【神島四国八十八ヶ所霊場の画像集.8 江之浜(38番)-見崎(見崎神社)】
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江ノ浜の海岸から38番札所へ上がる所に法界地蔵あり
向かって左に見えているのは38番札所がある天蓋鼻。オカメ鼻、
足ズリ岬(本四国の38番金剛福寺がある足摺岬に準えて)ともいう。
法界地蔵(旧)
「大正十一年(1922年)三月廿日建立」
「*㔺話人(世話人) 西◯◯◯ 住◯◯◯ 川◯◯◯ 渡辺◯◯」
法界地蔵(新)
遍路道を西へ180m上る
周兵衛庵の横から上る遍路道と合流
向かって左端は不動明王立像
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた かんまん』
石殿(向かって左)
「延享○○○ 寛○○○○ 再◯○ 石◯◯◯」
延享年間は1744-1748年。寛政年間は1789-1801年。
石殿の向かって左の壁の内側と外側にも銘文あり。
三面千手観世音菩薩立像
『おん ばざら たらま きりく』
千手観世音菩薩(中央)
石殿(向かって右)
「同国同郡(=備中国小田郡)今立村 世話人」「天保十四年(1843年)卯三月日」
弘法大師坐像
「三十八番 蹉跎山 笠岡西の濱」
神島四国38番金剛福寺 (三面千手観世音/弘法大師) <>
蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 [さださん ふだらくいん こんごうふくじ]
『おん ばざら たらま きりく』
「ふだらくや ここは岬の 舟のさお とるもすつるも 法(のり)のさだ山」
https://goo.gl/maps/5XA7vinFoo62
寺標
「*土州 三十八番 蹉跎山」「是与里(これより)五丁(約545.45m)」「笠岡 西濱中」
「州」の字は異字体の「刕」に似ている字(「刀」ではなく「カ」)
仏塔
仏塔内の阿弥陀如来坐像
『おん あみりた ていせい から うん』
奉唱光明真言百七十萬遍供養塔
「奉唱光明真言百七十萬遍供養塔」
「願主 小田郡吉濱村枝廣幸造源之䌓 明治廿一年(1888年)二月十五日歿 享年八十二」
「王連死し天 行さき何国と人と者ゞ いま入る西の月とこ多へよ 辞世」
(われ死して 行さき何国と人とはば いま入る西の月とこたへよ)
『おん あぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』
百度石
「百度石」「明治十九年(1886年)四月 巳之生男」「光明真言百万遍」
石燈籠の竿?
「奉燈」「嘉永四(1851年)亥七月吉日」「願主 門田村辰年◯」
38番札所から北北西へ655m進む

断崖(標高43m)
神島なびっくLANDの南にある海岸
海岸の東部の字名を「見崎 天ヶ端」という。海岸の西にある岬は御崎。
岬の先端部にある「おはなの岩」
「小田郡誌 下巻(p.643)」に「岬端に近き所*海神(海神)を
祀れる御崎*神社(神社)ありて、*航海者(航海者)の崇敬篤かりしが、
今は*天神社(天神社)に合祀せり。」と記されている。
神島西部の海辺 (御崎の南端から北へ約600mの所)
「吉備高島考證」の地図に記された御崎神社の位置はこの辺り。
御崎神社の祭神は大綿津見神。「神島史誌(p.24)」を参照。
https://goo.gl/maps/SaYg9aMmtCF2

御冠岩?
冠を収めるのに丁度良さそうな洞がある
「小田郡誌(p.643)」には「此地(御崎)の稍(やや)北方西麓に御冠岩ありて
蟠れる老松の下に巨巌屹立せり。傳へ云う。神武天皇御散策の時
御冠を置き給ひし所なりと。」とある。

38番札所から遍路道を北北西へ90m進む
弘法大師坐像
「丙文化十三年(1816年) 弘法大師 子五月吉祥日」
『南無大師遍照金剛』
https://goo.gl/maps/Zz2rtGKHrXD2
道しるべ(向かって右端)
「御ノ山 正○ ○○○三丁(約327.27m)」
「山」の字のみ篆書体。
https://goo.gl/maps/dDCzH9GBkK22
地蔵菩薩坐像(向かって右から2番目)
『おん かかかび さんまえい そわか』
台座?(同3番目)
「◯◯市 丑ノ年男」
地蔵菩薩立像(同4番目)
『南無地蔵大菩薩』
浅ノ王にある神島なびっくランドの敷地内を通り抜ける
このあたりを魔王谷、その東北の隅を海賊谷という
「小田郡誌 下巻(p.644)」を参照
正面に銅山(あかがねやま)採石場跡(現 神島廃棄物最終処分場)
銅山は昭和47年に売却。切り下げられて、元の姿を失った
「神島史誌(p.497)」を参照

この辺りの字名を浅ノ王堂ノ上という
旧堂(2012年)
寺標「土州 丗九番 寺山 笠岡 東濱中 是ゟ(「より」の合字)五丁(約545.45m)」
新堂(2013年)
神島四国39番延光寺 (薬師/弘法大師) <>
赤亀山 寺山院 延光寺 [しゃっきざん てらやまいん えんこうじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「南無薬師 諸病悉除(しつじょ)の 願こめて 詣る我が身を 助けましませ」
https://goo.gl/maps/8UshPZp2WAH2
本四国の39番札所にある眼洗い井戸?
向かって右から大師坐像、地蔵菩薩坐像、馬頭観世音菩薩坐像
馬頭観世音菩薩坐像
『おん あみりとう どはんば うんぱった そわか』
40番奥の院まで遍路道を北へ160m進む
38番札所から北へ106m進んだ所にある国境道しるべ
「是ゟ(「より」の合字)伊豫」
https://goo.gl/maps/kN2KsPeZkL32
北東へ40m程進む
篠山観世音寺(旧四国40番奥の院)
十一面観世音菩薩坐像と弘法大師坐像
『おん まか きゃろにきゃ そわか』『南無大師遍照金剛』
https://goo.gl/maps/DSqbmZ3XkUm
三日月神社跡
https://goo.gl/maps/b5UCverySH22
御月勢至菩薩を祀る
『おん さんざんさく そわか』
施主は今戸屋宇兵衛(神島四国11番、39番、63番、77番の石仏施主)。
「神島史誌(p.209)」を参照。
高知県大月町にある番外札所「月山神社(明治以前は守月山月光院南照寺)」
から勧請したものと思われる。南照寺の本尊は勢至菩薩。
海の護り神として信仰されている。
本四国38番金剛福寺から39番延光寺への道中にある。
高知県大月町公式ホームページの月山神社の紹介
http://www.town.otsuki.kochi.jp/kankou/midokoro_07.html
歌人 小見山輝氏の「月の岩境」という題の歌の中に
「月の祀りの跡所」「月讀の神の岩境」とある。
歌集「春傷歌」、「神島史誌(p.385)」を参照

御神体は昭和48年に銅山から御崎神社の石鳥居の横に遷座
御崎神社前にある御神体
40番札所まで遍路道を北へ500m進む

この辺りの字名を見崎タジノ王という

神島四国40番観自在寺 (薬師/弘法大師) <>
平城山 薬師院 観自在寺 [へいじょうざん やくしいん かんじざいじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「心願や 自在の春に 花咲きて 浮世逃れて 住むやけだもの」
https://goo.gl/maps/rVA8nEnpiJp
寺標「いよ 觀自在 四十番 江原村 辰巳屋 是より三丁廿間(約363.6m)」
41番札所まで、遍路道を北東へ283m下る

この辺りの字名を見崎平山という
御手洗池
「海波の堆積作用により生成せる小潟湖たり。風光明媚
眺望絶佳にして白砂青松遠く連り、自然に小天橋をなす。」
「小田郡誌 下巻(pp.642-643)」を参照
「御手洗の 水にも白く 波立つや みさきの濱の 雪の松原」(「松葉集」より)
日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール株式会社西日本製鉄所)の
造成のために濱砂は採り尽くされ、松原も伐採された
かつては海水浴場だったというが、今は海砂採取により砂がほとんどない浜となっている
御手洗池の北
歌に詠まれた松原があった所
神島霊場遍路地図 見崎・寺間地区(41-51番)
神島四国41番龍光寺 (十一面観世音/弘法大師) <>
稲荷山 護国院 龍光寺 [いなりざん ごこくいん りゅうこうじ]
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「この神は 三国流布(さんごくるふ)の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く」
https://goo.gl/maps/ps9gh6VAFcL2
寺標「豫州 四十一番 稲荷山 従是三間(約5.45m) 施主 笠岡 讃岐屋元○」
41番札所から東へ75m進む
御手洗池の横にあるトイレ
御手洗池
水深はかなり浅く見える(1mくらいか?)
「御登極記念 小田郡誌(p.95)」に「御手洗の池 神島内浦の西端北面して瀬戸内海に
*蒞(莅)みたる處を見崎といふ。海岸は松原遠く連なりて、其の側
高瀬山麓に海波の堆積作用に依つて生成せる御手洗の池と稱する自然池あり。
上古
神武帝御東征の際、此の池にて御手を洗はせ給ひしてふ傳説に據(拠)り、
該名を遺存せしと云ふ。嚴冬の季、松原より池を眺望せし景の優れたりしにや、
松葉集に。『霜月末つかれた神島の御崎の濱にて讀める』と題して。
御手洗の 水にも白く 波立つや みさきの濱の 雪の松原。
と詠じある。因に同書に『神島のみ崎にて』と題し。
かもめゐる み崎の濱の 朝なきに 見るめはれたる 磯の松原。
との詠歌あり。松原の中央に小やなる茶店ありて、美味なる甘酒を售(う)る。
陰暦二十一日大師*緣日(縁日)の時、巡禮者此處に憩ひて是を賛美す。」とある
※文中の「神」の字は旧字の「*神」
「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 笠岡(p.105 松原の写真あり)」に
「池の中央に深い淵があり今も清水が湧き出ている。讃岐国万農池に池の底が
通じていると島民はいう。」と記されてる

この辺りの字名を池ノ内という
神島四国42番仏木寺 (大日/弘法大師) <>
一カ山 毘盧舎那院 仏木寺 [いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ]
『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
「草も木も 仏になれる 佛木寺 なお頼もしき 鬼畜人天(きちくにんてん)」
https://goo.gl/maps/MrSMnkP1VPr
里程道しるべ(順打ち)「五里(約19.636km)」
42番札所から遍路道を東へ120m進む
神島四国43番明石寺 (弘法大師/千手観世音) <>
源光山 円手院 明石寺 [げんこうざん えんしゅいん めいせきじ]
『おん ばざら たらま きりく』
「聞くならく 千手不思議の 誓いには 大盤石(だいばんじゃく)も かろくあげ石」
https://goo.gl/maps/fQZjnE3dJM62
寺標「豫州 四十三番 明石寺 是ヨリ一丁十四間(約134.5m)
施主 近江屋利喜○ 妹尾屋源太○」

えびす神社
「神島史誌(p.393)」の御崎の恵美寿神社の項を参照
「小早川枝流 鯛買ふて 戻る笑顔や 恵比須講
明治四十四年(1911年) 十月吉祥日 中村之住人 七十歳翁 作者 ◯◯◯○」
43番札所から見崎神社(御崎宮)前まで、南へ35m進む
見崎神社(御崎宮)の石鳥居の向かって左にある三日月神社
御月勢至菩薩(月読命)を祀る。
勢至菩薩(月待ち講の本尊)の縁日は毎月23日(旧暦)。
『おん さんざんさく そわか』
水鉢
「奉納」「福山市 三日月神社 講中」
再建後の三日月神社
注連柱
「奉納」「平成二十七年(2015年)十二月吉日」
「冬至には、神島、福山近隣の信者が、舟を浜に着け、列をなして御参りしていた」
と刻まれている。三日月様は「冬至様」とも呼ばれている。
一の石鳥居
「御崎宮」「大正五年(1916年)九月◯◯」「御崎氏子中」

石燈籠
「御神燈」「文政八乙酉年(1825年)」「三月吉日」
古宮に遷座した際に奉納されたもの
二の石鳥居
「御崎宮」「村長 長鋪佐太郎 世話人 伊藤◯吉 仝 ◯造 仝 菊治郎 仝 利吉」
「長鋪喜作 仝
吾三郎 ○○三郎 ◯本?六?七 ◯◯七◯◯
◯川光太?郎 ○○○○郎 ○○○○ ○○○○」
「平山○○ 橋本七五?郎 椿?
六◯ 田○○○ ○○○○ ○○○○」
長鋪佐太郎氏が神島内村の村長を務めていた期間は
明治30年(1897年)7月27日~同34年月26日。

狛犬(向かって左)と唐獅子(同右)
見崎神社(御崎宮)の拝殿
御崎宮は元和5年(1919年)に冠懸(御冠岩の辺り)から御崎の山の中腹へ移される。
文政8年(1825年)に古宮へ、その後池ノ内へ遷座。
明治15年(1882年)に島の天神(天神社=大自在天神宮)へ合祀。
そして昭和55年(1980年)9月15日に社殿を新築して現在地へ遷座。
「神島史誌(pp.188-189/p.209/p.394)」を参照
本殿

三島大明神(拝殿の向かって右)
施主は絵師村平右衛門。片島の洲ノ丸(片島の東端)に祀られていたが、
明治45年(1912年)に島の天神へ合祀。その後、昭和55年に見崎神社と共に現在地へ遷座。
「神島史誌(p.209/p.395)」を参照
注連柱
「奉納」「昭和五十五年(1980年)九月吉日」「氏子中」
https://goo.gl/maps/Zsqkvngx56m
片島の洲ノ丸
片島の三島大明神跡
注連柱
「三嶋」「明神」
https://goo.gl/maps/SQ5AdXwh5GB2
見崎神社(御崎宮)前から44番札所まで、南東へ37m進む
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