【鞆・能登原・田尻新四国八十八ヶ所霊場の画像集 2】


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 江の浦町(11~15番)

ルート: http://yahoo.jp/j4dJ29




明圓寺の山門(旧暦4月8日の花まつりの頃)

白象が出現




花御堂の中の浴盤の中に立つ誕生仏

『南無釈迦牟尼仏』




松江山宝泉院明圓寺(真宗大谷派)

本尊は阿弥陀如来

『南無阿弥陀佛』

沼隈郡誌(pp.615-616)」を参照

 https://goo.gl/maps/P7YMxLN29CK2




親鸞聖人御像と親鸞讃歌の石碑




鐘楼

石橋

「大正五年(1916年)七月」「廿七世岩人代 *㔺話人(世話人) 沖浦仙◯」

「平組門徒中架之」「*㔺話人(世話人) 表 民助 片岡常藏」

明圓寺前から西へ49m上る




舘神社の石鳥居

「舘神社」「願主 官社」「明治三十八◯◯◯◯◯」

https://goo.gl/maps/smY1H8rN4oM2

さらに西へ65m上り、つきあたりを左折して南へ10m上る







宝珠閣




弘法大師坐像(向かって右)

薬師如来坐像(同左)

「阿州 十一番 藤井寺」

新四国11番藤井寺 (薬師/大師) <医王寺の東参道>
  金剛山 一乗院 藤井寺 [こんごうざん いちじょういん ふじいでら]
  『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
  「色も香も 無比中道(むひちゅうどう)の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし」

 https://goo.gl/maps/oUJ2p

11番札所前から参道を22m上って境内に入り、南南西へ28m進む




聖徳太子霊訓の碑

「聖徳太子霊訓 世間虚仮 唯仏是真 山主 沙門智洞(當山第廿世) ◯書」

太子殿祀られている聖徳太子の言葉







「遍照 廿一世 元洞*(花押?)」




大伴旅人の歌碑







御影堂




桃林山慈眼院醫王寺(真言宗)

本尊は木造薬師如来坐像(県指定重要文化財)

『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

合祀仏は大日如来坐像、木造阿弥陀如来坐像(市指定重要文化財)、

木造十一面観世音菩薩立像(県指定重要文化財)、木造地蔵菩薩坐像、聖天像など。

『おん あびらうんけん ばざら だどばん』

『おん あみりた ていせい から うん』

『おん まか きゃろにきゃ そわか』

『おん かかかび さんまえい そわか』

『おん きりく ぎゃくうん そわか』

詳細は「沼隈郡誌(pp.614-615)」を参照

https://goo.gl/maps/pjDbf8hnqzF2




石香炉

「戒香薫百億」

戒律を固く守る人の功徳が四方に影響することを香に喩えて戒香という


 

扁額

「瑠璃光 佛日鐵崖書  [僧鐵崖][◯◯◯◯]」

禅宗黄檗派の僧 鐵崖道空(寛永3年-元禄16年=1626年-1703年)の書




宝篋印塔

基礎[西]「*(一字金輪「ボロン」) 寶筐印 *神呪塔(神呪塔)」
[北]「経云若有末 世四輩弟子 善男善女爲」
[東]「無上道盡力 造塔安置神 咒所得功徳」
[南]「説不可盡矣 囘旋法界海 囘向大菩提」
返花座[南]「淨甫 妙甫 淨淸 芳淸 道弘 妙弘」
上台[西]「◯◯◯◯ ◯月妙性? ◯◯◯◯ ◯譽恵◯ ◯安信◯ 妙安信◯ ◯◯◯◯ ◯光妙◯
◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯月◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯誓 見◯宗龍 善譽◯性 妙◯女
◯◯◯◯ ◯厳祖◯ ◯◯童子 ◯◯童子 ◯秋童子 ◯泉童女 ◯路童女 ◯◯童女 ◯春童子」
[北]「◯◯屋 ◯月◯◯ ◯◯智◯ ◯心道◯ 法光末林 恵◯普◯ ◯◯諸◯
◯高◯◯ ◯光◯順 ◯◯宗◯ ◯林◯◯ ◯◯◯榮 ◯◯童子 ◯◯百◯ 香◯妙◯ 
 ◯◯宗◯ ◯◯◯◯ ◯山宗◯ ◯◯◯◯ ◯◯天全 ◯◯智◯ ◯◯道◯ ◯◯◯◯」
[東]「◯◯◯子 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯
 ◯◯◯◯ ◯◯◯春 ◯室妙◯ ◯至寂◯ ◯巧智◯ 花岳?◯◯
 泉涌智◯ 葉月乘智? 白登清◯ 圓照?了智 本◯一空 妙幻童女
 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ 宗◯妙◯ ◯◯是道」
[南]「宗悟信士 道秋?信士 妙悟信士 圓道信士 秋岳妙雲 心岳淨安 ◯翁宗◯ 澤◯◯◯
 覺林宗本? ◯◯妙性 ◯◯◯性 ◯◯童子 ◯◯童子 ◯◯童子 ◯◯童子 智◯童子 ◯◯信士
◯◯童女 ◯◯童女 ◯◯童女 ◯◯◯◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯」
 中台[西]「◯◯ ◯◯◯ ◯屋 平八 惣?兵衛 ◯屋 傳右衛門 ◯屋 ◯本◯◯ 木?屋 貞六
◯屋 久左衛門 表屋 武兵衛 ◯屋 専左衛門 ◯屋 心印了◯ ◯屋 茂右衛門
◯屋 海光宗印 ◯屋 次兵衛 ◯松屋 理兵衛 各施?銀造之」
[北]「徳◯◯◯ 香林◯◯ ◯◯◯◯ 光誉◯◯ ◯經法◯ 冬雲◯◯ 花岩妙◯
妙◯信女 一◯◯◯ 理誉妙證 了現?童女 法◯童女 ◯如童◯」
「宗◯ ◯◯ ◯◯ 妙◯ ◯◯ ◯◯ 宗◯ ◯日 智了 宗心 ◯◯ 久右衛門」
[東]「享保七壬寅年(1722年)十二月起立功了」
[南]「山上講中 念佛講中 夜念佛 太兵衛 ◯枩 文◯
 五兵衛 権兵衛 *㐂三良(喜三郎) 七兵衛 与兵衛」
「智円童子 夢觀童子 秋清童子 涼◯童子 涼心童子 ◯◯◯◯
 妙◯信女 ◯◯信女 ◯◯信女 ◯◯童子 妙雲童◯ ◯◯◯◯ ◯◯◯◯」 


ここでいう経とは一切如来心秘密全身舍利寶篋印陀羅尼経のこと。
四輩弟子とは四衆(比丘、比丘尼、清信士、清信女)のこと。




鐘楼の棟札

「奉大修理為金輪聖王天長地久 寺門興隆 諸人快楽 祈攸

 寛永二十年(一六四二) 水野日向守勝成公御寄進

 平成六年(一九九四) 十月吉祥日 現住 元洞代 大工 水本◯◯ 左官 岡崎◯◯」

寛永20年は1643年。

梵鐘

「桃林山慈眼院醫王寺 第廿一世宇喜多元洞代 副住職 宇喜多◯◯

 大檀主 岡本◯◯ 平成七年(1995年)四月吉辰」

旧梵鐘は金属供出により失われる。現在の梵鐘は平成7年に再鋳されたもの。
「沼隈郡誌(p.615)」に「寛永(1624-1644年)の頃平村の仁右衛門と云ふ漁夫あり、
倩(つらつら)思ふよう、醫王寺は山を負ひ*海(海)に俯し磴道高くして人家麓に連り、
善男善女渇信怠らずと雖、朝夕の鐘響かざるぞ遺憾なる、
我年久しく柴の庵に住むと雖如何にもして、鐘を供養し奉らんと、
爾来大猛信を起して勤労し、正保元年(1644年)二月大阪より巨鐘を
購め來り、終に素志を貫徹せり。其鐘無銘なりしが、安政三年(1856年)
寺鐘毀銷の令により*福山藩(福山藩)収めて大砲に鑄替へたれば
明治十二年(1879年)住侶泰眞檀越と力を戮せて再鑄せり。」と記されている。

寺鐘毀銷の令については藤田恒夫氏のホームページ

幕末の寺院梵鐘供出・大砲鋳換え政策」の項に詳述されている。

泰眞和尚は医王寺第十七世。





清水比庵歌碑(鐘楼の横)

「醫王寺の 夕くれなゐの天と 海 はるかに雲耶 山耶 四國 耶 比庵九十の歌」




歌碑がある場所から夕暮れ時に




焔摩堂

火伏せの神として知られる愛宕大権現(本地仏は地蔵菩薩)を祀っている




法界地蔵(焔摩堂の前)

「**********(地蔵菩薩の真言「おん かかかび さんまえい そわか」)」

「法界靈」「◯◯◯覺 ◯◯◯了」「◯◯◯心 ◯◯◯正」




堂内には十王坐像、烏天狗(愛宕大権現のお使い)立像などが安置されている。

中国や日本の仏教では閻魔大王を地蔵菩薩の化身とみなしている。

『のうまく さんまんだ ぼだなん えんまや そわか』

『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』




六地蔵






向かって左から

(1)幢幡を持った地蔵尊 + 台座「*(種子「カ」) 伏息 地藏尊(天道)」

(2)経巻を持った地蔵尊 + 台座「*(種子「イー」) 伏勝 地藏尊(人間道)」

(3)錫杖と宝珠を持った地蔵尊 + 台座「*(種子「イ」) 諸龍 地藏尊(修羅道)」

(4)宝珠を持った地蔵尊 + 台座「*(種子「コ」) 護讚 地藏尊(畜生道)」

(5)念珠を持った地蔵尊 + 台座「*(種子「カー」) 無二 地藏尊(餓鬼道)」

(6)合掌している地蔵尊 + 台座「*(種子「イ」) 禅林 地藏尊(地獄道)」




遍照閣

太子殿への参道入口の前にある

https://goo.gl/maps/KXfqO




弘法大師坐像(向かって右)

虚空蔵菩薩坐像(同左)

 新四国12番焼山寺 (虚空蔵/大師) <医王寺の境内 太子殿への登り口の横>
  摩廬山 正寿院 焼山寺 [まろざん しょうじゅいん しょうさんじ]
  『のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか』
  「後の世を おもえば恭敬(くぎょう) 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも」



12番札所の横から太子殿(標高約130m)への参道(583段)を登る。
太子殿への参道は観音道になっている。







如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第一番 那智山 鞆町 林 半助」

西国1番 那智山 青岸渡寺 [なちさん せいがんとじ] “那智山寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」







十一面観世音菩薩立像

「第二番 紀三井寺 大阪 森下 博」

西国2番 紀三井山 金剛宝寺 [きみいさん こんごうほうじ] “紀三井寺” (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「古郷を はるばるここに 紀三井寺(きみいでら) 花の都も 近くなるらん」







十一面千手観世音菩薩立像

「第三番 粉川寺 大阪 森下花子」

西国3番 風猛山 粉河寺 [ふうもうざん こかわでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「父母(ちちはは)の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ 頼母(たのも)しの身や」







十一面千手観世音菩薩立像

「第四番 槇尾◯ 大阪 森下次子」

西国4番 槇尾山 施福寺 [まきおさん せふくじ] “槇尾寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「深山路(みやまじ)や ひばら松原 わけ行けば 槇の尾寺に 駒ぞいさめる」







十一面千手観世音菩薩立像

「第五番 藤井寺 大阪 森下和子」

西国5番 紫雲山 葛井寺 [しうんざん ふじいでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「まいるより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲」







十一面千手観世音菩薩立像

「第六番 壺坂山 大阪 森下 泰」

西国6番 壺阪山 南法華寺 [つぼさかさん みなみほっけじ] “壺阪寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」







如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第七番 岡寺 鞆町 ◯◯熊太郎」

西国7番 東光山 岡寺 龍蓋寺 [とうこうざん おかでら りゅうがいじ] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「けさ見れば 露(つゆ)岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり」







十一面観世音菩薩立像

「第八番 長谷寺 鞆町 天野 眞」

西国8番 豊山 長谷寺 [ぶさん はせでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「いくたびも 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山もちかひも 深き谷川」







不空羂索観世音菩薩坐像

「第九番 南圓堂 鞆町 伊◯清治」

西国9番 興福寺 南円堂 [こうふくじ なんえんどう] (不空羂索)
 『おん あぼきゃ びじゃしゃ うん はった』
 「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうすぐも」




十一面千手観世音菩薩立像

「第十番 三室戸寺 ◯町 ◯◯正巳」

西国10番 明星山 三室戸寺 [みょうじょうざん みむろとじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」




准胝観世音菩薩坐像

「第十番 上醍醐 鞆町 上村セイ」

西国11番 深雪山 上醍醐寺 [みゆきやま かみだいごじ] (准胝)
 『のうぼ さったなん さんみゃくさんぼだ くちなん たにやた おん しゃれい しゅれい そんでい そわか』
 「逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は 頼母しきかな」







十一面千手観世音菩薩立像

「第十一番 岩間山 鞆町 上村◯◯」

西国12番 岩間山 正法寺 [いわまざん しょうほうじ] “岩間寺” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「水上(みなかみ)は いづくなるらん 岩間寺(いわまでら) 岸うつ波は 松風の音」




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第十三番 石山寺 鞆町 ◯◯友一」

西国13番 石光山 石山寺 [せっこうざん いしやまでら] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「後(のち)の世を 願ふ心は かろくとも 仏の誓ひ おもき石山」




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第十四番 三井寺 尾道 宮地マサ」

西国14番 長等山 園城寺 [ながらさん おんじょうじ] “三井寺” (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「いで入るや 波間の月は 三井寺(みいでら)の 鐘のひびきに あくる湖」




十一面観世音菩薩立像

「第十五番 今熊野 府中 児玉◯治郎」

西国15番 新那智山 観音寺 [しんなちさん かんのんじ] “今熊野観音寺” (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「昔より 立つともしらぬ 今熊野(いまぐまの) 仏の誓ひ あらたなりけり」




十一面千手観世音菩薩立像

「第十六番 ◯◯◯ 府中 児玉福◯」

西国16番 音羽山 清水寺 [おとわさん きよみずでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「松風や 音羽(おとわ)の滝の 清水(きよみず)を むすぶ心は 涼しかるらん」




中間地点

「これより あと 半分一七五米」「火の用心」




十一面観世音菩薩立像

「第十七番 ◯◯◯◯ 鞆町 澤◯◯◯」

西国17番 補陀洛山 六波羅蜜寺 [ふだらくさん ろくはらみつじ] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂(ろくはらどう)へ 参る身なれば」




石燈籠

「備後尾道市 富永茂七郎」




如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第十八番 六角堂 鞆町 天野清助」

西国18番 紫雲山 頂法寺 六角堂 [しうんざん ちょうほうじ ろっかくどう] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「わが思ふ 心のうちは 六つの角 ただ円かれと 祈るなりけり」




十一面千手観世音菩薩立像

「第十九番 革堂 鞆町 宮崎菊枝」

西国19番 霊ゆう山 行願寺 革堂 [れいゆうざん ぎょうがんじ こうどう] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」




十一面千手観世音菩薩立像

「第二十番 善峰寺 神◯ 村上関藏」

西国20番 西山 善峯寺 [にしやま よしみねでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「野をもすぎ 山路に向ふ 雨のそら 善峯よりも 晴るる夕立」




395段目付近



聖観世音菩薩立像

「第廿一番 穴太寺 鞆町 ◯◯◯◯」

西国21番 菩提山 穴太寺 [ぼだいさん あなおうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「かかる世に 生(むま)れあふ身の あな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)」




十一面千手観世音菩薩立像

「第廿二番 ◯◯◯ 東京 澤村虎◯◯」

西国22番 補陀洛山 総持寺 [ふだらくさん そうじじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「おしなべて おいもわかきも 総持寺の 仏の誓ひ 頼まぬはなし」




十一面千手観世音菩薩立像

「第廿三番 勝尾寺 京都 松浦長三郎」

西国23番 応頂山 勝尾寺 [おうちょうざん かつおうじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「重くとも 罪にはのりの 勝尾寺(かちおでら) 仏を頼む 身こそやすけれ」




十一面観世音菩薩立像

「第廿四番 中山寺 ◯◯ ◯◯◯◯◯」

西国24番 紫雲山 中山寺 [しうんざん なかやまでら] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」




十一面千手観世音菩薩立像

「第廿五番 播州清水寺 鞆町 酒井ハナ」

西国25番 御嶽山 清水寺 [みたけさん きよみずでら] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「あはれみや 普(あまね)き門(かど)の 品々に なにをかなみの ここに清水」




十一面千手観世音菩薩立像

「第廿六番 法花山 ◯◯ ◯◯◯二郎」

西国26番 法華山 一乗寺 [ほっけさん いちじょうじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊 いつも妙なる 法(のり)の華山(はなやま)」







如意輪観世音菩薩輪王坐像

「第廿七番 書寫山 田尻 萩原信次郎」

西国27番 書寫山 圓教寺 [しょしゃざん えんぎょうじ] (如意輪)
 『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか』
 「はるばると のぼれば書写の 山おろし 松のひびきも 御法(みのり)なるらん」




休憩所

石燈籠

「備後鞆町 村上熊太郎」




休憩所からの眺望







聖観世音菩薩立像

「第廿八番 成相寺 大阪 森下太良右衛門」

西国28番 成相山 成相寺 [なりあいさん なりあいじ] (聖観世音)
 『おん あろりきゃ そわか』
 「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天(あま)の橋立」




馬頭観世音菩薩坐像

「第廿九番 松尾寺 廣島 ◯◯◯◯」

西国29番 青葉山 松尾寺 [あおばさん まつのおでら] (馬頭)
 『おん あみりとう どはんば うんぱった そわか』
 「そのかみは 幾世(いくよ)経ぬらん 便りをば 千歳をここに 松の尾の寺」




十一面千手観世音菩薩立像

「第三十番 ◯◯◯ 大阪 ◯◯◯◯」

西国30番 厳金山 宝厳寺 [がんこんざん ほうごんじ] “竹生島” (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積むここちして」




聖観世音菩薩立像
「第丗一番 長命寺 鞆町 *桒田(桑田)永?治郎」

西国31番 姨綺耶山 長命寺 [いきやさん ちょうめいじ] (千手・十一面・聖)
 『おん ばざら たらま きりく/おん まか きゃろにきゃ そわか/おん あろりきゃ そわか』
 「八千年(やちとせ)や 柳に長き 命寺(いのちでら) 運ぶ歩みの かざしなるらん」




 


十一面千手観世音菩薩立像

「第丗二番  観音 鞆町 德永◯太郎」

西国32番 繖山 観音正寺 [きぬがさやま かんのんしょうじ] (千手)
 『おん ばざら たらま きりく』
 「あなとうと 導きたまへ 観音寺(かんおんじ) 遠き国より 運ぶ歩みを」



 






太子殿

『南無聖徳太子救世菩薩』『おん はんどま しんだ まに じんば ら そわか(如意輪)』

「父の里 たち出て来たる 母の里 またたちかえる 父のふるさと」

https://goo.gl/maps/aHhH6SADjXq

太子殿前から南(向かって左)へ5m程進む




十一面観世音菩薩立像

「第丗三番 谷汲山 ◯◯ ◯◯◯◯」

西国33番 谷汲山 華厳寺 [たにぐみさん けごんじ] (十一面)
 『おん まか きゃろにきゃ そわか』
 「万世(よろずよ)の 願ひをここに 納めおく 水は苔より 出(いづ)る谷汲」
 「世を照らす 仏の験(しる)し ありければ まだ灯(ともしび)も 消えぬなりけり」
 「今までは 親と頼みし 笈摺(おいずる)を 脱(ぬぎ)て納むる 美濃(みの)の谷汲」

https://goo.gl/maps/nh5AaoUb4cy




太子殿より鞆の浦を一望す

備後国鞆浦名勝記(pp.28-29 明治28年)」に「仙醉島 港の東部福禪寺の
正面に横たはれる大島にして周囲四十七丁(約5.127km)餘あり
鞆浦属島中最大なるものなり 全面老松を満たし 山容太(はなは)た雅趣あり
 風姿翠色両(ふた)つなから愛すへく實に鞆浦景勝の骨髄たり 禪福寺の對岸を御殿山
 一名月見山と名つけ 神功皇后行宮の跡なりと傳ふ 又周圍に田浦、彦浦、大松浦、
明神前、深山尻、小垣浦、經ヶ崎の七浦あり 各(おのおの)惠美須神を祭る
此島面背孰(いず)れより望むも其形を變することなし
 故に亦面向不背の名あり 目下地方の公園なり」とある


※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「福」の字は旧字の*福

備後国鞆浦名勝記(pp.12-13 明治28年)」に「桃林山醫王寺 眞言宗沼隈郡草戸村明王院末
 市街の西方後山の麓にあり 天長年中(824-834年)僧空海の艸創にして享祿年中(1528-1531年)
僧眞永の中興せる所なりと云ふ 眺望極めて佳なり 鞆町の地形たる中央に城山の丘陵ありて
東西間の遮障となり一望全景を捕捉する能わす 獨り此寺は中腹の高處に位せるを以て
港の内外を問わす海の遠近に*抅(拘)はらす悉く眼下に望了し頗る壯觀なり
 *福山(福山)の儒門田重隣此觀望を稱へて十勝の詩を作る 左の如し
鞆津醫王寺十勝             門田重隣
 海底出日                  .
東海日將升、下方人未興、劈波光上照、寺在白雲層、
 山門櫻花                  .
山門櫻幾樹、遙映海中天、知自海中望、春光滿萬船、
 月下凉舫                  .
不用追凉去、海風來滿樓、下方人苦熱、爭放月前舟、
 泉水全景                  .
世有醫王寺、世無泉水山、山呈全景到、寺始甲人寰、
 蓑洲暁霧                  .
咫尺蓑洲暁、模糊水切連、數帆來隠見、商舶定官船、
 白石釣船                  .
白石洲皆石、居人海作田、漁舟散如葉、亂点夕陽邊、
 又                     .
海底多巖石、其魚不可網、一舟三四竿、時見尺鱸上、
 走島夕虹                  .
波浪浮孤島、搖々欲走行、使誰釘得固、日暮彩虹横、
 燧洋打魚                  .
朝漁紅棘○、晩捕馬鮫魚、一日千金利、燧洋天下無、
 豫山*晴(晴)雪               .
豫峯秋後雪、玉?立到殘春、何料富山外、別雄南海濱、
 天邊帆影                  .
帆影天邊白、相追萬里風、乾坤同一碧、憑水訝憑空、」とある


※文中の「神」の字は旧字の*神、同じく「僧」の字は旧字の*僧

咫尺(しせき): 近い距離
模糊(もこ): はっきりしないさま。ぼんやりしたさま。
人寰(じんかん): 人間の世界。世の中。世間。
馬鮫魚(さわら)




城山

備後国鞆浦名勝記(pp.15-16 明治28年)」に「城山 町の中央に位せる丘陵にして
東西六十間(約109.9m)南北四十間(約72.73m)餘あり 町内丘陵中の最高なるものとす
 此地は慶長年中(1596-1615年)福島正則の築きたる城趾にして
藩政の頃累代奉行職の邸宅を丘下に構へ 庶民の出入を許さゝりしを以て
其形勝廣く人口に膾炙せすと雖も 四面鞆町を瞰下(かんか)し 遠景亦映し來りて
其眺望敢て福禪寺醫王寺に讓らす 目下鞆小學校を丘上に建築し 外觀亦可なり
(以下、城山に関する歌は省略)」と記されている

※文中の「福」の字は旧字の*福

膾炙(かいしゃ): 広く世人に好まれ、話題に上って知れわたること

鞆城趾は現在、福山市鞆の浦歴史民俗資料館となっている




にわか雪に霞む要害

備後国鞆浦名勝記(pp.16-17 明治28年)」に「要害(一名大可島)
 福禪禅寺の南方に獨立せる小丘にして周圍二丁五十間(約309.1m)あり
 これを鞆港の東南端とす丘上佛刹あり 圓福寺と云ふ 慶長年間(1596-1615年)の
創立にして南林山と号し 眞言宗明王院の末寺なり 此丘元島地にして
北方福禪寺に通する所凹所あり 道越町と稱す これ海峡を築立てたる所にして
往古は此間岨礁をなし 大潮の際潮の礁上を往來せしに依り滿越と稱せしなりと云ふ
此丘亦觀望自在にして福禪寺に亞(つ)くの眺めあり
(以下圓福寺に関する歌は省略)」と記されている

※文中の「福」の字は旧字の*福、同じく「往」の字は旧字の*徃


 

鞆港の沿革については「沼隈郡誌(pp.96-97)」を参照

医王寺の境内に戻り、参道を南東へ下る




愛宕大権現の石鳥居

「奉*寄烏井兩楹愛宕山*大𫞐現(大権現)講中 石工尾道 藤原氏喜右衛門」
「元文第二丁巳年(1737年)春二月吉旦日 桃林山第十四世 *性譱(性善)」




*寄の字は奇の部分が竒の字




仁王門



大草鞋が奉納されている




仁王門前から南東へ10m程下る




石殿

「阿波國第十三番一宮寺」「明治三十八年(1905年)十二月建之」
「寄附 鞆の浦 音吉 發願主 医王寺住職 宇喜多智鍵
 世話人 藤本久兵衛 平井長助? 孝田市治郎? 植村國助 菊吉庄平
 川崎房吉 右下政治郎 沖本甚四郎 沖本ユキ
 舩尾 ヨ?シ 久保 ◯◯ 久保 ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯ ◯◯」
「◯◯人 林 半助 酒井作治郎 上◯◯藏 山口ヱツ *桒田(桑田)コウ
 太田新藏 井上常一 ◯◯猪三郎 ◯◯浅七 澤村猪平
◯十◯番大師講連中 松下龍藏 林 繁之助 武ノ内常吉 岩谷清兵衛
  神原忠兵衛 大村萬藏 小野保治郎 安原金之助 加藤清助
  田村直?七 ◯◯源四郎 原田松助 松尾久松 橋本辰吉
武ノ内清吉 沖本兼助? 沖本清藏? 玉?井國助
  *桒田(桑田)元助 藤川岩吉 岡本芳平 藤本竹吉 走?浦?カメ」


 

十一面観世音菩薩立像

新四国13番大日寺 (十一面観世音) <医王寺の南東の参道 仁王門の下>
  大栗山 花蔵院 大日寺 [おぐりざん けぞういん だいにちじ]
  『おん まか きゃろにきゃ そわか』
  「阿波の国 一の宮とは ゆうだすき かけて頼めや この世のちの世」

https://goo.gl/maps/OTepT 




13番札所から参道を南東へ46m下り右折




橋を渡って西へ16m上る







平賀源内生祠

「南無妙法蓮華経 平賀源内*神儀(神儀)」「宝暦十四(1764年)甲申三月七日」

「慶應四戊辰(1868年)七月廿八日 溝川榮助 同 茂助 同 利三郎 立之」

https://goo.gl/maps/TjwXWR7rXVE2




平賀源内生祠の詳細は「備後史談復刻 第十巻 第三號(pp.8-9 昭和9年3月15日発行)」を参照


参道に戻り、右折して南東へ36m下り右折




石橋を渡って細道を南西へ27m進む








 

地蔵菩薩坐像(堂内向かって左)

『おん かかかび さんまえい そわか』

弘法大師坐像(同右)

弥勒菩薩坐像(堂内中央)

「阿州 十四番 常樂寺」

新四国14番常楽寺 (大師/弥勒) <村上製パン所の北北西35m>
  盛寿山 延命院 常楽寺 [せいじゅざん えんめいいん じょうらくじ]
  『おん まい たれいや そわか』
  「常楽の 岸にはいつか 至らまし 弘誓(ぐぜい)の船に 乗りおくれずば」

https://goo.gl/maps/L4aMD 

 


14番札所前から南へ5m進んで左折し、石段を下って南東へ19m進む




(有)村上製パンの前で右折し、県道47号線を南へ100m進み右折










扁額

「遍照閣」

薬師如来坐像

「阿州 十五番 ◯◯◯」

新四国15番国分寺 (薬師) <焚場町の県道丁字路の北>
  薬王山 金色院 國分寺 [やくおうざん こんじきいん こくぶんじ]
  『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』
  「うすく濃く わけわけ色を 染めぬれば 流転生死(るてんしょうじ)の 秋のもみじ葉」

堂内にあるその他の石仏は地蔵菩薩像

『おん かかかび さんまえい そわか』

https://goo.gl/maps/25UJ1 


 
  







15番札所前のY字路から南(左)へ180m進む


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