【寄島西国三十三所観音霊場の画像集 3】

 
画像集.1画像集.2画像集.3画像集.4


HOME



実盛地区



新池の土手の下

https://goo.gl/maps/9aXP1xVV2sL2




齋藤定特攻隊員の墓碑

「故陸軍少佐 齋藤定之石碑」





池坊華道師範 齋藤伊太郎之碑

「池坊華 道師範 齋藤伊太郎*㞢(之)碑 晩翆軒玉光」







實盛道路改修記念碑

「實盛道路改修 明治四十四年(1911年)五月竣工
發起者 世話人 (芳名未確認)」

https://goo.gl/maps/ReTDtH8exWu


----------------------------------------------------------------------------------

柴木の築地地区


築地には笠原松雲先生の生家がある

浅口郡誌(pp.589-590 大正14年)」を参照














石鳥居

「*荒神社(荒神社) *山神社(山神社)」





石燈籠1対






荒神社・山神社

https://goo.gl/maps/HaXChdTyksm




お堂(四ツ堂)




地蔵菩薩立像(向かって左)

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』





千手観世音菩薩立像(同右)

『おん ばざら たらま きりく』




札所番号不明




廻国供養塔

「*(種子「ア」)奉納大乗妙典六十六部供養 保岳已閑居士」
「◯◯◯◯◯◯ 享保三(1718年)戊戌◯ 大◯中村」
「俗名笠原源兵衛其前者仕室之家而*𨿽(雖)?者◯◯祖父源左衛門*
*耒(来)三代住◯爰經營農業予?受父之家督垂◯◯五◯而倍増田畑長
子右衛門三郎讓置?回國之發念*正德(正徳)四年(1714年)五月致全?歩六十六國?
并四國西國秩父坂東悉令成就順礼偏祈*先祖(先祖)二親菩提永願子」

お堂の後ろにある


----------------------------------------------------------------------------------

柴木の宮前地区




枡池

https://goo.gl/maps/vsoVURrnorz




枡池の西端にある十字路から南西へ280m上る







柴木天神社前の十字路を左折

https://goo.gl/maps/sckY6NiAi5J2




参道を東へ67m進む








瓦質の小祠a

祭神未確認




注連柱

「齋」「五月吉日建之」
「庭」「明治三十二己亥年(1899年)」


石燈籠a(向かって右)

「天保十一庚子年(1840年)」
「氏子中」

石燈籠b(同左)

「奉燈」「天保十一庚子年(1840年)」「六月吉日」
「氏子中」





稲荷神社

https://goo.gl/maps/5Y9oUSGc1952




奉納砲弾

「奉納 日露戦役記念」「◯◯◯◯ ◯◯◯◯」


自然石の燈籠




瓦質の小祠b

祭神未確認




小祠c

祭神未確認





十字路に戻り、天神社への参道を南西へ70m上り、右折して北西へ15m上る


----------------------------------------------------------------------------------






石段の親柱

「昭和十五年(1940年)◯月」「田中◯◯」




石鳥居a

「*天神社(天神社)」
「明治十三年(1880年)辰九月」「再建 昭和四十四年(1969年)十月」
「奉再建氏子中」「尾道石工 大村喜兵衛」




手水鉢a

「奉 明治廿三年(1890年)三月」




拝殿

明治34年(1901年)9月に社殿再建

石燈籠a(向かって右)

「奉燈」「同年氏子中」


石燈籠b(同左)

「奉燈」「文政十亥年(1827年)」「十月吉日」





柴木天神社(柴木天神宮)

祭神は菅原道真公。旧社格は村社。天神原に鎮座。
「寄島町誌(pp.464-465)」、「大島の神社資料集(p.22)」を参照。

https://goo.gl/maps/Ew9WwhLpPct




本殿




天神社の本殿の向かって右後方




秋田悦太君碑

題額「秋田悦太君碑」
「秋田君諱悦太 喜美二嫡男也 以明治十二年(1879年)三月十一日生於大島村 幼時*笈遊東都
勉學多年業大進 同三十六年(1903年)以優秀成績卆業東京*髙等(高等)工業學校 為同校助教授以餘
暇從事砂糖澱粉糖研究 同四十二年(1909年)辭同校 入明治製糖会社任技師 在勤台湾 翌年社
令君派遣南洋瓜哇(じゃわ)研究業 滞在年餘而帰朝 其後及同社創設明治製菓株式會社爲
常務取締役兼技師長 大正十一年(1922年)帶社務歴遊欧米諸* 遂砂糖製菓乳製品等研究 翌
十二年齎(もたらす)新智識帰朝 爾來参同社枢機 社運日揚 後君讓職于後進 專創瓶結製菓防止
該品輸入圖國益多大 猶君富春秋欲大有為 不幸得病中道而終惜哉 時昭和十年(1935年)三
月五日 享齢五十八歳 葬柴木先塋之次 君資性恬淡 積財善散 嘗*巨費而圖道路改修
興奨學会等常盡公益 不鮮少餘芳*髙(高)于一郷 頃者故*𦾔(舊)慕君徳胥謀建豊碑於柴木天神
社境内 需*攵(文)于余銘曰  博学東西 應用敏叡 識度出群 流芳百世
昭和十五年七月 備中 岡部光隆 撰 玉城 書」

※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「社」の字は旧字の*社

負笈(きゅうをおふ): 遠く離れた土地にいって勉学すること
恬淡(てんたん): 無欲であっさりしている
頃者(けいしゃ): このごろ。近ごろ。
故旧(こきゅう): ふるいなじみ。以前からの知人。




道路改修記念碑b

「昭和十年(1935年)三月竣工 道路改築者 秋田悦太」

観音堂の横にある

https://goo.gl/maps/vkUW6iZGv2S2




石鳥居b

「木野山神社」




手水鉢b




木野山神社

https://goo.gl/maps/JiAC8Aj1Pwy










十字路に戻って右折し、南へ53m進む


----------------------------------------------------------------------------------







立江寺

https://goo.gl/maps/XPRFXDeaddQ2







地蔵菩薩立像

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




宝号碑

「南無大師遍照金剛 四國立江寺」




弘法大師坐像a

「十九番」

四国19番立江寺 (延命地蔵) <>
 橋池山 摩尼院 立江寺 [きょうちざん まにいん たつえじ]
 『おん かかかび さんまえい そわか』
 「いつかさて西の住まいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の舟に乗りていたらむ」




弘法大師坐像b


----------------------------------------------------------------------------------





宮前池の土手の北端




自然石の燈籠

「金(金刀比羅宮 or 金毘羅大権現)」

『南無金毘羅大権現』

https://goo.gl/maps/TKz8FEDLgBP2




----------------------------------------------------------------------------------

柴木の根奥地区




丁字路を左折し、墓地への参道を南へ30m上り、南東へ35m進む

https://goo.gl/maps/u2rFW26cXN12










お堂(四ツ堂)

桜公園と墓地の横にある

https://goo.gl/maps/3XwFXN9Kygr





不明の木造坐像(向かって右端)

地蔵菩薩坐像?(向かって右から2番目)

地蔵菩薩坐像?(同3番目)

弘法大師坐像(同4番目)

『南無大師遍照金剛』





石鳥居

「荒神社」
「奉」「十二月建 世話人 ◯◯◯◯」
「献」「昭和八年(1933年) 寄附者 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」




荒神社(柴木荒神宮)

祭神は奥津彦命、奥津姫命。字 金光房に鎮座。
「大島の神社資料集(p.24)」を参照。


柴木荒神社改築記念碑

「施工 槙野建設(有) 世話人 (4人の芳名) 平成十三年(2001年)十一月吉日竣工」

https://goo.gl/maps/zpWLDFp4fkN2




荒神籠りの焚き火炉?









柴木桜公園





歌碑

「忘礼(れ)春(す)よ 柴木能(の)む良(ら)に 住な連(れ)天(て)
於(お)や越(を)はこく無(む) 道農(の)閑(か)し古(こ)さ
                            *與 柴木村甚助」

「忘れずよ 柴木のむらに 住なれて おやをはこくむ 道のかしこさ
この和歌は一七四五年 藩主池田継政が曾孫甚助の
親孝行を賛え与えた絹本直 筆の和歌である。
平成二十四年(2012年)四月吉日 建立
柴木コミュニティー協議会 桜祭十周年記念事業協賛者一同 」

はごくむ=はぐくむ: 世話をする。めんどうをみる。 

池田継政公が初代孝子の甚助の曾孫にあたる甚助さんを賛えて詠んだ歌。
荒神社から東へ25m下った所にある。

浅口郡誌(pp.583-585 大正14年)」には
「延享二年(1745年)七月廿二日          繼政花押
忘れすよ柴木のむらに住なれておやをはこくむ道のかしこき
(備陽國誌、備前孝子傳)」とある

吉備孝子伝 巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」、「寄島風土記(pp.47-50)」を参照

https://goo.gl/maps/TZeSutwSwFP2FP2


車道に戻り、左折して南へ52m、右折して南西へ165m下る


----------------------------------------------------------------------------------

柴木の清改地区




青改池の土手の北端



 
自然石地神(中央)

「地神」

自然石の燈籠(向かって左)

 
本樋改修紀念碑(同右)

「本樋改修紀念」
「工費六十六万円 昭和廿七年(1952年)三月竣工 委員 田中◯◯ 外 十五人」

 
 

大師堂

龍城院から移設された建物。「寄島散策マップ」には地蔵堂と記されている。
堂内に弘法大師像なし。
 
https://goo.gl/maps/86nzw29jrdy

 


六字名号碑(向かって左)

「南無阿弥陀佛」

 


六字名号碑兼万人講供養碑(同右)

「南無阿彌陀佛 爲先亡牛馬菩提 馬頭觀音 牛頭天王」
「明治四十一年(1908年)五月」
「万人講供養 願主 ◯◯」
 



旧堂の露盤

この場所にあった四ツ堂のものなのか、他所から持ったてきたものかは未確認

 
 




半鐘がある

 


善光寺如来(堂内向かって左)

「明治六酉年(1873年) 六月吉日」

定額山 善光寺 [じょうがくさん ぜんこうじ] (一光三尊阿弥陀如来像)
 『おん あみりた ていせい からうん』
 「身はここに 心は信濃の 善光寺 導き給まへ 弥陀の浄土へ」


 

一石多尊石仏(同右)

西国三十三所の本尊33体が陽刻されている。
9番の不空羂索観世音菩薩、11番の准胝観世音菩薩、
29番の馬頭観世音菩薩は三面。

 


向かって右から伝教大師坐像a、伝教大師坐像b(頭部なし)、
不明の像b(頭部のみ)、天台大師坐像

大きさから見て四ツ堂内に安置されていた可能性が高い


----------------------------------------------------------------------------------




実盛口

齋藤數夫特攻隊員の墓碑がある。
昭和20年5月20日、沖縄沖の戦闘にて戦死。享年23才。

https://goo.gl/maps/3R8utUU5JAv


十字路を右折して北へ20m進む
 

 




観音堂

道路改修記念碑a(向かって右)

「柴木中央通学改修道路 一金弐萬円 寄附者 東京都 秋田 ◯ 昭和三十三年三月」

道路改修記念碑b(同左)

「昭和十年(1935年)三月竣工 道路改築者 秋田悦太」

向かって左の大原焼きの祠は八幡神社?(三つ巴の神紋あり)
 



聖観世音菩薩立像

「廿一番」「昭和十四年(1939年) 四月吉日 建立」「秋田悦太」
西国21番 菩提山 穴太寺 [ぼだいさん あなおうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」

https://goo.gl/maps/vkUW6iZGv2S2


----------------------------------------------------------------------------------

 


 
 

青改池

水面に茶臼山(標高183m)を映す。中腹に孝子甚助の生家と墓がある。
山頂は浅口市・里庄町・笠岡市の境。
大内摂津守の居城だった茶臼山城址がある。

茶臼山城址については「浅口郡誌(pp.472-473 大正14年)」、
大内氏については「浅口郡誌(pp.37-39 大正14年)」を参照

青改池南岸の道を西へ295m上る


 ----------------------------------------------------------------------------------



柴木の東光房(東光坊)地区



寄里農免道の交差点

https://goo.gl/maps/PZH762SsV3v

西へ170m上る







東光房池

https://goo.gl/maps/GGqEoXX7PRk




観定峠へ向かう車道

明治時代の地図にはない道




池の土手の道は崩落しているため車両通行不可(2019年1月時点)

https://goo.gl/maps/qiF4PEHmF7y






徒歩で南へ56m、南西へ53m進む




右折して西へ64m、北西へ75m進む







瓦質の小祠

祭神未確認。塞の神?

https://goo.gl/maps/HnhsLEcpjZU2

北西へ77m進む




観定峠(観定ヶ峠、勘定峠)

笠岡市大島中と浅口市寄島町の境

「寄島散策マップ(p.5)」には「勘定峠」と記されている

https://goo.gl/maps/bf4rjm6bsov




六字名号碑

「*(阿弥陀如来の種子「キリーク」)南無阿弥陀佛 延享四卯年(1747年) 七月一日」




西へ400m下ると大島中の前砂地区








明治時代の地図にある旧道を東北東(東光房地区)へ85m下る


----------------------------------------------------------------------------------








平成30年7月豪雨に伴う土砂崩れにより旧道は寸断されているため通行不可(2019年1月時点)

https://goo.gl/maps/v8Tnj5LBLw62




斜面を南へ10m下り、民家の脇の細道を南へ20m下る




丁字路を左折して東へ71m進み、東光房池の北にある丁字路を左折

----------------------------------------------------------------------------------






車道を北へ48m上り、つきあたりの丁字路を右折

https://goo.gl/maps/VJnSxUUnJC52




東へ20m上って丁字路を右折




墓地への参道を南へ25m上る

https://goo.gl/maps/6fp1uxpaXXk




墓地の手前で左折し、東へ15m上って右折し、南へ30m上る

もしくは墓地の中を南へ30m進み、左折して東へ15m上る







瓦質の小祠

祭神未確認

南へ10m下る







自然石

祭神未確認







荒神社

https://goo.gl/maps/xXM6znNjvVx




荒神籠りの焚き火炉?





車道に戻り、右折して北へ40m、東へ230m下る


----------------------------------------------------------------------------------



寄里農免道

https://goo.gl/maps/bpMkFjkxqyz




平成30年7月豪雨に伴う土砂崩れ(画像向かって右)により通行不可(2019年1月時点)

十字路を左折し、農免道を北へ118m上る

----------------------------------------------------------------------------------







孝子甚助の生家跡と墓地

「甚介」と記されている資料もあるが、正しい表記は「甚助」

浅口郡誌(p.473 大正14年)」、「浅口郡誌(pp.583-585 大正14年)」、
「寄島風土記(pp.47-50)」を参照

https://goo.gl/maps/B5Fxw8UZsPM2







墓地への参道を南へ95m上る








下原家の墓所




 下原甚助(初代)夫妻の墓

「孝子 下原甚助 同 妻 墓」「※延宝九甲寅七月廿日」
「元祿七(1694年)甲戌四月十四日」
「曽孫甚助建」

延宝9年(1681年)は辛酉、延宝2年(1674年)は甲寅。
浅口郡誌(pp.583-585 大正14年)」には「延寳二年、年六十にして歿す」とある。


「三 備中柴木甚介

備中浅口郡(あさくちのこおり)大嶋村の内 柴木能(の)民 甚介 兄弟三人あり
甚介 生質(うまれつき)自然(おのづから)孝悌の誠有希(け)り
幼(あどけなく)して父に者(は)奈(な)連(れ)
母尓(に)養育せら連(れ)て長(ひと)と成りぬ
母八(は)兄可゛(が)家に有べ可(か)りし可(か)共
甚介 真成(まめやか)奈(な)る志丹(に)よりて
甚介可゛(が)家にの三(み)阿(あ)りぬ

其孝心乃(の)深起(き)事 夜八(は)身を以て床を阿(あ)多ゝ(たた)め
母を寝させ 己盤(は)枕の際(さい)丹(に)より居(おり)帝(て)
母寝入ざ連(れ)八゛(ば)自も伏さ春゛(ず)
母もし祢(ね)むらざれ八゛(ば)共耳(に)*興(おき)天(て)古(こ)れを問ふ
か八(は)る事奈(な)け連(れ)八゛(ば)安んじ帝(て)帰り
い多(た)む事阿(あ)連(れ)者゛(ば)於(お)起(き)明して
懇耳(に)い多(た)八(は)連(れ)り

朝八(は)母尓(に)さ起(き)立帝(て)起
茶を煮て母の起るを待天(て)春(す)ゝめ
冬八(は)たき火をして寒越(を)ふせ可゛(が)せ
夏八(は)蚊帳をつり ま川゛(づ)三(み)徒゛(づ)可(か)ら
其中(そのうち)に入帝(て)蚊のある奈(な)しを試三(み)て後
母を祢(ね)させぬ

たまゝたまゝゝ岡山耳(に)出る事阿(あ)連(れ)八゛(ば)
ま川゛(づ)母乃(の)好む*𠩄(所)能(の)肴
 あるひは時の菓(くだもの)奈(な)ど調(しつらえ)て後
己可゛(が)用を弁じ 家に帰りて八(は)必これ越(を)春(す)ゝめけり

兄 農業丹(に)怠りて
譲(ゆづり)を請(うく)る*𠩄(所)の地白々耳(に)阿(あ)連(れ)ぬ
兄 甚介尓(に)いへる盤(は)
我八(は)親の慈奈(な)起(き)尓(に)由(よ)り帝(て)阿(あ)き田を得多(た)り
され八゛(ば)耕作の力を徒(つ)くせどもあ連(れ)ゆ介(け)り
汝盤(は)好田越(を)得帝(て)家豊奈(な)り
我こそ兄奈(な)連(れ)八゛(ば)好田能(の)ゆ川゛(づ)りを得べ希(け)連(れ)八゛(ば)
汝可゛(が)田越(を)も川(つ)帝(て)
悉(ことごとく)和(わ)連(れ)耳(に)阿(あ)多(た)へよ
若(もし)あ多(た)へざ連(れ)八゛(ば)汝を害せんといふ
甚介其(その)意耳(に)さ可(か)ふけしきも奈(な)く
我田を以兄丹(に)阿(あ)多(た)へ 兄能(の)田乃(の)悪しきをと川(つ)て徒(つ)くる
其年より大に實(みのり)大丹(に)熟して
兄耳(に)阿(あ)多(た)へし田盤(は)又かへりて悪田と奈(な)る
*此(この)ゆへ耳(に)未進於(お)び多(た)ゝしく力尽きぬ
*里正(しょうや) これを聞天(て) 甚(はなはだ)尓(に)く三(み)
倉の中丹(に)追入(おいいれ)天(て)責んと春(す)
甚介憂丹(に)多(た)えず*里正尓(に)行て涙を奈(な)可゛(が)し
兄不肖にし帝(て)唯今此罪丹(に)可(か)ゝ連(れ)り
若(もし)罪を免(ゆる)したま八(は)ゞ未進盤(は)某(それがし)奉んとて
歎き介(け)るありさま誠に二心奈(な)起(き)躰(てい)奈(な)れ八゛(ば)
*里正もこれ尓(に)感じて甚介可゛(が)為耳(に)赦しぬ
甚悦び天(て)帰り春(す)な八(は)ち他(ひとに)借天(て)其未進を徒(つ)くのへり
甚介かく婦(ふ)可(か)起(き)志 人是を知りて我さ起(き)尓(に)と
争ひ貸介(け)ると奈(な)り

兄 後丹(に)家越(を)破里(り)てよる方奈(な)可(か)りし八゛(ば)
甚介 我田乃(の)中を分て兄の田と名付 自耘(くさぎり)天(て)兄を養ひぬ
かく有介(け)れ八゛(ば)貢も人耳(に)さ起(き)立天(て)*斂(おさ)め
時を過さ春゛(ず)自ら利と者(は)可(か)ら須゛(ず)し帝(て)
*里正耳(に)満(ま)可(か)せ介(け)れ八゛(ば)年々過米阿(あ)り
こ能(の)ゆへ尓(に)春丹(に)至川(つ)天(て)
其過米を返し阿(あ)多(た)ふるの三(み)奈(な)り
俵物(ひょうもの)奈(な)どもゑらひ春(す)ぐ川(つ)帝(て)
他丹(に)こと奈(な)連(れ)八゛(ば) 甚介俵(ひょう)と人皆称(せう)春゛(ず)

ある時 郡吏其尊起(き)志を感し
米を阿(あ)多(た)へて賞し希(け)連(れ)八゛(ば)
甚介家に帰り 母を拝して云介(け)る八(は)
今此米と賜ひぬるも母に徒(つ)可(か)ふるを以帝(て)奈(な)り
母 もしいまさ春゛(ず)は此賜物あるべ介(け)んや
ひとへ丹(に)母の恩奈(な)りとて一粒も我事耳(に)徒(つ)可(か)八(は)春゛(ず)
年老たまへ八゛(ば)い可(か)にもし帝(て)安楽尓(に)暮させま本(ほ)しく思へど
身貧し介(け)連(れ)八゛(ば)心尓(に)ま可(か)せず
此米を以悉母乃(の)用に供べしとて 母の好む*𠩄(所)を聞天(て)養ひとせり

母よ八(は)ひ八旬耳(に)及べども 打見る*𠩄(所)六旬餘と見由?あり
人其(その)年より若起(き)事をあやしむ
母乃(の)云 甚介可゛(が)孝行誠有故によりて
今丹(に)至るまで苦越(を)志(し)ら須゛(ず)
何を以可(か)老奈(な)んや
たとへ*國主能(の)母上と仰可゛(が)連(れ)たまふとも
我丹(に)八(は)志(し)可(か)じとといふ

かく能(の)ごと起(き)行 神明も加護し給ふ尓(に)や
同じ田越(を)作り畠を作連(れ)ども 畦をさ可(か)ぶて栄実連(れ)り
或年 時いま多゛(だ)及者゛(ば)須゛(ず)して胡麻を植んと春(す)
隣の者 其時奈(な)らざる越(を)告(つぐ)
甚介今幸耳(に)隙(ひま)阿(あ)連(れ)ばとて植介(け)る耳(に)
雨露のうるほひ志(し)尓(に)まゝ尓(に)て其胡麻奈(な)らび奈(な)く熟しぬ
是の三(み)奈(な)ら須゛(ず)奈(な)す事謀ざるに皆利あり
其年夏旱(ひでり)し 秋洪水し希(け)連(れ)八゛(ば)
時を考て蒔多(た)る者の胡麻盤(は)そ多゛(だ)ゝず
其信漸 人乃(の)心耳(に)入帝(て)
甚介可゛(が)一言(いちごん)によ川(つ)帝(て)一郷能(の)者貸借をもしけり

烈公 詳(つまびらか)耳(に)聞召(きこしめし)深く感賞あり天(て)
御城丹(に)召して長?能(の)前耳(に)召出さ連(れ)
汝可゛(が)孝悌乃(の)聞へ其実(そのこと)かく連(れ)奈(な)く
誠に人の則多(た)るべしと再三感じて饌(ちそう)を給八(は)り
又作る*𠩄(所)の田畠永く子孫に傳ふべしとて
御感書越(を)賜里(り)ぬ
其時人問(とふ)し尓(に) 汝何の分ありてかく能(の)古゛(ご)とく
孝悌乃(の)誠あるや 何の心といふ事も侍ら須゛(ず)
食もし母耳(に)先多゛(だ)て八゛(ば)其味旨可(か)ら春゛(ず)
夜もし母志(し)川゛(づ)可(か)奈(な)らざれ八゛(ば)
祢(ね)天(て)安可(か)ら須゛(ず)といへ里(り)

又ある人の問し丹(に) 汝可゛(が)兄如斯(かくのごときに)誠をも感ぜ春゛(ず)して
何ぞ不孝丹(に)し帝(て)又弟を愛春(す)るの心奈(な)起(き)や
佐(さ)し天(て)さる事侍る尓(に)も阿(あ)らず
病身奈(な)連(れ)八゛(ば)努尓(に)倦(うみ)天(て)業をも怠侍る尓(に)や
人さやうにも いひふら八(は)し侍るといへり
誠耳(に)孝悌内丹(に)阿(あ)連(れ)八゛(ば)
怨をもとゞめ春゛(ず) 非をもと可゛(が)め春゛(ず)

其後ある人 其里能(の)者に向天(て)云
甚介孝悌ある尓(に)よ川(つ)帝(て)作る*𠩄(所)の田畠永代賜里(り)ぬ
汝等彼をうらやむ心ありやと
*此時皆いふ 甚介可゛(が)事八(は)人の及ぶ*𠩄(所)奈(な)ら祢(ね)ど?
一村を皆彼耳(に)賜るといふ共いうで
うらやましと思ひ侍るべきやといへり

ある時 熊沢助右衛門 了介 郡中を巡り
孝子奈(な)連(れ)八゛(ば)王(わ)ざと彼が可゛(が)家に往(ゆき)て見る耳(に)
座上に阿(あ)多(た)らしき疊を志(し)起(き)天(て)
母を座しめ其餘(よ)盤(は)三(み)奈(な)むし路(ろ)を敷多(た)り
母いろりの前耳(に)居多(た)るさま
心飛(ひ)ろげ耳(に)し帝(て)體(てい)ゆ多(た)可(か)奈(な)り
其門丹(に)入より何と奈(な)く殊勝にし帝(て)
直耳(に)堯舜の*𫞖(民)を見る可゛(が)古゛(ご)とし
是を賞せんと春(す)る耳(に)中ゝ言葉奈(な)くして帰りぬと

其行(おこない)の後八(は)甚介尓(に)も於(お)とらぬ者まゝ多介(け)連(れ)ども
皆其事をあげて其心越(を)告(つぐ)る尓(に)足連(れ)り
只甚介の三(み)是を称春(す)るに詞奈(な)し
又まさるを祢(ね)多(た)む盤(は)今乃(の)人の情奈(な)る耳(に)
たとひ一村をし悉く甚介丹(に)たまふとも うらやむべ可(か)ら須゛(ず)といふ
此二事 最甚介可゛(が)孝悌他耳(に)異尓(に)し帝(て)
至川(つ)て大奈(な)る越(を)見る
甚介こ能(の)と起(き)三十三歳奈(な)りし也

     備中*國淺口郡中大島柴木村内抱分田方三
     反畠二反都合五反依感有孝悌之行永代與
     之素僻地之民*雖不知有孝悌之教誠天質之
     霊妙也哉郡中皆至称其*美是又天之霊也故
     以天禄賞之者也           .
                    
      承応三年十二月十三日          烈公 花押
                             柴木村甚助」


----------------- 変体仮名変換後 ----------------------

「三 備中柴木甚介

備中浅口郡(あさくちのこおり)大嶋村の内 柴木の民 甚介 兄弟三人あり
甚介 生質(うまれつき)自然(おのづから)孝悌の誠有けり
幼(あどけなく)して父に者(は)なれ
母に養育せられて長(ひと)と成りぬ
母は兄が家に有べかりしか共
甚介 真成(まめやか)なる志によりて
甚介が家にのみありぬ

其孝心の深き事 夜は身を以て床をあたため
母を寝させ 己は枕の際(さい)により居(おり)て
母寝入ざれば自も伏さず
母もしねむらざれば共に*興(おき)てこれを問ふ
かはる(変わる)事なければ安んじて帰り
いたむ事あればおき明して懇にいたはれり

朝は母にさき立て起
茶を煮て母の起るを待てすすめ
冬はたき火をして寒をふせがせ
夏は蚊帳をつり まづみづから
其中(そのうち)に入て蚊のあるなしを試みて後
母をねさせぬ

たまたま岡山に出る事あれば
まづ母の好む*𠩄(所)の肴 あるひは時の菓(くだもの)など調(しつらえ)て後
己が用を弁じ 家に帰りては必これをすすめけり

兄 農業に怠りて 譲(ゆづり)を請(うく)る*𠩄(所)の地 白々にあれぬ
兄 甚兄 甚介にいへるは
「我は親の慈なきに由(よ)りてあき田を得たり
されば耕作の力をつくせどもあれゆけり
汝は好田を得て家豊なり
我こそ兄なれば好田のゆづりを得べければ
汝が田をもつて悉(ことごとく)われにあたへよ
若(もし)あたへざれば汝を害せん」といふ

甚介其(その)意にさかふけしきもなくを以兄にあたへ
 兄の田の悪しきをとつてつくる
其年より大に實(みのり)大に熟して
兄にあたへし田は又かへりて悪田となる
*此ゆへに未進おびただしく力尽きぬ
*里正(しょうや) これを聞て 甚にくみ
倉の中に追入(おいいれ)て責んとす
 甚介憂にたえず*里正に行て涙をながし
「兄不肖にして唯今此罪にかかれり
若(もし)罪を免(ゆる)したまはば未進は某(それがし)奉ん」とて
歎きけるありさま誠に二心なき躰(てい)なれば
*里正もこれに感じて甚介が為に赦しぬ
甚悦びて帰り すなはち他(ひとに)借て 其未進をつくのへり
甚介かくふかき志 人是を知りて我さきにと争ひ貸けるとなり

兄 後に家を破りてよる方なかりしば
 甚介 我田の中を分て兄の田と名付 自(みずから)耘(くさぎり)て兄を養ひぬ
かく有ければ貢も人にさき立て*斂(おさ)め
時を過さず自ら利とはからずして
*里正にまかせければ年々過米あり
 このゆへに春このゆへに春に至つて其過米を返しあたふるのみなり
俵物(ひょうもの)などもゑらひすぐつて
 他にことなれば 甚介俵(ひょう)と人皆称(せう)ず

ある時 郡吏其尊き志を感し 米をあたへて賞しければ
甚介家に帰り 母を拝して云けるは
「今此米と賜ひぬるも母につかふるを以てなり
母 もしいまさずは此賜物あるべけんや
 ひとへに母の恩なりとて一粒も我事につかはず
年老たまへばいかにもして安楽に暮させまほしく思へど
身貧しければ心にまかせず 此米を以悉母の用に供べし」とて
 母の好む*𠩄(所)を聞て養ひとせり

母よはひ(齢)八旬に及べども 打見る*𠩄(所)六旬餘と見由?あり
人其(その)年より若き事をあやしむ
母の云 甚介が孝行誠有故によりて今に至るまで苦をしらず
何を以か老なんや
たとへ*國主の母上と仰がれたまふとも我にはしかじ(及かじ)といふ

かくのごとき行 神明も加護し給ふにや
田を作り畠を作れども 畦をさかぶて栄実れり
或年 時いまだ及ばずして胡麻を植んとす
隣の者 其時ならざるを告(つぐ)
甚介今幸に隙(ひま)あればとて植けるに
雨露のうるほひしにままにて其胡麻ならびなく熟しぬ
是のみならずなす事 謀ざるに皆利あり
其年夏旱(ひでり)し 秋洪水しければ
時を考て蒔たる者の胡麻はそだたず
其信漸 人の心に入て
甚介が一言(いちごん)によつて一郷の者 貸借をもしけり

烈公 詳(つまびらか)に聞召(きこしめし)深く感賞ありて
御城に召して長?の前に召出され
汝が孝悌の聞へ其実(そのこと)かくれなく
誠に人の則たるべしと再三感じて饌(ちそう)を給はり
又作る*𠩄(所)の田畠永く子孫に傳ふべしとて御感書を賜りぬ

其時人問しに「汝何の分ありてかくのごとく孝悌の誠あるや」
 「何の心といふ事も侍らず 食もし母に先だてば其味旨からず
夜もし母しづかならざれば ねて安からず」といへり

又ある人の問しに「汝が兄如斯(かくのごときに)誠をも感ぜずして
何ぞ不孝にして又弟を愛するの心なきや」
「さしてさる事侍るにもあらず
病身なれば努に倦(うみ)て業をも怠侍るにや
人さやうにも いひふらはし侍る」といへり
誠に孝悌内にあれば 怨をもとどめず 非をもとがめず

其後ある人 其里の者に向て云
「甚介孝悌あるによつて作る*𠩄(所)の田畠永代賜りぬ
汝等彼をうらやむ心ありや」と
*此時皆いふ 「甚介が事は人の及ぶ*𠩄(所)ならねど?
一村を皆彼に賜るといふ共いうで
うらやましと思ひ侍るべきや」といへり

ある時 熊沢助右衛門 了介 郡中を巡り
孝子なればわざと彼がが家に往(ゆき)て見るに
座上にあたらしき疊をしきて
母を座しめ其餘(よ)はみなむしろを敷たり
母いろりの前に居たるさま
心ひろげにして體(てい)ゆたかなり
其門に入より何となく殊勝にして
直に堯舜の*𫞖(民)を見るがごとし
是を賞せんとするに中々言葉なくして帰りぬと

其行(おこない)の後は甚介にもおとらぬ者まま多けれども
皆其事をあげて其心を告(つぐ)るに足れり
只甚介のみ是を称するに詞なし
又まさるをねたむは今の人の情なるに
たとひ一村をし悉く甚介にたまふとも うらやむべからずといふ
此二事 最甚介が孝悌 他に異にして
至つて大なるを見る
甚介このとき三十三歳なりし也

    備中*國淺口郡中大島柴木村内抱分田方三
     反畠二反都合五反依感有孝悌之行永代與
     之素僻地之民*雖不知有孝悌之教誠天質之
     霊妙也哉郡中皆至称其*𫟈(美)是又天之霊也故
     以天禄賞之者也           .
                    
      承応三年(1654年)十二月十三日    烈公 花押
                             柴木村甚助」

※文中の返り点は省略

吉備孝子伝 巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」より

※池田光政判物(浅口市指定文化財)

「備中國浅口郡中大嶋村柴木村内
 抱分田方三反畠二反都合五反
 依感有孝悌之行永代与之
 素僻地之*𫞖(民)雖不知有孝悌之
 教誠天質之*灵(霊)妙也哉郡中
 皆至称其*𫟈(美)是天之*灵(霊)故以
 天禄賞之者也     .
                    
    承應三年十一月十三日   光政*(花押)
                       柴木村
                           甚助」

誤  正
霊也→霊
是又→是
十二月→十一月
烈公→光政

淺口→浅口
大島→大嶋
與→与
承応→承應



白白(はくはく): むなしく。いたずらに。
未進(みしん): 年貢などをまだ納めていないこと。また、その年貢など。
まめやか: 浮気でなく、真実の気持であること。心がこもって誠実なさま。
      まじめなさま。まともなこと。忠実やか。
逆ふ(さかふ): 従わない。さからう。そむく。気にさわる。逆になる。逆にする。
境ふ(さかふ): 境をつける。区切る。
及く(しく): 追いつく。到りつく。及ぶ。肩をならべる。匹敵する。

八旬=80歳

熊沢助右衛門 = 岡山藩に仕えた陽明学者 熊沢蕃山(1619-1691年)。字は了介は。

尋常小学修身書 生徒用 巻1(明治25年)」、「黄薇文叢  青年読本(pp.19-22 大正9年)
家庭教育 日本孝子美談 (明治25年)」、「備作人物伝(明治34年)」なども参照


----------------------------------------------------------------------------------


四 甚介*孫甚介
初代の孝子甚介八(は)六十歳尓(に)帝(て)延宝九年の秋身まかりぬ
其子も父の名耳(に)改天(て)甚介といへる可゛(が)
天質(うまれつき)篤實(とくじつ)奈(な)る者奈(な)り
八十歳尓(に)天(て)終りぬ
孫も甚介と改て人と奈(な)り父耳(に)於(お)とらぬ篤実奈(な)る者に天(て)
王父(ひぢい)の風をうけ継て孝悌あり

母六十丹(に)阿(あ)ま連(れ)り
古(こ)れ尓(に)徒(つ)可(か)へ天(て)其意尓(に)背可(か)須゛(ず)
家貧しき者奈(な)連(れ)ば 母 田地奈(な)どへ出帝(て)
業のた春(す)けせんといへ八゛(ば)
其古(こ)ゝろざし丹(に)背ん事を恐連(れ)
夙*興(おき)帝(て)其事をよく勤め者(は)てゝ
母に盤(は)家のうち尓(に)帝(て)其用を奈(な)してたま八(は)連(れ)と
か路(ろ)き為業(しわざ)を多(た)の三(み)
春(す)べ天(て)母乃(の)心耳(に)さ可(か)八(は)春゛(ず)

奇物あ連(れ)八゛(ば)か奈(な)らず
早く母耳(に)春(す)ゝ免(め) よ路(ろ)川゛(づ)心を盡し介(け)り
ある年春の頃初鯛をもとめ帝(て)母丹(に)春(す)ゝめんと思ひ
玉嶋といへる湊耳(に)行て鯛を求んとて其價を聞
賣連(れ)るもの 甚介可゛(が)衣体乃(の)さもし希(け)連(れ)ば
價の貴起(き)初鯛奈(な)どもとむべき者とも見へ春゛(ず)

賣主阿波屋又六といふ者 汝盤(は)何の事阿(あ)里(り)て
かく初鯛を求めらるゝやといへ八゛(ば)
我耳(に)老多(た)る母あり
それ尓(に)進め度(と)思ひ侍可(か)と答介(け)連(れ)八゛(ば)
又六古(こ)ゝろざしある者尓(に)帝(て)
かく貧しき人の者(は)るゞゝ*地丹(に)来り
且其價い可(か)者゛(ば)可(か)り心を盡しけ免(め)と憐三(み)思ひ
いづく能(の)人ぞと問介(け)連(れ)八゛(ば)
志(し)可(か)ゝゝ乃(の)よし答ふ
又六も感嘆し帝(て) 此鯛盤(は)我等母人へ贈んとて
阿(あ)多(た)へけ連(れ)八゛(ば)
甚介思ひもよらぬ事也と厚く礼謝し
*㐂色(喜色)面(きしょくをもて)丹(に)顕和(わ)連(れ)
いそ起゛(ぎ)帰りぬ

跡尓(に)天(て)市人言
あ連(れ)八(は)柴木村甚介也と
又六も彼可゛(が)常耳(に)孝心奈(な)る越(を)
志(し)りて倶尓(に)よろこびしとなり

甚介弟三人ありし可゛(が) 弟どもにもむ川(つ)ましく
悌を徒(つ)くし希(け)れ八゛(ば)
一家皆和順し人皆王父(ひぢい)の餘風を継し者奈(な)りとて称し介(け)り
延享二年七月廿二日

保*國公 松平大炊改■■朝臣従四位下少将耳(に)位?し 備前の*國守
    多(た)り 後年致仕し玉ひ 空山公といふ 烈公の御孫奈(な)り
これを聞召たまひ甚感称ましゝゝ 承応乃(の)阿(あ)とを継て
孝悌能(の)行ひある事 更耳(に)又世丹(に)か多(た)り出
其風をう川(つ)し 俗をかふる乃(の)者(は)じ奈(な)んと思召旨
阿(あ)りて感書越(を)賜里(り)
倉米一石阿(あ)多(た)へら連(れ)し可(か)八゛(ば)
一郷の者こぞりて甚介八(は)人の鑑奈(な)りとやせしとぞ
  承応年中備中淺口郡中大島柴木村之民甚
  介天性能(の)盡孝悌
  *祖考(祖考)光政公稱其美給田畠乃記之賜判書
  先考綱政公倶稱誉之世*遠人去*其孝悌
  者遥尋其事状深嘆賞之今*孫甚介有遺風
  能養母愛姉弟故更與倉米賞之者也
    延享二年七月二十二日   保*國公判

同し年十月廿六日 保*國公甚介を後園の*𠅘(亭に召出さ連(れ)
汝代々孝悌乃(の)志ある事 深く感ぜら連(れ)天(て)
白銀三枚下し給川(つ)りぬ
傳へきく丹(に)出雲*國尓(に)八(は)*㓜(幼)者手習丹(に)はじめに
いろはを習八(は)しめ次耳(に)八(は)か奈(な)ら須゛(ず)
 烈公乃(の)甚介丹(に)賜ひし文を手本尓(に)書*敎(教)る奈(な)りと
今柴木乃(の)里盤(は)吾藩の支封(うちどり)信濃守政言朝臣 池田 の封地尓(に)
属せら連(れ)ぬ 寛保能(の)頃朝臣の郡吏封地を巡見せし時
彼可゛(が)家能(の)居宅そこ奈(な)ひしを見天(て)
烈公の感書納め置る家奈(な)連(れ)ば
風雨の為とて友林乃(の)樹木を賜りて新耳(に)建可(か)へしとぞ


------------------- 変体仮名変換後 ------------------

四 甚介*孫甚介
初代の孝子甚介は六十歳にて 延宝九年(1681年)の秋身まかりぬ
其子も父の名に改て 甚介といへるが
天質(うまれつき)篤實(とくじつ)なる者なり
八十歳にて終りぬ
孫も甚介と改て 人となり父におとらぬ篤実なる者にて
王父(ひぢい)の風をうけ継て孝悌あり

母 六十にあまれり
これにつかへて其意に背かず
家貧しき者なれば 母 田地などへ出て
業(しわざ)のたすけせんといへば
其こころざしに背ん事を恐れ
夙*興(おき)て其事をよく勤めはてて
母には家のうちにて其用をなしてたまはれと
かろき為業(しわざ)をたのみ
すべて母の心にさかはず

奇(めずらしき)物あればかならず
早く母にすすめ よろづ心を盡しけり
ある年春の頃 初鯛をもとめて母にすすめんと思ひ
玉嶋といへる湊に行て鯛を求んとて其價(ねだん)を聞
 賣れるもの 甚介が衣体のさもしければ
價の貴(たか)き初鯛などもとむべき者とも見へず

賣主(うりぬし)阿波屋又六といふ者
 汝は何の事ありてかく初鯛を求めらるるやといへば
我に老たる母あり それに進めと思ひ侍かと答ければ
又六 こころざしある者にて
かく貧しき人のはるばる*地に来り
且其價いかばかり心を盡しけめと憐み思ひ
いづくの人ぞと問ければ しかじかのよし答ふ
又六も感嘆して 此鯛は我等母人へ贈んとてあたへければ
甚介 思ひもよらぬ事也と厚く礼謝し
*㐂色(喜色)面(おもて)に顕われ いそぎ帰りぬ

跡にて市人(いちびと)言
あれは柴木村甚介也と
又六も彼が常に孝心なるを
しりて倶によろこびしとなり

甚介弟三人ありしが 弟どもにもむつましく
悌をつくしければ
一家皆和順し 人皆王父(ひぢい)の餘風を継し者なりとて称しけり
延享二年七月廿二日

保*國公 松平大炊改■■朝臣従四位下少将に位?し 備前の*國守
    たり 後年致仕し玉ひ 空山公といふ 烈公の御孫なり
これを聞召たまひ甚感称ましまし 承応のあとを継て
孝悌の行ひある事 更に又世にかたり出
其風をうつし 俗をかふる(易ふる)のはじなんと思召旨
ありて感書を賜り 倉米一石あたへられしかば
一郷の者こぞりて甚介は人の鑑なりとやせしとぞ

  承応年中備中淺口郡中大島柴木村之民甚
  介天性の盡孝悌
  *祖考(祖考)光政公稱其美給田畠乃記之賜判書
  先考綱政公倶稱誉之世*遠人去*其孝悌
  者遥尋其事状深嘆賞之今*孫甚介有遺風
  能養母愛姉弟故更與倉米賞之者也
    延享二年(1745年)七月二十二日   保*國公判

同し年十月廿六日 保*國公甚介を後園の*𠅘(亭)に召出され
汝代々孝悌の志ある事 深く感ぜられて
白銀三枚下し給つりぬ
傳へきくに出雲*國には*㓜(幼)者手習にはじめに
いろはを習はしめ次にはかならず
 烈公の甚介に賜ひし文を手本に書*敎(教)るなりと
今柴木の里は吾藩の支封(うちどり)信濃守政言朝臣 池田 の封地に
属せられぬ 寛保(1741-1744年)の頃朝臣の郡吏(こおりぶぎょう)封地を巡見せし時
彼が家の居宅そこなひしを見て
烈公の感書納め量る家なれば
風雨の為とて友林の樹木を賜りて新に建かへしとぞ

吉備孝子伝 巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」より

※池田継政判物(浅口市指定文化財)

「承應年中備*國浅口郡中大嶌柴木村
 之民甚介天性能盡孝悌
 *祖考(祖考)光政公稱其*美賜田畠乃記之賜
 判書
 先考*綱政公倶稱譽之世*遠人去*知其
 孝悌者遥尋其事状深嘆賞之今*曽孫
 甚介有遺風能養母愛姉*弟故更與
 倉米賞之者也

   延享二年七月廿二日   継政 *(花押)

                            柴木村
                               甚助」

誤   正   
備中淺口郡→中備*國浅口郡
大島→大嶌
保*國公判→継政 *(花押)

応→應
誉→譽
曾孫→曽孫


夙(つとに): はやくから。朝はやく。
逆ふ(さかう): さ従わない。さからう。そむく。
致仕(ちし): 官職をやめる
白銀(はくぎん): 江戸時代、銀を9cmほどの平たい楕円形に延ばして紙に包んだもの
朝臣(ちょうしん/あそん/あそみ): 朝廷に仕えている臣下


保國公 = 池田継政公(備前岡山藩 第3代藩主)


https://goo.gl/maps/1j35f4UZe4D2

寄里農免道に戻り、左折して北へ33m上る

----------------------------------------------------------------------------------




Y字路を右折

https://goo.gl/maps/EcfRs3Z7X1U2




参道を北へ30m上り、左折して北へ80m程上る




目印のテープあり




参道は急勾配で枯れ葉が積もっているため滑りやすい





中屋荒神社

https://goo.gl/maps/SjLp5697dcD2







荒神籠りの焚き火炉?





水甕

龍王神社の水甕?




火袋








棟札

「再建者 田中◯◯◯ 棟梁 秋田◯◯ 世話人 氏子中 昭和四(1929年)年夏」







瓦質の小祠






「嚴島大明神」「金毘羅大權現」

『南無金毘羅大権現』









役行者椅坐像(磨崖仏 向かって右端)

「◯◯◯◯◯◯◯◯」

『南無神変大菩薩』




「蔵王大權現」





不動明王立像?(磨崖仏 向かって右から2番目)

右手に慧刀、左手に羂索を持つ




「◯◯◯◯◯」




地蔵菩薩半跏踏み下げ坐像?(磨崖仏 同3番目)

右手に錫杖を持っている




不明の坐像(磨崖仏 同4番目)

右手に念珠、左手に如意宝珠?を持っている


不明の立像(磨崖仏 同5番目)

右手に錫杖のようなものを持っている

「八幡宮」




「太神宮 神社 佛閣」




不明の立像(磨崖仏 同6番目)

神像?








瓦質の小祠





正面(南南東)に実盛地区、向かって右に鉢山(標高242m)、左に鉢山送信局舎

寄里農免道に戻る


画像集.1画像集.2画像集.3画像集.4


HOME