)
名所橋とも呼ばれている。近江八景に擬えた「新山八景」の中心的な場所。
「新山八景」とは
(1)「清らかな(尾坂川の)流れ」
(2)「古風なこの橋の姿」
(3)「阿部山の夜明け」
(4)「政所山の松の大古木」
(5)「全山岩石を積み上げたように峨々として聳える岩目山」
(6)「その下に満々と水を湛える岩野池」
(7)「遙かな吉備高原を背景に、白壁も鮮やかな明王院、持宝院、長福寺(刻の鐘)」
(8)「西山の夕日」
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.15)」を参照
https://goo.gl/maps/nLcLuigMHhw
雁名橋の南にあるのは新賀歩道橋(2010年11年竣功)。
その奥に架かっているのは県道16号線の新賀橋。その奥に県道48号線の三号橋がある。
雁名橋(名所橋)付近から見た諏訪山
新吉中学校の南にある丘(標高70m)が諏訪山。新吉中学校の辺りが字 大間(だあま)。
中学校の後ろに聳えるのは校歌に唄われる龍王山(267m)。
村上氏の軍は諏訪山城を攻め落とした後、山口村に攻め入って北進し、
萌黄ヶ原で小田氏の軍と刃を交えた
https://goo.gl/maps/buJPscNrz5p
諏訪山の月
役場跡の十字路に戻り、右折して松山往来(笠岡松山道)を南へ157m進む
十字路の南(笠岡市新賀318-4)
道しるべ(北面)
「南 かさをか(笠岡)道」
牛供養碑
「亡牛 供養 施主 安藤◯◯」

道しるべ(東面/南面)
「左 関戸大し(大師) た満(ま)しま(玉島) 道」
「右 や可げ(矢掛) 井原 寿(す)ぐ た可屋(高屋) 道」
関戸大師は関戸にある笠岡新四国霊場のこと
玉島道は新賀→尾坂→鴨方→金光→玉島へ至る道(東へ進む)
矢掛道は新賀→山口→走出→小田→矢掛へ至る道(北へ進む)
笠岡道は新賀→関戸→吉田→小平井→笠岡へ至る道(南へ進む)
高屋道は新賀→長迫→大井→稲倉→大江→高屋へ至る道(西へ進む)
「すぐ」は「まっすぐ進む」の意味。つまり東(玉島道)から来た人用の案内。
よって反時計回りに90度回転させると正しい案内表示となる。
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.16)」を参照
「御登極記念 小田郡誌(p.86 大正13年)」に「本村(新山村)の殆んど中央を
縦貫せる三等縣道あり。其の延長一千五百九十二間(2,894.55m)にして、
矢掛・笠岡間往還の要路なり。此の外 高屋往來、井原往來、鴨方往來等
皆一等里道にして交通上重要なる位置を占む。」とある
https://goo.gl/maps/oMEeL4dmeWn
道しるべの前の十字路からさらに南へ78m進む
新賀の常夜燈
「金毘羅大權現 吉備津大明神」「文化十二年(1815年) 八月日」「本郷若連中」
「世話人 ◯◯◯◯◯ 安藤◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.23)」を参照
https://goo.gl/maps/WhSKutTEtwr
常夜燈前の十字路を右折し、南西へ112m進む
沖の常夜燈(笠岡市新賀354)
「大峯山上大權現 兩講中 文化十三年(1816年) 十二月吉日」
大峯山上大權現とは役行者(役小角)のこと。
『南無神変大菩薩』
https://goo.gl/maps/GYGgk3Z5RFN2
正面(西)に新賀の産土神様である宇名大明神跡がある。
以前は尾坂川を渡る橋が架けられていたが、現在は掛樋のみとなり、通行不可。
沖の常夜燈前の十字路から西へ84m進む
丁字路を左折して県道48号線を南南東へ155m進む。
変則十字路を右折し、西南西へ117m上る。
つきあたりの丁字路を右折し、北西へ92m上り丁字路を左折。
新賀霊苑の駐車場への道を西へ15m進んで左折し、東南東へ15m進む。
向原の疫神社(笠岡市新賀470-1)
向原地区の新賀霊苑の横にある
https://goo.gl/maps/nESJVgyrphR2
新賀霊苑前の丁字路に戻り、左折して北へ112m下り、
向谷池の西にある倉庫の横で左折。墓地への参道を南西へ83m進む。
向原と向谷の間にある宮ノ後(みやのごう)の墓地(笠岡市新賀511)
十一面観世音菩薩立像(向かって左)
「◯◯◯ 十一面觀音 ◯◯◯」
弘法大師坐像(同右)
「*(胎蔵界大日如来の種子「ア」)」
「施主 新賀 安藤團?一郎 笠岡 駒口韋平」「◯◯◯年三月」
笠岡新四国44番大宝寺 (十一面観世音/大師) <>
菅生山 大覚院 大寶寺 [すごうさん だいかくいん だいほうじ]
『おん まか
きゃろにきゃ そわか』
「今の世は 大悲の恵み 菅生山(すごうさん) ついには弥陀の 誓いをぞ待つ」
https://goo.gl/maps/d3cBfLxsqiz
参道を下って倉庫の所まで戻り、左折して北東へ131m下る。
つきあたりの丁字路を左折し、南へ42m進んで左折。
宇名大明神跡の石燈籠(笠岡市新賀640-4)
「獻燈」「天保十二(1841年)辛丑」「五月日立之」
石鳥居は海神社へ移転
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.22)」を参照
https://goo.gl/maps/T73Low4XquQ2
五角柱地神
「天照大神(あまてらすおおみかみ)」「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」
「大地主命(おおとこぬしのみこと)」「少彦名命(すくなびこなのみこと)」
「埴安媛命(はにやすひめのみこと)」(東正面時計回り)
北へ95m進む
墓地への参道(笠岡市新賀長狭物不明-651)を北北西へ20m程上る
笠岡新四国45番岩屋寺 (不動) <向谷>
海岸山 岩屋寺 [かいがんざん いわやじ]
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ
まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん』
「大聖の 祈る力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある」
https://goo.gl/maps/nH6eeQgPBFL2
地蔵菩薩立像
「*(地蔵菩薩の種子「カ」)」
台座「四十五番 岩谷山」
不動明王立像
台座「法界」「寛政二戌年(1790年) 今月*𫝆日(今日)」
「施主 中谷◯次良」
地蔵菩薩立像と不動明王立像
左右の本尊と台座が入れ替わっている
『おん かかかび さんまえい そわか』
地蔵菩薩坐像
『南無地蔵大菩薩』
車道に戻り、左折して北へ40m進む
地蔵峠(じぞうだわ)
笠岡市新賀 長狭物不明-647
https://goo.gl/maps/RtMAptqJFd32
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.17)」を参照
地蔵峠の入り口から北西へ75m上り、丁字路を右折
墓地への参道を北へ37m上って左折
吉岡信元(在田軒道貞)の墓(笠岡市新賀664)
https://goo.gl/maps/wjC5oKMa6aU2
参道下まで下って左折し、峠道を北西へ40m程上る
丁字路を左折して西へ40m進んで右折
石燈籠
「奉燈」「嘉永七寅歳(1854年) 霜月◯◯日」
石鳥居の前にある
石鳥居
「妙見宮」
妙見宮(笠岡市新賀619)
『南無妙見大菩薩』
https://goo.gl/maps/X78Nj4yWPRH2
手水鉢
「嘉永七寅年(1854年) 十二月吉日 遠藤新之◯」
石碑
「最上位経王大菩薩 明治十二卯年(1879年) 五月吉良日 講中」
社殿の向かって右後ろにある。最上位経王大菩薩は最上稲荷の本尊。
『南無妙法蓮華経』
石燈籠(向かって左)
「献燈」「嘉永四歳(1851年)亥十一月吉日」「願主 ◯◯◯」
石燈籠(同右)
「奉燈」「安政三辰(1856年) 十月吉日」「願主 ◯◯◯◯」
峠道に戻り、左折して峠道を北西へ40m進む
十字路を左折して車道を南西へ620m上る
山之池(笠岡市新賀1827)
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.14)」を参照
「皇国地誌(「笠岡市史 史料編上巻(p.271)」)」には「東西壱町(約109.09m)六間(約10.9m)
南北三十間(約54.55m) 周回三町(約327.27m)弐十間(約36.36m)」と記されている。
https://goo.gl/maps/pKU1mqGcBC12
山之池の本堤前から155m進む
笠岡市営農センター跡(笠岡市新賀1825-7)
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.14)」を参照
https://goo.gl/maps/v9RY5m3Mv622
峠道の十字路まで下り、左折して峠道(道-135→道-134)を北西へ190m程進む
明傳講(みょうでんこう)の小社(笠岡市新賀745-1)
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.5)」を参照
https://goo.gl/maps/kTeoAekyJC32
小社の前から北西に30m進み、県道37号線を横断して海神社の境内へ
社号標
「*海神社(海神社)」「支那事變從軍 寄進 鶴井 尚」
手水鉢
「明治三(1870年) 午◯◯月吉日 奉献 長迫 ◯廻 若連中」
石燈籠
「献燈」「嘉永二年(1849年)酉八月吉日」「長廻谷氏子中」
唐獅子と同じ年に奉納
百度石
「日露役從軍報賽 百度石」
「勲七等 中山喜彦 勲七等 安藤悦夫 勲八等 安藤美代三郎
勲八等 安藤本一 勲八等 安藤那三郎 勲八等
安藤彌右エ門」
新山村出身の日露役従軍者については「小田郡誌 下巻(pp.348-349)」、
戦病歿者については「小田郡誌 下巻(pp.337)」を参照。
艮神社の石鳥居
「艮神社」「明治十二年(1879年)卯九月吉日建之」「氏子中」「石工 小阪東村 徳永哥吉」
艮大明神は新賀の産土神様。
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.6)」を参照

唐獅子
「奉獻」「嘉永二(1849年) 歳次己 酉秋九 月良辰 謹而建 焉」「本郷若連中」
宇名大明神の石鳥居
「大明神」「宝永五(1708年)戊子十一月吉日」
宇名大明神も新賀の産土神様
注連柱
「長履?神徳」「上長迫盛登社建」
「至於係?年」「明治丗五秊(1902年)仲秋」
石燈籠(向かって右)
「文化七(1810年)午十二月吉日」「丑寅宮夜燈」「氏子中」
火袋と中台なし
海神社(わだつみじんじゃ)
笠岡市新賀1688-1
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.6)」を参照
https://goo.gl/maps/vo2poFgbx4A2
本殿
善覺神社
大之平から遷座。海神社の拝殿の向かって右前にある。
新賀八幡神社
海神社の拝殿の向かって左前にある
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.16)」を参照
https://goo.gl/maps/TMBhiyyfN3P2
手水鉢
疣神様
八幡神社の向かって左にある。
疣神様の後ろから脇参道を北西へ30m程下る
新賀小学校跡
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.7)」を参照
https://goo.gl/maps/Er8wA8S44iS2
石碑
「[新山史跡顕彰碑] 新賀小学校の跡(明治十六年~明治三十一年
明治二十三年から新山小学校宮之脇支校)」
脇参道をさらに北西へ70m下り、車道に出て左折。
南西へ390m進んで変則十字路を左折し、南東へ71m上る。

十字路
広域農道(県道377号線)を横断し、墓地への参道を南東へ15m程進む

新山走出西国31番 姨綺耶山 長命寺 [いきやさん ちょうめいじ] (千手・十一面・聖)
『おん ばざら たらま きりく/おん まか
きゃろにきゃ そわか/おん あろりきゃ そわか』
「八千年(やちとせ)や 柳に長き 命寺(いのちでら) 運ぶ歩みの かざしなるらん」
https://goo.gl/maps/aBTkL
聖観世音菩薩立像「丗一番 てうめい寺」
31番札所前から県道を横断して変則十字路に戻り、左折して西南西へ685m進む。
Y字路から長迫沿いの脇道を南西へ40m進む。
新山走出西国32番繖山観音正寺と新山走出西国33番谷汲山華厳寺は未確認
疫神社前の神楽橋横の牛供養碑群(笠岡市新賀2208)
牛供養碑群の向かって左にかつて荒神堂があった
神輿の休み所、走出薬師へ行く時の休み場所であったという
「民俗資料選集39(p.45)」を参照
西国32番はここにあったのかも
https://goo.gl/maps/JVL8I
供養塔
「*(不動明王の種子「カンマン」) 奉供養石鎚大峰参十三度修行」
「明治丗二年(1899年)四月吉日建之 大先立大壽院一僧祇大景村造」
「大先立」は「大先達」のこと?
向かって左から
万人講供養碑a(地蔵菩薩坐像)
「◯人講」
万人講供養碑b(地蔵菩薩坐像 + 牛)
「大正三年(1914年)九月二?日」
明治9年1月調の「皇国地誌(「笠岡市史 史料編上巻(p.270)」)」には
「牡牛三頭 牝牛四拾七頭惣計五拾頭 馬ナシ」と記されている
万人講供養碑c(地蔵菩薩坐像 + 牛)
「昭和八年(1933年) 九月八日」「万人講」
「世話人 西之迫 飼主 国定繁太郎 仝 幾三郎」
神楽橋
「神楽橋」「かぐらばし」「昭和十二年(1937年)七月」「氏子中」
石燈籠
「獻燈」「昭和十二年八月」「神戸 *㝎平(定平)四郎一」
県道を横断して疫神社の境内へ
一の石鳥居(荒神社の石鳥居)
「荒神社」「万延元(1860年)申四月吉日」「氏子中」
二の石鳥居(疫神社の石鳥居)
「疫神社」「天保七(1836年)丙申八月吉日」
柱に刻まれている紀年銘は表裏両面にある(裏側は判読困難)
手水鉢
「組中」
五角柱地神
「*(金剛界大日如来の種子「バン」) 天照大神」「倉稲魂命」
「◯地主命(大地主命)」「少彦名命」「埴安媛命」(南正面時計回り)
https://goo.gl/maps/ff2Nf1LoMv62

唐獅子
「奉」「獻」「○○拾一年一月一日」
疫神社(やくじんじゃ)
笠岡市新賀2151-1
江戸時代、当地に疫病が流行した際に鞆の祇園宮(現在の沼名前神社)から勧請したと伝えられている。
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.9)」を参照
https://goo.gl/maps/ihEW1FxUMRy
本殿
三宝荒神社
疫神社の本殿の向かって左にある。
三拍手一礼して般若心経を唱えた後、『おん・けんばや・けんばや・そわか』を七反唱える。
石燈籠
「三宝大荒神」「氏子中」「天保十一年(1840年) 子七月吉日」
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.10)」を参照
https://goo.gl/maps/1q3iSGTarp22
自然石の燈籠
「金毘羅權現常夜燈 文政五天(1822年) ○四月日 ○○○」
荒神社の後ろにある。
『南無金毘羅大權現』『おん くびらや そわか』
疫神社から広域農道(県道377号線)に戻り、左折して東へ221m進む。
ビューティーハウスモアの前の十字路を左折し、南へ48m上る。
左折して細道を南東へ21m進んで右折し、北東へ36m進んで右折。
大之平への山道を南東へ230m程上る。

馬乗観音の石殿(向かって左)
上長迫の西之迫から大之平へ上がる山道の途中にある。
馬乗観音は馬乗山(標高約500m)の山頂にある馬乗観音堂
(福山市山野町大字山野2815)内に 祀られている
木造十一面千手観世音菩薩立像のこと。子授け・子宝の観音として知られる。
『南無大慈大悲観世音菩薩』
https://goo.gl/maps/8enLKgrbcsP2
山道を東へ150m程上り、右折して南へ270m程上る
皇子様
https://goo.gl/maps/3pbsSjoYsKp
皇子様の前から南東へ10m程進む

脇仏2体は地蔵菩薩立像
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
観世音菩薩立像?
頭頂に化仏があるので聖観世音菩薩かもしれない。
「ふるさと よしだの史跡(p.5)」には「大の平の乳神さま」と記されている。
https://goo.gl/maps/nFUjuCKpfzq
「ふるさと よしだの史跡(p.5)」には「大の平の観音さん」についも記されている。
鶴藤園芸本宅の林の中にあるらしい(未確認)。
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尾坂 画像集.1/尾坂_画像集.2
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