【養阿四国八十八ヶ所霊場 画像集4(深田・小坂西)】
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鴨方町深田の石井地区
清水池の東端にある十字路を右折し、北北西へ85m上る
注連柱a
「徳合无疆」「奉献者 平井◯◯◯◯◯◯」
「含光弘大」「昭和七壬申歳(1932年)秋九月吉祥日 世話人 石井◯◯」
宣揚文の出典は易経の「坤厚載物 徳合无疆 含弘光大 品物咸亨」
一の石鳥居
「天神宮 ◯◯◯◯◯◯」「弘化四(1847年)丁未八月日」「當村氏子中」
「文五郎」
石燈籠a(向かって右)
「献燈」「世話人 石井◯◯」「◯◯ 石井◯◯◯ 石井◯◯」
「昭和七年(1932年)八月建之」
石燈籠b(同左)
「献燈」「世話人 石井◯◯」「◯◯ 石井◯◯◯ 富田◯◯」
「昭和七年八月建之」
石燈籠c(向かって右)
「奉鐙」「石井谷中」「(紀年銘未確認)」
石燈籠d(同左)
「奉鐙」「濁谷中」「文政元年(1818年)戊寅 八月吉日」
鐙(とう/あぶらざら): 油と灯心を入れて火をともす皿状の器具。転じて、ともしび。
二の石鳥居
「天神宮」「奉建立鳥居一宇以于里中氏子奉獻? ◯◯◯年◯◯ ○月吉日」
「◯◯ ◯◯◯◯◯◯ 深田 ◯◯◯◯◯」
風化により紀年銘は判読困難
石燈籠e(向かって右)
「*獻鐙」「中谷*𫞕子(氏子)中」「天保三辰年(1832年)八月吉日」
石燈籠f(同左)
「*獻鐙」「奉寄進 當村 平井*𫞕(氏)産◯◯◯町 ◯◯◯◯◯母」
注連柱b
「清浄身」「己卯八月整 (三人の芳名)」
「得神心」「明治十二年(1879年) (三人の芳名)」
石段の親柱
「奉寄進 *文
政十一戊年(1828年) 子六月吉日」

唐獅子1対
「◯◯」「文政五(1822年)壬午 當村*𫞕子(氏子)中 八月吉日」
百度石
「百度石」「明治十三辰年(1880年)建之」「願主 平井◯◯◯」
石燈籠g
「奉燈」「文化九(1812年)申九月吉日」
「願主 石井*𫞕(氏)之生 ◯◯◯◯◯◯◯」
百度石の後ろにある
手水鉢
拝殿
拝殿内の絵馬については「浅口の絵馬 浅口歴史探訪会 2010」を参照
天神社(天満神社)
「
浅口郡誌(p.285 大正14年)」に「(社名)天神社 (祭神)天穂日命 渡會春彦
菅亟相 (社格)村社 (位置)深田 (氏子)二〇〇
(社殿及坪數)本殿、四 幣殿、六 拜殿、九 (建造物種類)鳥居
注連柱
燈籠 百度石 手水鉢石 唐獅子 玉垣 石段 神庫(境内風致)奇巖累積セル石井山城ノ
西麓ニアリ。老松繁茂、鬱蒼トシテ幽邃ナレドモ、境内狭隘ナリ。
(由緒寶物)史蹟名勝第三五四節參照 (境内坪數)二反九畝八歩
(祭日)九月四日 (以下、氏子供進金一戸閉金額、備考は省略)」と記されている
「
浅口郡誌(pp.436-437 大正14年)」に「天滿神社の由緒詳かならず。里人の説に
元 岩瀧山(天滿山)に祀りしを後年今の社地に移し祀りしものにして、
神體の甕(※もたい)は破壊せられて原形を失ひたれど、古墳時代の*祝部土器と現今の陶器の
中間質を帶び、一見過渡時代の考古遺物なるべく記して後人の參考に供す。
里人の説に甕は菅公九州左遷の時、船を岩瀧山下に寄泊し、齋祓せしものと云へるは
附會説のみ。(以下略)」とある
※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社
https://goo.gl/maps/XAoh1y4gqrR2神體の甕(もたい)については「鴨方町誌(pp.204-205 1955年
平井徹治 著)」を参照

向かって左から順に
石燈籠h
「奉燈」「*攵化(文化)十四丑年(1817年) 八月吉日」
「願主 當村
石井◯◯◯」
石燈籠i
「奉燈」「慶應三(1867年)卯六月吉日」「願主 當村 石井◯◯◯」
石燈籠j
「奉燈」「文久三亥年 八月吉日」「願主◯主 畝山◯◯」
石燈籠k
「奉燈」「文久三亥年(1863年) 八月吉日」「◯◯ ◯◯◯◯◯門」
石燈籠l
「奉燈」「文久◯戌?春吉日」
石燈籠m
「石燈爐」「◯五年」「◯九月」
石燈籠n
「奉寄進」
向かって左から順に
石燈籠o
「奉燈」「當村石井氏名 大坂◯◯◯丁目 備前屋◯◯」
「明治元年(1868年) 辰十月日」
「*㔺話人(世話人) ◯谷 ◯◯◯ ◯◯◯」
石燈籠pq
「奉燈」「願主 襟立◯◯◯」「明治二巳年(1969年)八月吉日」
句碑
「明治二己巳年 (1869年)◯◯◯◯」
瓦質の小祠
祭神未確認
「鴨方町誌(pp.202-205 1955年)」に記されている末社は牛頭天王、甕神(もたいがみ)、
大神、秋葉権現、向明神、稲荷大明神、祈雨神社(龍王宮 明治3年に改称)、遥拝所
台座
「御大典記念」「*𫞃和(昭和)三*
年十一月 深田青年團」
本殿
石燈籠r
「奉燈?」
小社
祭神未確認
本殿の向かって左後方にある
瓦質の小祠
稲荷大明神
本殿の向かって右にある
東方遙拝所?

天神社遥拝所(御旅所)
https://goo.gl/maps/9BQ8EdHsSv52
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清水池の南岸
https://goo.gl/maps/vJuo3rDZQVu

石井の土手の石仏
「鴨方町史 民俗編(pp.376-377)」を参照

聖観世音菩薩立像?(向かって左)
台座の銘文は風化により判読不可。秩父霊場の札所(30番か31番)かもしれない。
十一面観世音菩薩立像(同右)
「秩父三番 常泉寺 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯」
秩父3番 岩本山 常泉寺 [いわもとさん じょうせんじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「補陀落は 岩本寺と 拝むべし 峰の松風 ひびく滝津樹」

三面
馬頭観世音菩薩坐像
「秩父二十八番 ○立○ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」
秩父28番 石龍山 橋立堂 [せきりゅうざん はしだてどう] (馬頭)
『おん あみりとう どはんば
うんぱった そわか』
「露の海 たち重なるは 雲の波 たぐいあらじと 渡る橋立」

如来坐像?(向かって左)
地蔵菩薩立像a(右)
『おん かかかび さんまえい そわか』

一石三尊仏(向かって左から2番目)
秩父27番の御影をもとに作成された像。
中央に聖観世音菩薩立像、向かって右に千手観世音菩薩立像、左に毘沙門天立像。
「鴨方町史 民俗編(p.376)」では釈迦三尊像とされている。
「秩父二十七番 大渕禅寺 明治十六(1883年) 未七月日」
秩父27番 龍河山 大渕寺 [りゅうがさん だいえんじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「夏山や しげきがもとの 露までも 心へだてぬ 月のかげもり」
白衣観世音菩薩坐像(同3番目)
「◯◯◯童女 高王観音大士 ◯◯◯◯童◯」
地蔵菩薩立像b(同4番目)
『おん かかかび さんまえい そわか』


大師堂
弘法大師坐像(堂内向かって左)
「文政五年(1822年) 午三月日」
『南無大師遍照金剛』
薬師如来坐像(同右)
「一畑薬師 石井◯◯」
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

法界地蔵(大師堂の向かって右)
「明和五子天(1768年) 七月廿四日」「願主 ◯右衛門
与◯郎 ◯◯郎 ◯◯◯ 有治 乙三郎 ◯治」
『おん かかかび さんまえい そわか』

聖観世音菩薩立像
「安政六未年(1859年)九月*十八日」
「◯◯◯ ◯◯◯ ◯◯◯ 清十郎? ◯◯◯ 利太良 多◯◯ 伴?次郎
亀吉 ◯代◯ ◯◯◯◯ ◯三◯ ◯◯◯ 仁三◯ ◯◯◯」
『おん あろりきゃ そわか』
「鴨方町史 民俗編(p.377)」では地蔵菩薩とされている。
「*十」の字は「廿」かもしれない。

石燈籠
「金比羅大權現 献燈」「文化十癸年(1813年) 酉二月吉日」「石井谷中」
『南無金毘羅大権現』

自然石地神
「地神」

恵比寿坐像
「石井 谷中」

大師堂の前から西へ15m進む

道しるべ
「大正七年(1918年)立之 施主 石井柴太郎」
「右 かも可゛たゑき(鴨方駅)」「左
かも可゛た(鴨方) こんじん(金神)」
https://goo.gl/maps/T7kBA5ErvYB2
清水池と天神社
「
浅口郡誌(pp.436-437 大正14年)」に「又城山の西麓、天滿*神社(神社)の側に
石井池あり。古來詠歌を以て聞ゆ。備中名勝考に云 大甞會歌集
後三條院治暦四年(1068年)十一月主基方備中國 藤原經衝(つねひら)
濁りなき石井の池の水は猶 千々の秋左右澄んとすらん」とある

道しるべの前から県道を西へ11m進み、左折して石段を上る

如意輪観世音菩薩坐像?
「秩父○○○ 法雲○ ◯◯◯」
深田秩父30番 瑞龍山 法雲寺 [ずいりゅうさん ほううんじ] (如意輪)
『おん はんどま しんだ まに
じんば ら そわか』
「一心に 南無観音と 唱うれば 慈悲ふかたにの 誓いたのもし」

聖観世音菩薩立像?
秩父29番?

秋葉神社(秋葉権現)
天神社の末社
https://goo.gl/maps/yDRMPEahBCu

石段を下り、左折して県道60号線を西へ207m下る。
丁字路を右折して北北西へ195m進む。
引野大池の南端の丁字路から北西へ15m進む。
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引野大池

引野大池の南の土手
https://goo.gl/maps/jptayQiovkJ2

五角柱地神
「天照大神」「大己貴命」「少彦名神」「稲倉魂命」「埴安姫命」(北東正面時計回り)
金剛界五仏の種子が刻まれている

石燈籠
「献燈」「明治十九年(1886年) 戌三月吉日」

阿弥陀堂?(37番札所)

弘法大師坐像(向かって左)と聖観世音菩薩坐像(右)と阿弥陀如来坐像(中央)

聖観世音菩薩の髪型は
文金高島田?

阿弥陀如来坐像(中央)
「三十七番 岩本寺」
養阿四国37番岩本寺 (大師/不動・聖観世音・阿弥陀・薬師・地蔵) <小坂西 引野ノ堂>
藤井山 五智院 岩本寺
[ふじいさん ごちいん いわもとじ]
『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん』
『おん
あろりきゃ そわか』
『あん あみりた ていせい から うん』
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
『おん かかかび
さんまえい そわか』
「六つのちり 五つの社 あらわして ふかき仁井田(にいだ)の 神のたのしみ」

二宮金次郎像
「表彰」「昭和十二年(1932年) 二月十一日 岡山縣○」

観音堂(向かって右)

十一面観世音菩薩立像
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
引野大池南端にある丁字路を左折し、北北東へ80m進む
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右折して細道を南南東へ35m進む
注連柱
「献」「氏子中」
「納」「明治三十二年(1899年)」
手水鉢
「明治四十一年(1908年)十月 氏子中」
神社
祭神未確認
荒神様のこもり堂?
https://goo.gl/maps/q68Kz5JPDwJ2
37番札所前に戻る
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37番札所の西にあるY字路を左(北西)へ50m進み、左折して西へ178m下る。
十字路を右折し、参道を北北東へ100m上る。
石鳥居
「*艮大明神宮(艮大明神宮)」
「弘化二乙巳年(1845年)四月吉日」「當谷若連中」
石燈籠a(向かって右)
「奉燈」「安政四丁巳年(1857年)」「九月吉日」
「當谷 氏子中 世話人 若連中 (5人の芳名)」
石燈籠b(同左)
「奉燈」「安政四丁巳年(1857年)」「九月吉日」
「氏子中 世話人 (4人の芳名)」

石段の親柱
「慶應三(1867年) 九月吉日」「當谷 *𫞕子中(氏子中)」
手水鉢a
「*漱水 己安政六○(1859年) 未○○○ 施主 (8人の芳名)」
手水鉢b
艮大明神宮(艮神社)
祭神は吉備津彦命。勧請は享保13年(1728年)。
「鴨方町史 民俗編(p.490)」、「鴨方町誌(pp.208-209 1955年)」を参照
https://goo.gl/maps/3o6SccJa7qn
奉納絵馬あり
疫神社
社殿の向かって右に鎮座。祭神は須佐之男命。
社殿の後ろから北へ25m上る
小祠a(中央)
瓦質の小祠b(向かって右)
小祠c(同左)
いずれも祭神未確認
「鴨方町誌(p.211 1955年)」に記されている境内末社は
疫神社、木野山神社、金比羅神社、橋倉神社
石祠d
祭神未確認
正面(南南西)はみどりヶ丘団地
参道を下って十字路に戻り、南南西へ121m下る。
県道60号線の丁字路を右折し、西へ46m下る。
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カーブミラーの横で左折し、柿畑への細道を南へ5m程上る

引野の板碑(地蔵菩薩立像)
『おん かかかび さんまえい そわか』
板碑には阿弥陀如来の種子(キリーク)が刻まれている
「鴨方町史 民俗編(p.374)」を参照
https://goo.gl/maps/WoBGy5fTcJR2

細道の上り口の脇に横倒しになった道しるべがある

腰折地蔵(南備四国62番札所)への道しるべ
「こしおれ じ曽゛道(腰折地蔵道)」
腰折地蔵へは畑の間の細道を南西へ55m上り、つきあたりの丁字路を左折。
細道を南南東へ83m進み、つきあたりにある池の土手の前で左折。
土手道を東へ33m進んで車道に出て右折。
みどりケ丘団地内の道を南西へ621m進み、公園内にある丘(荒神社の境内)に上る。
腰折地蔵はみどりケ丘団造成(1974年)以前は深田字内平谷の北方の三本木にあった。

地藏堂
「大正十四年(1925年)四月吉日 奉三建立地藏堂造焉
紀元二千五百八十五年」「世話方 内平谷中」
「小坂西材木商 田中◯◯◯」「深田大工
畑田◯◯」
https://goo.gl/maps/HyCjn
地蔵堂はみどりケ丘団地の造成(1974年)に伴い、荒神社の境内に遷座。
それ以前は、深田字内平谷の北方の三本木にあった。
「鴨方町誌(p.236)」には「建物、本堂一坪大の四ツ堂で
西側に十畳瓦葺一棟、明治三十年改築したのである。」と記されている。
遷座以前の正確な場所は未確認。「南備四國霊場道中獨案内(明治36年発行)」に
「六拾壹番 同(鴨方) 正傳寺 十四町(次の札所まで約1527.26m)」
「六拾貳番 深田 地藏堂 廿二町半(約2454.525m)」と記されている。
石造阿弥陀如来坐像(浅口市指定文化財・建造物 平成30年4月25日指定)
腰折地蔵と呼ばれ信仰されてきたが、地蔵菩薩像ではなく阿弥陀如来像と鑑定された
聖観世音菩薩立像
深田秩父20番 法王山 岩之上堂 [ほうおうざん いわのうえどう] (聖観音)
『おん あろりきゃ そわか』
「苔むしろ 敷きてもとまれ 岩の上 玉のうてなも 朽ちはつる身を」
板碑の前から県道60号線を西南西へ406m下り、出雲大社鴨方講社前
(山陽自動車道の西)の丁字路を左折。南西へ210m進む。
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沖ノ店の地蔵堂?
弘法大師坐像?と六地蔵が祀られている
「明治◯◯◯ ◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯ ◯◯◯◯」
『おん かかかび さんまえい そわか』
https://goo.gl/maps/5KWzLyQkwop
地蔵堂前から南西へ137m進み丁字路を左折。
南へ83m進んで山陽新幹線と山陽自動車道の高架下を通過。
さらに南へ140m進んで丁字路を左折。
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東へ17m上って丁字路を左折

谷井公民館の横
https://goo.gl/maps/eizFE7cVQHJ2

お堂の後ろに見えているのは山陽自動車道の高架

弘法大師坐像(向かって右)
「第三十八番」「土佐国 足提○」
千手観世音菩薩立像(同左)
「千手觀音」
養阿四国38番金剛福寺 (三面千手観世音/大師) <小坂西 谷井>
蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺 [さださん
ふだらくいん こんごうふくじ]
『おん ばざら たらま きりく』
「ふだらくや ここは岬の 舟のさお とるもすつるも 法(のり)のさだ山」
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38番札前の丁字路から南南東へ92m上る

自然石の燈籠(金刀比羅宮)と自然石地神
https://goo.gl/maps/6BBx8i7TPFw

燈籠の前から南東へ13m進み、丁字路を右折

西南西へ73m下り、十字路を左折。
南へ58m進み、南西へ70m進んで県道286号線に出て南へ474m進む。
浅口市里庄町小坂西と里庄町里見の境
向かって左の山が天神宮があった天満山
「鴨方町誌(pp.202-205 1955年)」に「深田の西端と里見の北東端と
小坂西の東南端の頂点、三村の界に満山緑樹をもつて蔽われた山容饅頭形の
眺望に富める神山がある。之が所謂天満山である。頂上は平坦で面積三反ばかり。
山の東南一帯は当時の海で、吉備の大島に対していた。(以下略)」とある
「里庄町誌(pp.46-47 昭和26年)」に「天満神社
(由緒)当社は創立年月不詳なれども、
もと村内岩村の天満山に鎭座し附近の人々が崇敬していたところ、寛文六年(1666年)
藩主池田光政の社地整理に際し一時廢社となつていたものを、延宝年間(1673-1681年)、
深田・小坂及び当社の三か所に分祀したものである。当時は天神宮と称し、
神職は吉山重守であつた。此祭神は菅原神・天穂日命・渡会春彦の三神であつて、
舊記によれば醍醐天皇の延喜元年(901年)菅公が配所に遷さるゝや、*福島(福島)又は
天王寺より明石までは海路、それより陸路九州に下られたが、途中公が
一夜を過ごされた由緒の地であると云うので、後世山上に小祀(小祠?)を建てゝ
公を祀つたものである。(以下略)」と記されている
https://goo.gl/maps/dZboeJinMK82
セブンイレブンがある丁字路を右折。
広域農道を西へ634m上って十字路(横断歩道あり)を右折。
https://goo.gl/maps/fMXg9kG2vTH2
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惣良田下池
https://goo.gl/maps/yZfcfgoJzuD2
十字路から南へ35m進む
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惣良田(そうらだ)公民館
https://goo.gl/maps/U6ipaCsmit22

公民館の前にある稚児才池

惣良田公民館の向かって左

「三十九番 土州寺山」「本尊 薬師如来」
養阿四国39番延光寺 (大師/薬師) <小坂西 惣良田>
赤亀山 寺山院 延光寺 [しゃっきざん
てらやまいん えんこうじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「南無薬師 諸病悉除(しつじょ)の 願こめて 詣る我が身を 助けましませ」
https://goo.gl/maps/kCtKzDtK4Kq

自然石の燈籠
「金(金刀比羅宮) 吉(吉備津宮) 奉燈 氏子中」
「安政五午年(1858年)」
万人講供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)
「万人講 牛供養」

広域農道の十字路に戻り、左折して西へ170m上る
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右折して階段を北へ上る
車の場合は20m先の丁字路を右折し、北へ35m上って右折(数台駐車可)
石鳥居
「弘化四丁未年(1847年)十一月吉日」「氏子中」
手水鉢
「奉献」「慶應◯(1868年) 辰八月」
惣良田 八幡神社
再建寄附者芳名録の日付は「明治貳拾六稔(1893年)陰暦日四月吉日」
祭神は足仲彦命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)。
相殿は荒神社、祇園疫神社。
「鴨方町誌(pp.207-208 1955年 平井徹治 著)」を参照
https://goo.gl/maps/AkKTAfw3Ft92
向拝の巴蓋は亀蛇
瓦質の小祠
祭神未確認。拝殿の向かって右(東)にある
車道に戻り、西へ330m進んで山陽自動車道の下を通過し、さらに西へ210m進む
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小坂西 指田地区
◆孝子篤行者 指田介三郎さんについて
「(三十三) 西小坂村野中(うち)指田介三郎
同し村中指田乃(の)*𫞖(民)介三郎 *𠢎(舅)に仕(つかふ)る尓(に)尤心越(を)盡し介(け)る
助三郎もと備後*國の者奈(な)りし可゛(が)
此地の*里
正六郎右衛門丹(に)仕て奴と成耳(に)
生質*正直にして欲少なく
奉公怠ら須゛(ず)よく徒(つ)可(か)へてまめやか奈(な)り
六郎右衛門も彼可゛(が)心を志(し)りて譜代の下女をめ阿(あ)王(わ)せ
田畠を分けあ多(た)へ帝(て) 同郷耳(に)小家の主と奈(な)せり
里人奈(な)へて介三郎可゛(が)*
正直奈(な)る事を感じて
私田乃(の)中を各貸て作らしむ
よく其業を努め
よく其力を盡して貢公用聊も滞る事奈(な)し
齢七十丹(に)及べる*𠢎(舅)あり
老労連(れ)多(た)り 中風をさへ病け連(れ)八゛(ば)
手足も多(た)ゝ春゛(ず)
介三郎い多(た)く憐みて我家にむ可(か)へ飲食も
夫婦手徒゛(づ)可(か)らとゝのへ帝(て)春(す)ゝめぬ
家極めて貧しき者奈(な)連(れ)八゛(ば)
薪をとりて市にひさ(販)起(き)
酒*菓(さけくはし)やうの物を求めて其心を奈(な)ぐさむ
け可゛(が)連(れ)多(た)る衣服阿(あ)連(れ)八゛(ば)
自あらひ清めていとわ春゛(ず)
*𠢎(舅)も涙を奈(な)可゛(が)し常耳(に)其恩を謝せり
介三郎子奈(な)可(か)里(り)し可゛(が)
孝行福を来(きたら)し希(け)る尓(に)や 十三年の後 子越(を)もふけぬ
天乃(の)阿(あ)多(た)ふる*𠩄(所)奈(な)らんと人言へり
烈公これに丹(に)倉米を賜りて其*德(徳)を明し給ふ」
------------------- 変体仮名変換後
------------------
(三十三) 西小坂村の中(うち)指田介三郎
同し村中指田の*𫞖(民)介三郎
*𠢎(舅)に仕(つかふ)るに尤(もっとも)心を盡しける
助三郎 もと備後*國の者なりしが
此地の*里
正六郎右衛門に仕て奴(けらい)と成に
生質(うまれつき)*正直にして欲少なく
奉公怠らずよくつかへてまめやかなり
六郎右衛門も彼が心をしりて譜代の下女をめあわせ
田畠を分けあたへて 同郷に小家の主(ぬし)となせり
里人なへて(並べて)介三郎が*
正直なる事を感じて
私田(わたくした)の中を各(おのおの)貸て作らしむ
よく其業を努め よく其力を盡して貢公用聊(いささか)も滞る事なし
齢七十に及べる*𠢎(舅)あり
老労(つか)れたり 中風をさへ病ければ手足もたゝず
介三郎いたく憐みて我家にむかへ飲食(のみくひもの)も
夫婦手づからとゝのへてすゝめぬ
家極めて貧しき者なれば
薪(たきぎ)をとりて市(いち)にひさ(販)き
酒*菓(さけくはし)やうの物を求めて其心をなぐさむ
けがれたる衣服あれば 自あらひ清めていとわず
*𠢎(舅)も涙をながし常に其恩を謝せり
介三郎 子なかりしが
孝行福を来(きたら)しけるにや 十三年の後 子をもふけぬ
天のあたふる*𠩄(所)ならんと人言へり
烈公
これに倉米を賜りて其*德(徳)を明し給ふ
「
吉備孝子伝
巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」より
忠実やか(まめやか): まじめなさま。こまやかに行きとどくこと。
並べて(なべて): おしなべて。一面に。全般に。なみ。
販ぐ(ひさぐ): 売る。あきなう。
烈公 = 池田光政公
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紀念碑
「紀念*𥓓(碑)」
「發起者 (9人の芳名)」
「大正十一年(1922年)四月吉日建之」
百度石
「百度石」
「金浦町生浜
高田◯◯」「今立 山下◯◯◯」
https://goo.gl/maps/pYXNPJUetBQ2西へ40m下る
丁字路を右折し、北へ50m下る

丁字路を右折し、県道60号線を北東へ112m下る
左折して指田大池西岸を北へ70m進み、十字路を右折して池の北岸を東へ103m進む
https://goo.gl/maps/8PrXdb2kWNM2

法界地蔵(向かって左)と地蔵菩薩立像(右)
指田大池の東端にある
『おん かかかび さんまえい そわか』
https://goo.gl/maps/oqot11NPbbK2

法界地蔵の前から東へ78m進む

指田(さすだ)公民館

大師堂
指田公民館の向かって左にある
https://goo.gl/maps/mparcoDw3nF2

養阿四国40番(向かって左)/鴨方四国27番(中央)/南備四国63番(右)

弘法大師坐像のみ
南備四国63番吉祥寺 (毘沙門天) <大師堂 小坂西 指田>
密教山 胎蔵院 吉祥寺 [みっきょうざん たいぞういん
きちじょうじ]
『おん べい しらまんだや そわか』
「身のうちの 悪しき悲報を 打ちすてて みな吉祥を 望み祈れよ


十一面観世音菩薩立像(向かって右)
「本尊 十一面観○」
弘法大師坐像(左)
「二十七番 神峯寺」
鴨方四国27番神峯寺 (十一面観世音/大師) <>
竹林山 地蔵院 神峯寺 [ちくりんざん じぞういん
こうのみねじ]
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「みほとけの 恵みの心 神峯(こうのみね) 山も誓いも 高き水音」


薬師如来坐像(中央)
「本尊 薬師如来」
弘法大師坐像(向かって右)
「第四十番 豫州 観自在寺」
養阿四国40番観自在寺 (薬師/大師) <小坂西 指田>
平城山 薬師院 観自在寺 [へいじょうざん やくしいん
かんじざいじ]
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
「心願や 自在の春に 花咲きて 浮世逃れて 住むやけだもの」

千手観世音菩薩立像
西国観音霊場の石仏かもしれない
指田公民館前から県道60号線を東へ32m進む
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指田の荒神社
指田公民館の向かって右
https://goo.gl/maps/sW1PPTGAmGG2

釈迦如来坐像と地蔵菩薩坐像
『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
『おん かかかび さんまえい そわか』

道しるべ(荒神社の向かって右)
「*(阿弥陀如来の種子キリク) 右 かん◯(観音?) 左 大し◯(大師道?)」
「施主 貝畑◯◯」

荒神社の向かって右の道を北へ83m上る

十字路の上(北西)にある丁字路を左折して西へ77m進む
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百度石(境内入り口)

指田聖観音(指田観世音)
本尊は聖観世音菩薩
『おん あろりきゃ そわか』
元禄年間(1688-1704年)、篤信家の貝畑藤七郎は南浦の海蔵寺(倉敷市玉島黒崎)へ
参詣中に観世音菩薩を感得する。藤七郎は家の傍らに一宇を建立して尊像を安置。
諸願成就、病気平癒、安産祈願等に霊験ありとされ、多くの参拝者を集めた。
現在は無住となっている。
「鴨方町誌(p.236)」、「鴨方町史_民俗編(p.367)」を参照。
石香炉(向かって右の向拝柱の横)
「笠岡町 藤井利吉」
藤井利吉氏は神島四国霊場の多くの札所に同じタイプの石香炉を奉納している
https://goo.gl/maps/6foxjwsbigE2

指田観世音への道しるべ
「右 兒嶋(児島)大師 指田観音 玉嶋(玉島)鴨方 道」
「大正元年(1912年)十二月 施主 白髪◯◯」
笠岡市吉田の仁吾地区にある(指田観世音の西北西2.57km)
https://goo.gl/maps/vKSh2sYknK92

境内の南

聖観世音菩薩立像
「二十八?番」
「北向き観音」と呼ばれている。一桁の数字が六か八か判読困難(たぶん八)。
今立川水系西国観音霊場の石仏と特徴が一致している。
西国28番 成相山 成相寺 [なりあいさん なりあいじ] (聖観世音)
『おん あろりきゃ そわか』
「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天(あま)の橋立」
荒神社の前に戻って北東へ90m進み、右折して東へ26m進む
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十字路から東へ80m上る

石鳥居
「*天神社(天神社)」「惣氏子中」

天神社
「鴨方町誌(p.208-209 1955年 平井徹治 著)」には「木の株天神社」とある
https://goo.gl/maps/Tii8e9cygGn
自然石の燈籠
「献燈」「氏子中」「明治四十一◯(1908年) 十二月吉日」

拝殿

本殿
石鳥居の前に戻り、北東へ115m進む
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十字路を左折し、北北西へ80m上る

消火栓がある丁字路から北北西へさらに76m上る

北東へ74m上る

神社の横

薬師堂
棟札「奉再建藥師堂一宇 部落安穏 五穀成就 祈攸
昭和廿九年(1954年) 三月吉祥日 信者一同 大工
岡田◯◯」
寄付者芳名録には指田42人、柏部40人、中谷20人、他3人の芳名が記されている
https://goo.gl/maps/bYTocCU8Y3m

本尊は薬師如来
『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

「四十一番 豫州稲荷 山」「本尊十一面観世音」
養阿四国41番龍光寺 (十一面観世音) <小坂西 中谷>
稲荷山 護国院 龍光寺 [いなりざん ごこくいん
りゅうこうじ]
『おん まか きゃろにきゃ そわか』
「この神は 三国流布(さんごくるふ)の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く」

法界地蔵
『おん かかかび さんまえい そわか』
薬師堂前から東へ19m進んで左折

神社
祭神未確認
https://goo.gl/maps/LKGUX8v3ke72
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神社の前から東へ123m下る

丁字路を左折して東北東へ45m進む

丁字路を左折し、北へ73m上る

共同井戸
https://goo.gl/maps/pxno656hd7L2
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井戸の前から東へ34m進み、右折して南へ27m下り、左折して27m進む

丁字路を左折し、疫神社への参道を北へ上る。
境内は児童公園になっている。トイレあり。

柏部の疫神社
疫神社の祭神はスサノオノミコト
蘇民将来の説話にあるように疫病除けの神様として勧請されている場合が多い
https://goo.gl/maps/hYubirA25UP2参道前の丁字路に戻り、直進して南南東へ37m下る。
丁字路を右折し、南西へ56m下る。
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自然石の燈籠と自然石地神
「金(金毘羅宮) 祇(祇園宮) 常夜燈 天保二卯年(1831年) 二月吉祥日」
◆孝子篤行者 小坂西村小六さんについて(金毘羅参り)
「(三十)同郡小坂西村小六
小坂西村の*𫞖(民) 小六 次郎介とて兄弟あり
王(わ)可(か)くし帝(て)父丹(に)かく連(れ)ぬ
小六 老母尓(に)よく孝を盡し希(け)り
弟
長て田地を王(わ)可(か)ち
家を徒(つ)くりて別耳(に)一家乃(の)農と奈(な)春(す)
可(か)川(つ)事等しく志(し)帝(て)己耳(に)吝奈(な)ら須゛(ず)
然る丹(に)小六可゛(が)田八(は)よく秀て
秋あ連(れ)共弟可゛(が)田盤(は)實春゛(ず)
小六古(こ)連(れ)越(を)憂天(て)弟丹(に)地を可(か)へぬ
母
聞帝(て)汝八(は)我を養へ八゛(ば)
えらひ天(て)好田越(を)こそ作るべ介(け)連(れ)
地を替べ可(か)ら須゛(ず)
小六さ可(か)ふ色奈(な)く 仰承りぬといふ帝(て)
ひそ可(か)に替多(た)り
然ども弟可゛(が)作る田八(は)実ら須゛(ず)
さ連(れ)八゛(ば)人乃(の)得失 天奈(な)る故を以
彼可゛(が)家 年毎耳(に)衰て
牛を賣
朝夕の煙もい可(か)尓(に)乏希(け)れ八゛(ば)
小六 牛を求め天(て)これ尓(に)阿(あ)多(た)ふ
貢足ざ連(れ)八゛(ば)彼可゛(が)為耳(に)
假借し帝(て)徒(つ)くのひ遣(や)連(れ)り
弟若我他(ひと)耳(に)仮借して徒(つ)くのふ事を志(し)ら八゛(ば)
心よ可(か)ら須゛(ず)王(わ)び志(し)うこそと思ひ
飛(ひ)そ可(か)に貢を捧げて弟に志(し)らせ春゛(ず)
或年弟い多(た)く病める事あり
母 我*讃刕(讃州)金毘羅に志願あり
舩賃道の費よく計へと云
諫連(れ)どもき可(か)ざるを以
母一人遥の舩路(ふなぢ)やる耳(に)忍び春゛(ず)
小六も志(し)多(た)可゛(が)ひ行
彼宮に至りて志願可(か)奈(な)ひぬるとて
急ぎ可(か)へりて弟丹(に)言介(け)る八(は)
汝盤(は)年若し
行春(す)へ者(は)る可(か)奈(な)り
我盤(は)老極り多(た)る身奈(な)連(れ)八゛(ば)惜可(か)ら須゛(ず)
此度汝可゛(が)命に可(か)八(は)らん事を祈里(り)て
鬮をとる耳(に)
神明請給ふ尓(に)や願ひ乃(の)まゝ也
汝可゛(が)病必直るべしといへり
小六驚起(き) かゝる事とも露志(し)らざ里(り)介(け)る事よと 歎き悲しめり
夫(それ)より四五日も過希(け)れ八゛(ば) 母病◯し帝(て)程なく死しぬ
言し可゛(が)古゛(ご)とく弟八(は)快気せり
実(げに)祈誓誠ある時八(は)同耳(に)見へぬ
鬼神をも動せりと人皆奇特の思ひを奈(な)せり
小六妻を娶りても母の心に可(か)奈(な)八(は)ぬを見連(れ)八゛(ば)
頓天(て)離別せりさ連(れ)ども思ふ耳(に)
我盤(は)耕耘耳(に)隙奈(な)くし帝(て)
常に外尓(に)の三(み)阿(あ)連(れ)八(は)
又妻をむ可(か)ふさ連(れ)ど
是も母の心耳(に)か奈(な)八(は)ぬ古゛(ご)とく
兔)やせまし角やと思ふうち耳(に)母死しぬ
程も経ざるに此妻を里(り)べつせんといひしを 其隣乃(の)人言い
ま多゛(だ)憂深可(か)るべきに
こ八(は)有まじき事奈(な)りと宥め希(け)れ八゛(ば)
さ連(れ)ばとよ母のありしと起(き)八(は)一人奈(な)ら春゛(ず)
妻を離別し帝(て)今母奈(な)起(き)耳(に)至り 斯る事奈(な)くん八゛(ば)
姑乃(の)かだまし可(か)りし故奈(な)りと
人のそし里(り)に可(か)けん事
吾丹(に)於(お)ひて心よ可(か)ら須゛(ず)思ひ介(け)連(れ)ども
仰げ尓(に)も奈(な)連(れ)八゛(ば)とそ これ丹(に)随へり
小六妹聟あり 愛敬ふ可(か)く
其子をも我方尓(に)引とり
妻を娶らせ 誠耳(に)我が子能(の)古゛(ご)とく春(す)
可(か)ゝ類(る)事までも烈公聞召
倉米越(を)賜りて其孝悌を賞し給へり」
------------------- 変体仮名変換後
------------------
(三十)同郡(※浅口郡)小坂西村小六
小坂西村の*𫞖(民) 小六 次郎介とて兄弟あり
わかくして父にかくれぬ
小六 老母によく孝を盡しけり
弟 長(ひととなり)て田地をわかち
家をつくりて別に一家の農(ひゃくしょう)となす
かつ事等しくして己に吝ならず
然るに小六が田はよく秀て
秋あれ共弟が田は實ず
小六これを憂て弟に地をかへぬ
母 聞て「汝は我を養へば えらひて好田をこそ作るべけれ
地を替べからず」
小六さかふ色なく「仰承(おおせうけたまは)りぬ」といふて
ひそかに替たり
然ども弟が作る田は実らず
されば人の得失
天なる故を以
彼が家 年毎に衰て 牛を賣
朝夕の煙もいかに乏ければ
小六 牛を求めてこれにあたふ
貢(みつぎ)足ざれば彼が為に
假借(仮借)してつくのひ遣(や)れり
弟若(もし)我他(ひと)に仮借してつくのふ事をしらば
心よからず わびしうこそと思ひ
ひそかに貢を捧げて弟にしらせず
或年 弟いたく病める事あり
母 「我*讃刕(讃州)金毘羅に志願あり
舩賃道の費(いりよう)よく計(はから)へ」と云
諫れどもきかざるを以 母一人 遥の舩路(ふなぢ)やるに忍びず
小六もしたがひ行
彼宮(かのみや)に至りて「志願かなひぬる」とて
急ぎかへりて弟に言けるは
「汝は年若し 行すへはるかなり
我は老極りたる身なれば惜からず
此度汝が命にかはらん事を祈りて鬮(みくじ)をとるに
神明請給ふにや願ひのまま也
汝が病必直るべし」といへり
小六驚き「かかる事とも露しらざりける事よ」と歎き悲しめり
夫(それ)より四五日も過ければ
母病(やみ)◯して程なく死しぬ
言しがごとく弟は快気せり
実(げに)祈誓誠ある時は同に見へぬ鬼神(おにかみ)をも動せりと
人皆奇特の思ひをなせり
小六 妻を娶りても母の心にかなはぬを見れば頓(やが)て離別せり
されども「思ふに我は耕耘に隙なくして常に外にのみあれば
又妻をむかふ されど是も母の心にかなはぬごとく
兔(と)やせまし角(かく)やと思ふうちに母死しぬ
程も経ざるに此妻をりべつせん」といひしを 其隣の人言い
「まだ憂深かるべきに
こは有まじき事なり」と宥(なだ)めければ
「さればとよ母のありしときは一人ならず
妻を離別して今母なきに至り 斯(かく)る事なくんば
姑のかだましかりし故なりと 人のそしりにかけん事
吾におひて心よからず思ひけれども
仰(おほせ)げにもなれば」とそこれに随(したが)へり
小六 妹聟あり 愛敬(あいきょう)ふかく 其子をも我方に引とり
妻を娶らせ 誠に我が子能(の)ごとくす
かかる事までも烈公聞召(きこしめし)倉米を賜りて其孝悌を賞し給へり
「
吉備孝子伝
巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」より
つくのう: つぐなう(償う)
神明(しんめい/しんみょう): 天地の神霊や人間の霊魂
祈誓(きせい): 神仏にいのって、誓いをたてること
かだまし: 心がねじけている。怠慢である。無精である。
兎やせまし角やと: とにかくに。あれこれと。何やかやと。
「兎やせまし角や可有と長僉議」(「
太平記
第十四巻 節度使下向事」より)
北東へ56m上って丁字路に戻り、右折して南東へ82m下る
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柏部の大師堂
https://goo.gl/maps/jnqtNpFAtq62

弘法大師坐像(向かって左端)と大日如来坐像(左から3番目)
「四十二番 佛木寺」「大日如来」
養阿四国42番仏木寺 (大師/大日) <小坂西 柏部>
一カ山 毘盧舎那院 仏木寺 [いっかざん
びるしゃないん ぶつもくじ]
『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
「草も木も 仏になれる 佛木寺 なお頼もしき
鬼畜人天(きちくにんてん)」

「南無大師遍照金剛(御宝号)」

地蔵菩薩立像

++
関地蔵尊
天平13年(741年)、奈良東大寺の僧行基が諸国に流行した天然痘から
人々を救うため、現在の三重県亀山市関町新所(東海道の47番目の関宿があった)に
地蔵菩薩像を安置した。この「関のお地蔵さん」は日本最古の地蔵とされ、
九關山寶藏寺地藏院(真言宗)の御本尊として祀られ、信仰を集めている。

牛供養碑(向かって右と中央)と万人講供養碑(左)
大師堂の向かって左前にある
大師堂前から南東へ32m下って県道60号線に出て左折し、北東へ270m進む
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十字路を右折し、細道を南東へ58m進む

西原の大師堂
https://goo.gl/maps/vuZnzkEHBow西原の大師堂については「民俗資料選集39(pp.147-149)」、
「鴨方町史 民俗編(pp.390-394)」を参照。

堂内にある御喜捨御芳名録には「大師堂建立の由来 創建
文政十三寅年十一月十五日上棟」と記されている。文政13年は1830年。

格天井に天井画が描かれている

地蔵菩薩立像(中央)
弘法大師坐像(向かって左)
「第四十三番 明石寺 施主 西原中」
千手観世音菩薩立像(右)
「本尊 千手觀世音」「明治三十六年(1903年) 三月吉日」
養阿四国43番明石寺 (大師/千手観世音) <小坂西 西原>
源光山 円手院 明石寺 [げんこうざん
えんしゅいん めいせきじ]
『おん ばざら たらま きりく』
「聞くならく 千手不思議の 誓いには 大盤石(だいばんじゃく)も かろくあげ石」

手水鉢
「奉納 明治三十六年(1903年) 三月吉日 西原 若連中」
養阿四国霊場開創時に奉納されたもの

露盤の格狭間になぜか波間の兎(因幡の白兎)がいる
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県道の十字路に戻り、北へ47m進んで丁字路を左折。
西へ43m進んで丁字路を右折し、北へ80m上って左折。

池の土手道を西へ61m進む

石燈籠
「献燈」「明治十◯◯ ◯月◯日」
https://goo.gl/maps/HqhFKpoySaQ2

法界地蔵
「法界 昭和三年(1928年)」

法界地蔵の前から西へ49m進んで右折
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小社
祭神未確認
注連柱
「奉」「献」
自然石地神
「地神」
https://goo.gl/maps/4WAkaAFQUzu自然石地神の前から東へ112m進んで丁字路に戻り、さらに東へ86m進む
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阿弥陀堂
https://goo.gl/maps/P2q4BNaT1Ap


阿弥陀三尊像
『おん あみりた ていせい から うん』
『おん あろりきゃ そわか』
『おん さんざんさく そわか』

棟込瓦には「南」「無」「蓮」の文字が刻まれている
阿弥陀堂前から南へ112m下り、県道60号線に出て左折。東へ178m進む。
画像集.1/画像集.2/画像集.3/画像集.4/画像集.5
画像集.6/画像集.7/画像集.8/画像集.9/画像集.10
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