【養阿四国八十八ヶ所霊場 画像集5(小坂西後半)】
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観音堂
https://goo.gl/maps/pxAucoBubYk

鬼瓦に千手観世音菩薩の種子(キリク)、拝み巴瓦にカブ

千手観世音菩薩立像
「三十◯」
西国30番の本尊は千手観世音菩薩、坂東30番の本尊は聖観世音菩薩、
秩父30番の本尊は如意輪観世音菩薩、四国30番の本尊は阿弥陀如来。
西国30番 厳金山 宝厳寺 [がんこんざん ほうごんじ] “竹生島” (千手)
『おん ばざら たらま
きりく』
「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積むここちして」

地蔵菩薩立像
「安永六(1777年)◯◯◯月廿四日 願主◯◯◯◯◯」
観音堂前から県道を東北東へ112m進んで左折

細道を北へ100m進み、大内新池の土手を上る

自然石地神と常夜燈
https://goo.gl/maps/6saz8EZH5GH2

地蔵菩薩立像
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』

大内新池

常夜燈の前から大内新池の東岸を北北西へ210m進む
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池の北端にある五叉路から大師川沿いの道を北西へ82m上り、
十字路を左折して西へ155m上る
丁字路
徒歩の場合は左折して参道を南西へ50m上る、車の場合は右折して130m上ると駐車場
https://goo.gl/maps/jgPMb492LPM2
北参道
石段の親柱
「明治三十二年(1899年) 九月吉日」「氏子中」
天神社前で左折し、南東へ112m上る
石鳥居a
「天神宮」
「寛延三(1750年)午八月吉日 惣氏子中」

自然石の燈籠
「献燈」「明治十五年(1882年) 壬午三月」
https://goo.gl/maps/Mvpst7PT4g92
南の眺望
正面に山陽新幹線、山陽自動車道、扶桑薬品工業(株)岡山工場
天神社前に戻る
南参道
石段の親柱
「明治三十二年(1899年) 九月吉日」「氏子中」
注連柱a
「献 明治十五年(1882年) 壬午十月」
「納」「氏子中」
小社
祭神未確認。荒神社?
「紀元二千六百年(昭和15年=1940年) 兒島郡興除村 早川◯◯」
「鴨方町誌(pp.201-202 1955年 平井徹治 著)」によると末社は荒神社外14柱
石段の親柱
「明治三十二年(1899年) 九月吉日」「氏子中」
石鳥居b
「天満宮」「慶應四(1868年)戊辰四月建之」
石段の親柱
「奉」「明治三十二年」
「納」「願主 二十三名」
石積み
「(12人の芳名)」「(11人の芳名)」

唐獅子1対
「奉*獻」「谷井 西原 大内 仁古」
「慶應三(1867年) *丣(卯)春」「石工尾道 山城屋 惣八」
石燈籠1対
「献燈」「明治八年(1875年) 乙亥九月」
「氏子中」
注連柱b
「献 大内 (5人の芳名)」「(6人の芳名)」「庚辰八月」
「納
(9人の芳名)」「(10人の芳名)」「明治十三年(1880年) 西原」
百度石
「百度石」「小坂西原 願主 森原◯◯◯」
石燈籠(竿と中台のみ)
石燈籠1対(拝殿前)
竿なし
石段の親柱(拝殿前)
「奉納」「早川◯◯」
手水鉢a
「慶應四(1868年)戊辰 八月吉日 漱水 西原若(若連中)」
天神社(西原天神社・天満宮・天神宮)
里庄町里見 岩村の天満山(元 岩瀧山)より分祀
「
浅口郡誌(p.287 大正14年)」に「(社名)天神社 (祭神)菅原神
相殿 天穂日命 渡海春彦(※渡會春彦)(社格)村社 (位置)西小坂 (氏子)二五六
(社殿及坪數)本殿、三 幣殿、四 拜殿、五 (建造物種類)鳥居
注連柱
燈籠 手水鉢石 (境内風致)秀峯翠ヲ*攢(攅)メタル中腹ニアリ、
叢樹翠滴ノ幽邃境ニシテ、背景眺望共ニ佳ナリ。
(境内坪數)二反五畝歩 (祭日)九月廿九日
(以下、氏子供進金一戸閉金額、備考は省略)」と記されている
「
備中誌
浅口郡(p.101 明治35-37年)」に「天神宮 西小坂古しへ七原山不動院支配
本地十一面觀音
寛文七年(1667年)神主才兵衛攝之
小坂東西本庄三ヶ村の惣氏神」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
「鴨方町誌(pp.201-202 1955年 平井徹治 著)」を参照
https://goo.gl/maps/RewMmzmnis32
天満神社里庄町里見の本村に鎮座。西原天神社の南南東約2kmの所にある。
主祭神は菅原神、天穂日命、渡會晴彦。旧社格は村社。
「里庄町誌(pp.46-47 昭和26年)」に「天満神社 (由緒)当社は創立年月不詳なれども、
もと村内岩村の天満山に鎭座し附近の人々が崇敬していたところ、寛文六年(1666年)
藩主池田光政の社地整理に際し一時廢社となつていたものを、延宝年間(1673-1681年)、
深田・小坂及び当社の三か所に分祀したものである。当時は天神宮と称し、
神職は吉山重守であつた。此祭神は菅原神・天穂日命・渡会春彦の三神であつて、
舊記によれば醍醐天皇の延喜元年(901年)菅公が配所に遷さるゝや、*福島(福島)又は
天王寺より明石までは海路、それより陸路九州に下られたが、途中公が
一夜を過ごされた由緒の地であると云うので、後世山上に小祀(小祠?)を建てゝ
公を祀つたものである。現在の本殿は天保十二年(一八四一年)八月の
造營であつて、元文元年(一七三六年)八月再建の棟札がある。
(吉山匡氏蔵由緒による) 祭礼日 十月二日。氏子津江、岩村、本村、
殿迫の一部、土井、林山 二八〇戸。宮司吉山匡氏。小寺*淸之(清之)
(天保十四年(一八四三年)十一月十日歿、年七十四歳)著「備中誌」に
「大氏、天神宮池口、本社拜殿前殿石鳥居、寛文七年より神主神太夫」とある。
舊鳥居に「天神宮」の石額がかゝつており、笠石に「寛政三年」(一七九一年)と刻してある。
祭神渡会春彦は淨瑠璃院本「菅原傳授手習鑑」に出ている白太夫(しらたいふ)の
ことであつて、大神宮の仕人で、延喜三年二月二十五日菅公が筑紫に世を去るや、
春彦侍して遺命を奉し、公の息*高視(高視)が権守として土佐に左遷せるを
尋ねようと思い、老脚で險路をたどつて土佐の國内に入つたが、ある寺に宿つて
病死したという物語がある。(明治四十二年版「大日本人名辞書」による)」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
「
備中誌
浅口郡(p.134 明治35-37年)」を参照
https://goo.gl/maps/h7BuBJdEV952

天神社(天満神社)
鴨方町深田に鎮座。西原天神社の東約1.84kmmの所にある。
「
浅口郡誌(p.285 大正14年)」に「(社名)天神社 (祭神)天穂日命 渡會春彦
菅亟相 (社格)村社 (位置)深田 (氏子)二〇〇
(社殿及坪數)本殿、四 幣殿、六 拜殿、九 (建造物種類)鳥居
注連柱
燈籠 百度石 手水鉢石 唐獅子 玉垣 石段 神庫(境内風致)奇巖累積セル石井山城ノ
西麓ニ西麓ニアリ。老松繁茂、鬱蒼トシテ幽邃ナレドモ、境内狭隘ナリ。
(由緒寶物)史蹟名勝第三五四節參照 (境内坪數)二反九畝八歩
(祭日)九月四日 (以下、氏子供進金一戸閉金額、備考は省略)」と記されている
「
浅口郡誌(pp.436-437 大正14年)」に「天滿神社の由緒詳かならず。里人の説に
元 岩瀧山(天滿山)に祀りしを後年今の社地に移し祀りしものにして、
神體の甕は破壊せられて原形を失ひたれど、古墳時代の*祝部土器と現今の陶器の
中間質を帶び、一見過渡時代の考古遺物なるべく記して後人の參考に供す。
里人の説に甕は菅公九州左遷の時、船を岩瀧山下に寄泊し、齋祓せしものと云へるは
附會説のみ。(以下略)」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
https://goo.gl/maps/XAoh1y4gqrR2
土俵
手水鉢b
拝殿の後ろにある
本殿
石段の親柱
「明治三十二年(1899年) 九月吉日」「願主 西原 森原◯◯◯ 森原◯◯」
石積み
「願主 谷井中」
注連柱c
「奉」「兒島郡興除村 早川◯◯」
「献」「*𫞃和(昭和)十二年(1937年)建之」
小社
祭神未確認
本殿の向かって左後方にある
本殿の向かって右後方
石段
「明治三十二年(1899年)」「九月吉日」
https://goo.gl/maps/kYPH3owNJCM2
普賢菩薩・薬師如來・勢至菩薩
金山神社(金まろさま)
かつては瓦焼きの男根が供えてあったという
「鴨方町史 民俗編(p.490)」を参照
かなまら神社(かなまら大明神)
笠岡市西大島の鳥ノ江に鎮座
下の病(性病等)に御蔭あると言われている
https://goo.gl/maps/83YD3wkpDTQ2
疫神社
東方遙拝所?
https://goo.gl/maps/hTdbZNuoPXG2
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大内新池の北端にある五叉路に戻って左折し、北東へ134m進む

大内の薬師堂(南向き)
https://goo.gl/maps/S8hj3e9cdhD2

弘法大師坐像(向かって左)と木造薬師如来坐像(右)
養阿四国46番浄瑠璃寺 (大師/薬師) <小坂西 大内薬師堂>
医王山 養珠院 浄瑠璃寺 [いおうざん
ようしゅいん じょうるりじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし」

石香炉?
向かって右下に小さな穴がある

お堂の向かって右前の屋根を切り欠き、柱の元が若干傷んでいるのは
貨物自動車が衝突したのが原因。その際、床も撤去された。
詳細は「鴨方町史
民俗編(pp.381-382)」を参照。

六字名号碑(お堂の向かって右)
「南無阿弥陀佛 享保十九甲寅年(1734年) 七月十五日」「念佛講中」

手水鉢
「安政四(1857年)丁 講中 巳七月吉日」

二尊石仏(上は大日如来坐像、下は弘法大師坐像)兼道しるべ
「安政四(1857年)丁 巳七月吉日」
向かって左側面に「右かも方(鴨方) すぐすぎ谷(直進すると杉谷)」と
刻まれている。尾坂から下ってきた人向けの表示。
『おん あびらうんけん ばざら だどばん』『南無大師遍照金剛』

牛供養碑群

牛供養碑a (向かって右端/H78.5*W23)
「牛供養」

牛供養碑b (右から2番目/H51*W31)
「牛供養 田中◯◯」
珍しい飼い葉桶付き

牛供養碑c (右から3番目/H47*W23)

牛供養碑d (右から4番目/H34*W23)
薬師堂前の十字路から北東(向かって右)へ98m進む。
丁字路からさらに東へ84m進み、十字路を左折。車道を北へ108m上る。
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仁故の荒神社と仁故公民館
https://goo.gl/maps/t5s2vGkTXgr石鳥居
「*荒神社(荒神社)」「明治十二年(1879年)」「己卯十月」


唐獅子(向かって右)
「献納 氏子中 若連中」
唐獅子(同左)
「献納 興◯新田 ◯本」

手水鉢
「明治二十年(1887年) 亥十二月吉日」

大師堂

十一面観世音菩薩立像(上)と弘法大師坐像(下)
「明治三十六年 三月日 予州 四十四番 菅生山」「谷中」
養阿四国44番大宝寺 (十一面観世音) <小坂東 仁故>
菅生山 大覚院 大寶寺 [すごうさん
だいかくいん だいほうじ]
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「今の世は 大悲の恵み 菅生山(すごうさん) ついには弥陀の 誓いをぞ待つ」

自然石の燈籠
「奉燈」「明治二十四年(1891年) 辛卯正月 氏子中」

自然石地神
「地神」

半鐘
荒神社前の丁字路から墓地への参道を北へ30m進む
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若宮神社
https://goo.gl/maps/C7htvNp4fCp

五輪石塔群

若宮神社前から墓地への参道を北東へ32m進む
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左折して墓地内の参道を北西へ15m上る

社標
「御月神社」

御月神社
https://goo.gl/maps/5cGfhicZRc12

向かって左の小社は摩利支天宮
『おん まりしえい そわか』
御月神社前から参道を東へ59m下って右折。
南に15m下って丁字路を左折し、南東へ109m下る。
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墓地の横で左折し、北東へ23m進む

右折して細道を45m下り、丁字路に出て左折

北東へ9m進んで左折し、石段を上がる

雑草に覆われていて判りにくいかもしれない


髪型も衣装もなんとなく女性風の弘法大師坐像
「弘法大師」「明治丗五年(1902年)三月」
十一面観世音菩薩立像
「四十八番」
養阿四国48番西林寺 (大師/十一面観世音) <小坂東 宗政>
清滝山 安養院 西林寺 [きよたきざん
あんよういん さいりんじ]
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「弥陀仏の 世界をたずね 行きたくば 西の林の 寺にまいれよ」
https://goo.gl/maps/gFVCNNTw8Sy
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48番札所前の丁字路から北東へ32m進む


千手観世音菩薩立像(向かって左)
「藤井寺」
西国5番 紫雲山 葛井寺 [しうんざん ふじいでら] (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「まいるより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲」
https://goo.gl/maps/kzA4rH5EZ8M2

地蔵菩薩立像(中央)
万人講供養碑(向かって右端)
「万人講 虫明千十郎」

観音堂の向かって左

弘法大師坐像(向かって左)
「文政五午年(1822年) 弘法大師 三月吉日」「施主 谷田新平」
阿弥陀如来坐像(右)
「豫州 四十七番 八坂寺」「明治三十六年(1903年)旧三月」
養阿四国47番八坂寺 (大師/阿弥陀) <小坂東 宗政>
熊野山 妙見院 八坂寺 [くまのざん
みょうけんいん やさかじ]
『おん あみりた ていせい からうん』
「花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け」
https://goo.gl/maps/1K9LLnfVUmm48番札所前の丁字路に戻り、右折して北西へ70m進む。
丁字路を直進して北西へ121m進む。県道168号線に出て左折。
西へ146m上り、丁字路を右折。北西へ138m下り菰池(まこもいけ)の前(南)で左折。
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原家の墓地の前を南へ19m進んで右折

階段を上る

権現坐像(向かって左)
「御笹権現」「明治丗六年(1903年)三月」
十一面観世音菩薩像(中央)
「十一面観世音」
40番奥の院 篠山神社(十一面観世音)
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
https://goo.gl/maps/fievbhmko342

阿弥陀三尊像
「天保十一(1840年)○ ◯七月○日」
西国番外 定額山 善光寺 [じょうがくさん ぜんこうじ] (一光三尊阿弥陀如来像)
『おん あみりた
ていせい からうん』
「身はここに 心は信濃の 善光寺 導き給まへ 弥陀の浄土へ」
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墓地への参道入口に戻り、菰池南岸の道を北東へ74m進む。
菰池の東端の丁字路を左折し、北西へ37m進む。

千手観世音菩薩坐像
「六番 和州 壺坂寺」
壺坂寺は壺阪寺の誤植
西国6番 壺阪山 南法華寺 [つぼさかさん みなみほっけじ] “壺阪寺” (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「岩をたて 水をたたえて
壺阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」
https://goo.gl/maps/NJENXyxQvL22菰池の東端の丁字路に戻り、東へ84m進む
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車道から左折して参道を北へ10m上る

神社(祭神未確認)
https://goo.gl/maps/4j29xf4F8t82注連柱
「奉 ◯◯」「明治二十九(1896年)丙申十月吉日」「納 安全」

自然石地神

法界地蔵(向かって右端)
「法界」
『おん かかかび さんまえい そわか』
弘法大師坐像(右から2番目)
「四十九番 弘法大師」「施主 巳生○」
釈迦如来坐像(右から3番目)
「本尊釈迦○○」「明治三十○○」
木造如来立像(右から4番目)
手首から先がないので特定困難(阿弥陀 or 釈迦 or 薬師)
養阿四国49番浄土寺 (釈迦/大師) <小坂東 宮之前>
西林山 三蔵院 浄土寺 [さいりんざん
さんぞういん じょうどじ]
『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
「十悪の わが身を捨てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ」
https://goo.gl/maps/4HTTEQTH1Gv参道を下りて左折し、東へ102m進んで左折
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