【吉備津神社の画像集3】


画像集.1(北参道)画像集.2画像集.3(廻廊周辺)

画像集.4(普賢院)画像集.(中山前半)5画像集.6(中山後半)


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えびす宮前から廻廊へ下る




昇龍山神宮寺跡

御釜殿前。吉備津宮別当。天台宗。本尊十一面観世音菩薩。
寛文7年(1667年)に火災に罹り、以後再建されず廃寺となる。

吉備郡史 巻上(pp.892-893 )」を参照

備中賀陽郡山北西国三十三所 第1番札所

「高梁川 No.38(pp.466-470 昭和56年 高梁川流域連盟)」を参照





御大典記念碑

「御大典記念 春日燈籠三 十壹基奉建
銅馬建設 寄附者中」

大正3年(1914年)に建立

岩山宮参道口にある





石燈籠1対

「常夜燈」「*攵(文)政二己卯年(1819年)」「九月吉辰」


石鳥居f

「岩山宮」
「文政元戊寅*年(1818年)六月吉日 願主 下道郡山田村中」


参道入り口、岩山宮、吉備中山三角点は一直線上にある(東南東約400m)

本宮社、鏡岩、吉備中山三角点も一直線上にある(東約400m)











如法経塔下古墳




石室内








如法経塔



岩山宮の向かって左(北)に一切経堂、本地求聞持堂、鐘楼堂があった


備中誌 賀陽郡 中(p.373)」に「一、一切經堂 貞享中(1684-1688年)本願寺と共に毀ちたる
此一切經八(は)明板にて慶長年中(1596-1615年)西阿知萱屋六左衛門と云者
先是唐土へ買賣にて渡海せし時彼地にて求め歸りしを納めしものと云」とある


備中誌 賀陽郡 中(p.321 明治35-37年)」に
「求聞持堂 本尊虚空藏菩薩の像有 此像今普賢院に在 堂は享保年中(1716-1736年)取こぼつ
鐘樓堂 享保年中毀つ 後山上に移して今非常用具とす」と記されている



吉備郡史 巻上(p.894)」に「一、鐘楼堂は神前の右手に御座候
是も七八年前に山の中へ取上げ 朝夕は勿論氏子へも撞せ不申候
然れども其役筋目之者吉備津宮の鐘撞と申
只今に花光旦家に差加へ罷在候事。
一、一切經堂は貞享年中に先社家頭共破却
一切経は只今本地求聞持堂へ打込有之候事。」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

https://goo.gl/maps/1cfnu9fdLWyjVGwN7





北へ40m進むと一童社





五叉路を右折し、石段を南南東へ40m上る











岩山宮

吉備郡史 巻上(p.173)」に
「岩山神社は本社正殿の後方にあり、もと生石(おいし)大明神といふ。
地主神、*卽(即)、建日方別命(たてひかたわけ)を祀る。
建日方別命は吉備兒島の別名にして國魂(くにみたま)とす。」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

https://goo.gl/maps/6paEH9hmDuG9KhdA9













三重塔跡

梅林の中に三重塔の心礎が現存

https://goo.gl/maps/pvnNVpXb1o157WGJ9





吉備郡史 巻上(p.895)」に「一、寳塔之事、高さ十六間餘御座候處
去子(※享保17年=1732年)八月より取掛り打毀ち心柱抔(など)も三つ四つ切折有之候
 佛像は焼捨事。」と記されている

吉備郡史 巻上(p.898)」に「一、廻廊の上に三重塔
 高さ十六間(約29.09m)三間(約5.45m)四方なるべし。(以下略)」とある




南南西へ55m進むと三社宮前

Y字路を右折




祖霊社

岩山宮の石鳥居の向かって右に鎮座

https://goo.gl/maps/ZdabCfAUFCoHEUU27

廻廊を南へ進む











南随神門と廻廊






御釜殿(国の重要文化財)

今古實録 増補柳荒美談 壹貳参(明治16年)」に
「抑々此吉備宮八(は)備前備中備後の惣大社尓(に)して其壮麗なる事言語に演(のべ)難し
茲に奇妙の聞(きこえ)高き宇鳴釜(うなりがま)といふ一箇(ひとつ)の釜あり
 荒木又右衛門八(は)この事を聞知けれ八゛(ば)是を見物成ん物と
一日通夜をなしけるに 廻廊の續き凡二町餘りも有むと覺しき處尓(に)
彼の名高き釜ありけり 抑々何病尓(に)*抅(拘)ら春゛(ず)
其の平癒を願八(は)む尓(に)八(は)先(まず)此事を神主方尓(に)云入れ
而して後其*祈禱(祈祷)をする時 初穂十二銅を此釜尓(に)捧げ
奇瑞吉凶を窺者(は)んと神主八(は)釜の前尓(に)供物を備へ
暫時の間祈念を籠(こめ) やがて釜の下へ火を炊きくべるを合間尓(に)
願主たる者男女尓(に)限らず神主と共尓(に)平身低頭して御神託を待居けるなり
 其願望の叶う時八(は)不思議な大地ゆら/\と動く様尓(に)覺え
がう/\と釜の鳴出す事稍半時許(ばかり) 其内漸次(しだい)尓(に)
其鳴音幽(かすか)に成なり 其釜の鳴時八(は)吉 鳴ざる八(は)凶と知るべしと
昔時より云傳へける 又右衛門八(は)この釜を一見し 夜明て後
神主尓(に)就て事の由来を訪問(たずね)けれ八゛(ば)神主答へて

徃昔神代の時 此處尓(に)吉備彦四郎と云者有りけり 其頃の山間尓(に)
身の丈壹丈(※約303cm)有餘の鬼神出現(あらはれ)て諸民を*惱(悩)す事方成春゛(ず)
 因て吉備彦四郎八(は)武勇兼備の侍士(さふらひ)なれ八゛(ば)
其鬼神を退治せんものと或日一ツの溪川(たにがは)を隔て弓尓(に)箭番ひ
丁と射ける尓(に)彼(かの)鬼神も同じく弓を箭番ひて放ちし可゛(が)
不思議や矢の根と矢の根本的合て深き溪底尓(に)落ちれ八゛(ば)
終尓(に)勝負八(は)付ざりし可゛(が) 不思議なる可(か)な
此時忽然として八幡大菩薩の御姿(みすがた)出現まし/\
汝彦四郎斯の如くして射たらん尓(に)何時迄射る共勝負八(は)決せず
終尓(に)八(は)其方も彼鬼神尓(に)空しく射殺さる事あるべし
能々(よくよく)工風を廻すべしと妙なる御聲尓(に)て御告有八゛(ば)
吉備彦四郎八(は)承ま八(は)り謹んで首(こうべ)を上然らん尓(に)八(は)
如何仕(つかま)つらんと伺ひけれ八゛(ば) 八幡宮汝此次尓(に)放つ箭を八゛(ば)
二本番ひて射る成八゛(ば)必春゛(ず)彼鬼神を退治すべしと御告有しと見る内尓(に)
今迄有し御姿八(は)何時の間尓(に)可(か)八(は)消失たり
 彦四郎八(は)此神託を承ま者(は)りて其の如く尓(に)
弓尓(に)箭を二本番へて射たりけれ八゛(ば)一本の箭八(は)
以前の如く箭の根と箭の根と中(あたり)合て溪底深く落たりしも
覘(ねら)ひ外れ春゛(ず)餘る箭八(は)彼鬼神の首を射て
終に退治せしめしと可(か) 其後彼首を埋めし所尓(に)釜を置て
神尓(に)祭り是を吉備大神と尊敬しけると息をも吐(つか)ず物語りける」とある

鍵屋の辻の決闘で知られる剣客 荒木又右衛門(1599-1638年)が諸国を遊歴する中、
吉備大明神の社へ参詣した時の話と云う

吉備郡史 巻上(pp.906-912 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」の
吉備津宮縁起によると温羅者の身長は一丈四尺(約424cm)

備中誌 賀陽郡 中(pp.302-305 明治35-37年)」を参照






現在の御祈祷料は3,000円也




吉備津神社の釜について

吉備郡史 巻上(pp.921-923)」に
「鬼の釜。(中略)古ハ古金屋ト云有リ 後ニ林姓某金屋ヲ始ム 依テ新釜屋ト云、
其以前金屋滅亡シテ新釜屋ノミ殘レル故今爲九軒 古代金屋滅亡スル依テ不詳
其舊記、蓋謂鬼城ノ釜モ阿曾ニテ鑄之ニヤ 林氏或人云、新山ヨリ阿曾ヘ
出ル人也、依釜ヲ取レルソ云、依富岡林姓有、富岡屋敷跡今有新山、
寛延年中也、肥前富岡ヨリ来依號。
一、阿宗村鑄物師九軒有、新金屋ト云、尤古代々吉備津宮ノ釜ヲ鑄ル、
釜ノ事延長記鬼城ノ釜ヨリ走リテ阿曾女之事有、富岡、林、赤木三姓アリ、
新金屋ハ林氏也、土ハ鬼城ノ土ニテ形ヲ作ル。(吉備國史)」とある




矢置岩の由来

矢が落下したとされる場所には矢喰宮(岡山市北区高塚108)が鎮座




鬼神(温羅)が住んでいたと云う鬼城山(標高397m)から南東を望む

正面に金甲山(標高403m、直線距離で約26km)

中央に新池と血吸川、西阿曽、沖、新田


吉備中山(標高162m、一名 昇龍山、鯉魚山とも云)にある吉備津神社(赤矢印)まで約10km

昇龍山については「備中誌 賀陽郡 上(p.150 明治37年)」を参照


備中高松城阯(青矢印)まで約6.5km


吉備津彦命は吉備中山に陣を構えて温羅と対峙したという

少年読物吉備史(pp.5-12 昭和17年 岡山県吉備郡教育会 編)」を参照

鬼ノ城については「備中誌 賀陽郡 上(pp.147-150)」を参照

https://goo.gl/maps/GvC3eavugq6JgjYX8




金甲山から鬼城山を望む

児島湖に流れ込む笹ヶ瀬川と倉敷川(向かって左)





鬼の釜(総社市指定文化財)

新山地区にある。新山の湯釜とも云う。

吉備郡史 巻上(pp.921-923 )」に
「鬼の釜。大伽藍の時一山の湯釜也、もと釜谷と云う所に有りしが堂も破壊し
只釜のみ雨晒しと成て日を歴るに依、釜底に水溜り少し腐り損しぬ、
享保七年(1722年)十月人夫七十人許にて今菩提坊舊境内の堂内に移す 是に依て釜底大に損ずるとぞ。
(鍛冶の居たる所麓に有 今にカナクロ多く有)(以下略)」と記されている

https://goo.gl/maps/Gi2pFobN2o3ur8L5A





御釜殿、廻廊、石舟古墳(温羅命の墓と云う)は一直線上にある(東南東約770m)





御釜殿前




手水鉢e

「清淨水 寛政三年(1791年) 辛亥十一月日 願主 難波*𫞕(氏)」
「世話人 酉屋孝右衛門 同 若連中」「取次 藤井廣末」




手水鉢f

「寳永三(1706年)丙戌暦 三月吉日 願主 伊勢屋 五左衛門」




吉備津弓道場




詩碑

「春櫻秋楓啼鳥*耒(来)
 文人*曵杖*谷涯
*座四道將軍神
 武勲赫々輝中外」

「弓姿*𢱚(扌 + 風)爽勇風勇行進
 射的一瞬修身心
 成釜占授任日供
 遺*德(徳)大社長親神

藤井定男*山人
師*祝長壽建神苑 昭和五十三年(1978年)十月吉日
赤木政夫*山石 詩作
難波石修 書刻」

曳杖(えいじょう/つえをひく):つえをひいて散歩する。遊びに行く。

四道将軍=大彦命、武渟川別命、吉備津彦命、丹波道主命

吉備郡史 巻上(pp.1020-1021)」を参照




手水舎

手水鉢b

「寄進 (寄進者芳名) 昭和十七年(1942年)三月」





石鳥居c

「荻野左近九世孫 荻野彌五郎知矩 建」
「文政六年(1823年)癸未三月吉日」


石燈籠1対(鳥居前)

「奉寄進 御寳前」





注連柱c

「*重宗***風万古如在」「大正十年(1921年)*嵗(歳)*在辛酉秋日*尌(樹)」
「徳洽*𥟖(黎)元洪*𤀎(澤)千秋無*疆」

黎元(れいげん):庶民
無疆(むきょう/かぎりなし):無限・永遠であること。無窮。

 望重宗維英風万古如在 徳洽黎元洪澤千秋無疆




社号標d

「官幣中社吉備津神社」
「大正十*秊(年)十月 犬養 毅 敬題」





石燈籠

石燈籠の前に水準点(3.8m)がある

https://goo.gl/maps/EfmexABQTVr4tuBG8


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石碑(橋の南)

「皇太子殿下 御參拜*紀念 櫻樹
大正十五年(1926年)五月
稲の露 みさほ鶴 醸造元
友野酒◯ 鷲江酒◯ 栗原 特約店」

吉備津神社参拝は大正15年5月23日


石鳥居

「文化十三子年(1816年)) 四月吉日」




唐獅子(向かって右)

「奉獻」「松山世話人 (10人の芳名)」


唐獅子(同左)

「奉獻」「(7人の芳名)」「*世話人(6人の芳名)」
「天保十二辛丑年(1841) 九月吉日」




手水鉢

「奉獻」「岡山◯◯町 小山屋◯◯◯」「天保十一年(1840年) 庚子五月吉日」




石燈籠

「献燈」「弘化四未年(1847年)八月」





宇賀神社

祭神は宇迦之御魂神。旧 辨財天社。

吉備郡史 巻上(p.296)」を参照

https://goo.gl/maps/1xGeBJw8iPBpq7a6A





大森風来子川柳碑

「八重桜 散らぬ男を 迎えけり 風*耒(来)子」

昭和51年4月25日に建立。北ボルネオ戦線から帰還後の心境を咏んだ句。

宇賀神社の礎石に大森氏の曽祖父の名が刻まれている(碑陰の銘を参照)。




宇賀神社の礎石

「施主 脇本 ◯◯◯ 脇本 ◯◯◯◯」
「嘉永七(1854年)甲寅 二月吉日造之 脇本 ◯◯ 脇本 ◯◯◯◯」
「日畑邑 *發起 大森◯◯◯」




延永忠美川柳碑

「聴えな以(い) ことに尓(に) している 苦労人 忠美」

藍綬褒章受章記念。昭和55年(1980年)6月吉日に建立。


蓬莱橋

昭和45年(1970年)7月吉日に架設










吉備中山を仰ぎ見る




かんぎ橋

「かんぎば之(し)」「昭和*廿二年(1947年)」

普賢院境内と宇賀神社を結ぶ橋


地蔵菩薩立像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』










御手洗池

備中誌 賀陽郡 中(pp.367-368 明治35-37年)」に「一、青龍池之事
社之下普賢院之前二(に)繪圖之通蓮池御座候
又社之右之處馬場と申所二(に)も蓮池御座候
此二池之内七ツ嶋御座候 是も肝木之數二(に)配右長左短築申由
其中一ツ嶋二(に)八(は)繪之圖通辨財天社御座候
馬場之池八(は)只今八(は)見へ不申候」とある







吉備郡史 巻上(p.185 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」に
「放生會 八月十五日これを行ふ。神主より宮侍に至るまで廣前に參集し、
社務代御饌より鯉三匹を水に放ちて廣前に献じ、
後これを御手洗池に放つ。其の他、種々の鳥をも放つなり。
これは兩部習合時代より、佛教に因みて始まりたるものなれば、
社僧の関係を絶つとともに、この御神事は、
*既(既)に久しく廢れたるものゝ如し。」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

西へ70m進み、変則十字路を右折







道しるべ

「右きひつ駅 い奈(な)り駅 左 にわせ駅」

https://goo.gl/maps/hSn6YnmZQEP2VMje6

北へ50m進んで右折


青龍山普賢院の画像集


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廻廊に戻って右折




南へ60m進む




石燈籠

「奉燈」

三社宮前にある




三社宮

八幡宮の祭神は譽田別命

大神宮の祭神は天照大御神

春日宮の祭神は武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、姫大神

吉備郡史 巻上(p.195)」を参照

https://goo.gl/maps/6Zj8WRPT7xdC7Wgn9







廻廊を南へ50m進む







御供殿





岡山一中吉備津教場跡の石碑










牡丹園




伍松堂園翠 情歌碑

昭和38年(1963年)5月に建立

「吉備の石ぶみ 岡山文庫86(p.100 井上雄風 著)」を参照

https://goo.gl/maps/2V7NJkqikNCBwRMWA











本宮社

祭神は細比売命(くわしひめのみこと  孝霊天皇の御妻神、孝元天皇の御母神)、
大倭根子日賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと 大吉備津彦命の御父神 孝霊天皇)、
 大倭玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと 孝霊天皇の御妻神、大吉備津彦命の御母神)

吉備武彦命(きびたけひこのみこ 大吉備津彦命の御子、新宮から合祀)

百田弓矢比売命(ももだゆみやひめのみこと 大吉備津彦命の御妻神、一名 吉備大井比売命。内宮から合祀)
百田大兄命(百田弓矢比売命の御父神、内宮から合祀)

https://goo.gl/maps/rvbu7zJaKR6FKui68




石燈籠(向かって右)

「獻燈」「明治七甲戌年(1874年)八月十三日建之」

石燈籠(同左)

「獻燈」「昭和十三戊寅年(1938年)三月十三日建之」





本宮社拝殿の向かって右




吉備中山細谷川古跡碑

「吉備中山細 谷川古跡」

「古*𫝆(今)和歌集**廿大歌所歌
真(ま)可(か)ね布(ふ)くきひの中山*扵(於 お)ひ耳(に)世(せ)る
ほそ多(た)尓(に)川乃(の)*扵(於 おと能(の)さや介(け)さ
左注尓(に)*𣴎和(承和)能(の)*扵(於 お)ほむへ乃(の)きひの久(く)尓(に)能(の)う多(た)とありこのみう多(た)八(は)天長十年のやよひ尓(に)みくらゐ尓(に)つき多(た)まひて
そのとし大甞會八(は)行ひ多(た)万(ま)ひし奈(な)里(り) そのとき能(の)主基方八(は)備中のく尓(に)尓(に)天(て)あり介(け)るよし 續日本後紀尓(に)見え
多(た)連(れ)八(は)そのをり大君乃(の)三(み)加(か)さ能(の)山といふふるう多(た)をいひ加(か)へ天(て)うたへるものならん可(か)しほそ多(た)尓(に)か加(か)八(は)もあり天(て)
 *𠩄(所)乃(の)さまよく加(か)奈(な)へ連(れ)八(は)奈(な)り介(け)ん け尓(に)その細谷川者(は)多(た)きつせ尓(に)天(て)さや介(け)き*扵(於 お)との以(い)まもきこ由(ゆ)る八(は)たえて
ひさしくといひ介(け)ん 多(た)き尓(に)八(は)こと多(た)可(か)ひ天(て)名の三(み)奈(な)らすなむ
弘化三年野之口隆正志(し)る須(す)」

古今和歌集巻廿大歌所歌
まかねふくきひの中山おひにせる ほそたに川のおとのさやけさ

左注に承和(834-848年)のおほむへのきひ(吉備)のくにのうたとあり
 このみかと(帝)天長十年(833年)のやよひ(弥生)にみくらゐにつきたまひて
そのとし大甞会は行ひたまひしなり
 そのときの主基方は備中のくににてありけるよし續日本後紀に見えたれは
 そのをり大君のみかさの山といふふるうた(古歌)をいひかへてうたへるものならんかし
 ほそたにかは(細谷川)もありて 所のさまよくかなへれはなりけん
 けにその細谷川はたきつせ(滝つ瀬)にて さやけきおとのいまもきこゆるは
 たえてひさしくといひけん たきにはことたかひて名のみならすなむ

弘化三年(1846年)野之口隆正しるす

続日本後紀 巻第1-8(明治16年)」に「己酉(※天長10年3月22日)卜定大*甞會事
以近江國高嶋郡爲悠**中國下道郡爲主基」とある

詳細は「吉備郡史 巻上(pp.1111-1117 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」を参照



万葉集第7巻(1102番)」に「大君之御笠山之帶爾爲流細谷川之音乃清也
(オホキミノミカサノヤマノオヒニセル ホソタニカハノオトノサヤケサ)」とある

国学者 野之口(大国)隆正翁(1792-1871年)の撰并書


吉備郡の古歌については「吉備郡史 巻上(pp.1129-1131)」を参照

吉備津宮參詣之記(「吉備群書集成 第五輯(1931年 吉備群書集成刊行会 編)」)に
細谷川を詠んだ歌あり


吉備郡史 巻上(p.188 航薇日記 明治2年)」に「廊を出て、祠後に大いなる石碣あるを見る、
石に刻して細谷川の古跡といふ。其のあたり紅葉多く、溪水潺渙として、
人間に遠き景色あり。此地は三備の古蹟にして、往昔を追想するに餘あり。」と記されている

https://goo.gl/maps/cSZWERR9XDyYMhpE6





唐獅子(本宮社拝殿の向かって右)

「奉*獻」「世話人 若連中」

狛犬(同左)

「奉*獻」「當村氏子中」「世話人 若連中」




本宮社本殿




滝祭神社

祭神は瀬織津姫命。瀧ノ宮とも云。

https://goo.gl/maps/PpQibykAhkCE6Hjs6






社号標e

「官弊中社吉*備津神社」「大正三年一月四日 犬養 毅 敬書」
「(世話人と献主の芳名)」






石燈籠1対

「吉備津宮」「願主 當國窪屋郡酒津村梶谷◯◯◯ ◯吹 藤井◯◯」
「天明元(1781年)歳次辛丑 八月吉祥日」




注連柱d

「奉献」「東山氏子中」「明治三十五年(1902年)十一月吉日」




唐獅子(向かって右)

「*奉*獻」
「當國 倉敷 講中」「(願主6人の芳名)」


狛犬(同左)

「*奉*獻」
「寛政三辛亥歳(1791年) 九月吉日 堀池光政 取次」「(願主6人の芳名)」




石燈籠1対(廻廊南端)

「奉燈」「(施主芳名)」







手水舎




手水鉢c

「奉寄進 吉岡銅山 願主  岡田市郎兵衛 藤後伴?兵衛 *圡田(土田)榮助 山内中」

吉岡銅山=吹屋銅山(高梁市成羽町吹屋)




「明和九年(1772年) 壬辰九月 取次 藤井◯◯ 世話人 川崎屋◯◯◯」






石燈籠(牡丹園南端 向かって右)

「常夜燈」「辻小路」「天保三年(1832年)壬辰三月吉祥日」
「願主世話人 (2人の芳名) *石工 ◯◯」

基礎と基壇に寄進者芳名多数


石燈籠(同左)

「奉燈」「倉敷 魚屋久衛」「明治七(1874年)甲戌九月」
「倉敷 藤田*德松(徳松) 刻」





吉備津神社旧社務所(神領会所)

昇龍山本願寺跡。天台宗。吉備津宮別当。
寛文3年(1663年)、倉敷代官の裁許により追院となり、
金山寺(銘金山観音寺遍照院)へ退いた。
闕所は吉備津宮の社人會所となる。

吉備郡史 巻上(pp.894-895)」を参照

備中誌 賀陽郡 中(p.321 明治35-37年)」に「別當昇龍山本願寺 本堂 庫裏 鐘樓堂
力士門 寺屋敷 今*社人(社人)役所とする所也 此裏に本願寺の墓地今に有」とある


片山口

備中誌 賀陽郡 中(p.283 明治35-37年)」を参照

県道389号線を西へ70m進む


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石鳥居c

「奉寄進石華表
大日本国備中国賀屋郡一之宮本宮
◯華表者◯◯◯◯◯◯◯◯◯*経年月無不◯◯
◯◯◯◯◯◯之備中◯◯◯◯備前◯◯◯◯◯
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」

「   應天下*𣳾(泰)平國土安穏◯ 
萬治三庚子年(1660年)八月吉日◯◯◯◯焉      
   *施主 ◯◯治右衛門 廣安◯◯◯泉
              ◯◯◯◯◯」


備中誌 賀陽郡 中(p.341 明治35-37年)」に「近ころものしたる南の花表
吾妻にます御門跡のものせさせ給ひし本宮と有 正宮をせして書 せ給へるにや」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社


吉備郡史 巻上(p.200 昭和12年 岡山県吉備郡教育会)」に「同辻小路 石大鳥居
但柱高二丈五尺(約7.58m) 廻リ七尺(約2.12m)」とある


吉備郡史 巻上(p.187 白水郎子紀行)」に「石の華表、本宮二字の額は竹門の御筆也」とある

備中口








道しるべa

「左 こん飛(ひ)ら道」「右 き飛(ひ)徒(つ)宮 の本(ほ)り 道」
「天保四癸巳歳(1833年)建之 世話人 ◯◯◯◯ ◯」


道しるべb

「右 起(き)ひつ駅(※吉備津駅)い奈(な)り駅(※稲荷駅)
 左 に王(わ)せ駅(※庭瀬駅)」

https://goo.gl/maps/qnmA9ZG7su2aW7UG7

石鳥居前の十字路から南へ85m進む



画像集.1(北参道)画像集.2画像集.3(廻廊周辺)

画像集.4(普賢院)画像集.(中山前半)5画像集.6(中山後半)



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