【尾坂の霊場巡り.1】


尾坂 画像集.1尾坂_画像集.2

新山走出西国三十三所観音霊場

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尾坂池完成記念碑

「尾坂池完成記念碑 岡山県知事 加藤武徳 書」

「堤高 24.6M 堤長 183.8M 堤敷巾 135.0M 満水面積 128,720M*2 貯水量 1,038,945M*3

 用水路 延長9,991.3M 受益面積 470.0ha 着工 昭和39年7時 しゆん功 昭和41年3月 事業費 435300千円 

  尾坂池土地改良区 理事長 小野 博」

1966年竣功。

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.45)」を参照。

https://goo.gl/maps/UdgDyxWjc2R2




登山案内図

尾坂池の堤体の北端から大谷を通って龍王山へ、南端からさくらの丘を通って妙見山へ登る




櫻の園

尾坂池北岸にある




尾坂池の堤体の上から見た関戸

向かって左の道を西へ328m進んで関戸橋を渡り、
さらに西へ410m進むと境橋南詰で松山往来(笠岡往来)に出る。

左折して旧県道を南へ1.51km進んでY字路を右折し、西へ116m進むと吉田駅。
中央の道(玉島往来)を北西へ1.02km進むと山口村役場跡の前で松山往来(笠岡往来)に出る。

さらに北西へ200m進んで雁名橋を渡って右折し、県道48号線を北へ300m進むと新山駅。




尾坂ダムの堤体の下(西)にあるY字路

向かって右に進むと井笠鉄道の新山駅、左に進むと吉田駅。

https://goo.gl/maps/E7Wf8n4XfDQ2




牛供養碑兼道しるべ(地蔵菩薩坐像 + 向かい合う牛2頭)

「右 新山駅 左 吉田駅」
「昭和廿ニ年(1947年)九月十九日 牛供養 施主 藤井芳太」




尾坂池(2016~2017年冬季)




堤体




取水設備はメンテナンス中







満水時




岩崎下池

尾坂池建設によって岩崎上池と共に底に沈んだ池。

岩崎池が作られたのは慶長年間(1596-1615年)。

「ふるさと よしだの史跡(p.22)」を参照。

「皇国地誌(「笠岡市史 史料編上巻(p.415)」)」には

「東西四十五間(約81.82m) 南北三十一間(約56.36m)

 周回百四十六間(約265.45m)」と記されている。


https://goo.gl/maps/CEZPDamfRW32




下池の南端

https://goo.gl/maps/2RwAe4ovu1M2

下池の西にある本堤の上を北へ進む





本堤の長さは50m程




下池の吐水口

本堤の北端にある

https://goo.gl/maps/hY7n9iuJvw42




尾坂川




下池の北にある脇堤の上を東北東へ進む




下池の南岸




岩崎

尾坂池側の字名を岩崎、山側の字名を岩角という。
玉島井原道(玉島往来)は尾坂川北岸を通っていた。




三代目岩崎の松(2016年末)

岩崎の県道168号線沿いに3本の松が植えられている。

初代は岩崎池の堤に植えられていたが明治時代に枯死。

https://goo.gl/maps/kANniJbAG1q

「ふるさと よしだの史跡(p.22)」に「在りし日の岩崎の松」と題した

挿絵がある。これは岩崎の松の解説板の挿絵とは異なり、

岩崎下池の脇堤と洪水吐、尾坂川、松の下の祠等も描かれている。

尾坂川北岸の玉島往来から描いたものと思われる。




県道から見た初代岩崎の松の跡

上池と下池の脇堤の境にある円形の窪みが切り株跡と思われる。

記念碑の南西73mの所。




岩崎の松の解説板




記念碑

「二代目岩崎之*柗(松) 関戸尾坂有志 明治維新百年記念 昭和四十三年四月七日植樹」

二代目岩崎の松は昭和43年(1968年)に明治維新百年を記念して

この場所に植えられたが、平成21年に枯死。




歌碑

「すゑ遠き 千世のかけ(陰)こそ久し けれまた(まだ)二葉なる いはさき(岩崎)の松 宇亭書」

「三代目 岩崎の松 植樹記念 続後撰和歌集 賀歌 前中納言経光の歌碑

 新横島の書家 楠戸宇亭氏 揮毫 平成二十二年四月吉日 岩崎の松 保存育成会」

「小田郡誌 上巻(p.83)」には續松葉和歌集の歌として記されている。

「末遠き 千よの陰こそ 久しけれ また二葉なる岩崎の松」

前中納言経光(広橋経光 1213-1274年)の号は勘解由小路。

歌碑は三代目岩崎の松が植えられた平成22年(2010年)4月に建立されたもの。

画像は2014年当時のもの。







初代岩崎の松があった場所から西の眺め

下池の脇堤の長さは83m程

https://goo.gl/maps/LskaK1epLT32




下池の洪水吐

https://goo.gl/maps/zLfEzbaMCjm




岩崎上池

「皇国地誌(「笠岡市史 史料編上巻(p.415)」)」には

「東西八十四間(約152.72m) 南北三十二間(約58.18m)

 周回弐百十八間(約396.36m)」と記されている。

https://goo.gl/maps/WDQkU9kziD92










上池の東端の流れ込み付近




上池の北にある脇堤の東端

上池の脇堤の長さは145m程。黄色のラインは玉島往来。

https://goo.gl/maps/54psxDGSJQy




上池の西の本堤の南端




上池の本堤の長さは65m程







上池から下池への流れ込み

https://goo.gl/maps/e8TrtW6KUs12




畑跡なのか宅地跡なのかは不明。水没した家屋は12戸。

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.45)」を参照。






岩崎下池から南へ上って尾坂池南岸の周遊路に出て右折





尾坂池南岸の八重桜

https://goo.gl/maps/U5aDbN54Fg62




妙見山




尾坂池さくらの丘

「尾坂池さくらの丘 昭和48年11月造園 笠岡市」

https://goo.gl/maps/Jn59n8Bb5AT2




さくらの丘から見た龍王山

ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラ、ユキヤナギ、あせび等々










尾坂池の堤体北端に戻り、右折して県道を南東へ152m進むと岩崎の松。
そこから東北東へ157m進む。




あしひの歌碑(米澤千明歌碑)

「寂かなるこの 明るさや 房にたりし あしひ(あしび)能(の) 花は 音もなくちる 千秋」

「千明米澤氏 明治三十年九月七日ヲ以テ尾坂ニ生ル 生涯

ヲ教育ニ専ラニシタレト マタ少ヨリ文学ヲ好ミ 特ニ短

歌ニ心を凝ラシ 水甕社同人時ニ随ヒ佳作ヲ連ラネテ人

ノ情ヲ揺ルカス 昭和四十九年師カ身上叙勲等慶事ヲ重

ヌ コゝニ歌友弟子筆百二十相議リテ歌碑ヲ建立シ以テ

寿像ニ代ヘントシ遂ニ各位ノ援助ト普キ芳志トニヨリ

師カ謙抑ノ辞ヲ排シ師カ自選自筆ノ一首ヲ得テ石ニ刻

シ以テコノ路ノ傍ニ鎮メ幕ヲ愛孫ノ手ニ除ク 行人立

寄リテ仰カハ口吟モテソノ心ヲ慰セ       .

昭和五十年秋十一月 建立世話人 高木甲一 中野 勇

                中山正英 山部 明

           造立造園奉仕者 井原市佐能松園」

歌人の米澤千明氏(1897-1973年)については

「笠岡市史 第三巻(pp.750-753)」を参照。

https://goo.gl/maps/S3woWsTro5B2





石碑

「あしひの歌碑を 賛ふ  風寒き 湖面に影を落して 立てる歌碑

 岩崎の庖丁風を まともにうけて 凛然と 碑は立てり

 岩崎の松と並ひて 立つ あしひの歌碑 永久に栄ゆく 尾坂の郷の象徴

 丁巳立春の日 龍」

あしひの歌碑のとなりにある。丁巳は昭和52年(1977年)のこと。





あしび=アセビ(馬酔木)




吉田小学校創立百年記念植樹の石碑

「吉田小学校創立百年 記念植樹 緑の募金交付金事業 平成十一年十月吉日」

尾坂池さくらの丘にある。石碑の横に植えられているのがあしび。

https://goo.gl/maps/wwcqi4ZVWc92

歌碑の前から東北東へ10m進んで右折







紅葉の木の下




牛供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「*(地蔵菩薩の種子「カ」) 四十三年(明治43年=1910年)◯月」

「亡牛菩薩 施主 森田◯◯」

https://goo.gl/maps/Gx4ayMvXFr22




県道168号線をさらに東へ255m進む







関戸と尾坂の境




大師堂(立江寺)

2015年1月改築

https://goo.gl/maps/6CCWL7nUUrq




地蔵菩薩坐像(向かって右)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

弘法大師坐像(同左)

『南無大師遍照金剛』

台座

「十九番 立江寺 本尊地蔵菩薩」

四国19番立江寺 (延命地蔵) <>
 橋池山 摩尼院 立江寺 [きょうちざん まにいん たつえじ]
 『おん かかかび さんまえい そわか』
 「いつかさて西の住まいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の舟に乗りていたらむ」




大師堂の前から東南東へ213m進む


**********************************************************************************

尾坂村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.409-412) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小廿七区村誌(明治9年編)」を参照




尾坂のバス停の西にあるY字路から左(東)へ100m進む。
バス停に自動販売機(飲料・卵)あり。




西之谷公會堂前の丁字路を左折して北へ48m上り、左折して西へ22m進む。
つきあたりを右折して北へ6m進み、左折して西へ12m進んで右折。




西の谷の墓地への参道を北へ12m上り、右折して16m進み、左折して北へ60m上る




地蔵堂




五輪石塔群

地蔵菩薩像3体

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/vRoxGfo4C8k




公會堂前まで戻り、左折して東へ23m進む




西之谷公會堂の裏(東)




石橋再造碑

「石橋再造 人夫合力 村中一同 施主 佐藤利吉 同 庄八
 西山岩吉 石井幸介 高田惣右エ門 同 馬介 同 玉右エ門 坂本爲藏」

「嘉永五(1852年)壬子三月吉日◯◯ 」

「ふるさと よしだの史跡(p.23)」を参照

https://goo.gl/maps/KRXDxrfjhVB2




万人講供養碑a(向かって左)

「牛魂安鎮処 万人講」「昭和三十一年(1956年)五月十八日 川上四郎平」

万人講供養碑b(地蔵菩薩立像 + 牛)

「爲丑」




千手観世音菩薩立像

「千手觀音」「願主 佐藤庄八」「天保五午年(1834年) 三月吉日立」

石橋再造碑前からさらに東へ30m進む




西の谷の川上商店前の丁字路

https://goo.gl/maps/ckP73oRcUcR2




西の谷の道しるべ

「西 ゐはら(井原) やくし(走出薬師) 道」「東 かもがた(鴨方)道」
「北 どうまん(道満)」「大正元年(1912年)十一月 佐藤捨松立」

玉島→金光→鴨方→尾坂→新賀→山口→走出→井原

「ふるさと よしだの史跡(p.23)」を参照

川上商店前から車道を北東へ308m上る




尾坂乗合タクシー(岡林)乗り場

消火栓とゴミステーションがある丁字路を左折

https://goo.gl/maps/D9rEt9v6WkR2




北北西へ63m上って右折




尾坂小学校跡(明治12年7月~大正14年12月)

「ふるさと よしだの史跡(p.23)」を参照

https://goo.gl/maps/EriSH3ozSrB2

小学校跡の前からさらに北北西へ21m上る




丁字路を左折し、細道を南西へ45m進み右折




参道を北へ17m上る




観音堂

手水鉢

「獻納」

https://goo.gl/maps/UbUy8zWy1WU2




木造聖観世音菩薩立像

『南無大慈大悲観世音菩薩』『おん あろりきゃ そわか』




細道に戻り、右折して南西へ37m進み、南へ38m下る




右折して山道を北北西へ160m上る。竹藪の中は通行困難となっている場合あり。

















焼山寺御籠堂

昭和59年の修繕工事費寄進者芳名録には尾坂全地区の寄進者の銘

(西の谷組14人、岡林組14人、向井山崎組19人、道万組4人、

大師組23人、荒神組15人、仁後組19人、亀居組11人等)が記されている。

https://goo.gl/maps/KKVvfQk1RKv




御籠堂前から北へ10m程進む




虚空蔵菩薩堂(焼山寺)

棟札「*(虚空蔵菩薩の種子「タラーク」) 奉再建虚空藏菩薩堂 四國第十二番 焼山寺遥拝所 壹宇

 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯成◯◯」

https://goo.gl/maps/Ad7UifryDYq




虚空蔵菩薩立像(中央)

「十二番 焼山寺」

「施主 ◯澤◯◯◯ 石井◯◯ 高田良◯ 石井吉◯ 高田◯◯ 同 源三郎 石井助之◯」

「ふるさと よしだの史跡(p.24)」には「側面に天保3壬辰(1832)

6月吉日と記されている」とある。

台座の左右の側面に6名ずつ施主の名前が刻まれている。背面は未確認。

弘法大師坐像(向かって左)

「施主 中野長右衛門 同 房右衛門 佐藤鶴之助 植田◯之丞

 坂本元右衛門 中野惣左衛門 石井多十郎」

台座の左右の側面に6名ずつ施主の名前が刻まれている。背面は未確認。

馬供養碑(地蔵菩薩立像 + 馬)

「為亡馬 岡林竹八」

四国12番焼山寺 (大師/虚空蔵) <>
 摩廬山 正寿院 焼山寺 [まろざん しょうじゅいん しょうさんじ]
 『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
 「後の世を おもえば恭敬(くぎょう) 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」

尾坂乗合タクシー(岡林)乗り場まで戻り、北東へ39m上る







向井の石造地蔵菩薩(地蔵菩薩立像)

「ふるさと よしだの史跡(p.24)」には「天保十二(1841)辛丑暮春と記されている」とある。

「天保十二」より下の部分は判読困難。


花筒(向かって左)

「奉納 道路紀念 大正四年(1915年) 坂本◯◯ 佐藤◯◯」

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/fkNsgsep4ES2

地蔵菩薩の前から車道を北東へ874m上る








(有)石井設備の南で左折して石段を西へ7m程上る




弘法大師坐像(向かって左)

「奉納百八十八ヶ所 西國秩父 坂東四國」

百八十八ヶ所とは西国観音霊場三十三ヶ所、秩父観音霊場三十四ヶ所、

坂東観音霊場三十三ヶ所(百観音)と四国霊場八十八ヶ所のこと。

千手観世音菩薩立像?(同左)

『おん ばざら たらま きりく』

弘法大師坐像(中央)

『南無大師遍照金剛』

https://goo.gl/maps/wYaZFFsnYwq

(有)石井設備前から車道を北東へ610m上る




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