【笠岡新四国八十八ヶ所霊場の画像集.10(関戸・新賀)】

(旧笠岡西国・旧笠岡坂東・旧笠岡秩父観音霊場等を含む)




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関戸


関戸村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.412-416) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小廿七区村誌(明治9年編)」を参照




旧県道から大師道に入り、北へ106m進む(案内看板あり)

https://goo.gl/maps/khZLp4y71rv




関戸の札所順路図




関戸八幡神社の西にある丁字路




地蔵菩薩坐像?坐像?

「土州 延光寺 薬師如来 三十九番 森田四郎 石田金一」

笠岡新四国39番延光寺 (薬師) <>
 赤亀山 寺山院 延光寺 [しゃっきざん てらやまいん えんこうじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「南無薬師 諸病悉除(しつじょ)の 願こめて 詣る我が身を 助けましませ」

https://goo.gl/maps/b1RxRZtDpAu







薬師如来坐像

「豫州 四十番 觀自在寺」「寛政九巳天(1797年)」「四月吉日」

笠岡新四国40番観自在寺 (薬師) <>
 平城山 薬師院 観自在寺 [へいじょうざん やくしいん かんじざいじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「心願や 自在の春に 花咲きて 浮世逃れて 住むやけだもの」

https://goo.gl/maps/69rG75t2tKz




万人講供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講」


 

大師道の道しるべ

「右 大師道」「左 まつ山(備中松山) やかけ(矢掛)」




40番札所前から八幡神社へ上がる






一の石鳥居

「八幡*神社(神社)」「天保四(1833年)巳九月吉日」

自然石の燈籠

「嘉永元申(1848年)十二月日 奉獻 氏子中」




手水鉢a




二の石鳥居


石燈籠ab

「常夜燈」「文化九申年(1812年) 八月吉祥日」




二の石鳥居の銘文

「八幡宮」「村中*𫞕子(氏子)十二◯◯等 壬午元禄十五年(1702年)
◯月吉祥日 庄屋 竹本吉左衛門◯◯ 神主 藤◯◯◯◯◯」

「御登極記念 小田郡誌(p.84)」に「四條天皇の御宇仁治三年(1242年)八月の
勸請にして、降つて享保八癸卯年(1723年)時の領主竹本吉良左衛門の崇敬により
再三*社殿(社殿)の建立あり。是より以前*元禄(元禄)十五年壬午年
同鳥居寄附建立棟札現存冩略之。」と記されている

「小田郡誌 上巻(p.568)」に関戸村の村役人として
「元禄十三 - 元文五 吉郎左衛門」の名が記されている




関戸八幡神社の沿革

「沿革 仁治三年(西暦一二四二年)八月八幡山南麓ニ勧請ス
享保八年(西暦一七二三年)領主竹本吉良左衛門八幡山峯巓ニ移築ス
明治十三年(1880年)二月現在位置ヲトシ地鎮祭ヲ行ヒ整地工事ヲ起ス
明治二十一年(1888年)五月建築ヲ始メ 仝二十四年十月二日落成式ヲ行フ(以下略)」

ここには「領主竹本吉良左衛門」と記されている




石橋の親柱

「奉献」「匡救社」

「小田郡誌 下巻(pp.462-463)」に「明治維新後教育の普及と*社會(社会)の進歩とに鑑み、
明治十三年(1880年)縣知事は訓令を發して、青年の團結を促し之に*匡救社(匡救社)と命名し、
其の修養と公共の爲に活動せんことを要求せり。かくて各市町村に部落単位の
*匡救社(匡救社)創設せられしが、後種々の名稱を附すことゝなれり」とある。

明治38年(1905年)、県の君諭により匡救社をさらに強化した組織として青年団が成立する。

「笠岡市史 第三巻(pp.396-398)」、「御登極記念 小田郡誌(p.84)」を参照




唐獅子a(石橋の向かって右上)

「奉獻」「嘉永四 辛亥年(1851年)」「尾道石工 山源」

唐獅子b(同左上)

「奉獻」「八月 吉日」「同人作」




自然石の燈籠b(向かって右)

自然石の燈籠c(同左)

共に銘文なし




注連柱

「皇恩懸日月」「古城彦次郎 森田藤平」
「神徳滿乾坤」「明治二十三年(1890年)十月建之 梶田榮三郎 森田國作」




唐獅子c(向かって右)
「奉獻」「戸川賀惠門 梶田儀右衛門」「嘉永二年(1855年) 己酉六月 吉祥日」

戸川氏も梶田氏も関戸村の村役人
「小田郡誌 上巻(p.568)」を参照

狛犬d(同左)
「奉獻」「末竹武助 河田瀧藏」「嘉永二年 己酉六月 吉祥日」




手水鉢b




拝殿




関戸八幡神社

主祭神は應神天皇。明治44年(1911年)3月25日に素盞嗚神社(素盞嗚命)を合祀。
明治24年(1891年)9月9日に伏見神社分霊(倉稲魂命)を祀る。旧社格は村社。

「ふるさと よしだの史跡(p.20)」、「御登極記念 小田郡誌(pp.84-85)」を参照

https://goo.gl/maps/yvMngFvoRi42




明治45年(1912年)5月に神饌幣帛料供進神社に指定




石燈籠1対(拝殿前)

「獻」「戸川常二」「明治廿三年(1890年)十月」

戸川常二氏は関戸村の庄屋













旧社務所(現 倉庫)




境内社(本殿の向かって左下)

向かって左は荒神社、右は花総社




本殿




稲荷神社

祭神は倉稲魂命。明治24年9月9日に伏見稲荷神社より勧請。

本殿の向かって左にある

石燈籠

「献燈」




境内社(本殿の向かって右下)

瑜伽大権現社(向かって左端)

「瑜伽大権現」「慶應三(1867年)丁卯 九月大吉日」「氏子中」


*丒(丑)神社と天神社と妙見社(向かって左から2番目)

丑神社の祭神は保食神。明治11年4月20日に字 八幡山根より移転。
天神社の祭神は菅原道真公。
妙見社の祭神は高皇産霊神。明治11年4月20日に字 清水より移転。

荒神社(同3番目)

祭神は息津彦命、息津姫命。明治11年4月20日に安竹藤林裾より移転。


五角柱地神(同4番目)

「天照皇大神」「大己貴命」「少彦名命」「稲倉姫命」「埴安姫命」
(北北西正面時計回り)




境内の西




金毘羅宮?

「ふるさと よしだの史跡(p.20)」に「境内社 稲荷神社、荒神社、金毘羅宮」と記されている








「奉 備後中条 松井◯◯」「元治元(1864年)甲子十月日」

備後中条は現在の福山市神辺町西中条・東中条




手水鉢c


八幡神社前の十字路を西(県道の方向)へ75m進んで左折し、公園内を南西へ40m進む




関戸廃寺跡(県指定史跡)

https://goo.gl/maps/gX6xjHF2v2N2







公園前の車道に戻り、西(左)へ85m進んで右折し、旧県道を北へ147m進む




旧県道の十字路で右折し、北東へ70m上る

https://goo.gl/maps/1CLSXHhQjoN2




弘法大師坐像

「◯◯ 四十一番 稲荷寺」

笠岡新四国41番龍光寺 (十一面観世音) <>
 稲荷山 護国院 龍光寺 [いなりざん ごこくいん りゅうこうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「この神は 三国流布(さんごくるふ)の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く」

https://goo.gl/maps/V9u9LoUxyvH2




堂内には弘法大師坐像1体と地蔵菩薩立像3体がある

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

41番札所から旧県道に戻り、北へ371m進んだ所にある十字路を右折して東へ30m進む

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新賀


新賀村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.268-272) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小九区村誌(明治9年編)」を参照




安養寺の鐘楼門




新賀小学の跡

「[新山施設顕彰碑] 新賀小学の跡 (明治十年~明治十六年)

 山口(~12) 尾坂(~12) 関戸(~13)」

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.19)」を参照




新賀の蓮向山恵光院安養寺

高野山真言宗備中霊場第76番

安養寺については「伝えたいわがふるさとの文化財(pp.19-20)」、

「伝えたいわがふるさと(pp.155-157)」を参照。

安養寺は昭和20年8月から9月にかけて神戸市立六甲国民学校6年女子25名の疎開児童を受け入れた。

笠岡市の疎開児童の受け入れについては「笠岡市史 下巻(pp.945-952)」を参照。




本尊は阿弥陀如来・大日如来・不動明王

『おん あみりた ていせい からうん』

『おん あびらうんけん ばざら だどばん』

『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん』




安養寺の観音堂

備中国小田郡・後月郡・浅口郡三十三所観世音菩薩霊場第32番札所
本尊の魚籃観音は市指定の重要文化財

御詠歌「いかばかり うれしからまし はちすには 向ふ心も 西へゆくらん」

『南無大慈大悲観世音菩薩』

「在田軒道貞(吉岡信元)著作全集(p.148)」に「三十二番 小田郡新賀村
 蓮向山安養寺  金剛の鋳造 魚籃の観音とも亦 楊柳観音とも号す
立像たけ一尺四寸(※約42.4cm) 伝へて曰く大海太子安置の本尊にして
昔し 天竺より震旦 百済国を経て来朝の仏といふ
 是より浄瑠璃山へ三十丁(※約3.273km)」とある

震旦(しんたん): 中国

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.20)」を参照

新山走出西国30番厳金山宝厳寺かもしれないが未確認

石燈籠

「奉寄進石燈籠」「◯◯三◯七月吉日」

https://goo.gl/maps/jwPnb97unJD2




観音堂の前




弘法大師坐像(向かって左)

「佛木寺 四十二番 講中」

笠岡新四国42番仏木寺 (大日/大師) <安養寺の境内>
 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺 [いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ]
 『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
 「草も木も 仏になれる 佛木寺 なお頼もしき 鬼畜人天(きちくにんてん)」

千手観世音菩薩立像(同右)

「四十三番 千手觀世音 明石寺」

笠岡新四国43番明石寺 (千手観世音) <安養寺の境内>
 源光山 円手院 明石寺 [げんこうざん えんしゅいん めいせきじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「聞くならく 千手不思議の 誓いには 大盤石(だいばんじゃく)も かろくあげ石」

https://goo.gl/maps/6Cxbzpipp6A2




大峯山上廿一度供養塔

「*(釈迦如来の種子「バク」)奉供養大峯山上廿一度爲二世安樂(安楽)◯」

「◯◯◯◯◯◯寅七月」




六字名号碑(光明真言曼陀羅付き)

「南無阿弥陀佛」

「◯◯ 享保十二(1727年)龍集丁未 ◯◯◯浣◯◯◯
蓮行山 安養寺秀尊 本願主 中谷作次郎 中谷栄藏
同人*祖母(祖母) ◯井孫右衛門 ◯谷次郎右衛門
 長廻與十郎 同◯彦三郎 總村中」

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』




法界地蔵

「法界 享保廿年(1735年) 卯三月日」

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




奉唱光明真言百万遍供養塔

天保十三壬寅(1842年)

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』




大日如来坐像(向かって左から2番目)

『おん あびらうんけん ばざら だどばん』




奉慶讃法華經五千部塔

「*(釈迦如来の種子「バク」) 奉慶讃法華經五千部
 寛保四(1744年)甲子 三月廿一日 誦經行者 慈正法師」

誦経(ずきょう)とは経文を声を出して唱えること。




宝篋印塔a

「*(一字金輪仏頂の種子「ボロン」)」「寛政五年(1793年)癸丑三月」

塔身の正面(東)は阿しゅく如来の種子(ウン)


  

宝篋印塔b

「*(一字金輪仏頂の種子「ボロン」)」

塔身の正面(東)は阿しゅく如来の種子(ウン)




水子地蔵尊

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




荒神社

安養寺の境内の西にある

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.21)」を参照




安養寺前から西へ27m進んで旧県道の十字路を横断し、さらに西へ41m進み右折




新賀の常夜燈

  「金毘羅大權現 吉備津大明神」「文化十二年(1815年) 八月日」「本郷若連中」
 「世話人 ◯◯◯◯◯ 安藤◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」

松山往来(笠岡往来)は備中松山(高梁市)と笠岡を結ぶ。
明治時代の地図には「自矢掛至笠岡道」と記されている。

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.23)」を参照

https://goo.gl/maps/WhSKutTEtwr

常夜燈前の十字路を右折し、南西へ112m進む




沖の常夜燈(笠岡市新賀354)

「大峯山上大權現 兩講中 文化十三年(1816年) 十二月吉日」

大峯山上大權現とは役行者(役小角)のこと。

『南無神変大菩薩』

https://goo.gl/maps/GYGgk3Z5RFN2




正面(西)に新賀の産土神様である宇名大明神跡がある。

以前は尾坂川を渡る橋が架けられていたが、現在は掛樋のみとなり、通行不可。

沖の常夜燈前の十字路から西へ84m進む。
丁字路を左折して県道48号線を南南東へ155m進む。
変則十字路を右折し、西南西へ117m上る。
つきあたりの丁字路を右折し、北西へ92m上り丁字路を左折。
新賀霊苑の駐車場への道を西へ15m進んで左折し、東南東へ15m進む。




向原の疫神社(笠岡市新賀470-1)

向原地区の新賀霊苑の横にある

https://goo.gl/maps/nESJVgyrphR2

新賀霊苑前の丁字路に戻り、左折して北へ112m下り、
向谷池の西にある倉庫の横で左折。墓地への参道を南西へ83m進む。




向原と向谷の間にある宮ノ後(みやのごう)の墓地







十一面観世音菩薩立像(向かって左)

「◯◯◯ 十一面觀音 ◯◯◯」

弘法大師坐像(同右)

「*(胎蔵界大日如来の種子「ア」)」

「施主 新賀 安藤團?一郎 笠岡 駒口韋平」「◯◯◯年三月」

笠岡新四国44番大宝寺 (十一面観世音/大師) <>
 菅生山 大覚院 大寶寺 [すごうさん だいかくいん だいほうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「今の世は 大悲の恵み 菅生山(すごうさん) ついには弥陀の 誓いをぞ待つ」

https://goo.gl/maps/d3cBfLxsqiz

参道を下って倉庫の所まで戻り、左折して北東へ131m下る。
つきあたりの丁字路を左折し、南へ42m進んで左折。




宇名大明神跡の石燈籠

「獻燈」「天保十二辛丑(1841年)「五月日立之」

石鳥居は海神社へ移転

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.22)」を参照

https://goo.gl/maps/T73Low4XquQ2




宇名大明神跡の五角柱地神

「天照大神」「埴安媛命」「少彦名命」「倉稲魂命」 「大地主命(おおとこぬしのみこと)」







宇名大明神跡から車道を北へ95m進み、山側の細道(墓地への参道)を20m程上る




笠岡新四国45番岩屋寺 (不動) <向谷>
 海岸山 岩屋寺 [かいがんざん いわやじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 「大聖の 祈る力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある」

https://goo.gl/maps/nH6eeQgPBFL2




地蔵菩薩立像(向かって左)

「*(地蔵菩薩の種子「カ」)」
台座「四十五番 岩谷山」

不動明王立像(同右)

台座「法界」「寛政二戌年(1790年) 今月*𫝆日(今日)」「施主 中谷◯○良」

左右の本尊と台座が入れ替わっている




地蔵菩薩坐像

『南無地蔵大菩薩』

車道に戻り、左折して北へ40m進む




地蔵峠(じぞうだわ)

https://goo.gl/maps/RtMAptqJFd32




「伝えたいわがふるさとの文化財(p.17)」を参照

地蔵峠の入り口から北西へ75m上り、丁字路を右折




墓地への参道を北へ37m上って左折




吉岡信元(在田軒道貞)の墓

https://goo.gl/maps/wjC5oKMa6aU2




車道に戻り、左折して北北東へ125m進み、県道48号線を北へ48m進む。

交差点を横断して北へ376m進む。


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山口

山口村については「笠岡市史 史料編上巻(pp.417-422) 皇国地誌
 備中国第壱大区小田郡小廿八区村誌(明治9年編)」を参照




光陽産業笠岡工場




笠岡市井笠鉄道記念館

旧駅舎内に各駅の古い写真をはじめとする展示物多数

https://goo.gl/maps/g5oixZqpEy22




機関車第1号(大正2年製) + 並等客車(ホハ1号) + 有蓋貨物車(ホワフ1号)










イルミネーション(年末年始)




井笠鉄道記念館前の県道の十字路を右折し、東へ295m進む







斎藤氏邸(山口3307)の裏から見るわらんべ堂

以前は笠岡松山道がこのお堂の前を通っていた




再建されたわらんべ堂

令和元年(2019年)5月に長尾山長福寺の前に堂宇を新築し、
石仏や名号碑や牛供養碑などを移転。
割れていた名号碑は修復された。

前堂の前にあった「奉獻」、「氏子中」、「安政五年(1858年)二月」と刻まれた手水鉢だけは
別の場所へ移されたようである。

https://maps.app.goo.gl/Xw1eC4qT5b2ipvyj7




2019年に斎藤氏邸が撤去され、協同油脂株式会社笠岡工場の施設が建つ前の状態




笠岡松山道の遺構(2011年頃)

今昔マップ on the webの1895~1898年で確認可能。
1925年の地図に変更すると、この辺りの笠岡松山道は消失している。




旧県道の丁字路(新山保育所前)を右折し、南南西へ73m進む




わらんべ堂(わらび堂)

仏堂の棟札に「明治四拾年(1907年)未七月再建之」とある

前堂内の両側に長椅子が設けられ、10人程座れるようになっている。
元は畳敷きだったようで、昭和六年(1931年)四月吉祥日の畳表替修繕寄附者芳名録(寄附者5人と世話人1人)がある。
もう1枚寄附者芳名録(寄附者14人と周旋人13人)があるが判読困難。
 
鴨方から尾坂を経て下って来た人や、笠岡松山道を行き来する人の休憩所となっていた。
またここで盆踊りをするなど、地域の集会所でもあった。

「伝えたいわがふるさと(pp.88-89)」、
「伝えたいわがふるさとの文化財(p.55)」を参照。

https://goo.gl/maps/UDxgNtChowR2





地蔵菩薩坐像と弘法大師坐像

『おん かかかび さんまえい そわか』
『南無大師遍照金剛』




「當村中施主 奉再建神嶋四國五 十三番円明寺◯◯ 堂當村中*之施主◯
 後年為不忘失出離? 記之 天保七丙申(1836年)七月」
「世話人 谷本◯◯ *髙木◯◯ 矢本◯◯◯ *髙木◯◯◯
 谷本◯◯ 髙木◯◯◯ 大前◯◯◯◯ 谷本◯◯」

天保7年、山口の大師講中により、神島の寺間にある神島四国第53番札所圓明寺の堂宇が再建された際に、
弘法大師坐像を建立してわらんべ堂に安置し、その事を後世に伝えるために台座に銘を刻んだ。




神島四国53番円明寺(神島の寺間)の上の車道にある道しるべ

「第五十三番 須賀山 円明寺(山口堂) (本尊 阿弥陀如来) 」
「へんろ路」「平成二十二年四月吉日建之 山口」




神島四国53番円明寺 (阿弥陀) <寺間>
 須賀山 正智院 円明寺 [すがさん しょうちいん えんみょうじ]
 『おん あみりた ていせい からうん』
 「来迎の 弥陀の光の 円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月」

https://goo.gl/maps/sjK2R6QuZGB2

神島霊場開創当時(1744年)の堂建立施主は「*惣社(惣社=総社)町中」




わらんべ堂の横にある牛供養碑群(5基)

「笠岡市史 史料編上巻(p.424) 皇国地誌 備中国第壱大区小田郡
小廿八区村誌(明治9年編)」に「牛馬 牡牛捨弐頭、牝牛七拾五頭、
総計八拾七頭」と記されている。




牛供養碑兼道しるべ(不明の坐像 + 牛)

「◯◯◯◯」「◯◯◯◯」「右 笠岡 施主 有本◯◯ 左 鴨方」

北から来た人用の道しるべ




六字名号碑(光明真言曼荼羅付き)と牛供養碑群(3基)

「丙辰 元文元歳(1736年)十一月旦 南無阿彌陀佛」

光明真言曼荼羅が刻まれている部分は破断している。

元文二年(1737年)の山口村古地図(山口村の庄屋 土倉家所蔵)にも
わらんべ堂と共にこの名号碑が描かれている。
念仏講による百万遍大数珠繰りもここで行われていたのであろう。




膝元に三面を配した地蔵菩薩坐像

『おん かかかび さんまえい そわか』

「昭和二年(1927年)九月 地蔵菩薩 申歳男」




鴨方への道(笠岡市山口 道-543→道-600→道-602→道-614)

向かって右は旧県道48号線




鴨方への道を南南東へ350m上る




木戸口山の墓地の横を通過

木戸口山については「伝えたいわがふるさとの文化財(p.59)」を参照




道-600

新吉中学校の後方を通過

県道168号線の丁字路を左折し、東へ25m上る




十字路を右折




道-615を南へ37m上って十字路を右折




十字路

山口と新賀の境にある。右折すると笠岡市山口 道-685、道-684を通って諏訪山へ。
峠から柿畑の間の細道(笠岡市山口 長狭物不明-640、笠岡市新賀 長狭物不明-703)を
南へ160m程下ると新賀の妙見池の横を通って笠岡新四国46番浄瑠璃寺の近くに出る。




諏訪山の法界地蔵

『おん かかかび さんまえい そわか』

「法界」「○○衛門○○ 嘉○○」
「爲子山中生霊菩提 天明八戊申(1788年)六月建之」

https://goo.gl/maps/Y4FoE3B4QA32

県道168号線に戻り、左折して西へ225m下る







岡部池(笠岡市山口3394)

元文二年(1737年)の山口村古地図(山口村の庄屋 土倉家所蔵)には小池と記されている

https://maps.app.goo.gl/zYMcPHeigJvf5guN8







新吉中学校の運動場(大間池跡)

昭和25年(1950年)に新吉中学校を建てた際に、大間池を埋め立てて運動場にした。
近郷の小田小学校の運動場も熊池を埋め立てて造成したものである。

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.59)」を参照

https://maps.app.goo.gl/3EPoUMUc2bYmuH8p8





県道168号線と旧県道48号線の交差点から政所山(政所山城跡)を望む





諏訪山(大間の城山)

標高70m。笠岡市山口3385。城主は中谷孫右衛門と推定されている。
永禄9年(1566年)の梅雨に、吉田から押し寄せる笠岡城主村上隆重の軍勢(一千騎)に攻め落とされた。
諏訪山城跡には東側に土塁跡、腰曲輪、一部石垣が残っている。

「伝えたいわがふるさと(pp.44-56 にいやま「文化を楽しみ育てる会」監修)」を参照

元文二年(1737年)の山口村古地図(山口村の庄屋 土倉家所蔵)には「大間古城」と記されている。

「古戰塲備中府志」の政所山城 新賀村の項に「當城主有岡右京 走出村城主有岡新之*丞舎弟也
此城八(は)笠岡の村上と小田と戰乃(の)時筑个(け)ると奈(な)ん 川原田山共長*㽗(畝)の城山共申侍り
 海道与(よ)り西 小川の崎也 當*𠩄(所)山口の境也 小田家持乃(の)節 廣井市郎右衛門義武
中谷孫右衛門と申勇士在城 小田家の一族たり(以下略)」とある

https://maps.app.goo.gl/2DxTxfChejT9jDWB8




交差点を左折し、南へ110m進む







イノシシが出没する際には諏訪山への立ち入りが制限されていることがある




駐在所跡


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新賀



旧県道48号線

「皇国地誌」には「矢掛往還 三等ニ属ス 北山口村界ヨリ南関戸村ニ至ル
 長サ三町(約327.27m)幅弐間(約3.64m)」と記されている

向かって右は新山村役場跡(笠岡市山口1549-1)。
新山村役場は後に現在の晴れの国岡山農協 笠岡北支店がある所へ移転した。




万人講供養碑(兼道しるべ)

「亡牛万人講供養」「東 鴨方道 西 新山駅」「施主 安藤吉一」

井原笠岡軽便鉄道(井笠鉄道)の笠岡-北川-井原間が開業したのは大正2年(1913年)

https://goo.gl/maps/NVqFAU6LRjJ2




万人講供養碑の所から旧県道の十字路を渡って西へ40m進む




笠岡新四国69番奥の院大師堂

弘法大師坐像

「奥野院 世話人 藤(あるいは弥)九郎」

https://goo.gl/maps/Ccg2GpWnQPH2

大師堂から西へ67m進み、十字路を左折して松山往来を南へ158m進む




道しるべ(北面)

「南 かさをか(笠岡)道」

牛供養碑

「亡牛 供養 施主 安藤◯◯」

笠岡山口318-4




道しるべ(東面/南面)

「左 関戸大し(大師) た満(ま)しま(玉島) 道」
  「右 や可(か)げ(矢掛) 井原 寿(す)ぐ た可(か)屋(高屋) 道」

関戸大師は関戸にある笠岡新四国霊場のこと。

玉島道は新賀→尾坂→鴨方→金光→玉島へ至る道(東へ進む)。

矢掛道は新賀→山口→走出→小田→矢掛へ至る道(北へ進む)。

笠岡道は新賀→関戸→吉田→小平井→笠岡へ至る道(南へ進む)。

高屋道は新賀→長迫→大井→稲倉→大江→高屋へ至る道(西へ進む)。

「すぐ」は「まっすぐ進む」の意味。つまり東(玉島道)から来た人用の案内。

よって反時計回りに90度回転させると正しい案内表示となる。

「伝えたいわがふるさとの文化財(p.16)」を参照

https://goo.gl/maps/oMEeL4dmeWn




松山往来の十字路を左折して鴨方・玉島道を東へ218m進み、丁字路を右折して南へ30m進む




堂ノ下の地蔵堂と万人講供養碑(笠岡市新賀163)

https://goo.gl/maps/GurSYyRu6QP2


「笠岡市史 史料編上巻(p.270) 皇国地誌 備中国第壱大区小田郡
小九区村誌(明治9年編)」に「牛馬 牡牛三頭、牝牛四拾七頭
惣計五拾頭 馬ナシ」と記されている。

地蔵堂から北北東へ125m進んだ所にある丁字路を左折し、西南西へ68m進む。
丁字路を右折して墓地への参道を北へ62m上る。




笠岡新四国46番浄瑠璃寺 (薬師) <新賀の片山>
 医王山 養珠院 浄瑠璃寺 [いおうざん ようしゅいん じょうるりじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし」

片山の墓地(笠岡市新賀234)にある

https://goo.gl/maps/ZHVcFcWSAXC2




薬師如来坐像

「豫州 四十六番 浄瑠璃寺」

本尊の脇に素焼きの仏像が多数奉納されている




参道を下って車道まで戻り、左折して東南東へ138m進む。
七鍬池の土手の下から南南東へ205m進み、丁字路を左折する。


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関戸




関戸観音堂(笠岡市関戸1177)

字 観音にある

https://goo.gl/maps/gyFFn




阿弥陀如来坐像

「豫州 四十七番 八坂寺」

笠岡新四国47番八坂寺 (阿弥陀) <関戸観音堂>
 熊野山 妙見院 八坂寺 [くまのざん みょうけんいん やさかじ]
 『おん あみりた ていせい からうん』
 「花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け」




堂内向かって右から宝篋印塔?、阿弥陀如来坐像、地蔵菩薩坐像、地蔵菩薩立像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




新山走出西国29番 青葉山 松尾寺 [あおばさん まつのおでら] (馬頭)
 『おん あみりとう どはんば うんぱった そわか』
 「そのかみは 幾世(いくよ)経ぬらん 便りをば 千歳をここに 松の尾の寺」




関戸観音堂前から車道を南東へ108m進み、墓地の東端から参道に入る




字 平井




釈迦如来坐像

「豫州 四十九番 浄土寺」

笠岡新四国49番浄土寺 (釈迦) <関戸の平井-西>
 西林山 三蔵院 浄土寺 [さいりんざん さんぞういん じょうどじ]
 『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
 「十悪の わが身を捨てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ」

笠岡市関戸1226

https://goo.gl/maps/QvmFPjRjLg72

49番札所から墓地への参道を東南東へ27m上る







十一面観世音菩薩立像

「豫州 四十八番 西林寺」「寛政九巳天(1797年) 四月吉日」

笠岡新四国48番西林寺 (十一面観世音) <関戸の平井-中>
 清滝山 安養院 西林寺 [きよたきざん あんよういん さいりんじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「弥陀仏の 世界をたずね 行きたくば 西の林の 寺にまいれよ」

https://goo.gl/maps/EWeWcWDrpfw

48番札所から参道(長狭物不明-201)を東南東へ27m下る










薬師如来坐像

「豫州 五十番 繁多寺」

笠岡新四国50番繁多寺 (薬師) <関戸の平井-東>
 東山 瑠璃光院 繁多寺 [ひがしやま るりこういん はんたじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ」

https://goo.gl/maps/mgWunDPb3KC2




尾坂ダムの堤体の西下にあるY字路

鴨方道は矢印の方向(東)へ続いていたが尾坂ダムの建設により消失




牛供養碑兼道しるべ(笠岡市関戸1389-3)

向かって右に進むと井笠鉄道の新山駅、左に進むと吉田駅。

左の道を尾坂川沿いに東へ240m進み、左折して橋を渡り、南へ92m上った所が52番札所

https://goo.gl/maps/E7Wf8n4XfDQ2




「右 新山駅 左 吉田駅」
 「昭和廿ニ年(1947年)九月十九日 牛供養 施主 藤井芳太」




50番札所の南30mの所にある丁字路

向かって左(東南東)に187m進むと尾坂ダムの土手の下、右(西)に進むと52番札所に至る







関戸上橋(尾坂川28号橋)

橋の北は字 上河内、南は字 山之河内

https://maps.app.goo.gl/2F6vbTEMAeYpAzk76

橋を渡り、南へ92m上る




無尊堂の墓地の前







十一面観世音菩薩立像

「豫州 五十二番 太山寺」

笠岡新四国52番太山寺 (十一面観世音) <関戸の無尊堂-北>
 龍雲山 護持院 太山寺 [りゅううんざん ごじいん たいさんじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「太山へ 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし」

https://goo.gl/maps/cmQ1LBCSD2L2

52番札所の南南西へ9m進む








阿弥陀如来立像

「豫州 五十三番 円明寺」

笠岡新四国53番円明寺 (阿弥陀) <関戸の無尊堂-中>
 須賀山 正智院 円明寺 [すがさん しょうちいん えんみょうじ]
 『おん あみりた ていせい からうん』
 「来迎の 弥陀の光の 円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月」

https://goo.gl/maps/Bh7yhkJFE5K2

53番札所から南西へ42m進む




笠岡市関戸1587




堂内向かって左にあるのは法界地蔵

『南無地蔵大菩薩』




不動明王坐像

「豫州 五十四番 延命寺」

笠岡新四国54番延命寺 (不動) <関戸の無尊堂-南>
 近見山 宝鐘院 延命寺 [ちかみざん ほうしょういん えんめいじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 「くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな」

https://goo.gl/maps/5F5PgpgvMCK2




地蔵堂




地蔵菩薩坐像

『南無地蔵大菩薩』




54番札所前から車道を渡り、細道を西へ60m進む




薬師堂(笠岡市関戸1512-1)

『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

https://goo.gl/maps/wQMb8D9S6eR2




木造薬師如来立像?




毘沙門天立像?


薬師堂前から西へ10m進む




笠岡新四国51番石手寺 (薬師) <関戸の金丸>
 熊野山 虚空蔵院 石手寺 [くまのざん こくぞういん いしてじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「西方を よそとは見まじ 安養の 寺にまいりて 受くる十楽」

https://goo.gl/maps/nFtJcRTPgC32




弘法大師坐像

「豫州 五十一番 石手寺」

本尊は薬師堂の本尊?


 

51番札所前の十字路を左折し、南へ126m上る




墓地の前で左折し、参道を南東へ40m上る




笠岡新四国55番南光坊 (大通智勝) <関戸の花繰峠-北>
 別宮山 金剛院 南光坊 [べっくざん こんごういん なんこうぼう]
 『なむ だいつう ちしょうぶつ』
 「このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても 同じ垂迹(すいじゃく)」

笠岡市関戸1536

https://goo.gl/maps/N7h4XGDSypt




阿弥陀如来坐像?

「豫州 五十五番 別宮寺」

理拳印ではなく阿弥陀定印を結んでいる

車道まで戻り、左折して南へ120m進む




Y字路の東にある階段状の細道を10m上って右







地蔵菩薩坐像(向かって右)

「豫州 五十六番 泰山寺」

弘法大師坐像(同左)

「五拾六番」「天保八(1837年)酉四月」

笠岡新四国56番泰山寺 (大師/地蔵) <関戸の花繰峠-南>
 金輪山 勅王院 泰山寺 [きんりんざん ちょくおういん たいさんじ]
 『おん かかか びさんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/FhpJ1Tordzn




Y字路に戻り、左折して参道(笠岡市関戸 長狭物不明-415)を南東へ154m上る




墓地の横を通過してY字路を右へ進み、南東へ50m上る




遍照寺跡(笠岡市関戸129)

花繰峠池(はなぐりたわいけ)の底に沈んでいるらしい。

「小田郡誌」p.602に「大字關戸字南花繰峠に在り。今は池底となれり。」と記されている。

https://goo.gl/maps/WFEvpPMmNXQ2

Y字路に戻り、舗装された道を南へ進む




関戸団地へ


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