【吉備津神社の画像集6】
画像集.1(北参道)/画像集.2/画像集.3(廻廊周辺)
/画像集.4(普賢院)/画像集.(中山前半)5/画像集.6(中山後半)
⇒HOME
吉備中山の三角点から東へ70m下った所
https://goo.gl/maps/1JASQV2ctkohN1Cq7南へ70m進む
丁字路を左折して東へ200m程下る
https://goo.gl/maps/rvgd939pTT3V7dth7

十字路を左折して北東へ50m進む
https://goo.gl/maps/P5Ynve5kiCRMLj5w6
石舟古墳群
https://goo.gl/maps/oyxw8HbqNUYo4v6P9
南へ10m進む
https://goo.gl/maps/eG7JkDcwLosUc78f6
東へ10m下る
https://goo.gl/maps/mqR2BF3wQDTKkkMK7
丁字路を右折して南東へ35m下る(左折すると夫婦岩)

丁字路を左折して東へ25m下る

石舟古墳
温羅命の墓とも云われる
「
備中誌 賀陽郡 中(p.337 明治35-37年)」に
「年數大歴て温羅の命齡一百余り八十といふころ黄泉に行給ふと中山の東なる谷に葬り
一日ひつき(※棺)より水溢れ出て御骸八(は)龍に成給ひて片山(※=飯山)の上に飛行見へず成給ふ
龍の降りしと見へし所に龍の宮と申今海(わた)つ三(み)の龍神といふ八(は)
昔水あふれ雨降にし例によりて雨乞*祈るに依て誤て八大龍王の社といふ
是より此山を龍飛山といふなむ」とある
吉備津神社の古い境内図には本願寺の上に龍宮が記されている
「
備中誌 賀陽郡 中(p.345)」に「龍神社
祭温羅命 旱する時八(は)宮仕正宮と
此社とにわかれつどひて雨を*祈るに 爲◯がおもほゆる年のほどに
雨降ぬ事八(は)なかりし
今は大龍王の社とせり
是もはた雨を掌とり給ふ神なれば しかも國の中の事しるしめし守り給う大宮なれば
下つ神有べき事にこ曽(そ)
次二(に)石船神社 温羅命之塚也
石の舟八(は)今も有共社たつもの八(は)なし」と記されている
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
旧暦三月三日に行われた花祭については「
備中誌 賀陽郡 中(pp.351-352)」、
「
吉備郡史 巻上(p.183 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」
「吉備の中山を歩く 岡山文庫281(pp.57-59)」を参照
https://goo.gl/maps/NGXN8s82upoRaKsq9

石室内部
「
吉備郡史 巻上(p.416 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」に「石舟ノ古墳
實は一宮村尾上に在り、尾上の石船と稱す
入り口 天井石 長六尺八寸(約206cm) 幅三尺七寸(約112cm) 厚二尺八寸(約85cm) 南面
石室 奥行十七尺六寸(約533cm) 高四尺(約121cm) 幅五尺四寸(約164cm)
天井石 四枚 奥より 1 四尺五寸(約136cm) 2
四尺七寸(約142cm)
3 四尺八寸(約145cm) 4 三尺七寸(約112cm)
石棺 長六尺七寸(約203cm)
内法五尺五寸(約167cm) 幅三尺四寸(約103cm)
内法二尺三寸(約70cm) 高 深
一尺二寸(約36cm)」とある

石棺内部
丁字路に戻り、西へ上る

十字路を左折して南西へ180m上る
池
吉備櫻
https://goo.gl/maps/mHCN3bDFdj34vuiQ6
南へ30m進む

丁字路を右折して西南西へ40m進む(左折すると八徳寺)
https://goo.gl/maps/PnyqC1Fx6CGd5MYp9
左折して西へ20m程上る
https://goo.gl/maps/2tiUp3iwGnJ1agfv6
穴観音
「
吉備郡史 巻上(p.894)」に「今御廟は此八徳寺の境内に在り 又御廟の側に
圓き石三尺餘なるに大日如來を刻付けて今に殘れり。」とある
5個の石は金剛界五仏?
https://goo.gl/maps/6wUh2ZTj6o7ytTGh8

燈明を入れる穴?
吉持地蔵
大神山神社奥宮(鳥取県西伯郡大山町)の参道脇にある
https://goo.gl/maps/pGBhFEVo4X6MEp5m9
南の石
西の石
北の石
----------------------------------------------------------------------------------
古墳に沿って南へ110m進む
丁字路を右折して西へ30m進む
国境石
「宮」「備前国」「備中国」
https://goo.gl/maps/9BF1wqizSwyvd4FH7
中山茶臼山古墳
大吉備津彦命の御廟所。馬頭陵とも云う。
「
吉備郡史 巻上(p.416 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」、
「
郷土史(p.52 昭和8年
岡山県総社高等女学校々友会)」、
「
新編まかねの響 岡山唱歌(明治36年 高浜孝一 著)」の
唱歌 吉備中山(岡 直廬 作歌/山下虎吉 作曲)を参照
https://goo.gl/maps/QzrZs1ACQFYDz2GB8
南南東へ100m進む
西南西(庭瀬、早島、種松山)を望む

広場の端から南東へ60m下る
----------------------------------------------------------------------------------
西国三十三所観音霊場
石標
「西國三十三番 尾上村世話人 講中」
尾上村、一宮村、宮内村の観音講が中心となって江戸時代に開創
https://goo.gl/maps/21vximB1MfzpcBaW8
不動明王坐像
「◯◯◯ 講中」「庭瀬町 石工 ◯◯◯」
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ
そわたや うんたらた
かんまん』
庭瀬村→庭瀬町(明治34年=1901年)→吉備町(昭和12年=1937年)

八徳寺に至る約210mの参道沿いに1-21番の西国観音霊場本尊石仏が、
境内北端から東部に22-33番の同石仏が立ち並んでいる
如意輪観世音菩薩輪王坐像
「一番 ◯◯ 講中」
西国1番 那智山 青岸渡寺 [なちさん せいがんとじ] “那智山寺” (如意輪)
『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」
地蔵菩薩立像
「性空?上人 矢田屋 ◯◯◯
◯◯屋 ◯◯◯◯
平◯屋 ◯◯ 橋本屋 ◯◯ ◯屋 ◯◯」
観世音菩薩坐像
「二番 尾上村 講中」
西国2番 紀三井山 金剛宝寺 [きみいさん こんごうほうじ] “紀三井寺”
(十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「古郷を はるばるここに 紀三井寺(きみいでら) 花の都も
近くなるらん」
明治22年(1889年)6月に尾上村、一ノ宮村、西辛川村、
辛川市場村が合併して一宮村になる
千手観世音菩薩立像
「三番 村講中」
西国3番 風猛山 粉河寺 [ふうもうざん こかわでら] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「父母(ちちはは)の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ 頼母(たのも)しの身や」
千手観世音菩薩坐像
「五番 宮内 ◯◯ ◯◯ ◯◯」
西国5番 紫雲山 葛井寺 [しうんざん ふじいでら]
(千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「まいるより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲」
千手観世音菩薩立像
「四番 一宮邑 黒住 ◯◯」
西国4番 槇尾山 施福寺 [まきおさん せふくじ] “槇尾寺”
(千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「深山路(みやまじ)や ひばら松原 わけ行けば 槇の尾寺に
駒ぞいさめる」

千手観世音菩薩立像
「六番」
西国6番 壺阪山 南法華寺 [つぼさかさん みなみほっけじ] “壺阪寺” (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」

八徳寺の横に破損した旧像がある
千手観世音菩薩立像a(向かって右)
「六番」
「深井 政吉」

如意輪観世音菩薩輪王坐像
「七番 當村 ◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」
西国7番 東光山 岡寺 龍蓋寺 [とうこうざん おかでら りゅうがいじ] (如意輪)
『おん はんどま しんだ まに じんば ら
そわか』
「けさ見れば 露(つゆ)岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり」

千手観世音菩薩立像※
「八番 當邑 ◯◯」
西国8番 豊山 長谷寺 [ぶさん
はせでら] (十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「いくたびも 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山もちかひも 深き谷川」

三面不空羂索観世音菩薩坐像
「九番 當邑 ◯◯ ◯◯」
西国9番 興福寺 南円堂 [こうふくじ なんえんどう] (不空羂索)
『おん あぼきゃ びじゃしゃ うん はった』
「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうすぐも」

千手観世音菩薩立像
「十番 一宮邑 ◯◯ ◯◯」
西国10番 明星山 三室戸寺 [みょうじょうざん みむろとじ]
(千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」

三面准胝観世音菩薩坐像
「十一番 當村 佐野 ◯◯」
西国11番 深雪山 上醍醐寺 [みゆきやま かみだいごじ] (准胝)
『のうぼ さったなん さんみゃくさんぼだ くちなん たにやた おん
しゃれい しゅれい そんでい そわか』
「逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は 頼母しきかな」
千手観世音菩薩立像
「十二番 惣社 長尾 ◯◯」
西国12番 岩間山
正法寺 [いわまざん しょうほうじ] “岩間寺” (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「水上(みなかみ)は いづくなるらん
岩間寺(いわまでら) 岸うつ波は 松風の音」
如意輪観世音菩薩輪王坐像
「十三番 女講中」
西国13番 石光山 石山寺 [せっこうざん いしやまでら] (如意輪)
『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
「後(のち)の世を 願ふ心は かろくとも 仏の誓ひ おもき石山」
八徳寺の横に破損した旧像がある
十一面千手観世音菩薩坐像b(同左)
「十三番」
「當邑 女講?中」
如意輪観世音菩薩輪王坐像
「十四番 當邑 深井 ◯◯◯◯」
西国14番 長等山 園城寺 [ながらさん おんじょうじ] “三井寺” (如意輪)
『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
「いで入るや 波間の月は 三井寺(みいでら)の 鐘のひびきに あくる湖」
十一面観世音菩薩立像
「十五番 宮内 福田 ◯◯」
西国15番 新那智山 観音寺 [しんなちさん
かんのんじ] “今熊野観音寺” (十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「昔より 立つともしらぬ 今熊野(いまぐまの)
仏の誓ひ あらたなりけり」
千手観世音菩薩立像
「十六番 山◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯」
西国16番 音羽山 清水寺 [おとわさん きよみずでら] (千手)
『おん ばざら たらま
きりく』
「松風や 音羽(おとわ)の滝の 清水(きよみず)を むすぶ心は 涼しかるらん」
十一面観世音菩薩立像
「十七番 當邑 深井 ◯◯◯」
西国17番 補陀洛山 六波羅蜜寺
[ふだらくさん ろくはらみつじ] (十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「重くとも 五つの罪は よもあらじ
六波羅堂(ろくはらどう)へ 参る身なれば」
如意輪観世音菩薩輪王坐像
「十八番 當邑 深井 ◯◯◯」
西国18番 紫雲山 頂法寺 六角堂 [しうんざん ちょうほうじ ろっかくどう]
(如意輪)
『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
「わが思ふ 心のうちは 六つの角 ただ円かれと 祈るなりけり」
千手観世音菩薩立像
「十九番 ◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯◯」
西国19番 霊ゆう山 行願寺 革堂 [れいゆうざん ぎょうがんじ こうどう] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」
千手観世音菩薩立像
「二十番 一宮◯ ◯◯ ◯◯」
西国20番 西山 善峯寺 [にしやま よしみねでら] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「野をもすぎ 山路に向ふ 雨のそら 善峯よりも 晴るる夕立」
平安桜(ヤマザクラ
岡山市の保存樹 第66号/同第67号)
https://goo.gl/maps/sV3gmgsPWxDcQUZ46
八徳寺跡
中山茶臼山古墳の東にある
「
吉備郡史 巻上(p.883)」に「(寺名)大谷山八徳寺 (宗派)天台宗
(本尊)觀音 (開基)不詳 (建立年代)聖武御宇カ (所在)真金町宮内
(備考)廃寺 吉備津社僧の寺」とある
「
吉備郡史 巻上(p.894)」も参照
「
備中誌 賀陽郡 中(p.322 明治35-37年)」に「八徳神社
八徳寺境内に有
今八(は)此地舊跡のみ殘れり 備前津田左源太といひし人
此神体を人をして盗ましむと云」と記されている
「
備中誌 賀陽郡 中(p.408)」も参照
「
吉備郡史 巻上(p.196)」に「波津登玖神社
小祠 此地今屬備前國 祭神 温羅命」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社、「徳」の字は旧字の德
https://goo.gl/maps/nJdGqJUJwoA56Uyf6

手水鉢

石香炉
「*八德寺(八徳寺)」「亥之年男」
21番未確認
西国21番 菩提山
穴太寺 [ぼだいさん あなおうじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと
思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」
御詠歌額
「◯◯*卄(廿)三番
◯◯◯◯◯◯◯
◯◯八徳◯
◯◯◯◯◯◯
◯◯◯
◯◯◯
牛王八徳寺」
遠く読み取れず
「梵字観音三尊
*(聖観世音菩薩の種子「サ」)
*(地蔵菩薩の種子「カ」)
*(不動明王の種子「カーン」)」
『おん かかかび さんまえい
そわか』
『なまく さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん(天台)』

旧本堂(一間)・経堂(二間四方)は明治34年(1901年)3月に、
旧拝殿(三間一間)は明治40年(1907年)10月に建築

今ある建物(本殿)は昭和56年(1981年)5月に新築
風月燈籠?
吉備津神社の風月燈籠(レプリカ)

向かって左に破損した石仏群が成らんでいる
千手観世音菩薩立像a(向かって右)
「六番」
「深井 政吉」
十一面千手観世音菩薩坐像b(同左)
「十三番」
「當邑 女講?中」
善光寺如来像(旧)
「板倉駅 向畑丁 赤*穂屋 ◯◯◯ 松尾屋 ◯◯◯ 久代屋 ◯◯◯」
千手観世音菩薩立像c(向かって右)
「宮内 堀家 亥年」
十一面観世音菩薩立像(同左)
「◯番(※番号欠損) 尾上村 *講中」
銘文、本尊が同じ西国2番の石仏(旧)か?
涸池
湯釜
経塚
「奉淨書 一字一石 普門品」
「八卍四千 之中塔」「*八德(八徳) 馬頭觀*世音」
「昭和九年(1934年) 萬月當夜 *八德會(八徳会)」
『おん あみりとう どはんば うんぱった そわか』
善光寺如来像(新)
「善光寺 如來 施主 一ノ宮 尾ノ上 信者中
世話人 (6人の芳名)」
定額山 善光寺 [じょうがくさん ぜんこうじ] (一光三尊阿弥陀如来像)
『おん あみりた ていせい からうん』
「身はここに 心は信濃の 善光寺 導き給まへ 弥陀の浄土へ」
千手観世音菩薩立像
「二十二番 一宮邑 黒住 ◯◯」
西国22番 補陀洛山 総持寺 [ふだらくさん そうじじ] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「おしなべて おいもわかきも 総持寺の
仏の誓ひ 頼まぬはなし」

千手観世音菩薩立像
「二十三番 一宮村 虫明 ◯◯◯」
西国23番 応頂山 勝尾寺 [おうちょうざん かつおうじ] (千手)
『おん ばざら たらま
きりく』
「重くとも 罪にはのりの 勝尾寺(かちおでら) 仏を頼む 身こそやすけれ」
https://goo.gl/maps/b2emK4BnTfv3V1da6

十一面観世音菩薩立像
「二十四番 一宮村 森 ◯◯◯」
西国24番 紫雲山 中山寺
[しうんざん なかやまでら] (十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは
後の世のため」

千手観世音菩薩立像※
「二十五番 一宮村 和氣◯ ◯◯◯」
西国25番 御嶽山 清水寺 [みたけさん きよみずでら] (十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「あはれみや 普(あまね)き門(かど)の 品々に なにをかなみの ここに清水」

千手観世音菩薩立像※
「二十六番 一宮村 黒住 ◯◯◯◯」
西国26番 法華山 一乗寺 [ほっけさん
いちじょうじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊 いつも妙なる
法(のり)の華山(はなやま)」
左折して東へ900m程下ると尾上の南浦地区
「廿七番 一宮村 黒住 ◯◯」
西国27番 書寫山 圓教寺 [しょしゃざん えんぎょうじ] (如意輪)
『おん はんどま
しんだ まに じんば ら そわか』
「はるばると のぼれば書写の 山おろし 松のひびきも 御法(みのり)なるらん」
聖観世音菩薩立像?
「廿八番 ◯◯屋 ◯◯◯ ◯◯屋 ◯◯◯◯◯◯」
西国28番 成相山 成相寺 [なりあいさん なりあいじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「波の音 松のひびきも 成相の
風ふきわたす 天(あま)の橋立」

井戸
https://goo.gl/maps/2h54Ykg9mLJuiM9k6

三面馬頭観世音菩薩坐像
「*廿九番 ◯◯屋 ◯◯◯ ◯◯屋 ◯◯◯」
西国29番 青葉山 松尾寺 [あおばさん まつのおでら] (馬頭)
『おん あみりとう
どはんば うんぱった そわか』
「そのかみは 幾世(いくよ)経ぬらん 便りをば 千歳をここに 松の尾の寺」
千手観世音菩薩立像
「三十番 ◯◯屋◯◯◯ ◯屋 ◯◯◯ ◯◯ ◯◯◯」
西国30番
厳金山 宝厳寺 [がんこんざん ほうごんじ] “竹生島” (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島
舟に宝を 積むここちして」
十一面観世音菩薩立像?
「三十一番 ◯◯屋 ◯◯◯ ◯◯屋 ◯◯◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯◯」
西国31番 姨綺耶山 長命寺 [いきやさん ちょうめいじ] (千手・十一面・聖観世音)
『おん
ばざら たらま きりく/おん まか きゃろにきゃ そわか/おん あろりきゃ そわか』
「八千年(やちとせ)や 柳に長き 命寺(いのちでら)
運ぶ歩みの かざしなるらん」

千手観世音菩薩坐像
「三十二番 宮内◯ ◯◯◯◯ ◯年女 巳年女 酉年女」
西国32番 繖山 観音正寺 [きぬがさやま かんのんしょうじ] (千手)
『おん ばざら
たらま きりく』
「あなとうと 導きたまへ 観音寺(かんおんじ) 遠き国より 運ぶ歩みを」
十一面観世音菩薩立像
「三十三番 當邑 深井 ◯◯◯」
西国33番 谷汲山 華厳寺
[たにぐみさん けごんじ] (十一面)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「万世(よろずよ)の 願ひをここに 納めおく 水は苔より
出(いづ)る谷汲」
「世を照らす 仏の験(しる)し ありければ まだ灯(ともしび)も 消えぬなりけり」
「今までは 親と頼みし
笈摺(おいずる)を 脱(ぬぎ)て納むる 美濃(みの)の谷汲」
石段を西南西へ下る
車道を横断して西南西へ200m程進むと内宮社旧阯
「
備中誌 賀陽郡 中(p.327)」に「吉備津内宮大明神 御社寺谷に有
昔の宮造り八(は)礎の跡の三(み)殘せり 山頭馬塲の跡有
祭神吉備津彦命御后百田弓箭媛命」と記されている
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
右折して車道を北西へ250m下る
----------------------------------------------------------------------------------
車道と吉備の中山遊歩道の分岐
https://goo.gl/maps/S3greMTmByNS5mu86車道を北北西へ100m下る
藤井高尚歌碑
https://goo.gl/maps/2yzWdgKu4N3UXEzj6

「
◯◯ふかき谷乃(の)佐(さ)く◯能(の)あさ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯
◯はものか◯
◯◯◯
◯◯◯◯と
こ呂(ろ)耳(に)
可(か)くし
多(た)る
千(ち)し本(ほ)の
玉乃(の)
はやしはやし
奈(な)◯
け◯
松斎
尚」
露ふかき谷のさくらの朝しめり 見し夕暮の花はものかは
もみじ葉はたにふところにかくしたる 千しほの玉の林なりけり
と刻まれているらしいが、風化により半分程しか読み取れない状態
松斎は藤井高尚先生の号
筆跡は「
南天荘蔵幅写真帖(1921年
井上通泰 著)」の
本居宣長像藤井高尚賛を参照
吉備の中山遊歩道を細谷川に沿って北北西へ280m下る
----------------------------------------------------------------------------------
寺谷
「
備中誌 賀陽郡 中(p.284 明治35-37年)」に
「寺谷 一名 假宮谷此地昔寺數多有しと云
吉備津宮*緣起(縁起)に此寺八(は)尾ノ上村へ越す谷筋なり」とある
文政13年(1830年)に藤井高尚先生が川沿いに桜や楓を植えて彩りを添えたと云う

吉備の中山遊歩道の入口
滝祭宮の向かって左にある

岡山縣十五景地のプレート
「*𡶬
山(岡山)縣十五景地 昭和十年(1935年)十一月 山陽新報社選」
吉備の中山は第3位(十勝を含めると第13位)
https://goo.gl/maps/fpEgs4sfhT1dfkcdA
ふるさとの坂道三十選のプレート
「手づくり郷土(ふるさと)愛
建設大臣 綿貫民輔 書
ふるさとの坂道 三十選
平成二年(1990年)七月
寄贈(社)中國建設弘済会」
吉備の中山遊歩道

車道を北へ10m上る

石標
「大吉備津彦命御墓參*
詣道」
https://goo.gl/maps/uhbECVBSGriSHMaP8
画像集.1(北参道)/画像集.2/画像集.3(廻廊周辺)
/画像集.4(普賢院)/画像集.(中山前半)5/画像集.6(中山後半)
⇒HOME