【吉備津神社の画像集1】
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追記する予定
国道180号線
備中備前國境塚石(西辛川塚石)
「從是東備前國」
元禄12年(1699年)に建立
「
吉備郡史 巻中(pp.2187-2190 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」を参照
https://goo.gl/maps/fKheRrrjTsWurqrA7
跨線橋から龍王山を望む
天柱岩(権現岩)
「天柱(縦書き)」
昭和9年(1934年)に刻字。豪渓の「天柱」の写し。
https://goo.gl/maps/ZHHa87LXHnW3kvvB9
豪渓の天柱山の「天柱(横書き)」
享和元年(1801年)に刻字
https://goo.gl/maps/8uyDYHceY19N2vcH6
細谷川
「
備中誌 賀陽郡 中(pp.382-383 明治35-37年)」に
「細谷川 景物 落花 蛍 有木の別所より流れ出て備前との境へ落る谷川也」とある
「
夫木和歌抄 巻第五」に「家集文永元年春歌中 権僧正公朝
奈(な)八(は)しろ尓(に)本(ほ)そ谷川を世(せ)起(き)かけて
きひの山田八(は)をひをひく也」とある
苗代に細谷川を塞きつけて 吉備の山田は帯をひくなり
細谷川と有木山(両国橋付近)
福田海本部の境内の向かって左端に細谷川と両国橋が
右上の有木山の中腹に藤原成親遺跡がある
福田海本部
有木山青蓮寺(備中西国三十三所観音霊場第33番札所)跡
牛の鼻ぐり塚
有木山、吉備中山、飯山
田地はかつての吉備の穴海
「
備中誌 賀陽郡
中(pp.385-386)」に
「有木山 また有木の別所とも云 細谷川の源にて中山に續けれ」とある
吉備津神社
「齋藤親基日記 文正元年(1466年)主基 備中
者(は)る/\ときひの中山ふ毛(も)も那(な)累(る)
遊(ゆ)尓(に)者(は)能(の)い奈(な)保(ほ)怒(ぬ)き津(つ)ゝそ由(ゆ)く」
はるばると吉備の中山ふもとなる
齋庭の稲穂抜きつつぞゆく
齋庭(ゆにわ):神をまつるために清めた庭

吉備線

旧山陽道を西南西へ100m進む
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真金一里塚(国の史跡)
「
吉備郡史 巻中(pp.2133-2140 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」に古い写真あり
https://goo.gl/maps/9eUTi5GxkuUW8Emu6
石標
「史蹟 真金一里塚」
「史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依リ昭和三*年(1928年)三月内務大臣指定」
「昭和五*年三月建設」
旧山陽道を西南西へ280m進む
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向畑公会堂前を通過して左折

石鳥居a(石大鳥居、一の鳥居)
旧 山陽道との交差点(備前口)にある
宝暦12年(1762年)、吹屋(高梁市成羽町)の大塚家が寄進
「「備中吹屋」を歩く(p.70)」を参照
「
吉備郡史 巻上(p.200 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」に「同櫻馬場
石大鳥居
但柱高二丈七尺(約8.18m) 廻リ八尺(約2.42m)」とある
櫻馬場
「
吉備郡史 巻上(p.200)」に
「同境内櫻馬場 長百九拾四間(約352.73m) 横四間(約7.27m) 此地坪千百七拾六坪」とある
https://goo.gl/maps/At2pfYzAVUrhN3f86参道を南南東へ100m進む
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吉備津参道踏切
石燈籠a
「献燈」「吉備津宮」「嘉永元年(1848年) 戊申五月日」
基壇「(寄進者芳名多数)」
https://goo.gl/maps/g3iff23ddzNVChBs9
社号標a
「官幣中社吉備津*神社(神社)」「男爵平沼騏一郎 書」
「奉獻
吉備郡總社町秋山◯◯◯ 昭和十一年(1936年)六月 小川源一 *𠜇(刻)」
南南東へ35m進む
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石燈籠bc
「獻燈」「(施主芳名)」「昭和十一年一月吉◯◯」

石鳥居b(二の鳥居)
「吉備津神社」
「天壌」「無窮」
「昭和十年(1935年)冬建之 小田郡笠岡町 七十五翁 葆光影忠勵? 男 黒田恒次郎 献上」
「皇太子殿下御降誕記念」
葆光(ほうこう):光をつつみ隠すこと。すぐれた知恵・才能を隠して表面にあらわさないこと。
昭和11年正月2日竣工
https://goo.gl/maps/izorSsiX2g6BgJ5GA
南南東へ80m進んで国道180号線(吉備津神社前交差点)を横断し、南南東へ85m進む
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自然石地神
「地神」
https://goo.gl/maps/9TdNbyfyzuAh6ugs9南南東へ110m進む
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三木朱城句碑
「朱城 吉備の 野の 藺田のさみどり 初詣」
「*𫞃和(昭和)三十二年(1957年)六月 岡山 旭川俳句会建之」
三木朱城氏は「ホトトギス」同人。俳誌「旭川」を主宰。
藺田(いだ):藺(イグサ、トウシンソウ)を植える田
https://goo.gl/maps/zRkMH1YEbn8jeChTA南南東へ60m進む
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松並木の馬場
社号標b
「官幣中社吉備津神社」
「大*
正六年(1917年)一月吉日建之 吉備郡服部村 國府◯◯◯ 寄進」

石燈籠de
「奉燭」「吉備津宮」「願主
備中國賀陽郡宮内村 池上氏」「享保十七壬子年(1732年)三月」
「奉燭」「吉備津宮」「願主
備中國賀陽郡惣社町住 池上源助正次」「享保十七壬子年三月」
https://goo.gl/maps/s4tvufWMWag7XLc5A南南西へ110m進む
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犬養木堂先生銅像
「犬養 毅」「昭和九年(1934年)十一月一日建立」
「
少年読物吉備史(pp.99-104 昭和17年 岡山県吉備郡教育会 編)」を参照

藤井高尚大人頌徳碑
題額「藤井*髙(高)尚大人頌*徳(德)碑」
「真金婦(ふ)く吉備乃(の)中山能(の)*
麓なる吉備津宮の宮司として細谷川能(の)音*毛(も)佐(さ)や可(か)耳(に)其の名
*聞え多(た)流(る)松の屋能(の)主人贈*
正五位長門守藤井宿禰*髙(高)尚大人盤(は)明和元年尓(に)但馬守*髙(高)久
大人乃(の)長子登(と)し亭(て)*此の里耳(に)生れ給ひし可(か)夙に國學及ひ和歌越(を)同國笠岡の人なる小
寺清先及ひ京人栂井一室尓(に)學ひ
後鈴乃(の)屋翁越(を)師登(と)して其乃(の)*髙(高)*足と稱勢(せ)ら流(る)ゝ耳(に)至
里(り)給ひ幾(き)
抑も大人乃(の)神尓(に)仕へ亭(て)以(い)と毛(も)忠實なりしはいふも更なり 學問乎(を)廣免(め)む登(と)
て盤(は)人越(を)*敎(教)へ書を著左(さ)連(れ)しこと?毛(も)亦多かり介(け)り 又大人盤(は)儒佛の道耳(に)毛(も)眼を開き 詩
越(を)賦し箏を弄飛(ひ)奈(な)と毛(も)世(せ)ら礼(れ)しか駕(か)王(わ)き亭(て)も中古風な流(る)和文書くことには近*㔺(世)克く其
乃(の)右耳(に)出つる者毛(も)那(な)支(き)ま天(て)耳(に)長介(け)給ひ幾(き) 大人五十二歳能(の)時そ可(か)肖像に 生ひそは
る松乃(の)小松の千代満(ま)天(て)も たえ春(す)吹可(か)な舞(む) 我家能(の)風と題せられしか 大人は天保十一年
八月耳(に)七十七歳も亭(て)卒し給ひ 其の家も今盤(は)絶え尓(に)し可(か)と毛(も) 大人能(の)流芳遺*德(徳)は*此能(の)
里はさらなり 廣く國の内耳(に)母(も)なほ? 以(い)つ ま天(て)毛(も) 吹き傳者(は)らむ 松乃(の)屋能(の)松の木*髙(高)幾(き)風
乃(の) 志(し)ら辺(へ)はと那(な)舞(む)以(い)者(は)連(れ)ぬへく於(お)もほ?ゆ流(る)
昭和十五年(1940年)七月中旬 從二位勲一等文學博士男爵阪谷芳郎 篆額
御歌所寄人*正四意勲四等島野幸次 撰並書」
「昭和十五年九月 藤井高尚大人百年祭記念會建 小川源一 刻字 玉田辰男 築礎」
真金(まがね)ふく吉備の中山の麓なる吉備津宮の宮司として細谷川の音もさやかに
其の名聞えたる松の屋の主人
贈正五位長門守藤井宿禰(すくね)高尚大人は
明和元年(1764年)に但馬守高久大人の長子として此の里に生れ給ひしか
夙に國學及ひ和歌を同國笠岡の人なる小寺清先(きよさき)及ひ京人栂井(とがの)一室に學ひ
後鈴の屋翁(※本居宣長)を師として其の高足と稱せらるゝに至り給ひき
抑も大人の神に仕へていとも忠實なりしはいふも更なり
學問を廣めむとては人を教へ書を著されしことも亦多かりけり
又大人は儒佛の道にも眼を開き 詩を賦し箏を弄ひなともせられしか
かきわても中古風なる和文書くことには近世克く其の右に出つる者もなきまてに長け給ひき
大人五十二歳の時そか肖像に 生ひそはる松の小松の千代まても
たえす吹かなむ我家の風 と題せられしか
大人は天保十一年(1840年)八月に七十七歳もて卒し給ひ 其の家も今は絶えにしかとも
大人の流芳遺徳は此の里はさらなり
廣く國の内にもなほいつまても吹き傳はらむ
松の屋の松の木高き風のしらへはとなむいはれぬへくおもほゆる
松の屋:藤井高尚翁の号
藤井高尚翁の歌碑(細谷川沿い)及び辞世の歌(千日墓地)については
「拓本集覧 倉敷と周辺の碑(pp.180-181)」を参照
「
南天荘雑筆(pp.211-225
1930年)」の藤井高尚傳も参照
https://goo.gl/maps/9RNwkJcsctQU7VUF8
藤井高尚翁については「
岡山県人物伝(pp.108-110
明治44年 岡山県 編)」、
「
少年読物吉備史(pp.79-84 昭和17年
岡山県吉備郡教育会 編)」を参照
殉國烈士之碑
忠魂碑
「忠魂碑」
「帝國在郷軍人會*真金村分會 明治四十五年(1912年)三?月吉日」
https://goo.gl/maps/92eRxuWJS6TTEk4S7
鏡長壽郎歌碑
「雁来紅の もろ葉光りて さゆらか須(す)
こ能(の)寺庭二(に) 衣干寸(す) 見ゆ
冬水」
雁来紅(がんらいこう):ハゲイトウの別名
去来句碑
「*去耒(去来) *秌(秋)風や 鬼とりひしく 吉備の山」
「昭和*廿八年(1953年)春建之 古杏 筆」
俳人 向井去来(1651-1704年)の句。谷口古杏(久吉)氏の揮毫。
画像集.1(北参道)/画像集.2/画像集.3(廻廊周辺)
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