【鞆・能登原・田尻新四国八十八ヶ所霊場の画像集 8】


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鞆町後地(寺迫)→田尻(52~58番)

ルート:http://yahoo.jp/j4dJ29




52番札所前から道しるべの所まで下り、左折して北西へ45m程下る




左折して山道を北へ90m程進む










通行困難箇所

蔓や茨が道を遮っているので刈払う道具が必要

https://goo.gl/maps/peXmBbdwuvn

さらに北へ75m程進む










谷の奥の崩落箇所(幅10m程)を高巻いて通過




谷の最深部の南側

土砂崩れにより本尊は半ば埋没







阿弥陀如来立像

新四国53番円明寺 (阿弥陀) <>
  須賀山 正智院 円明寺 [すがさん しょうちいん えんみょうじ]
  『おん あみりた ていせい からうん』
  「来迎の 弥陀の光の 円明寺 照りそう影は 夜な夜なの月」

https://goo.gl/maps/22sLa




旧堂の瓦の残骸あり

阿弥陀如来像の前から北へ谷を渡る







石殿

「大正十三年(1924年)」「五月吉日」

子安大師像

「四國 六十一番」

四国61番香園寺 (大日) <>
 栴檀山 教王院 香園寺 [せんだんざん きょうおういん こうおんじ]
 『おん あびらうんけん ばざら だどばん』
 「後の世を 思えばまいれ 香園寺 止めて止まらぬ 白滝の水」

『南無大師遍照金剛』










香園寺の石殿の前から山道を北東へ90m程上る







道しるべ

「◯道」

https://goo.gl/maps/4HW3VxD8Nfv




道しるべの前で左折し、北北西へ35m上る




右折して北へ7m程上る







旧堂は倒壊




石殿

「明治十四年(1881年)」「巳三月吉日 ○○ ○○」

千手観世音菩薩立像

「拾二番 明治元年(1868年)十一月吉日 静観寺 発起恵黙
 近江國 岩間寺 大谷平兵ヱ 志田○平 三島七右ヱ門 板谷○○○」

西国12番 岩間山 正法寺 [いわまざん しょうほうじ] “岩間寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「水上(みなかみ)は いづくなるらん 岩間寺(いわまでら) 岸うつ波は 松風の音」

https://goo.gl/maps/om4Fje4ZFF42

道に戻り、北西へ45m上る



 



原村(鞆)と上山田村(熊野町)の境界石

下「是より下 原村」

上「従是上ハ上山田村壽量寺除地」

明治2年、両村の間にこの境界石を巡る争いがおこり訴訟に発展。
除地(よけち・じょち)とは江戸時代、年貢諸役を免除された土地のこと。
社寺の境内や無年貢証文のある田畑・屋敷など。

https://goo.gl/maps/TfGmz8C8UD72

境界石の前から北北西へ75m程上る







 


「グリーンライン観光案内図」が設置されている所(料金所跡)に出る。
ガードレールの横にある木に「鞆中学」と記された板が取り付けられている。




料金所跡(第2ゲート)の丁字路(厳密にいえば十字路)を北北西へ113m進む




グリーンラインの下を通過してすぐの所にあるY字路を左折。
寿量寺への参道を南へ77m、南西へ70m上る。







お題目塔(寺標)

「南無妙法蓮華経 壽量寺」「維時安政二乙卯年(1855年)五月吉辰」
「天下*𣳾平(泰平) 國土静謐 五穀豊饒 村中安全」
「奉納一字一石 功徳主 山田村三ヶ村 世話人 寺*迫講中 トモ(鞆)◯◯◯」

*迫の字は「白」の部分が「向」の字

鐘楼跡に建てられている。塔の地下には経石(法華経を一つの小石に
一字ずつ書写したもの)が埋められている。




薬王山壽量寺(日蓮宗)

別名「峯の薬師」

祭壇中央の厨子の中に石造薬師如来立像、厨子の上に日蓮上人坐像、
四菩薩立像(上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩)、
三宝尊(釈迦如来坐像、題目宝塔、多宝如来坐像)、
文殊菩薩坐像、普賢菩薩坐像、四天王立像、その他の仏像が安置されている

『南無妙法蓮華経』『南無薬師瑠璃光如来』

石造薬師如来像は鞆の海中より引き上げられたもの

「沼隈郡誌(p.605)」を参照

https://goo.gl/maps/mEKmCQoenmP2




本堂の前




壽量の松の石碑

「壽量之松」

初代壽量の松が枯死した後に建てられた石碑

「沼隈郡誌(p.661)」に「松 一一.八(幹周11.8m) 熊野峯ノ薬師」と記されている




料金所跡に戻り、左折して市道(通称「鞆の浦スカイライン」)を東へ71m下る




左折して北へ106m下る




弘明大師

https://goo.gl/maps/cRMAA




夏になると草に覆われて判りにくくなる







石殿(中央)

「慶応四(1868年)辰三月」「施 ◯浦丁」

薬師如来立像

新四国50番繁多寺 (薬師) <弘明大師>
  東山 瑠璃光院 繁多寺 [ひがしやま るりこういん はんたじ]
  『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
  「よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ」




石殿(向かって左)

「周施人 松野常助 小野国助」第壹番當村講中 松下常七 能登弥兵衛」

不空羂索観世音菩薩坐像

「九番 世話人 西町 上ノ下 南円堂 田村藤七 林屋庄右ヱ門 大和屋林兵ヱ 西郷利八」

「◯◯◯◯」

西国9番 興福寺 南円堂 [こうふくじ なんえんどう] (不空羂索)
 『おん あぼきゃ びじゃしゃ うん はった』
 「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうすぐも」




観世音菩薩立像(向かって右の石殿内)

梵篋印を結んでいる

「十番 施主 かじ町(鍛冶町) 発起 静観寺 恵黙

 世話方 西郷利八 小林庄右ヱ門 田村藤七 村上林兵ヱ」

西国10番 明星山 三室戸寺 [みょうじょうざん みむろとじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」




弘明大師の後ろ(北)で左折し、道なき道を北北西へ50m程上る




白いポリエチレン製の紐に沿って進む










お堂は倒壊




不動明王坐像a(石殿の外、向かって左)

「豫州 五十四番 延命寺」

石殿

「明治五年(1872年) 申三月吉日」「◯◯◯◯◯◯◯◯」

不動明王坐像b(石殿内)

「施主 扇屋 安二良 周施 江戸安」

新四国54番延命寺 (不動) <>
  近見山 宝鐘院 延命寺 [ちかみざん ほうしょういん えんめいじ]
  『のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや
  うんたらた かんまん』
  「くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな」

https://goo.gl/maps/IcaEh 

54番札所から道なき道を北北西へ60m程上る











尾根道に出たら右折




尾根道を北北西へ38m進む

https://goo.gl/maps/LDCVv9G2yBQ2




赤テープと白いポリエチレン製の紐が目印がある所で右折


  

尾根道から東へ10m程進む




赤テープの目印がある所で左折し、北へ5m程上って右折。
東へ5m程進むとお堂の後ろに出る。倒木があるので足元に要注意。




石殿

「○○○○巳十一月○立之」

大通智勝仏坐像?

「豫州 五十五番 別宮」

新四国55番南光坊 (大通智勝) <>
  別宮山 金剛院 南光坊 [べっくざん こんごういん なんこうぼう]
  『なむ だいつう ちしょうぶつ』
  「このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても 同じ垂迹(すいじゃく)」

https://goo.gl/maps/ePQVY 




55番札所から東へ5m程進んで石(70*70cmくらい)が転がっている所で左折




倒木を避けながら道跡をたどって北へ60m程上る
















高野山

新四国霊場の札所の中で2番目に高い場所(標高282m)にある

https://goo.gl/maps/oAvS8




石殿

「高野山」「明治三十八年(1905年)○○」「巳ノ七月吉日」
「講中 林精米所 右下利七 小林又エ門 古谷徳松
中藤直吉 福嶋伊三吉 西海常助」

「世話人 菊吉宗七 中山長八 池田善七 藤川岩吉 池田清七 寺岡仲三

  西山進三 *耒山(来山)吉之助 武内清七 平井長助 武田政吉 菅 喜七」

「石工 トモ右◯政吉」

 弘法大師坐像

「○○○○ ○○○吉 ○池○七 ○○寺 ○○ ○○○○六 ○○」




高野山の石殿前から北西へ進んで尾根道に出る




尾根道を北へ100m程上る










山頂のひらけた場所に出たら右折

https://goo.gl/maps/hf2fWcAFevH2




南東へ30m程進む
















付近は雑草に覆われているので刈払う道具が必要




一段下(高さ1m程)に下りる




周囲は雑草に覆われているので、刈り払わないと参拝もできない状態。
本来の遍路道は石殿の前にあったはずだが消滅している。

旧堂の瓦の残骸あり。




石殿

「施主鞆津信者中」「丙明治九年(1876年)子三月日」

「江浦町 世話人 兒嶋屋太兵衛 ○馬屋治助 山崎屋常助 楠屋定○ヱ門」

地蔵菩薩坐像

「豫州 五十六番 泰山寺」

新四国56番泰山寺 (地蔵) <>
  金輪山 勅王院 泰山寺 [きんりんざん ちょくおういん たいさんじ]
  『おん かかか びさんまえい そわか』
  「みな人の まいりてやがて 泰山寺 来世の引導 たのみおきつつ」

新新四国霊場の札所の中で最も高い場所(標高290m)にある

https://goo.gl/maps/IKnKM 

山頂の開けた場所に戻り、右折して北北東へ260m程進む





周囲に猪の足跡多数。ヌタ場もある。






















道が途絶えたら斜面を北西へ下ってグリーンラインに出る







グリーンラインに出たら右折して北北東へ150m進む




展望所の南端から登山道を東へ120m程下る

https://goo.gl/maps/Mgi4CPQPQEk










福山市指定文化財 天然記念物「平松」之跡の碑

「沼隈郡誌(p.661)」に「一一、〇(幹周11.0m) 田尻平松」と記されている。
天然記念物に指定されたのは昭和43年(1968年)。

詳細は「郷土誌 ふるさと 田尻 あれこれ【物語編】(pp.60-61 1999年)」を参照
(平松の写真あり)

さらに東へ350m程下る。







展望ポイント




熊ヶ峰(北)




笠岡の神島、高島(北東)






















石殿

「原村大師講中」「明治三十年(1897年)六月吉日」

「世話人 安田武七 松本○○ 大井○七 永田伊助 右下松兵衛 島田弥助

 トモハラ(鞆原)石工大井吉太郎」「世話人 吉川利八 中堅伊八 福田常七

 高橋利○ 橘 ○吉 但馬春造 佐藤末吉」

阿弥陀如来立像

「豫州 五十七番 八幡」

新四国57番栄福寺 (阿弥陀) <>
  府頭山 無量寿院 栄福寺 [ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ]
  『おん あみりた ていせい からうん』
  「この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏」

https://goo.gl/maps/LXHiU

登山道を北東へ270m程下る


  

























千手観世音菩薩立像

「○○ 五十○○ ○礼○」

新四国58番仙遊寺 (千手観世音) <>
  作礼山 千光院 仙遊寺 [されいざん せんこういん せんゆうじ]
  『おん ばざら たらま きりく』
  「立ち寄りて 作礼の堂に やすみつつ 六字をとなえ 経を詠むべし」

https://goo.gl/maps/BUlvc

58番札所前から西へ30m程下り、北へ10m程下る




イノシシ侵入防止柵を一時的に開けて通過し、北西へ30m下って石橋を渡る。
左折して車道を北へ55m上り、左折して十三仏の南にある参道を南へ5m程上る。



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