【神島四国八十八ヶ所霊場の画像集.5 水落(20番)- 鴨野(26番)】
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鹿落の法面
字名「鹿落(ししおち)」は鹿が落ちたことに由来する
「神島史誌(p.223)」、「笠岡史 地名編」を参照
このあたりの岬を鹿落岬、あるいは地藏鼻(立江地蔵があるから)という
平松措大の句碑
「措大 お遍路に 浪が彫りしと いふ佛」
詳細は「神島史誌(p.210, pp.385-387)」を参照。
https://goo.gl/maps/jSsaZLenb8o
波彫地蔵
白衣観音(あるいは白衣を着たお遍路さん)?

瀬戸大橋

向かって左に北木島、中央に小高島、その奥に白石島、右に高島
バス停(鶴林寺)
この辺りの字名を「大藤」という
弘法大師堂
『南無大師遍照金剛』
https://goo.gl/maps/p57L84pdQJC2
役行者椅坐像(向かって右端)
『南無神変大菩薩』
弘法大師坐像(向かって右から2番目)
『南無大師遍照金剛』
大日如来坐像(同3番目)
『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
不動明王立像(同4番目)
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん』
地蔵菩薩立像2体と地蔵菩薩坐像
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
茶堂建立の石碑
「茶堂建立 天保十亥年(1839年) 權大僧都本正院 傳藏」
修行大師像
『南無大師遍照金剛』
大藤山 弘方寺
高野山真言宗備中霊場第104番
https://goo.gl/maps/AMVEVsAazvF2
この辺りの字名を「大藤」という
弘法大師坐像
『南無大師遍照金剛』
不動明王立像
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん』
ぼけ封じ観世音菩薩立像
『南無大慈大悲観世音菩薩』『おん あろりきゃ そわか』
中国楽寿三十三観音霊場第12番
弘方寺の横から20番札所へ上る
十一面観世音菩薩立像と弘法大師坐像
神島四国20番奥の院(十一面観世音/大師)
月頂山 宝珠院 慈眼寺[げっちょうざん ほうじゅいん じげんじ]
『おん
まか きゃろにきゃ そわか』
「天(あま)とふや 鶴の奥山 おくたへて 願ふ功力に 法(のり)ぞ通はむ」
四国別格霊場第3番でもある慈眼寺の別名は穴禅定の寺

弘法寺の横から参道を北へ35m上る

穴禅定の道しるべ
「穴ぜんぢう道」
https://goo.gl/maps/zZS9m2BokyM2
さらに北へ10m程上る
道しるべ「備中勇崎 未ノ歳男」
丁字路を右折し、東へ45m程進む
寺標「阿州 廿番 靏林寺 是より六丁五十間(約745.45m)
笠岡 大○屋与八 ○○屋○○ 石屋定○」
地蔵菩薩坐像(向かって右)
「鶴林寺」「覺庵 ◯◯ ◯◯ 宗◯ 妙◯ ◯◯」「綿屋」
弘法大師坐像(同左)
「二十番」「戎屋佐助」「妙鏡 と◯や ◯○◯」
神島四国20番鶴林寺 (弘法大師/地蔵) <>
霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 [りょうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ]
『おん かかかび さんまえい そわか』
「しげりつる 鶴の林を しるべにて 大師ぞいます 地蔵帝釈」
https://goo.gl/maps/ZUqS2TQUM2S2

丁字路に戻り、右の道を南西へ進む

道しるべ「丗一番 為先祖代々備後福山(福山)領
安那郡上御領村 佐藤○○ 武村○○」

県道に下り、右折して南西へ117m進む

この辺りの字名を「西大藤」という

藤の浦
「吉備高島考證(p.15)」を参照

右折して県道を西へ600m進む

中村東地区
この辺りの字名を「小藤」という
聖ノ御代浦(藤の浦の西から神島神社の東に至る海岸)
「吉備高島考證(p.34)」を参照。
差出島(さすでしま)
全国戦歿者参百拾余萬柱之感謝供養塔
神島四国21番太龍寺 (弘法大師/虚空蔵) <>
舎心山 常住院 太龍寺 [しゃしんざん じょうじゅういん たいりゅうじ]
『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
「太龍の 常に住むぞや げに岩屋 捨心聞持(しゃしんもんじ)は 守護のためなり」
https://goo.gl/maps/fdmYfHvimY52
寺標「阿州 廿一番 太龍寺 是より二丁五十◯(約309.09m)
神嶋 池○○○ 笠岡 石屋○○」
神島四国21番奥の院 太龍窟=龍の岩屋(虚空蔵)
弘法大師坐像
「*(虚空蔵菩薩の種子「タラーク」) 大龍寺 奥院」
『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
https://goo.gl/maps/kmqSo6TEis72
21番札所から県道195号線を西へ210m進む
神島霊場案内図 丸山・鴨野・中村・正砂地区(21-34番)
寺標「あわ 平等寺 二十二番 是ゟ(より)三◯(約327.27m)」
神島四国22番平等寺 (薬師/弘法大師) <>
白水山 医王院 平等寺 [はくすいざん いおういん びょうどうじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「平等にへだてのなきと聞くときは あら頼もしき仏とぞみる」
https://goo.gl/maps/bMebvUmR2DQ2
十一面観世音菩薩像(向かって左端)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
向かって左から2番目は大日如来坐像
牛供養碑かもしれない
22番
札所から県道を西へ70m進む
この辺りの字名を「岡崎鼻」という
丁字路を右折して遍路道に入り、北東へ140m進む
丁字路にある弘法大師坐像
丁字路を左折し、遍路道を北北東へ130m進む
道しるべ
「丗三番 ◯◯◯◯◯◯ 大◯◯◯◯◯◯◯」

地蔵菩薩立像
『おん かかかび さんまえい そわか』

この辺りの字名を「正砂」という
現吾大明神(げんごだいみょうじん)
https://goo.gl/maps/ceiAPTHFjsN2
神島四国23番薬王寺 (弘法大師/薬師) <>
医王山 無量寿院 薬王寺 [いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「みな人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えまします」
https://goo.gl/maps/5LivuXYMAYv
地蔵菩薩坐像(向かって右端)
『おん かかかび さんまえい そわか』
厄除け臼(自分の年の数だけ厄除けを祈願しながら杵でつく)
庚申堂
青面金剛立像
『おん でいば やきしゃ ばんだ ばんだ かかかか そわか』
三猿
井上雪下さん(1889-1957年)が23番札所を詠んだ短歌の中に登場する「三つ猿」
歌集「雪玉集」、「神島史誌(p.382)」を参照
国境道しるべ(向かって右端)「是より土佐」

この辺りの字名を「正砂堂西」という
神島四国24番最御崎寺 (虚空蔵/弘法大師) <>
室戸山 明星院 最御崎寺 [むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ]
『のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか』
「明星の 出でぬる方の 東寺 くらき迷いは などかあらまじ」
https://goo.gl/maps/U8Rk4N7i16K2
観音堂
如意輪観世音菩薩輪王坐像2体
『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
道しるべ
道しるべ「西方村 道藏」
西方村は井原市西方町
道しるべ「當村 喜治 ○三○」
神島外中学校の東にある丁字路
日本百観音(西国33所・坂東33所・秩父34所の霊場)巡拝記念碑?
「明治四◯ 百番かんぜをんぼさつ(百番観世音菩薩) 當村 山本○○」

この辺りの字名を「西砂堂前」という
地蔵堂
https://goo.gl/maps/cFZj782aXkD2
法界地蔵
「明和三天(1766年) 法界 戌三月○日」
『おん かかかび さんまえい そわか』

地蔵堂前の丁字路を左折し、細道を東へ32m進む

丁字路を右折し、南南西へ113m進む
道しるべ「丗六番 井原」
https://goo.gl/maps/3qXRPA9Vf1r

Y字路から細道を南南西へ107m進む
道しるべ「丗七番 施主 西荏原村才児(さいちご)中 世話人 中新屋圓右エ門」
西荏原村は井原市西江原
この辺りの字名を「西砂浜」という
https://goo.gl/maps/9yiP2RsPhuD2
県道に出て右折し、西へ145m進む
石鳥居(神明鳥居)
「奉建昭和八年(1933年)四月第三回目」「京西屋」「石工 久岡政太」
唐獅子(向かって右)
「奉納」
「奉獻」「氏子中」「文政十年(1827年) 丁亥仲秋」
「同 傳二郎 中村 利平太 正迫(正砂)
久?藏 同 文八 同 秀五郎
高嶋 弥吉 中村 惣右エ門 *鴨埜(鴨野) 安?六 同 松二郎
同 菊右エ門 同 周藏 正迫 紋十郎 同 儀兵衛 同
藤吉
同 太八 水落 傳四郎 正迫 熊藏 中村 役治郎 水落 定八」
「世話人 定右エ門 三良右エ門 網治良 ◯◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯」
「同 勝之助 同 長◯良 同 ◯◯ 同 忠藏 同 ◯藏
同
◯市 同 治右エ門 同 實右エ門 同 元治良 同 ◯左エ門
同 忠二良 同 甚吉 同 作三良 中◯ 友三良」
唐獅子(同左)
「奉納」「平成18年5月吉日 ○○○○○」
「奉獻」「氏子中」「文政十年 丁亥仲秋」
「水落 徳藏 同 常藏 中村 安?治良 鴨野 市五?良
水落
久?兵衛 中村 ◯治良 同 利助 同 作藏 同 兵藏
正迫 好藏 同 ◯藏 ◯◯ 芳藏 ◯◯ 喜右エ門 同 藤藏
同 菊治良 水落 荘九良 同 花七 同 常八 同 芳平」
「同 ◯◯ 同 ◯◯◯ 同 ◯藏 同 ◯藏 同 ◯治良
同 ◯兵衛 ◯◯
忠◯◯ ◯◯ ◯◯◯門 同 ◯◯◯
同 ◯◯◯ 同 金◯郎 同 ◯◯◯◯ ◯◯ 吉?良◯」
「同 廣治郎 同 ◯◯◯ 同 忠右エ門 同
與?八 同 仙?◯
同 嘉平治 同 治良八 同 新左エ門 同 又五郎 同 清?治良
同 和平 同 豊吉 同 秀治良 同 三?七 同
松右衛門」
石燈籠a(同右)
「常夜燈」「文化十歳(1813年) 酉八月日」
「◯舩來 正迫組 世話人 半兵衛 源四郎 常治郎 喜治郎 長?右◯門」
「◯◯郎 ◯◯◯ 菊?八 利兵衛 佐助 ◯八 忠兵衛 勝治郎」
「◯◯◯ ◯◯ 三?◯◯ ◯治◯ ◯◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯」
「◯◯ 辰藏 ◯吉 音?藏 ◯◯ 忠治郎 石工 水落 定八」
水落の石工である山本定八さんは鴨野の荒神社の石燈籠も手がけている。
石燈籠b(同左)
「獻燈「文化十二年(1815年) 亥八月吉日」「社◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯中」
玉垣
「奉寄進玉垣 惣氏子中」「文政六(1823年)癸未 六月吉祥日」
「◯◯◯◯ 森◯◯三 小◯◯◯郎 前川円治郎 土倉?◯◯ ◯奥◯右エ門
鴨野◯十郎 宮地益知 松波萬吉 清水吉郎平 山本惣吉 中塚作治郎
平川恵助 片岡千代吉 妹尾惣左エ門 清水定八 谷與右エ門」
例大祭(九月第四日曜日)
当日は奴行列が行われる
注連柱
「神悳自在」「永擁圀土」「明治廿七年(1894年)八月吉日」「小西季五郎 前川丹治郎」
明治27年は日清戦争の年。
社標
「延喜式内社」「神島神社」
「祭神 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
興世姫尊(おきよひめのみこと) 天皇在位六十周年記念
昭和六十一年(1986年)十二月吉日再建 氏子中」
笠岡市内にある式内社は神島神社と有田にある在田神社のみ
盥漱盤(注連柱の向かって左)と百度石
「*奉𤣉(奉獻)」
神島神社の拝殿
「御登極記念 小田郡誌(p.100)」に「一、神島神社 一名興世(※興与 おきよ)明神とも云ふ。
祭神は神武天皇にして社格は村社なり。創立は不詳。建國の當初は神武天皇の己未より
辛酉まで三年間高島に行在ましませしを、往古移轉
氏神とす。其の頃村名を勝間の浦と
稱せしを、神島と改む。文徳天皇*嘉祥(嘉祥)四年(851年)正月庚子叙正六位下
*淸和(清和)天皇
貞觀元年(859年)正月甲子授賜従五位上と延喜式神名帳に云ふ。
備中國小田郡神島神社とある。即ち是なり。元祿四年(1691年)末備後國福山城主
水野美作守の再建なり。祭日は毎年八月拾七日。社地反別は一段五畝二十一歩。
地種は官有第一種。造營は氏子の協力による
氏子數三百三十九戸。鎭座は神島外浦
字 南水沖。建物本社は梁行二間五尺一寸桁行同上。拜殿は梁行二間一尺三寸
桁行四間二尺五寸。神輿庫は梁行二間桁行二間五尺。石鳥居は高さ二間一尺
横一間五尺六寸。屬社數は十五。末社數四社。 天照太神の社 祭神は天照太神
社殿は二尺五寸幅二尺。 金毘羅神社
祭神は金山彦命 社殿は長さ二尺幅二尺。
恵美須神社 祭神は蛭子命 社殿は長さ六尺幅三尺。 沼名前神社 祭神は素戔命
社殿は長さ二尺五寸幅二尺」と記さている
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
「皇国地誌(明治9年)」には「(中略)興与明神ト云、明治維新ノ秋再ヒ旧称ニ復ス」とある
https://goo.gl/maps/mM6FwJqA5bz
石燈籠c
「奉寄進石燈爐」
紀年銘は判読困難
手前にあるのは古い石鳥居の柱を切り分けたものか?
石燈籠e
「奉獻」「文政七(1824年)甲申」「八月吉辰日」
自然石の燈籠
「金(金毘羅) 文久元年(1861年) 酉八月吉日」
「世話人 ◯◯◯ 正◯乙?松 若連中 岩吉 亀吉 治助 文吉」
石祠
「嘉永三(1850年)戌 二月吉日」
「世話人 正迫岩吉 中村桂○ 同 治○○ 加◯◯◯◯ 正迫 吉◯」
神武天皇御尊像

力石
笠岡市内の力石の大部分は西浜の笠岡市立郷土館に展示されている
三島中洲の詩碑
「遠奉天宣起大師 誅滅兇魁四陲治 無辜不殺眞*神武(神武) 一挙開成萬世基」
「宮中顧問官 従三位勲一等文學博士 三島 毅 敬書 時歳九十」
師: いくさ。集団をなした軍隊。
兇魁(きょうかい): 凶悪な首領
無辜(むこ): 罪がない
四陲(しすい): 四垂。四方の辺境。四境。
日本書紀の高嶋宮に関する部分「乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行館宮以居之、
是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。」を元に詠んだ漢詩。
「三島 毅」は備中国窪屋郡中島村(現在の倉敷市中島)出身の漢学者
三島中洲(みしま ちゅうしゅう 1831-1919年)博士の本名。
高島の神卜山上にある高島行宮遺阯碑は三島博士の筆になる。
「吉備高島考證(p.15)」を参照

本殿

唐獅子1対(本殿前)
「奉献」「薮田萬作 薮田喜治郎」「昭和四年(1929年)十月吉日建之」
神島神社祭礼奴行列の石碑
「古事記編纂一三〇〇年 平成二十四年十一月吉日 奉納 ◯◯ ◯ ◯◯◯」
慰霊碑
「慰靈」「昭和四十三年(1968年)八月十五日建之
神島外地区身戰歿者慰霊碑建立*委貟会(委員会) 元比島戦爭裁判教誨師 加賀尾秀忍書」
笠岡の古城山の招魂社にある忠魂碑(昭和35年建立)も加賀尾秀忍氏(1901-1977年)の撰并書。
石燈籠f
「奉獻」「文政七(1824年)甲申」「八月吉辰日」
「願主 中村 森 文左エ門 同(森) 礒五郎
同
山本久四郎 同 中塚仙槌 鴨野 坂本○五郎」
石燈籠d
「奉◯◯◯◯」
胡子神社
「(戎)」「胡子○」
「本戎神社 世話人 藤?井◯◯◯ 河?田◯◯◯ 大正九年(1920年)七月吉日」
「山本◯◯ 妹尾◯◯ 横道◯◯ 森◯◯ ○原○◯◯ 仁井◯◯」
高島神社之碑
篆額「*𥛃武(神武)天皇行宮(あんぐう)趾 高島*𥛃社(神社)*𡳿(之)碑 宮内大輔(たいふ)杉孫七郎謹書」
「よろつ慕はしき盤(は)い爾(に)しへ爾(に)しくものあらし
●よろず慕わしきはいにしえ(古)にしく(及く=およぶ)ものあらじ
■総べての尊き事慕わしきことは、先人の歴史があってこそ、今の我々がある。
い爾(に)しへありてこ所(そ)
●いにしえ(古)ありてこそ
志(し)多(た)可(か)いてい末(ま)もある良(ら)免(め)
●したがいて今もあるらめ
然らさりせ盤(は)本奈(な)きに末あ良(ら)めや
●然らざりせば本なきに末あらめや
■大きな木も、基(もと)になる幹が無ければ枝葉は存在しない。
所(そ)ゝろ奈(な)るもの春(す)良(ら)かゝ利(り)介(け)利(り)
●そぞろなる(無関係な)ものすらかかりけり(係りけり)
■何かの所縁(ゆかり)に心引かれ強い古(いにしえ)を感じるのは確かな歴史があるからだ。
まして天津ひつ幾(き)爾(に)縁あ良(ら)む爾(に)盤(は)
●まして天津ひつぎ(天津日嗣=天皇の位)に縁(えにし)あらむには
■まして、日本の皇室にご縁がある事柄は
等閑爾(に)やむへきひとや盤(は)ある
●等閑に(=なおざりに)やむべきいとやはある(どうしてあろうか、いやそうではない)
■疎かに出来ない。
吉備の美(み)ち奈(な)可(か)なる高島も
●吉備のみちなかなる高島も(※きびのみちのなかつくに=備中国)
■この岡山の地に残る高島も
春(す)奈(な)はち其ひとつ爾(に)て
●すなわち其ひとつにて
■その重要な一つであります。
神日本磐余彦天皇の西よりおこりたまふと幾(き)爾(に)
●神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)の西よりおこりたまうときに
宇佐岡埃のみやなとへて
●宇佐、岡、埃(え)の宮などへて(経て)
■神武天皇が九州の宇佐から崗(おか、筑紫)や埃(え、安芸)の宮を経て
移りいて末(ま)ませる地なり
●移りいでませる地なり
■吉備の高島にお立ち寄りになった大切な土地であります。
神島といへる盤(は)所(そ)のきたの可(か)多(た)十町は可(か)り爾(に)あり
●神島といえるは、そのきたのかた(北の方)十町(※正しくは十四町)ばかりにあり
■神島(こうのしま)もその北方十町(約1㎞)ばかり離れているが、
もと盤(は)ひとつ志(し)ま奈(な)りしを
●もとはひとつしまなりしを
■元は一つの島であったが、
あら幾(き)潮のほりてかく須(す)可(か)多(た)に奈(な)り介(け)るとなむ
●あらき潮(うしお)のほりて(掘りて)、かくすがたになりけるとなむ
■荒い潮流で堀り別けられ別々の島になった。
わ幾(き)て昔のなこりとみゆる盤(は)一もとの神木なりけ里(り)
●わきて(特にとりわけて)昔のなごりとみゆるは一もとの神木(かむき)なりけり
■が、そこに天皇のお手植えの神木が、
天皇の御手つ可(か)ら植た万(ま)ひしといひつ堂(た)へて
●天皇(すめらみこと)の御手(おんて)ずから植たまいしといいつたえて
■地元で大切に守られてきた
枝さし於(お)可(か)しく志(し)介(け)りたてり
●枝さし(枝ぶり)おかしく(見事に)しげり(繁り)たてり
■その枝ぶりも高く繁り、
奈(な)可(か)るゝいつ三(み)の水も堂(た)ゝうや八(は)
●流るるいずみ(泉)の水もたたう(湛う)やは
■流れる真名井の水も
おほゆるそ?万(ま)奈(な)ひのさや可(か)なるの三(み)
●おぼゆるぞ?まない(真名井)のさやか(あきらか)なるのみ
■豊かで、
加(か)つてところの状けし幾(き)さへ
●かつてところの状(すがた)けしき(景色)さえ
世(せ)つ可(か)支(き)かうゝしき爾(に)
●ぜっかき(絶佳き=優れて美しい)かうがう(こうごう=神々)しきに
不(ふ)るめかしき瓶やうのも能(の)奈(な)と
●ふるめかしき瓶(かめ)やうのものなど
登(と)支(き)ゝほりいたさるゝは
ときどき(時々)ほりいださるるは
■それ以外にも、古代の土器なども出土していて
か介(け)てもいま免(め)く器爾(に)毛(も)あ良(ら)し那(な)
●かけてもいまめく(今めく=今風である)器にもあらじな
■古(いにしえ)の栄えが偲ばれる。
天皇をいつき末(ま)つれる地や王泊といふなる
●天皇をいつき(齋)まつれる地や王泊というなる
■この高島には天皇が留まった王泊(おうどまり)との地名があり、
む年(ね)ゝしき祠奈(な)らねと
●むねむねしき(宗宗しき=しっかりしている)祠ならねど(※高島宮は仮宮)
所(そ)のか美(み)三年本(ほ)と末(ま)しゝて
●そのかみ(神)三年ほどましまして(※古事記では八年間)
■(日本書記では)三年ほど滞在され、
船を曽(そ)ろへ糧をそ(所)なへて
●船をそろえ糧をそなえて(※高島の西にある稲積島に糧を備えたと云われている)
■その間に軍備や兵糧を貯えて、
天の志(し)多(た)を平むと世(せ)させた万(ま)ひしこと万(ま)て
●天のした(下)を平(たいらげ)むとせさせたまいしことまで
■この国を平定しようと準備をなされた地であり、
面可(か)け耳(に)こ所(そ)う可(か)ひし可(か)果して
●面かげにこそうかびし(浮かびし)が果して
■その面影を残している。
大和の國ところゝを経川(つ)ゝあ末(ま)たゝひ軍して
●大和の國ところどころを経つつ、あまたたび(数多度)軍(いくさ)して
■この地を出発され、大和の国に至り、
末(ま)つろはぬひと乎(を)まつろへた万(ま)ひ
●まつろわぬひとをまつろへたまい(服え給い)
■各地を転戦され、反抗する輩(やから)を平定し、
よろつ代爾(に)堂(た)め志(し)奈(な)き功奈(な)りぬれ八(は)
●よろず代にためし(例)なき功(いさお)なりぬれば
うへも所(そ)のはつ國志(し)らしゝ
●うえもそのはつ國しらしし(※神武天皇の別名は「はつくにしらすすめらみこと」)
■その地を始めて治められたので
年をこ所(そ)紀元爾(に)そたてられ爾(に)け里(り)
●年をこそ紀元にぞたてられにけり
■紀元と定められた。
さ春(す)可(か)耳(に)中今盤(は)本を王(わ)春(す)れ美(み)
●さすがに中今(なかいま=現在)は本(もと)をわすれみ
■しかしあれから時を経て、忘れがちだがそれでもこの高島は今の世にまで
受け継がれてきた。
昔にのりとらせたまふ所(そ)ことわりに
●昔にのりとらせたまうぞことわり(宣り取らせ給うぞ理)に
か奈(な)ひてい多(た)よし奈(な)きと?
●かないていたよしなき(適っていた由無き)と?
かくひさしくうつ毛(も)れし宮趾さへう徒(つ)ゝ爾(に)あ良(ら)はれぬる盤(は)
●かく久しくうずもれし(埋もれし)宮趾さえうつつ(現)にあらわれぬるは
少縁のこと爾(に)てあり奈(な)むや
●少縁のことにてありなむや
いは万(ま)くもかしこ介(け)れと
●いはまくも(口にするのも)かしこけれど(畏れ多いが)
天皇の御霊の志(し)るへ奈(な)り
●天皇(すめらみこと)の御霊(みたま)のしるべ(導き)なり
■これも神武天皇の御霊(みたま)のお導きであろうか。
かくし奈(な)はし免(め)これを見い多(た)せる盤(は)
●かくしなはしめこれ(高島宮趾)を見いだせるは
■この事実を最初に発見したのは
高本禎吾といふ人なりし可(か)
●高本禎吾という人なりしが、
■高木禎吾(地元在住の医者で学者)と言われる人であったが、
松田謙三等毛(も)あつ可(か)利(り)てあ利(り)つるやうを
●松田謙三等もあずかりて(与りて)ありつるようを
■松田謙三(明治十一年から十七年間岡山に滞在)らと相談して、
杉宮内大輔爾(に)告徒(つ)公へのまをしふ三(み)盤(は)
●杉宮内大輔に告つ、公へのもおしぶみ(申文)は
■高崎五六岡山県令(明治八年から十七年在職)を通して
高崎岡山縣令耳(に)つ幾(き)てたてまつれり
●高崎岡山縣令につきてたてまつれり(奉れり)
■杉宮内大輔(宮内庁の役人)に報告した。
をとゝしの春爾(に)い堂(た)りて
●おととし(明治十五年)の春にいたりて
■一昨年の春になって
宮内省より金所(そ)こはくあてた万(ま)ひ
●宮内省より金そこばく(若干)あて(充て)たまい
■宮内省から若干の予算がついた。
かの神木の王(わ)多(た)りを盤(は)
●かの神木のわたり(辺)をば
■主としてこの神木の週辺を
於(お)ほやけ地とさ多(た)められ介(け)るを
●おおやけ地(公地 ※第三種官有地)とさだめられけるを
■公的な地とし、
於(お)奈(な)しく盤(は)祠をもあ良(ら)た爾(に)志(し)つらは多(た)はしと
●おなじくは(いっそのこと)祠をもあらたにしつらわたわしと
■同時に高島神社の社も新築して欲しいとの
氏子とものね可(か)ひ介(け)礼(れ)八(は)
●氏子どものねがいければ
■氏子の要望も
祢(ね)可(か)ひの万(ま)ゝにゆるされぬ
●ねがいのままにゆるされぬ
■許可になり、
河田三七と可(か)やいふ可(か)ところ堂(た)て末(ま)つりて
●河田三七とかやいうがところたてまつりて
■河田三七なる人も土地を寄進して、
宮徒(つ)くり耳(に)いたり介(け)る盤(は)
●宮つくりにいたりけるは
■神社建築に至ったことは、
道ある御代爾(に)つきゝしき王(わ)さ可(か)奈(な)
●道ある御代(みよ)につきづきしき(付き付きしき=ふさわしい)わざかな
■王道の正しい御代に相応しく素晴らしいことであった。
かゝる人々の名も志(し)る春(す)こと盤(は)かりせは
●かかる人々の名もしるすことはかりせば
■このように努力された関係者の名を伝えて
奈(な)可(か)くつ堂(た)ふるに
●ながく(永く)つたうるに
■顕彰碑を残し、後の世に古(いにしえ)を偲ばせ、
よし奈(な)可(か)良(ら)よし後のい爾(に)しへをしのばん毛(も)の盤(は)
●よしな(皇紀元年以前?)からよし後のいにしえ(古)をしのばんものは
■永く伝えることは大切で
幸にこの石ふ三(み)によりて於(お)もひさとり奈(な)末(ま)し
●幸にこの石ふみ(碑)によりておもいさとりなまし
■この碑文に拠って思いを馳せて戴きたい。
明治十七年(1884年)六月 大教正 田中頼庸(よりつね)謹撰 植松有経(ありつね)謹書」
※ ■は台座部分に記されている現代語訳。
高島神社之碑が建立されたのは明治23年(1890年)。
高島の遺蹟保存の先覚者で高島神社之碑を建立した高木禎吾氏(元高松藩医)については
「小田郡誌
下巻(pp.713-714)」を参照(※小田郡誌には「高木貞吾」と記されている)。
高木禎吾氏と共に神武天皇高島行在遺蹟顕彰事業に尽力した松田謙三氏については
「小田郡誌 下巻(pp.714-715)」を参照。
杉孫七郎氏(1835-1920年)は宮内大輔。周防出身。後に子爵に叙せられる。
松田謙三氏の友人。
田中頼庸氏(1836-1897年)は伊勢神宮大宮司。薩摩出身。
植松有経氏(1839-1906年)は歌人。尾張出身。宮内省の御歌所に勤める。
高島にある聖蹟については「吉備高島考證(世良長造 著 昭和十四年五月十日 発行)」を参照。
「吉備高島考證」によると、第一世の天皇御手植えの榊の根本から芽生えたものらしい。
第二世の榊の根本の周囲は七尺五寸(約227cm)餘。第二世の榊が枯れて後、
その根から第三世が芽生えたが、児童がその芽を折ってしまい、遂に枯死したという。

台座部分に記されている現代語訳
高島神社
高島および高島神社については
別項を参照
https://goo.gl/maps/gUWoLHdKdf12
高島神社がある王泊から神島外浦を望む
正面に聳えるのは栂の丸山。神島神社(黄色の印の辺り)は視認困難。
神籬(天皇御手植の榊)の跡
高島の王泊にある。昭和7年頃に榊は枯死。今は玉垣のみが残っている。
https://goo.gl/maps/e6bcnDWsR6y
眞奈井(まない)
https://goo.gl/maps/oRVjrA1Z6312
高島行宮遺阯碑
https://goo.gl/maps/DLwcXHJCntk
恵比須宮
「海上安全・家内安全・商売繁盛」「平成六年八月再建」

狛犬(向かって左)と唐獅子(同右)
「同 ◯◯ ◯◯ ◯◯」
西入口の注連柱の脇にある
自然石の台座(高島神社之碑の両脇にある)
「奉寄進」「安永九(1780年)子? 五月吉日 中村 若◯◯(若連中?)」
この台座が狛犬と唐獅子の本来の台座か?
注連柱
「神島外浦有志」「昭和三十四年(1959年)九月吉日建之」

神島神社の正面(南南西)
向かって左に高島、中央に鳥島、その奥に走島、右手前に差出島、その奥に明地島。
高島と明地島の間の瀬戸を「くろを瀬戸」という。
「くろを」は神武天皇の御舟を先導した人の名前。
「吉備高島考證(p.31)」を参照
神島神社前から南西を望む
向かって左に差出島、中央に鳩島、その奥に稲積島、右奥に仙酔島(その向こうに鞆)
「浜には興世 明神の社 是より遙か 眺むれば 月出高島 白石北木
真鍋に高見 佐南ぎ島 差出島兜山 八栗八島に 壇ノ浦
并に亀島蒲團島 其他島々 あまた有」
神島道志る遍(「神島史誌(pp.221-224)」)より
「浜には興世 明神の社」の部分は「の」を省くことでほぼ七五調の歌となる
「はまにはおきよ みょうじんじゃ これよりはるか ながむれば
つきでたかしま しらいしきたぎ まなべにたかみ さなぎしま
さでしまこうやま やくりやしまに だんのうら
ならびにかめしま ふとんじま そのたしまじま あまたあり」
興世明神の社とは神島神社のこと
「月出(月出島)」は神島と高島の間にある差出島(さすでしま)の旧称(「神島史誌(p.649)」)。
「差出島」の解説として「ある大きさの島や崎の前にちょこんと飛び出した島の意」と記されている。
兜山(甲山 こうやま)は本四国74番甲山寺の南にある山(標高87.2m)。
神島神社の南東33.431km。壇ノ浦は高松市屋島(84番屋島寺がある)の壇ノ浦。
八栗は高松市の五剣山にある85番八栗寺。
亀島は今治市上島町にある亀島(神島神社の南西36.336km)、蒲團島は播磨灘の
家島諸島にある太島(ふとんじま。神島神社の東北東103.539km)のことか?
神島神社前の砂浜
「保存版 井原・笠岡・浅口今昔写真集(p.103 2014年)」に古い写真(県道開通以前のもの)あり
「
齋垣内集二編(p.
岡 直廬 著 明治40年)」に「同年八月廿四日浴備中國小田郡神島海水歌并短歌
千早振、神島山は、白波の
いさきめくれる、ありそわ(荒磯廻)の、
清き島根を、世の人の 來入りつとひて、うしほ(潮)あみ、
身をそゝくとふ、この島に、われも出來て、朝なゝ(あさなさな)、
かつき(被き)額つき、波のむた、うかひ出つゝ、沖にへ(辺)に、
身そき(禊)をすれは、神の代の、むかしおほへて、身にもたる、
やまひ(病)のみかは(身皮?)、をかし(侵し)けん、
つみもけかれも、たちまちに、消えうせにけん、心さへ、清くなりけり、ますかゝみ、
さやけき浦の、しら波の、清きなきさの、これのしま山
短歌 はま清み 浦うるはしみ 人皆の かつきぬかつく 神しまのはま」と記されている
また同書p.25に「たちかへり またもきて見ん
高しまの 神島山に よするしらなみ」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「清」の字は旧字の*淸
いさく: (波が)花の咲くように美しく打ち寄せる
額(ぬか)づく: ひたいが地につくまで頭を下げて拝礼する
波のむた(与・共): 波と共に
真澄鏡(ますかがみ): ますみのかがみ。曇りなき心のたとえ。
「同年」は明治38年(1905年)。
岡
直盧氏は高島にある
日露戰役記念碑に
「ま春(す)らをの 清き曽(そ)乃(の)名を萬代耳(に)
か多(た)里(り)頭(つ)可(か)んと立し石文」という短歌を添えている

神島神社前から王泊の高島神社を遙拝(約2km)
向かって左端に石鳥居、右端に高島神社

神島神社の西にある丁字路
神島四国25番津照寺 (弘法大師/揖取地蔵) <>
宝珠山 真言院 津照寺 [ほうしゅざん しんごんいん しんしょうじ]
『おん かかかび さんまえい そわか』
「法(のり)の船 入るか出ずるか この津寺(つでら) 迷うわが身を 乗せて給えや」
https://goo.gl/maps/L8PWdMm563S2
地蔵菩薩坐像a(向かって右)
「爲先祖代々菩提 橋本屋茂兵衛 大嶋傳次郎 石橋屋藤兵衛 新屋與左衛門」
「施主 笠岡 大島屋 傳次良 母 さん」「石工 久吉 文久三癸亥年(1863年) 五月二日」
地蔵菩薩坐像b(同左)
「*(地蔵菩薩の種子「カ」) 法界」「天保十三(1842年)」「七月日」
『おん かかかび さんまえい そわか』
寺標「土州 廿五番 津寺 従是一丁半(約163.635m) 亀屋○○ 戎屋○○」
お題目塔
「南無妙法蓮華経 水慶?逆○ 有縁無縁 法界萬霊」「明治廿六年(1893年)九月建之」
「施主 外中村 村山◯◯ 西宮碇 ◯ 同(村山) ◯◯ 孫 白井◯◯」
25番札所前から県道を北西へ134m進む
お遍路の壁画
ありし日の白砂青松を偲んで描かれている

この辺りの字名を「中之内南」という
県道の丁字路
奥竹商店と自動販売機
奥竹商店の前(南)
石燈籠と自然石地神
銀婚紀念常夜燈(大正天皇陛下の銀婚紀念)
「大正十四年(1925年)五月十日建之 外浦 青年團中央支部」
https://goo.gl/maps/Cpza7LcZFWC2
「石材 白石島 保住萬吉 石工 入江新田 原田伊三郎 發起者 支部員一同」
トイレ
旧四ツ堂(奥竹商店の東)
築約250年
(2015年に老朽化により解体)
本尊の地蔵菩薩立像
地蔵堂(旧四ツ堂を解体し、2015年11月17日に新築)
『おん かかかび さんまえい そわか』
神島四国26番金剛頂寺 (薬師/弘法大師) <>
龍頭山 光明院 金剛頂寺 [りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空」
https://goo.gl/maps/mh7EPGdwdSo
中央と向かって右は地蔵菩薩坐像、右奥は如来像
錫杖も丸彫りの地蔵菩薩立像
寺標「土州 廿六番 西寺 施主 笠岡 嶌屋礼○○ 鍋屋藤 従是六丁十六間(683.63m)」
地蔵堂(26番札所から県道沿いに北西へ110m進んだ所)
この辺りの字名を「中村浜川西」という
https://goo.gl/maps/2YwhmV8ThAN2
地蔵菩薩坐像
「無二地藏尊(餓鬼界) 延命地藏尊 伏息地藏尊(天上界)
昭和十一年一月二十日之建」
道しるべ「丗八番 方村 大砂 内杢八良」
26番札所から北へ進む
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