【茂平四国八十八ヶ所霊場 画像集1】

ルート(仮):http://yahoo.jp/5ppEF9


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開創: 不明。明治11年の巡礼記録がある。石仏に紀年銘なし。



◆順路について

場所が特定されていない札所があります。距離優先で巡れば5.4kmと短いが、
順打ちするとなると大変なことになります。塩崎神社を起点に時計回りに巡るのがベスト。

距離優先で巡れば5.4kmと短いが、順打ちするとなると大変なことに。

塩崎神社を起点に時計回りに巡る場合の順序は

塩崎神社→(58)→(57)(41)→八幡神社参道入口(42)(43)(44)→(50)(51)

→八幡神社→(48)(54)(55)→八幡神社車道入口(59)(37)(56)(52)(49)(46)(2)

→宮の下通り→(45)→西ノ谷→(53)→小迫の墓地参道入口(62)(17)(18)(61)(39)

→小迫の墓地(1)→青木池の西(60)(67)(76)(52)→青木池の東(68)(69)(70)(65)(82)(71)

→産業道路→野上池(72)→琴ノ迫観音堂(79)(80)(78)→旗涯地(74)(82)→(6)

→(4)→(5)→(78)→(75)→矢ノ平→(84)→(7)→(30)→新川通り

→(26)→産業道路→銅山の観音堂(29)(9)(64)(87)(28)(88)(20)(19)→戎神社

→銅山の荒神社参道入り口→(16)→(21)(25)(26)(35)(33)(31)(8)→(12)(15)

→(3)(10)→(32)(14)→荒神社→龍王社→社稷→産業道路→(26)→砂川改修記念碑

→銅山の荒神社参道入口の南→(22)→(24)→塩崎神社。

以前は海の土手に祀られていたが、干拓する際に
神社やお堂の周辺にまとめて遷座することとなった。
石仏の刻字は風化により判読困難となっているものが多い。




石鳥居

「正一位稲荷大明神」「奉」「氏子中」「納」「平成十二年(2000年)三月吉日建之」

平成12年に尾越から当地へ遷宮した際に建立




正一位大自在中祇式稲荷大明神

塩崎神社の向かって左にある

「御登極記念 小田郡誌(p.68) 大正13年」に「稲荷神社 字 尾越にある。
祭神は倉稲魂命にして勸定(※勧請)年月不詳、嘉永二年(1849年)八月再建、
明治六年(1873年)十二月屬社に列せらる。境内は本殿拜殿古びやかに神々し。
祭日八月十一日なり。」とある。

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

https://goo.gl/maps/tKZruB2YnEE2




塩崎神社

「御登極記念 小田郡誌(p.68) 大正13年」に「塩崎神社 字 東吉原にあり。
祭神は豊玉彦命豊玉姫命にして勸請は文化八年(1811年)三月にして
明治六年(1873年)十二月屬社に列せらる。境内は本殿一棟 祭日は十月二日なり」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

https://goo.gl/maps/sLpRXZZfRcP2







塩崎神社の社殿

社殿の後ろへ進む




岩場の下にある石祠の前で左折して5m程進む




向かって左の千手観世音菩薩立像に「五十八番 いよ作礼山」と刻まれている。

茂平四国58番仙遊寺 (千手観世音/大師) <塩崎神社の裏>
 作礼山 千光院 仙遊寺 [されいざん せんこういん せんゆうじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「立ち寄りて 作礼の堂に やすみつつ 六字をとなえ 経を詠むべし」

https://goo.gl/maps/KcwJ9RneeWr

石祠の前に戻る




石祠の向かって右奥に進む







向かって右の阿弥陀如来坐像に「五十七番 いよ ○○○○」と刻まれている。

茂平四国57番栄福寺 (大師/阿弥陀) <塩崎神社の裏-奥>
 府頭山 無量寿院 栄福寺 [ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ]
 『おん あみりた ていせい からうん』
 「この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏」

https://goo.gl/maps/g3P2ttRFxPu




57番の向かって右に41番札所がある




向かって左の坐像には「四十一番 いよ いなり社」と刻まれている。

  愛媛県宇和島市にある龍光寺は神仏習合の寺として、
  「三間のお稲荷さん」とも称される。

茂平四国41番龍光寺 (十一面観世音) <塩崎神社の裏-奥>
 稲荷山 護国院 龍光寺 [いなりざん ごこくいん りゅうこうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「この神は 三国流布(さんごくるふ)の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く」

https://goo.gl/maps/g3P2ttRFxPu




塩崎神社の社殿横から東へ30m進み、車道に出て右折。
茂平会館の前を通って北への35m進み、左折して八幡神社の石段の上り口に行く。




八幡神社の石段の上り口の向かって右(北)

https://goo.gl/maps/FkTUptEXv8p




向かって左の大日如来坐像に「四十二番 いよ○○寺」と刻まれている。

茂平四国42番仏木寺 (大日/大師) <八幡神社の石段の向かって右>
 一カ山 毘盧舎那院 仏木寺 [いっかざん びるしゃないん ぶつもくじ]
 『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
 「草も木も 仏になれる 佛木寺 なお頼もしき 鬼畜人天(きちくにんてん)」




向かって右の坐像に「いよ 四十三番明石寺」と刻まれている。
中央と左にある弘法大師坐像の刻字は判読困難。

茂平四国43番明石寺 (千手観世音) <八幡神社の石段の向かって右>
 源光山 円手院 明石寺 [げんこうざん えんしゅいん めいせきじ]
 『おん ばざら たらま きりく』
 「聞くならく 千手不思議の 誓いには 大盤石(だいばんじゃく)も かろくあげ石」




茂平四国44番大宝寺 (十一面観世音/大師) <八幡神社の石段の向かって右>
 菅生山 大覚院 大寶寺 [すごうさん だいかくいん だいほうじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「今の世は 大悲の恵み 菅生山(すごうさん) ついには弥陀の 誓いをぞ待つ」










注連柱と唐獅子(昭和10年=1935年)







八幡神社の石鳥居の前

https://goo.gl/maps/QtqviuZkBGF2




向かって左の薬師如来立像に「五十番 いよ ◯◯寺」と刻まれている

茂平四国50番繁多寺 (薬師/大師) <八幡神社の石鳥居の前>
 東山 瑠璃光院 繁多寺 [ひがしやま るりこういん はんたじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ」




向かって右の薬師如来坐像に「五十一番 いよ 石手寺」と刻まれている。

茂平四国51番石手寺 (大師/薬師) <八幡神社の石鳥居の前>
 熊野山 虚空蔵院 石手寺 [くまのざん こくぞういん いしてじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「西方を よそとは見まじ 安養の 寺にまいりて 受くる十楽」







石燈籠

「奉燈」「明治四十二年(1909年)三月吉日」




自然石の燈籠

「大正十四年(1925年)十二月建之」




八幡神社の拝殿

「御登極記念 小田郡誌(p.67) 大正13年」に「三、八幡神社 大字茂平 字 宮山の鎮座にして
村社なり。祭神は應神天皇にして相殿は神功皇后及び玉依姫にして創立不詳なり。
寛永三年(1626年)四月再建し明治六年(1873年)十二月村社に列せらる。
明治二十三年(1890年)本殿再建を以て今日に至る。境内には本殿回廊拜殿手水鉢神さびて
海上遥かに瀬戸内海の眺を擅(ほしいまま)にすることを得たり。
祭日は十月一日にして祭儀盛なり」とある

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

https://goo.gl/maps/86kQ7CHcDQy




唐獅子

「*奉𤣉(奉献)」「氏子 若連中」
「◯ 弘化四丁未歳(1847年) 安政五戊午年(1858年) ◯ 四月吉日」




本殿







石鳥居の前から車道を北へ45m下る




八幡神社の車道の途中にあるY字路

https://goo.gl/maps/rdMQJmrQnix




向かって左から48番、54番、55番札所




向かって右の十一面観世音菩薩立像に「四十八番 いよ西林寺」と刻まれている。

茂平四国48番西林寺 (大師/十一面観世音) <八幡神社の車道の途中にあるY字路>
 清滝山 安養院 西林寺 [きよたきざん あんよういん さいりんじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「弥陀仏の 世界をたずね 行きたくば 西の林の 寺にまいれよ」




向かって左の不動明王坐像に「いよ 五十四番延命寺」と刻まれている。

茂平四国54番延命寺 (不動/大師) <八幡神社の車道の途中にあるY字路>
 近見山 宝鐘院 延命寺 [ちかみざん ほうしょういん えんめいじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 「くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな」


 

向かって右の大通智勝如来坐像に「いよ五十五番 一乃宮」と刻まれている。
 
茂平四国55番南光坊 (大師/大通智勝) <八幡神社の車道の途中にあるY字路>
 別宮山 金剛院 南光坊 [べっくざん こんごういん なんこうぼう]
 『なむ だいつう ちしょうぶつ』
 「このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても 同じ垂迹(すいじゃく)」




札所の横に仮設トイレあり

Y字路から八幡神社の車道を北へ56m下り、右折して南東へ20m下る




 八幡神社の車道入口から北西へ22m上った所

https://goo.gl/maps/sVprqYXTwin










向かって右の薬師如来坐像に「五十九番 いよこくぶん寺」と刻まれている

茂平四国59番国分寺 (大師/薬師瑠璃光) <八幡神社の車道入口の上>
 金光山 最勝院 国分寺 [こんこうざん さいしょういん こくぶんじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「守護のため 建ててあがむる 国分寺 いよいよめぐむ 薬師なりけり」




向かって左の阿弥陀如来坐像に「丗七番 土佐五社」と刻まれている。

「五社」とは37番元札所である「仁井田五社」のこと。
  現在では高岡神社(正式名称は仁井田明神)と呼ばれている。
  明治時代以前は五社(東大宮、今大神宮、中ノ宮、今宮、森ノ宮)に五祭神とともに
  本地仏である五仏(不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩)が
  祀られていた。明治の神仏分離により本尊は岩本寺へ移された。

茂平四国37番岩本寺 (不動・聖・阿弥陀・薬師・地蔵/大師) <八幡神社の車道入口の上>
 藤井山 五智院 岩本寺 [ふじいさん ごちいん いわもとじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 『おん あろりきゃ そわか』
 『あん あみりた ていせい から うん』
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 『おん かかかび さんまえい そわか』
 「六つのちり 五つの社 あらわして ふかき仁井田(にいだ)の 神のたのしみ」




向かって右の地蔵菩薩坐像に「五十六番 いよたいさん寺」と刻まれている。

茂平四国56番泰山寺 (大師/地蔵) <八幡神社の車道入口の上>
 金輪山 勅王院 泰山寺 [きんりんざん ちょくおういん たいさんじ]
 『おん かかか びさんまえい そわか』
 「みな人の まいりてやがて 泰山寺 来世の引導 たのみおきつつ」




向かって右の十一面観世音菩薩立像に「五十二番 ○○大山寺」と刻まれている。

茂平四国52番太山寺 (大師/十一面観世音) <八幡神社の車道入口の上>
 龍雲山 護持院 太山寺 [りゅううんざん ごじいん たいさんじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「太山へ 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし」







茂平四国49番浄土寺 (大師/釈迦) <八幡神社の車道入口の上>
 西林山 三蔵院 浄土寺 [さいりんざん さんぞういん じょうどじ]
 『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
 「十悪の わが身を捨てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ」




向かって右の薬師如来坐像に「四十六番 いよ浄るり寺」と刻まれている。

茂平四国46番浄瑠璃寺 (大師/薬師) <八幡神社の車道入口の上>
 医王山 養珠院 浄瑠璃寺 [いおうざん ようしゅいん じょうるりじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「極楽の 浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は 報いならまし」




向かって右の阿弥陀如来坐像に「二番 あわごくらく寺」と刻まれている。

茂平四国2番極楽寺 (大師/阿弥陀) <八幡神社の車道入口の上>
 日照山 無量寿院 極楽寺 [にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ]
 『おん あみりた ていせい から うん』
 「極楽の 弥陀の浄土へ 行きたくば 南無阿弥陀仏 口癖にせよ」




丸彫りの弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』

八幡神社の車道を再び上ってY字路に戻り、右折して北参道を北北西へ51m進む。
車道に出たら右折し、北へ320m上る。十字路を右(北北東)へ155m下る。










茂平四国45番岩屋寺 (大師/不動) <西ノ谷の山際の道沿い>
 海岸山 岩屋寺 [かいがんざん いわやじ]
 『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
 うんたらた かんまん』
 「大聖の 祈る力の げに岩屋 石のなかにも 極楽ぞある」

https://goo.gl/maps/vSxXrYfaS6M2







旧大師堂の鬼瓦がある




車道を北東へ170m下り、右折して南へ134m下り十字路を左折




西ノ谷集会所前




自然石地神

「地神」

https://goo.gl/maps/LHLTqTwi2VF2

十字路から東へ150m進む




大師堂?(昭和丗四年)




堂内向かって左の阿弥陀如来立像?に「いよ五十三番 円明寺」と刻まれている。

中央の弘法大師坐像に「五十三番」「本村 西之谷 講○」と刻まれている。

茂平四国53番円明寺a (阿弥陀/大師) <>
 須賀山 正智院 円明寺 [すがさん しょうちいん えんみょうじ]
 『おん あみりた ていせい からうん』
 「来迎の 弥陀の光の 円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月」

53番札所は2ヶ所ある。

https://goo.gl/maps/X74XDnkresH2




合掌した地蔵菩薩立像?

「◯佛講中供◯ ◯◯◯◯」

大師堂の前から北へ65m進んで右折し、東北東へ77m進む




小迫の墓地の下の丁字路(ホース収納箱の横)

https://goo.gl/maps/WjHto2cZyuo







弘法大師坐像(向かって左端)と十一面観世音菩薩立像(向かって左から5番目)

茂平四国62番宝寿寺 (大師/十一面観世音) <小迫の墓地の下の辻>
 天養山 観音院 宝寿寺 [てんようざん かんのんいん ほうじゅじ]
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「五月雨の あとに出でたる 玉の井は 白坪なるや 一の宮かわ」




薬師如来立像?(同2番目)

「◯七番」

茂平四国17番井戸寺 (七仏薬師) <>
 瑠璃山 真福院 井戸寺 [るりざん しんぷくいん いどじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「面影を うつしてみれば 井戸の水 結べば胸の あかや落ちなん」




薬師如来坐像(同3番目)と弘法大師坐像(同4番目)

茂平四国18番恩山寺 (薬師/大師) <小迫の墓地の下の辻>
 母養山 宝樹院 恩山寺 [ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「子を生める その父母(ちちはは)の恩山寺 訪(とぶ)らひがたき ことはあらじな」




弘法大師坐像(同6番目)と大日如来坐像(同7番目)

茂平四国61番香園寺 (大師/大日) <小迫の墓地の下の辻>
 栴檀山 教王院 香園寺 [せんだんざん きょうおういん こうおんじ]
 『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
 「後の世を 思えばまいれ 香園寺 止めて止まらぬ 白滝の水」




弘法大師坐像(同8番目)

茂平四国39番延光寺 (薬師) <小迫の墓地の下の辻>
 赤亀山 寺山院 延光寺 [しゃっきざん てらやまいん えんこうじ]
 『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
 「南無薬師 諸病悉除(しつじょ)の 願こめて 詣る我が身を 助けましませ」




弘法大師坐像(同9番目)

「寄島◯ 丑年 吉川八郎」




石仏群の向かって左にある墓地への参道を北西へ40m程上る







小迫の墓地




大師堂

周囲に旧堂の古い丸瓦や平瓦が残されている。小迫の釈迦堂?

「御登極記念 小田郡誌(p.68 大正13年)」に「釋迦堂 大字茂平小迫 重迦(※釋迦)如來
  六(坪)創立不詳文久元年(1861年)四月再建 存置許可同前(明治十一年七月十二日)」とある




丸彫りの弘法大師坐像

『南無大師遍照金剛』




道しるべ(大師堂の向かって左)

「笠岡村 施主 黒田原?治郎 世話人 太?田清六」

向かって左方向=参道下を指さしている




弘法大師坐像(向かって右)

「一番」

釈迦如来坐像(同左)

「一番 阿◯◯◯◯」

茂平四国1番霊山寺 (釈迦/大師)<小迫の墓地>
 竺和山 一乗院 霊山寺 [ぢくわざん いちじょういん りょうぜんじ]
 『のうまく さんまんだ ぼだなん ばく』
 「霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり」

https://goo.gl/maps/9h9SUgj34KF2



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