【木之子西国三十三所観音霊場(仮) 画像集.1】



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正式な霊場名は未確認。探索中。
門田町にある西国観音霊場とつながっている可能性あり。
西江原の西国観音霊場(15-33番)とつながっている可能性あり。


木之子という地名の由来については「備中誌 後月郡(pp.48-49)」を参照。
木之子村については「在田軒道貞(吉岡信元)著作全集(pp.99-100 備中小田郡名所物語)」を参照。






観世音菩薩坐像?

「寛政八(1796年)◯ 一番? 野宮◯◯ 同? ◯◯」

木之子西国1番 那智山 青岸渡寺 [なちさん せいがんとじ] “那智山寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」




西国2番の石仏

木之子地区内にある西国観音石仏は今のところ1番、2番、6番、8番

1番の石仏に寛政八(1796年)の銘あり




浄見寺観音堂

聖観世音菩薩立像が祀られている





地蔵菩薩立像(向かって右)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

地蔵菩薩像の下にあるのは宝篋印塔の塔身

千手観世音菩薩立像(同左)

「六番 千◯ ◯◯◯」

木之子西国6番 壺阪山 南法華寺 [つぼさかさん みなみほっけじ] “壺阪寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」







木造立像(向かって左)

十一面観世音菩薩立像(同右)

「八者(は)ん」

木之子西国8番 豊山 長谷寺 [ぶさん はせでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「いくたびも 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山もちかひも 深き谷川」





如意輪観世音菩薩輪王坐像(中央)

「明治七年(1874年)戌八月◯日木之子村 ◯◯◯◯」

無量寿庵の観音堂の本尊?

https://goo.gl/maps/2dC9rh2XASR2





蔵本の太子堂?

木造立像(中央の厨子内)

聖徳太子立像?

木造観世音菩薩立像(向かって右)

石造弘法大師坐像(同左)





実相辻堂(観音堂)

「井原の辻堂(p.44)」によると西国観音札所。札所番号未確認。

https://goo.gl/maps/TBEdFCVwREv




千手観世音菩薩立像

「十六番 施主 東町 觀音講中」

西国16番 音羽山 清水寺 [おとわさん きよみずでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「松風や 音羽(おとわ)の滝の 清水(きよみず)を むすぶ心は 涼しかるらん」




千手観世音菩薩立像(向かって右端)

台座「十九番」「観音」「講中」

西国19番 霊ゆう山 行願寺 革堂 [れいゆうざん ぎょうがんじ こうどう] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」


十一面観世音菩薩立像(向かって右から2番目)

台座「十七番」

西国17番 補陀洛山 六波羅蜜寺 [ふだらくさん ろくはらみつじ] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂(ろくはらどう)へ 参る身なれば」





十一面千手観世音菩薩立像

「二十番」

西国20番 西山 善峯寺 [にしやま よしみねでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「野をもすぎ 山路に向ふ 雨のそら 善峯よりも 晴るる夕立」

https://goo.gl/maps/J9rwxH2Z8tz




聖観世音菩薩立像(向かって左奥)

台座「二十一者(は)ん」

西国21番 菩提山 穴太寺 [ぼだいさん あなおうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」

https://goo.gl/maps/e9hwzQ5RqdE2





西国24番 紫雲山 中山寺 [しうんざん なかやまでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」

https://goo.gl/maps/whT8EXrAtAo




千手観世音菩薩立像※(向かって右から2番目)

「二十五番」

西国25番 御嶽山 清水寺 [みたけさん きよみずでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「あはれみや 普(あまね)き門(かど)の 品々に なにをかなみの ここに清水」

https://goo.gl/maps/F3tDpxJ6ZpP2




千手観世音菩薩立像※(向かって右)

台座「廿六番」

西国26番 法華山 一乗寺 [ほっけさん いちじょうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊 いつも妙なる 法(のり)の華山(はなやま)」

https://goo.gl/maps/GFjSfRoV5iw




如意輪観世音菩薩輪王坐像(同右)

「第廿七番」
「施主 北田◯◯」

西国27番 書寫山 圓教寺 [しょしゃざん えんぎょうじ] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「はるばると のぼれば書写の 山おろし 松のひびきも 御法(みのり)なるらん」





聖観世音菩薩坐像

「二十八者(は)ん ◯◯◯◯」

西国28番 成相山 成相寺 [なりあいさん なりあいじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天(あま)の橋立」

https://goo.gl/maps/uGxcetksCoL2


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木之子町の笹井地区



井原市木之子町大欠

市道井原北川線が小田川につきあたって大きく西へカーブする所

付近に駐車スペースなし




井上雪下先生の歌碑

「ながれくる瀬の波が
 しらしらしらと よれつ
 ほくれつ とこしへならし
井上啓一 号 雪下 昭和十一年(1936年)の作
 明治二十二年(1889年)四月十五日 木之子村
◯◯◯◯番地に誕生 水甕同人
    昭和五十二年(1977年)秋彫」

歌人の井上雪下先生(1889-1957年)の墓所は木之子の海雲山三光寺にある




この石碑の後ろにある岩盤に井上雪下先生大欠摩崖歌碑が刻まれている

「ながれくる 瀬の波がしら しらヽヽと よれつほくれ つとこしへ なら し 雪下」

現在は落石防止の金網が設置されているため判読困難

落合保之氏の書

「井原の石碑(p.2 平成9年)」を参照

https://goo.gl/maps/gwJPBaHGgqH2




井原堤・桜橋公園付近の小田川

https://goo.gl/maps/baFHn6DQo7p





桜橋公園の夜桜


歌碑の前から市道井原北川線を東へ95m、南南東へ227m進む。
丁字路を左折し、車道を西へ38m進んで左折。
南へ65m進み、井原線の高架下を通り抜けてさらに南へ14m進む。
右折して民家の間の細道を西へ40m進む。




荒神社

棟札

「奉再建荒神社太祝詞 社頭 康榮 信者中安全 大願主 根屋 笹井 氏子中
 天下泰平 五穀豊饒 大正七稔(1918年)五月吉日 武運長久
 大工 西江原村 藤井◯◯◯◯ 奈?主 安井◯◯◯ 敬白」

自然石の燈籠

「獻燈」「弘化三年(1846年) ◯◯」「四月吉日」

井原市大江町の山王日吉神社から分社

https://goo.gl/maps/aBQBF4NXBmA2




手水鉢

車道に戻り、右折して南南東へ73m、左折して東へ山際の道を東へ98m進む




卵塔場

笹井公民館の北にある




笹井公民館

https://goo.gl/maps/WtAx3BY8cLr





法界地蔵

「法界」「享保三(1718年)戊戌」「七月日」

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




六地蔵




弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』

地蔵菩薩坐像




聖観世音菩薩立像

「國藤惣平」

『おん あろりきゃ そわか』







光明庵




木造薬師如来坐像

雄峰寺(廃寺)の本尊

『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』




石燈籠

「奉寄附石燈籠」「寶暦十一(1761年)辛巳星 ◯◯◯」「四月吉辰日 ◯◯◯」

公民館の北にある十字路から東へ28m進む




火の見櫓がある十字路を右折し、南南東へ78m進む




右の道を北へ168m進み、右折して北東へ114m進むと錦橋




牛供養碑兼道しるべ(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「右 余田 経 矢掛  左 井原」

ここから北へ170m進み、十字路を右折すると余田バス停がある。
北東へ120m進むと錦橋。

https://goo.gl/maps/CzamKWZ9GyK2

Y字路から南へ183m進んで市道井原北川線に出て、南へ80m進む


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木之子町の山手地区




井原市消防団木之子分団第1部機庫がある交差点の東




双体道祖神(才の神)

「宝暦才之神 昭和五十八(1983年)癸亥写之 施主◯◯◯◯」

宝暦年間は1751-1764年

https://goo.gl/maps/r4opLEBLjPM2




横断歩道を渡ってゴミステーションの前で右折





花壇の後ろ




堅牢地神?(五角柱)

「*(金剛界大日如来の種子「バン」) *南无(南無)黄帝地神」
「*(宝生如来の種子「タラーク」) 南无赤帝地神」
「*(阿弥陀如来の種子「キリーク」) 南无白帝地神」
「*(不空成就如来の種子「アク」) 南无黒帝地神」
「*(阿しゅく如来の種子「ウン」) 南无青帝地神」
(南正面 時計回り)

東から撮影。黄色(中央)、赤(南)、白(西)、黒(北)、青(東)。
密教と五行思想の影響を受けている。
 

万人講供養碑(不明の坐像 + 牛)

「万人講 世主 佐䏻◯◯ 佐䏻◯◯」

https://goo.gl/maps/kktrZjZDQaK2




五角柱堅牢地神

「黄 堅牢地神」「白」「黒」「青」
「赤 天保十二年(1841年) 谷中」(南東正面 時計回り)

浅口市鴨方町小坂東の土井谷公会堂前にある

https://goo.gl/maps/XHX8rDY97so

交差点から南西へ28m進む




山砂公民館の後ろ







観音堂・荒神社

智龍山傳西庵

「岡山縣 後月郡誌(p.916 大正15年)」に「(寺院號)傳西庵
(本尊)正觀世音菩薩 (宗派)真言宗古義派 (本寺)持寳院
(開基)慶長五年(1600年)佐藤三郎左衛門 (境内坪數)民有地第一種九拾坪
 (境内佛堂)地藏堂 (本尊)地藏大菩薩 (創立)享保二年(1717年)十一月
 (位置)同村(木之子村)字 山手」とある

詳細は「岡山縣 後月郡誌(p.933)」を参照

https://goo.gl/maps/cAze75cNMgB2








本尊(厨子内)は聖観世音菩薩像

『南無大慈大悲観世音菩薩』『おん あろりきゃ そわか』

弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』




地蔵菩薩坐像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

大師像の向かって右にある




荒神社(向かって左)




向かって右から順に




廻国供養塔(兼 三界万霊供養塔)

「*(胎蔵界大日如来の種子「ア」) 六十六部日本廻國
 享保八卯天(1723年) 十二月日」
「意光淨休」「三界萬霊」




十一面観世音菩薩立像

「二者(は)ん」

木之子西国2番 紀三井山 金剛宝寺 [きみいさん こんごうほうじ] “紀三井寺” (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「古郷を はるばるここに 紀三井寺(きみいでら) 花の都も 近くなるらん」




地蔵菩薩坐像a

「*(胎蔵界大日如来の種子「ア」) 元明法師
 文政二己卯年(1819年) 壬?四月廿一日」




地蔵菩薩坐像b

「野宮代 ◯吉 ◯の」
「天保十一(1840年) 子八月日」

西南西へ280m、南西へ255m進み、Y字路を右折

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木之子町の砂畑地区










牛供養碑兼道しるべ(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「施主 宗田◯◯ 宗田◯◯ 山本◯◯」
「*㔫(左) 今市」「右 矢掛」

https://maps.app.goo.gl/bGM3KHy51DKH1psSA

東へ153m進む









仏餉田の石標

「佛*餉田 *施主 出原為吉」「安政六(1859年)未三月立之(これを立つ)」「浄見寺 髙嵓代」

仏餉田:仏餉(ぶっしょう=仏飯)にあてるための米を作る田

超世山浄見寺はここから東へ567m進んだ所にある

https://maps.app.goo.gl/iEQTHWJtt4Pn2wQx6

Y字路に戻り、左折して南西へ65m、南へ50m進む







地蔵堂?

「井原市史 民俗編(p.846)」には「お堂 木之子町惣谷」とある

「岡山縣 後月郡誌(p.1008 大正15年)」に「(堂名)地藏堂 (本尊)地藏菩薩
(創立)明和三年(1766年) (境内坪數)官有地第三種十四坪
 (位置)同村(木之子村)字 惣谷」と記されている

https://goo.gl/maps/VkDpEcr6G1p




堂内に祀られているのはすべて地蔵菩薩像

『おん かかかび さんまえい そわか』

南へ108m進む

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惣谷公民館の東にある十字路

https://goo.gl/maps/cynsRySzoYz







供養碑?

「*(種子「ア」)」「◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯」
「◯◯◯◯ 善?行法師」

https://goo.gl/maps/nGcFUS9DGHU2

車道を北北西へ550m上る


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木之子町の東高月地区






お堂

https://goo.gl/maps/C7J3RVNMMq82




地蔵菩薩像?

『南無地蔵大菩薩』




北西へ170m上り、十字路から西へ100m上り、左折して南へ170m上る。
右折して西へ75m進み、丁字路を左折して南へ85m進む。
十字路から西へ47m進み、左折して110m上る。


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木之子町の西高月地区




荒神社前

https://goo.gl/maps/DAkHdBgas3Q2




自然石地神

「地神」「昭和十三年(1938年)九月吉日建之」

荒神社の石段の向かって右前にある




観世音菩薩立像?

「奉供養西國中靈塲」「天保三辰年(1832年) 十一月吉日」「願主 ◯◯喜平治」




地蔵菩薩立像a







地蔵菩薩坐像b

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




観世音菩薩坐像?

「寛政八(1796年)◯ 一番? 野宮◯◯ 同? ◯◯」

木之子西国1番 那智山 青岸渡寺 [なちさん せいがんとじ] “那智山寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」




地蔵菩薩立像c

「宝暦二◯(1752年) 三月廿◯」

石段を上る




「高月遊園地」「昭和五十三年(1978年)一月吉日 市長 小野 強」










清光庵?

 「岡山縣 後月郡誌(p.915 大正15年)」に「(寺院號)*淸光庵(清光庵)
 (本尊)藥師如來 (宗派)眞言宗古義派 (本寺)持寶院 (開基)不詳
 (境内坪數)民有地第一種參拾坪 (位置)木之子村高月」とある

「岡山縣 後月郡誌(pp.933-944)」に「往昔歌人之に居住し、後薬師如來を安置すと。
明治五壬申年(1872年)三月再建す、信徒七十餘名の協力なり。」とある




扁額

「奉本尊藥師如來」




『南無薬師瑠璃光如来』『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』




石鳥居

「荒神社」「嘉永二(1849年)己酉十月吉日」「惣氏講中」




自然石の燈籠

「獻燈」「慶應二年(1866年)丙寅四月吉日立之 惣氏子中」




手水鉢





荒神社

https://maps.app.goo.gl/UcrpeLNM8rZzvPbf7

南西へ75m、西へ85m進む







自然石の燈籠

火袋と中台なし




御神木の覆屋?

https://maps.app.goo.gl/Mawkm6HUnwt9Jd3J6




棟札

紀年銘は安政年間

丁字路を左折して南東へ下り、惣谷公民館前まで戻る


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木之子町の惣谷地区




墓地の南

惣谷地区と東高月地区を結ぶ道の途中

https://maps.app.goo.gl/dxKo56EovXDtGeGj7




木之子町の沼地区

かつて数多くの鶴が飛来していた

井原市指定有形文化財「群鶴の図(いばら歴史館に画像あり)」を参照

南へ20m下る







奉唱光明真言二十万遍供養塔

「奉唱光明眞言二十万遍供養塔 明治十三(1880年)庚辰四月
 野宮喜十郎 建◯」

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』

https://goo.gl/maps/71HtkmNwhks


実施

法界地蔵

「*㳒界(法界)」「天明八戊申年(1788年) 三月吉祥日」
「◯◯◯◯大姉 願主 野宮◯◯」

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

天明8年は天明の大飢饉の最終年。
飢饉で亡くなった人たちを供養すために建立されたものと思われる。

惣谷公民館の東の十字路まで下って右折


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万人講供養碑 兼道しるべ(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講 右ハ井原道 大正十二?年三月二十一日」
「施主 ◯田◯◯」「岡田◯◯◯」

https://goo.gl/maps/onwFryWnQ1SWkpRL9


西南西へ43m進む





丁字路を右折







廻国供養塔(弘法大師坐像)

「***(阿弥陀三尊の種子「キリーク」「サ」「サク」) 奉納大乘妙典日本 廻 國
 明和三(1766年)戌 二月日 野宮 一右衛門」

『南無大師遍照金剛』『南無阿弥陀仏』

惣谷公民館の前(北)の丁字路の上にある

https://goo.gl/maps/y7bJvPZg8RE2




北西へ165m上る




丁字路を右折




北へ23m上って左折し、西へ13m進む




丁字路を右折して北へ53m上る




石鳥居

「野々宮神社」「野宮氏子中」「平成十七年一月吉日」





野々宮神社

https://goo.gl/maps/Q8n9gfBWJuq




自然石の燈籠

惣谷公民館前に戻り、西南西へ87m進む




県道290号線に出て西南西へ52m進む




十字路からさらに南西へ15m進む




五角柱地神

「天照太神 五穀成就」「大己貴命」「少彦名命」「◯◯◯◯」「◯◯◯◯」
(南東正面時計回り)

https://goo.gl/maps/SKDqgCQTPvB2




県道290号線を南西へ77m進む




丁字路




万人講供養碑a(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「施主 野宮○○ 亡牛供養万人講」


万人講供養碑b(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「○○○年○○○○ 万人講 ○○ ○○○○」

https://maps.app.goo.gl/QUjtMGu6xtcN2nGv5





十字路に戻り、右折して横断歩道を南へ渡る




牛供養碑群

https://goo.gl/maps/EQu9FE8RePH2







万人講供養碑a(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講 明治四十一年(1908年)六月」




牛供養碑兼道しるべb(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「西 ふくやま(福山) 南 かさをか(笠岡)」
「明治廿二(1889年)丑四月亡」




牛供養碑兼道しるべc(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「万人講 施主 野宮◯◯◯ 野宮◯◯◯ 大正四年(1915年)八月八日死」




牛供養碑兼道しるべd

「西 福山 北 井原 南 笠岡 東 矢掛 亡牛供養」
「昭和十九年(1944年)四月十七日 施主 野宮◯◯」




南南東へ117m進む




惣谷橋(昭和60年3月竣工)を渡って南南東へ37m、南東へ60m進む



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沼地区










船巖

かつて船巖の周囲は鶴が飛来する名勝地で、木之子村は鶴村とも呼ばれていた

「岡山縣 後月郡誌(pp.230-231 大正15年)」に「(五)船巖 (六)群鶴
 阪谷朗廬曾(かつ)て椽筆(てんひつ)を援りて曰く。有沼蒼然、有祠在林、
曰嚴島、有巖在沚(し)、曰船磧、葢古川澤之遺也、今也細流迂餘、沮洳接野、
冬之尾、春之首、雲鶴翔集、千百成群、*嘷嘷(こうこう)和鳴、傳*淸(清)於隣邑、
是我中備後月郡木之子村之勝也 節*畧(略)               .
 村の東に海雲山(※三光寺の裏山)聳へ 北に高月山峙(そばだ)ち 南は縣主山の
松樹蓊鬱 西は縣主*鄕(郷)なる門田西方の田野に連なり水田萬頃一望蒼然
 其央に一簇(そう)の林塢(どて)あり 恰も海嶼の如く白砂*靑(青)松掩映す中に
一小祠(※厳島神社)を安置し嚴島と名く 是より北百歩を距て巖石蟠踞して丘容をなすあり
 所謂震澤生*二奇石*一、*沉(沈)潛得*地靈*ものか 眞に拜すべき石丈なり
  是則一奇觀なり 昔年冬季に至らば仙禽縞衣玄裳(こういげんしょう)を聯(つら)ね
來りて群を成し*翺翔(こうしょう)*蹁*躚(へんせん)し*嘹唳(りょうれい)和鳴聲聞于天
仍(より)て世人此村を稱して鶴村と云ふ 是則一奇觀なり 時移り世變るに隨ひ
仙禽一隻の影も止めず今夢にた?も昔時光景見る能はず。         .
一望南陌與東阡、道別隧分知幾千、時平秋營稻梁熟、黄雲千里夕日天、中有疊々一水流、
不涸不溢*淸(清)且漣、面山背水有香閣、幾叢*綠(緑)樹遠相、山不太遠不太近、
朝迎*淸(清)暉夕帶烟、常有鶴群此集止、飮啄相因後爾前、一生曾無*𢐞(弓 + 曾)*激懼、
*翺翔(こうしょう)囘舞轉*蹁*躚(へんせん)、鶴乎棲宿獲其處、千百成群白又玄、
嗚呼予以鶴爲號、久未能從爾就隣卜一廛(てん)、中心所好豈可忘、爲寄新吟詩一篇。
                       吉田鶴仙 讃岐人
消のこる 雪かと見れは 木々のむら 多豆(たづ=鶴)そ啼なる もろこゑにして
                   下総守宿禰 藤井高雅
船巖は深泥の間に雲根を植へ 古來年々仙禽の來るを待ち友となすならん 今仙友來らず
獨り貞堅を守る 騫(か)けす崩れす此奇*狀(状)を千萬秋に傳へん。」とある

※「*激」はさんずいの部分が弓の字
※文中の「*一」「*二」は一二点
※文中の「玄」の字は異字体の「*𤣥」

沚(し): みぎわ。なぎさ。中洲。
磧(せき/からわ): 河原・砂原。
沮洳(しょじょ): 水の潤った湿地
*嘷(こう 口 + 皐 ): ほえる。さけぶ。
(れい): 鶴や雁が高く低く鳴く。また、その鳴き声。
蓊鬱(おううつ): 草木がこんもりと茂るさま
玄装縞衣(げんしょうこうい): 鶴の異称
*蹁躚(へんせん): よろめくさま。ふらつくさま。
和鳴(わめい): 鳥が鳴き交わすこと。鳴き交わす声。
雲根(うんこん): 高山。岩石。
諸声(もろごえ): がいに相和して発する声。同時にあげる声。

井原市指定有形文化財である「群鶴の図(安政5年=1858年)」に描かれている
(宝篋印塔も)

「井原市の文化財(p.22)」を参照

https://goo.gl/maps/DPmmaW5KCz72




馬越橋の親柱

4本ある親柱にはすべて鶴が描かれている

https://goo.gl/maps/9rZ6LGLCieN2




稲木川から見た船巖の全景

鶴が群棲していた周囲の沼地は整然とした田圃となっている

庄屋の平木京助さん等の嘆願によって天保川が作られた結果、水はけが改善され、
沼地は豊かな田圃となった。一方で餌場を失った鶴は徐々に姿を消していったという。

「井原の伝説(pp.25-28 井原市教育委員会 編)」を参照




飛び去る一羽の白鷺の姿に往時の面影を垣間見る




石碑

「備中 名勝 木々の郷」
「聞説昔年群鶴聲 鄙村豊穣瑞風生 祭田延喜迎都客 散策景勝高月城
 十?近克作詞 藤代宇?外書」
「昭和五十六年(1981年)三月吉日建之 木之子コミュニティ推進協議会」
「一ツ橋江原役所平木家篭石」

後ろ(北)は高月山(145.6m)

「岡山縣 後月郡誌(pp.228-229 大正15年)」を参照

木々の里は後月郡木之子村の古名とされている

「岡山縣 後月郡誌(pp.229-230)」を参照

一橋江原陣屋趾(現在の興譲館グラウンド辺り)については
「岡山縣 後月郡誌(pp.258-259)」を参照








廻国供養塔

「*(胎蔵界大日如来の種子「アーンク」) 奉供養日本廻國*玅經(妙経)六十六部」
「乃至法界」「平等普利」「*正德(正徳)四甲午年(1714年)」「二月十二日」
「野宮市右衛門欽?◯」

妙経=大乗妙典=法華経




高月山(標高145.6m)と三輪崎城跡を望む

「岡山縣 後月郡誌(p.266)」に「三輪崎城墟 木之子村西方字 惣谷の西にあり
高月山の岬にして其形凸字をなし 上壇東西十八間(約32.73m) 南北十間(約18.18m)
 其周圍下壇の幅二間乃至三間 殘礎等なし。(以下略)」とある

備中誌 後月郡(p.48)」に「三輪崎城 又才崎の砦共云 集成志に慶長八年(1603年)より
城主は馬越主計 小田物語に是は才崎の出城ともいひ又神の山とも申侍る
小寺(※小寺清先)云 神山なりしを砦にしたるならん」とある

高月山に高月山長川寺(鴨方町の清瀧山長川寺)があったと云う

「備中誌 後月郡(p.28)」に「高月山長川寺 寺領十五石」、
同p.50に「小田物語(※貞享-元禄年間に在田軒道貞が著した「備中小田物語」 )に (中略)
 同(高)十三石九斗一升 鴨方長川寺領」とある


丁字路を右折し、南南東へ67m進んで稲木川に架かる嚴島橋を渡り、南南東へ55m進んで右折


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厳島神社旧址

「嚴島*神社(神社)旧址」「昭和五八癸亥 皇紀二六四三年(1983年)四月建之」
「明治四十四年(1911年)通達の國策に遵い縣主神社 境内へ御神殿等々移築合祀せらる」

石鳥居の額束

「嚴島」

https://goo.gl/maps/RsuQFPWsHgK2




縣主神社に遷座した厳島神社

https://goo.gl/maps/3t33LUQYvEt

車道に戻り、南南東へ71m進んで右折




出雲大社木之子教会

https://goo.gl/maps/QMPryiym6V22




注連柱

「幸魂奇*䰟(魂)」「守給*𡴘给(幸給)」
(さきみたま くしみたま まもりたまへ さきはえたまへ)
「昭和三十三年(1958年)」「一月良旦立之」










祭神は大國主大神


船巖まで戻り、丁字路を左折して西南西へ660m進む。
県道290号線に出て西南西へ320m進む。



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