【大谷西国三十三観音霊場(門田町) 画像集.2】

ルート: https://yahoo.jp/oBWnD6



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字 鳥羽

「岡山縣 後月郡誌(p.1008 大正15年)」に「(堂名)觀音堂 (本尊)正觀世音菩薩
 (創立)天平年中 (境内坪數)民有地第一種三十四坪 (位置)縣主村大字門田字 鳥羽」とある




千手観世音菩薩立像

「第四番 門田村 三好○治 同 千賀蔵 同 弥左エ門」

大谷西国4番 槇尾山 施福寺 [まきおさん せふくじ] “槇尾寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「深山路(みやまじ)や ひばら松原 わけ行けば 槇の尾寺に 駒ぞいさめる」

https://goo.gl/maps/iW1qJt7H4qx




4番札所前から細道を北へ37m進み、丁字路を右折して東へ20m進む










伝後鳥羽院御陵修復記念碑

「昭和五十九年(1984年)十二月吉日 県主地区民一同建之 第十九世◯◯ 代」


句歌碑

「咬菜 七百年の 五輪苔むし 曼珠沙華

鳥羽の院 偲ふ心能(の) 阿(あ)羅(ら)多(た)奈(な)る
紫雲能(の)峰乃(の) 松風聞希(け)八(は) 一角」

「金剛福寺先住 釈 智堂 門田町実装相 森谷◯◯ 昭和五十九年」

鳥羽の院偲ぶ心のあらたなる 紫雲の峰の松風聞けば





伝後鳥羽院御陵

「岡山縣 後月郡誌(pp.367-371 大正15年)」に「陵域凡三間四方 中央に土を封し
五輪塔を安す 三方にも亦五輪塔數基を安す(以下略)」とある

供養塔(向かって右端の五輪塔)

「*(種子「ア」) 供養塔 鳥羽上皇 従者一同」

「門田町大谷西国三十三観音霊場案内」の著者 鳥越友治氏が昭和60年に建立

https://goo.gl/maps/rgJVKnTePJWDEAEt5





阿弥陀如来坐像?

「岡山縣 後月郡誌(p.931 大正15年)」に「又承久年間(1219-1222年)
後鳥羽天皇隠岐御巡狩の砌 篳を當山(※金剛福寺)に駐め給ひ、
各々阿彌陀佛を瞻禮し給ふこと年ありと云ふ。」とある

4番札所前に戻り、車道を東へ35m上る





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車道の脇にある参道を東へ35m下る











唐獅子a(向かって右)

「奉獻」「西濱村 石井◯◯」

唐獅子b(同左)

「*𫞕子(氏子)中」「明治二(1869年)己巳 正月大吉 ◯◯」




鎮守神社?

「岡山縣 後月郡誌(p.931 大正15年)」に「鎭守千手大明神は
當寺(※金剛福寺)開創と同時に祭祀し、明治維新*神佛(神仏)分離の際までは
門田上耕地五十餘戸は、これが氏子たりしなり。」とある

祭神未確認。後鳥羽天皇?

https://goo.gl/maps/bqch74YmcJzaKmv9A




手水鉢

「*(十六菊) (紀年銘判読困難) ◯主 氏子中」




石燈籠a(向かって右)

「奉獻」「天明八申年(1788年)」「九月吉日」「願主 三好勝三良」


石燈籠b(同左)

「奉獻」「天明八申年」「九月吉日」
「願主 三好十兵衛 女官 彦三郎 同 周助 山本平十郎 同 常五郎」







瓦質の小祠

祭神未確認

車道に戻り、東へ65m上る


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金剛福寺の標柱と「後鳥羽上皇ゆかりの地 鳥羽踊りの里県主」の看板

https://goo.gl/maps/esUNqZxWjgE2





丁字路から細道を東へ30m程上る








石標

「みたう池(みどう池)」
「大正元年(1912年)十月起工 同三年三月竣功 寄附人員二千三百人 大空代」

https://goo.gl/maps/xBDofUcoxtXQk6XW6





龍胴池




未舗装路を東へ110m上る

車の場合は車道を南へ495m上り、ろくどう(地蔵堂)がある六叉路を左折。
北へ77m、北東へ395m進んで丁字路を左折。


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Y字路を右折して南へ50m進む







十一面観世音菩薩立像

「第二番」「門田村 ○○○◯エ門 鳥越◯◯エ門」


大谷西国2番 紀三井山 金剛宝寺 [きみいさん こんごうほうじ] “紀三井寺” (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「古郷を はるばるここに 紀三井寺(きみいでら) 花の都も 近くなるらん」

https://goo.gl/maps/F84R1qq5Pok

丁字路から北へ50m戻って右折


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細道を東へ45m上る







字 男山越







如意輪観世音菩薩輪王坐像

「那智山 一 番」
  台座「門田村 采女春竜 山本安右エ門」

大谷西国1番 那智山 青岸渡寺 [なちさん せいがんとじ] “那智山寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』

 「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」

https://goo.gl/maps/DdNFuFrha1p




地蔵菩薩坐像?

北東へ60m進む


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丁字路を左折して西へ150m進む







つきあたりの丁字路を右折し、北北西へ80m進む




向かって右に男山越池

徒歩で冬季なら男山越池の土手道を北西へ65m、北へ60m進む

土手道が雑草に覆われている時期なら北西へ100m下り、
つきあたりの丁字路を右折して車道を北へ165m上る




男山越池




池の土手の北端





万人講供養碑 兼道しるべ(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「爲牛亡供養 右(東) やくし(走出薬師=持宝院) 左(北西) じっそう(実相)◯」
「大正十二年(1923年)八月 万人講 施主 藏本◯◯◯」

https://goo.gl/maps/j1euGAhwK6bLv58Q7

土手道から北へ10m下り、車道を北へ50m上る




車道の脇にある旧道を北へ70m進む








十一面千手観世音菩薩坐像a(向かって右)

「第五番 門田村 尾山太○ 岡田重五良」


大谷西国5番 紫雲山 葛井寺 [しうんざん ふじいでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「まいるより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲」

https://goo.gl/maps/mU3n22921pC2




十一面千手観世音菩薩立像b(同左)

「万人講 子七月廿日 佐藤◯四郎 藤原◯平」




旧道を北北西へ40m上って車道に戻り、北へ60m進む


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五叉路(岡山西ゴフル倶楽部の案内看板あり)を右折し、北北東へ50m上る










万人講供養碑兼道しるべa(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「大正十一年(1922年) 六月九日」「万人講 施主 佐藤武 佐藤恵」
西面「笠岡」/東面「井原 今市 やくし」/南面「走出井立」


牛供養碑兼道しるべb(地蔵菩薩坐像 + 牛)

「西 笠岡 南 鴨方 東 藥師 北 井原 建之 貝畑儀三郎」




大谷山開墾顕彰碑

高野山第405世館長 秀海大僧正の書




「       大谷山開墾の概要                     .
 大谷山の開墾が行われたのは嘉永五年(一八五二年)から文久三年(一八六三)
までの十一年間で開墾面積は百六十二町四反歩である。 其の頃門田村の
多くの百姓たちは所有田畑が少なく窮乏生活をつづけていた。凶年不作の年を
迎えると、困窮の果て離村する者が相継ぐ状況であった。 百姓惣代九右衛門は
この村を救う途は大谷山を開墾して耕作面積の拡大を図る他はないと決意し、
同士淺右衛門・曽平太・多藏・折一・格平等と共に開墾請願運動を起こし、
庄屋をはじめ百姓全員の署名を得て、江原役所へ採算の訴願を行った。
 然し、役所は幕府裁許の地であると、許可しなかった。 そのため、
九右衛門・淺右衛門・曽平太の三名は江戸幕府へ直訴する他ないと、
嘉永四年一月江戸へ上り、老中阿部伊勢守正弘に直訴した。九右衛門は
直訴の罪に問われて投獄され、身は獄中にありながら大谷山開墾訴願を
申し立て続けた。 幕府は翌嘉永五年二月、ついに大谷山開墾を許可し、
九右衛門の直訴の罪を解いた。村の百姓たちは二十年間に及ぶ訴願成就に
欣喜雀躍した。 かくして大谷山開墾は走出村・木之子村の協力を得て、
門田村全員の強い団結と、十余年に亘る苦難の労作によって、
成し遂げられたのである。 茲に碑を建立して、先人の偉業を顕彰する。
 昭和五十二年十一月三日建立                   .
 起文者 金剛福寺 大僧正釈 智堂             .
  健碑発起者                        .
     (以下発起者15人の芳名)                 」

詳細は「吉備群書集成 第五輯(pp.291-315 1931-1933年)」の
備中門田村走出村入會 大谷山開發御相談書を参照




藤井治廣霊の碑

「藤井治廣霊」
「大谷山開起 藤井曽平太 明治四歳(1871年)未 二月七日 今鎮◯山」




戈の神様の碑

「戈の神様」




十一面千手観世音菩薩立像

「藤井時之助 山邑辰年女 第二十番 木之子町 門田町
  信者一同 昭和五十二年(1977年)九月 再建立」

大谷西国20番 西山 善峯寺 [にしやま よしみねでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「野をもすぎ 山路に向ふ 雨のそら 善峯よりも 晴るる夕立」

https://goo.gl/maps/d5ajBUjuMKy




藤井治廣霊の碑の後ろ




千手観世音菩薩坐像

「第六番 門田村 佐藤哲二 同 ◯◯ 同 儀助」

大谷西国6番 壺阪山 南法華寺 [つぼさかさん みなみほっけじ] “壺阪寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」

https://goo.gl/maps/9crx9i4PArC2

北へ130m上る

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字 姥ヶ谷




牛供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第七番 門田村 藤井○○ 岡田◯○良」

大谷西国7番 東光山 岡寺 龍蓋寺 [とうこうざん おかでら りゅうがいじ] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「けさ見れば 露(つゆ)岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり」

https://goo.gl/maps/j2q9jW8KFkw

北へ70m上って右折


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東へ150m進む





字 雨堤




十一面観世音菩薩立像

「第八番 大江村 池田富三良 谷 ◯太良」

大谷西国8番 豊山 長谷寺 [ぶさん はせでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「いくたびも 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山もちかひも 深き谷川」

https://goo.gl/maps/FjmhsY5jDtD2

東へ210m進む


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十字路から北東へ80m上る

左折して北西へ600m程下ると門田町の淀地区、右折して南南東へ370m程下ると大谷地区

https://goo.gl/maps/jgFNjeokgGn




欅の杜

https://goo.gl/maps/kusCi9igyuq




北東へ16m上って右折




字 児ヶ原







不空羂索観世音菩薩坐像

「第九番 門田村 森本勘太良 西山善九良」

大谷西国9番 興福寺 南円堂 [こうふくじ なんえんどう] (不空羂索)
 『おん あぼきゃ びじゃしゃ うん はった』
 「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうすぐも」

https://goo.gl/maps/TSEYZu5sFHA2




牛供養碑(地蔵菩薩坐像 + 牛)

車道に戻り、北北東へ180m進む


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