【浅口西国三十三所観音霊場の画像集 9】
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ルート:
備中浅口西国三十三所観音霊場.gpx
県道64号線の十字路(横断歩道あり)を右折し、東へ12m進む
ゴミステーションの横
里道改修碑
「里道改修碑 昭和六年(1931年)八月竣工 六條院村長*淸水(清水)弓太 書
土木委員 高井◯◯◯ 世話人 (10人の芳名)」
https://goo.gl/maps/S1pCXFC9wZu東へ240m上る
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十字路を左折して北へ35m進む
https://goo.gl/maps/xcm2PBaxoW62
Y字路を右折して細道を南東へ8m上る
瓦質の小祠
祭神未確認
細道を南東へ7m程進む
お堂(寺谷のお地蔵様)
「民俗資料選集39(pp.146-147)」を参照
https://goo.gl/maps/gX5g3hK1JUp

地蔵菩薩坐像坐像?(向かって右)
※十一面観世音菩薩立像(同左)
「六番」
五ヶ村西国6番 壺阪山 南法華寺 [つぼさかさん みなみほっけじ] “壺阪寺” (千手)
『おん ばざら たらま きりく』
「岩をたて
水をたたえて 壺阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」
十字路に戻り、東へ85m上る
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聖松跡
「六條院町誌(p.26 昭和24年)」に「(中略)之より年所を経て第二世良印が
其後を嗣ぎ 正安元年(一二九九年)に至り第十世仙明が山坊を山麓に移し
堂宇を建立して*長德寺(長徳寺)と號して記念して松樹を植ゑた。
後世勸
請の松と云ひ今は聖松と称する。」とある
「六條院町誌(p.28)」に「聖松 自然子
龍吟鶴影傲三
冬。勁*節(節)堅心黛色濃。法境長榮千歳彩。凌
宵仰見老仙松。(圓珠院藏)
松が枝にかゝれる月のおもしろく色も涼しき初秋の空 芝石(同藏)」と記されている
勁節(けいせつ): 強く気節を立てて屈しないこと
ありし日の聖松の写真は「六條院町誌(p.25)」を参照
カシミール3Dの空中写真(1961-1964年)で地蔵堂附近にある大松の姿を確認できる
「
浅口郡誌(pp.458-450
大正14年)」に「境内老松(山門にあるもの、
周圍十四尺あり)ありて幽靜なり。」と記されている
「六條院町誌」の地図を見ると、聖松の西に「孝子惣十郎墓」と記されている
西六條院村の孝子 惣十郎、市介同母については「六條院町誌(pp.149-150 昭和24年)」、
「
吉備孝子伝
巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」「
浅口郡誌(p.591)」、
「
郷土教育資料草案(p.134
昭和9年)」、を参照
https://goo.gl/maps/uQ635UCZo4Q2
◆孝子惣十郎墓について
「六條院町誌」の地図を見ると聖松の前に「孝子惣十郎墓」と記されているが
周囲にそれらしきお墓は無い
「備中*國西六條院村惣十郎市介
備中*國浅口郡西六條院村に惣十郎市介とて兄弟あり
王(わ)可(か)くし帝(て)父母者(は)奈(な)連(れ)
たのむべき方奈(な)起(き)まゝに
同村三郎兵衛といふ者の*𠩄(所)に身をよせて
月半の奉公し希(け)り
これによ川(つ)て祖父(ぢい) 惣十郎可゛(が)後見(うしろ)と奈(な)りて
耕作をし介(け)る*𠩄(所)丹(に)
それより三年を経て祖父瞽(めくら)となり
程なく又聾(つんぼう)とな奈(な)連(れ)り
是より死耳(に)至るまで八年可゛(が)間
惣十郎兄弟其母と倶耳(に)
三人祖父に事(つか)へ帝(て)孝奈(な)る事 誠耳(に)切なり
祖父常耳(に)酒を好三(み)
又茶をこのめり
家極めて貧しく 是を求る事も成可゛(が)たけ連(れ)ど
其労を忘連(れ)薪を樵天(て)市丹(に)賣
或盤(は)岡山笠岡奈(な)どより買もとめ帝(て)進免(め)ぬ
若(もし)酒を買遍゛(べ)起(き)價に盡天(て)せん可(か)多(た)奈(な)起(き)時盤(は)
古(こ)連(れ)越(を)借んと春(す)るに
祖父丹(に)春(す)ゝむと多゛(だ)尓(に)いへ八゛(ば)
人皆是其孝尓(に)感じ 速耳(に)貸阿(あ)多(た)へぬ
もし一度もかぐる事あ連(れ)八゛(ば)
今日盤(は)土産も侍ら須゛(ず)奈(な)どいふ帝(て)
岡山笠岡耳(に)も酒屋徒(つ)き介(け)んといひた八(は)ふ連(れ)帝(て)
た可゛(が)ひ尓(に)和し多(た)る気色奈(な)り
茶も又多(た)え春゛(ず)進め天(て) む奈(な)しき日なし
四五月九十月乃(の)極めていそ可゛(が)八(は)しき時
も志(し)可(か)ぜざれ八゛(ば)農事をも弁ぜざりき
朝夕の食物も中丹(に)よ露(ろ)しき*𠩄(所)を八゛(ば)自ら祖父耳(に)春(す)ゝめ
瞽にし帝(て)食物奈(な)どくひこ本゛(ぼ)しぬ連(れ)八゛(ば)
母箸越(を)取て是を食せしむ
手足さへか奈(な)ひ可゛(が)多(た)希(け)連(れ)八゛(ば)
二便も又自者(は)こび帝(て)赤子越(を)育る慈母能(の)ごとし
其隣の者ども孝心盤(は)誠耳(に)有が多(た)起(き)事奈(な)れども
阿(あ)まりにけ可゛(が)ら八(は)しき奈(な)どいひ帝(て)
いとひ介(け)連(れ)ば
露盤(は)可(か)りこれ尓(に)色?多(た)ゞよ八(は)春゛(ず)
夏暑可(か)りし日盤(は)必涼しき*𠩄(所)に座さしめ
或盤(は)水辺耳(に)誘ひ天(て)納涼ませ
貧しくて蚊帳奈(な)ども奈(な)可(か)りけ連(れ)八゛(ば)
側丹(に)そひ奈(な)し帝(て)蚊を於(お)ひけり
若(もし)他丹(に)出る事あ連(れ)八゛(ば)
母手を引てゆ起(き)ぬ
母常尓(に)惣十郎に語り介(け)る八(は)
祖父乃(の)餘命明日(あす)をも志(し)ら須゛(ず)
かく事へる奉る事もい川(つ)限里(り)奈(な)るべき?
心能(の)及(およぶ)き八(は)ゝ
於(お)路(ろ)そ可(か)尓(に)春(す)べ可(か)ら須゛(ず)奈(な)ど戒しめぬ
祖父折々に言介(け)る八(は)
汝可゛(が)孝心篤き事志(し)ひ忘るゝ事奈(な)し
物皆むくひある事奈(な)連(れ)八゛(ば)
後惣十郎丹(に)妻をむ可(か)へ八゛(ば)
必孝行奈(な)るへしとて悦びあへり
市介も又
祖父可゛(が)足を阿(あ)多(た)ゝめん為耳(に)其あとに添ひ奈(な)し
夏八(は)蚊を於(お)ひ 終夜*卧(臥)しも也(や)ら須゛(ず)
市介後八(は)ある士の家に仕へ帝(て)
己可゛(が)給米越を身丹(に)附(つけ)春゛(ず)
皆惣十郎に与へて未進も徒(つ)ぐの八(は)せ
或盤(は)祖父乃養ひとせり
祖父 惣十郎丹(に)いへる八(は)子孫相続の為奈(な)連(れ)八゛(ば)
必妻を娶るべしと多(た)びゝゝ春(す)ゝめけ連(れ)八゛(ば)
い奈(な)三(み)が多(た)起(き)尓(に)川(つ)帝(て)
或方にて約束し頓(やが)てむ可(か)へ侍るべし奈(な)どいひ奈(な)可゛(が)して
祖父奈(な)可゛(が)らへ帝(て)阿(あ)る中盤(は)徒(つ)ね丹(に)娶らず
祖父瞽聾にして二便さへ母と我をして取者(は)こぶ゛躰(たい)奈(な)連(れ)八゛(ば)
妻といふ者耳(に)そのあり様を見せんも
中ゝ恥可゛(が)八(は)し可(か)るべしと思へ八゛(ば)奈(な)り
祖父身ま可(か)るべき二三年前より狂気して夜中と奈(な)くかけ出るによりて
惣十郎母子徒(つ)やゝゝとい祢(ね)も也(や)ら春゛(ず)
心を徒(つ)くして労(いたは)連(れ)り
祖父終丹(に)死しけ連(れ)八゛(ば)大尓(に)悲三(み)
漸(ようやく)月日経て一周忌にも奈(な)りぬ
阿(あ)八(は)連(れ)貧しき身奈(な)連(れ)共(ども)
一衣阿(あ)り介(け)る越(を)もうり
志(し)ろ奈(な)して*僧(僧)を招して
其跡をとへり
其年又惣十郎可゛(が)父の十三回忌丹(に)あ多(た)りけ連(れ)者゛(ば)
承応三年乃(の)洪水耳(に)一*國不毛の地と奈(な)るによりて公(おおやけ)より
賜り多(た)る飢扶持奈(な)ども於(お)の連(れ)可゛(が)食とせ春゛(ず)して
其中を残し借銭奈(な)どして其阿(あ)ら越(を)とへる費と奈(な)せり
市介八(は)其時江戸尓(に)あり介(け)連(れ)八゛(ば)
者(は)るゞゝと*里正(しやうや)能(の)もとへ文於(お)こせ天(て)
今年八(は)飢饉奈(な)連(れ)八゛(ば)惣十郎可゛(が)家ま春(す)ゝゝ貧しくし帝(て)
一人あり介(け)る母 若や飢にも及奈(な)ん
さる事阿(あ)ら八゛(ば)救ひ天(て)多(た)べ
且祖父父の年忌耳(に)阿(あ)多(た)り侍ら八゛(ば)
力を添へ帝(て)たま八(は)るべし
其費八(は)明春 家尓(に)帰りて某承るべし奈(な)ど懇にいひ於(お)こせ介(け)る
道越(を)者(は)る可(か)尓(に)*隔連(れ)ども
心越(を)盡さ春゛(ず)といふ事なし
後惣十郎妻を娶里(り)て妻丹(に)さとし介(け)る尓(に)
無才盤(は)人乃(の)生連(れ)付奈(な)連(れ)八゛(ば)咎へ可(か)ら須゛(ず)
母耳(に)對して不孝をい多(た)春(す)事阿(あ)ら八゛(ば)
汝を片時も置遍゛(べ)可(か)ら須゛(ず)といひ介(け)るによりて妻もま多(た)孝行奈(な)り
惣十郎
家主奈(な)れ八゛(ば)家事を三(み)徒゛(づ)可(か)ら謀るべ介(け)連(れ)と
母もし心のまゝ奈(な)らざらん事もやと
皆母耳(に)任せて自(みずから)専とせ春゛(ず)
惣十郎者(は)じめ田畠王(わ)川゛(づ)可(か)にして其用中ゝ多(た)ら須゛(ず)
ことに八年可゛(が)間 祖父の病によりて耘(くさぎる)事疎奈(な)連(れ)八゛(ば)
日々耳(に)阿(あ)連(れ)こそ行べ可(か)りし可゛(が)
いやましに田地廣ま連(れ)曽(そ)?
豈天能(の)惠耳(に)阿(あ)ら須゛(ず)や
母子ともにかく三人孝心の篤き事ためし少き事奈(な)り
烈公 聞召て母にも子尓(に)も同しく倉米を賜りて
其至孝を賞誉し給へり
承応の末乃(の)頃奈(な)りし」
「
吉備孝子伝
巻1(明治25年 湯浅新兵衛 編)」より
------------------- 変体仮名変換後 ------------------
備中*國西六條院村惣十郎市介
備中*國浅口郡西六條院村に惣十郎市介とて兄弟あり
わかくして父母はなれ
たのむべき方(かた)なきままに
同村(おなじむら)三郎兵衛といふ者の*𠩄(所)に身をよせて
月半(つきなかば)の奉公しけり
これによつて祖父(ぢい) 惣十郎が後見(うしろ)となりて
耕作をしける*𠩄(所)に
それより三年を経て 祖父瞽(めくら)となり
程なく又聾(つんぼう)となれり
是より死に至るまで八年が間 惣十郎兄弟 其母と倶に
三人 祖父に事(つか)へて孝なる事 誠に切(せつ)なり
祖父 常に酒を好み 又茶をこのめり
家 極めて貧しく 是を求る事も成がたけれど
其労を忘れ
薪(たきぎ)を樵(こり ※きこり?)て市(いち)に賣(売)
或は岡山笠岡などより買もとめて進めぬ
若(もし)酒を買べき價(値)に盡(尽)てせんかたなき時は
これを借んとするに 「祖父にすすむ」とだにいへば
人皆其孝に感じ
速(すみやか)に貸あたへぬ
もし一度(ひとたび)もかぐる事あれば
「今日(こんにち)は土産も侍(はべ)らず」などいふて
「岡山笠岡にも酒屋つきけん」といひたはふれて
たがひに和したる気色なり
茶も又たえず進めて むなしき日なし
四五月九十月の極めていそがはしき時
もしかぜざれば農事をも弁(べん)ぜざりき
朝夕の食物も中によろしき*𠩄(所)をば自ら祖父にすすめ
瞽にして食物などくひこぼしぬれば
母 箸を取て是を食せしむ
手足さへ
かなひがたければ
二便も又 自(みずから)はこびて 赤子を育る慈母のごとし
其隣の者ども「孝心は誠に有がたき事なれども
あまりにけがらはしき(汚らわしき)」などいひて(言いて)
いとひ(厭い)ければ
露ばかりこれに色?ただよはず
夏暑かりし日は必涼しき*𠩄(所)に座さしめ
或は水辺に誘(いざな)ひて納涼(すず)ませ
貧しくて蚊帳などもなかりければ
側にそひなして蚊をおひけり
若(もし)他に出る事あれば 母 手を引てゆきぬ
母 常に惣十郎に語りけるは
「祖父の餘命明日(あす)をもしらず
かく事(つか)へ奉る事もいつ限りなるべき
心の及(およぶ)きは(際)は
おろそかにすべからず」など戒しめぬ
祖父折々に言けるは「汝が孝心篤き事しひ忘るる事なし
物皆むくひある事なれば 後
惣十郎に妻をむかへば
必(かならず)孝行なるへし」とて悦びあへり
市介も又 祖父が足をあたためん為に其あとに添ひなし
夏は蚊をおひ 終夜(よもすがら)*卧(臥)しもやらず
市介 後はある士の家に仕へて
己が給米(きゅうまい)越を身に附(つけ)ず
皆惣十郎に与へて未進もつぐの(償)はせ 或は祖父の養ひとせり
祖父 惣十郎にいへるは
「子孫相続の為なれば必妻を娶るべし」とたびたびすすめければ
いなみがたきにによつて
「或方にて約束し頓(やが)てむかへ侍るべし」などいひながして
「祖父ながらへてある中はつね(常)に娶らず
祖父
瞽聾にして二便さへ母と我をして取はこぶ躰(たい)なれば
妻といふ者にそのあり様を見せんも
中々恥がはしかるべしと思へばなり
祖父 身まかるべき二三年前より狂気して夜中(やちゅう)となくかけ出るによりて
惣十郎母子 つやつやといね(居寝)もやらず
心をつくして労(いたは)れり
祖父終に死しければ大に悲み
漸(ようやく)月日経て一周忌にもなりぬ
あはれ貧しき身なれ共(ども)
一衣(ひとえ)ありけるをもうり(売り)
しろなして(代為して)*僧(僧)を招して
其跡をとへり(訪へり)
其年又惣十郎が父の十三回忌にあたりければ
承応三年(1654年)の洪水に一*國不毛の地となるによりて
公(おおやけ)より賜りたる飢扶持などもおのれが食とせずして
其半(なかば)を残し借銭などして其あらをとへる費(つい)となせり
市介は其時江戸にありければ
はるばると*里
正(しょうや)のもとへ文おこせて(遣せて)
「今年は飢饉なれば惣十郎が家ますます貧しくして
一人ありける母 若(もし)や飢にも及なん
さる事あらば救ひてたべ 且(かつ)祖父(じい)父の年忌にあたり侍らば
力を添へてたまはるべし
其費は明春(みょうしゅん) 家に帰りて某(それがし)承るべし」
など懇にいひおこせける
道をはるかに*隔れども心を盡さずといふ事なし
後惣十郎 妻を娶りて妻にさとしけるに
「無才(むさい)は人の生れ付なれば咎(とがむ)べからず
母に對して不孝をいたす事あらば汝を片時(へんじ)も置べからず」
といひけるによりて妻もまた孝行なり
惣十郎
家主なれば家事をみづから謀るべけれと
母もし心のままならざらん事もやと
皆母に任せて自(みずから)専(もっぱら)とせず
惣十郎
はじめ田畠わづかにして其用中々たらず
ことに八年が間 祖父の病によりて耘(くさぎる)事疎なれば
日々にあれこそ行べかりしが
いやましに田地廣まれそ
豈(あに)天の惠にあらずや
母子ともにかく三人孝心の篤き事ためし少き事なり
烈公
聞し召して母にも子にも同しく倉米を賜りて 其至孝(しいこう)を賞誉し給へり
承応(1652-1655年)の末の頃なりし
瞽(こ/めしい): 盲人
片時(かたとき/へんじ): 一時いつときの半分。転じて、わずかの間。暫時。
耘(くさぎる): 田畑の草をとり除く
かかぐる: かかわりあう
給米(きゅうまい): 給与として支給される米
然(しか): そのように。さように。
弁ず(べんず):わける。わかつ。わきまえる。けじめをつけてわける。
恥がはし: はずかしい感じである
つやつやと: 少しも。いささかも。
代為す(しろなす): 物品を売って金にかえる。売る。
弥増に(いやましに): いよいよますます。いやが上に。
跡を訪う: なくなった人の霊を弔う
未進(みしん): 年貢などをまだ納めていないこと。また、その年貢など。
償う(つぐのう): つぐなう
----------------------------------------------------------------------------------
「(廿)西六條院村孝孫
備中能(の)*国浅口郡(こおり)西六條院村惣十郎市助と天(て)
兄弟阿(あ)り 父を者(は)やくうしなひ*於(お)本(ほ)ぢ奈(な)るおき
奈(な)と田徒(つ)くり天(て)い多(た)り介(け)る可゛(が)
お本(ほ)ぢ不幸尓(に)し
て耳徒(つ)ぶ連(れ)目志(し)ゐて 何しても可(か)奈(な)ひ可゛(が)多(た)し
兄弟に母あり
母子三人三(み)那(な)此*於(お)本(ほ)ぢ尓(に)徒(つ)可(か)へて
孝奈(な)り
*於(お)本(ほ)ぢ茶を古(こ)の三(み)さけを春(す)遣(け)り 兄
弟ま川(つ)しといへど 志(し)八(は)らくも是を可(か)ゝ須゛(ず)
農の事
いと満(ま)あ連(れ)八゛(ば)薪を山尓(に)とりて飛(ひ)さきて茶酒の
料(りやう)とせり もし里(り)やう多(た)らずてして
人尓(に)もと
め可(か)る事あ連(れ)八゛(ば) 人み奈(な)お本(ほ)ぢ可(か)多(た)め尓(に)して をの
可゛(が)身乃(の)ため尓(に)阿(あ)らさることを志(し)りて こふ(請ふ)尓(に)志(し)多(た)可゛(が)
飛(ひ)天(て)可(か)し介(け)り 朝夕のくひ物*於(お)本(ほ)ぢ尓(に)はく八(は)し
ゝゝゝ 母子三人可゛(が)くへる八(は)あらし
お本(ほ)ぢ物くふことに
母と兄弟と日こと耳(に)古(こ)連(れ)越(を)と連(れ)り そのあし
なへて
可(か)八(は)やにも行えざれ者゛(ば)奈(な)り 冬の夜の体
たり さむき尓(に)は兄弟可(か)わ八(は)るゝゝゝお本(ほ)ぢ可(か)阿(あ)と
尓(に)布(ふ)しぬ 曽(そ)能(の)足をあ多(た)ゝめん可゛(が)多(た)め也 夏能(の)
夜のあつくいふせき尓(に)も
兄弟か多(た)八(は)ら尓(に)阿(あ)り
て い祢(ね)ずして蚊を八(は)ら遍(へ)り 帳な介(け)連(れ)者゛(ば)也
よろ川゛(づ)尓(に)可(か)く孝那(な)り遣(け)れど 母奈(な)越(を)可(か)連(れ)ら可゛(が)
おこ多(た)らんことをりゝゝいましめおしへ天(て)い者(は)
く 於(お)ぢ能(の)世尓(に)*於(お)八(は)しまさん事今いく八゛(ば)く
の日と可(か)志(し)るや 奈(な)んぢらおこ多(た)る事な可(か)連(れ)
いさゝ可(か)もそ里(り)やくにし那(な)八゛(ば) 兄弟うせ給ひ
し跡尓(に)天(て)くふとも可(か)ひあらめやと兄弟つゝ
し三(み)う遣(け)多(た)満(ま)八(は)り天(て)いくゝゝ孝行をそつく
志(し)介(け)り お本(ほ)ぢ可(か)連(れ)羅(ら)可゛(が)母尓(に)いひ希(け)る盤(は)そこ
の孝徳まこと尓(に)いひ屋(や)らん可(か)多(た)奈(な)し徳可(か)奈(な)
ら須゛(ず)むくひ阿(あ)り 惣十良市助妻阿(あ)らん時その
妻曽(そ)こ尓(に)必 曽(そ)この我をあ八(は)連(れ)める可゛(が)ごとく那(な)る
遍゛(べ)しとよろこべり
お本(ほ)ぢ惣十郎丹(に)妻もとめ
しむ 惣十良う遣(け)給りぬ や可゛(が)てむ可(か)へ侍らむ登(と)
いひ天(て)もとめ春゛(ず)
*お本゛(ぼ)ぢのや三(み)遣(け)可゛(が)連(れ)多(た)るさ満(ま)
志(し)多(た)し可(か)らぬ人尓(に)見らむ可゛(が)つら満(ま)し介(け)連(れ)ば
なり
かくて日数布(ふ)る(旧る)まゝにお本(ほ)ぢ能(の)屋(や)万(ま)い
佐(さ)満(ま)可(か)八(は)り帝(て)物くる八(は)しくなりぬ
*此時しも
市助八(は)人につ可(か)へ天(て)ほ可(か)尓(に)阿(あ)り介(け)り 家尓(に)八(は)多(た)ゞ
母と惣十郎と能(の)三(み)ありて 飛(ひ)るよ流(る)ま本(ほ)り
ゐ天(て)うちも祢(ね)春(す) 母子可゛(が)古(こ)ゝ路(ろ)くるしさ
*於(お)もいやる遍(へ)し それより又ことせば可(か)り
過てお本(ほ)ぢを八(は)りぬ 母と惣十良と奈(な)介゛(げ)起(き)可(か)那(な)
し三(み) 衣をう里(り)て葬祭をつとめいと奈(な)三(み)希(け)りと奈(な)ん
惣十郎可゛(が)父能(の)跡とふべき月日*此時しも免(め)くり来りぬ さ連(れ)ども家に物奈(な)け
連(れ)ば心尓(に)も満(ま)可(か)せざ里(り)しを そのとし三(み)のら
須゛(ず)とて*国主倉を飛(ひ)らき給ひて国人(たみ)を尓(に)ぎ八(は)
され介(け)連(れ)八゛(ば)
惣十郎其よ年(ね)をうけていさゝ可(か)も
おの可(か)用とは奈(な)さで父をとむらふ王(わ)ざに那(な)ん
徒(つ)くしに希(け)り
市助も外尓(に)ありといへと物を送
里(り)て祭をたす遣(け) 又母のやし奈(な)ひ耳(に)力をそへ
希(け)り
そ能(の)ゝち惣十良妻をむかへ天(て)あひともに
母尓(に)つ可(か)へぬ つ祢(ね)尓(に)つま尓(に)いひ介(け)るや八(は)なんぢざ
え(才)奈(な)起(き)八(は)王(わ)可゛(が)と可゛(が)むる*𠩄(所)尓(に)阿(あ)ら須゛(ず) もしすこしも
不孝奈(な)ら八゛(ば)春(す)三(み)や可(か)尓(に)出し屋(や)らん わ連(れ)こと者゛(ば)をた
可(か)へじと那(な)舞(む)
よりて妻もよくつくしめり
佐(さ)連(れ)と猶いへの内一川(つ)として夫婦可゛(が)心尓(に)満(ま)可(か)せ
春(す)事ごと丹(に)母尓(に)とひ天(て)その云ところのまゝ尓(に)
す 田盤(は)お本(ほ)ぢ可(か)病尓(に)満(ま)ぎれて久しく
ち可(か)ら
もい連(れ)ざり介(け)連(れ)八゛(ば) 今年八(は)こと尓(に)奈(な)り八(は)ひも
あし可(か)るべく於(お)もひ居介(け)る尓(に) さ八(は)那(な)くてよく三(み)のり
て人能(の)田尓(に)八(は)者(は)る可(か)尓(に)まし多(た)り 是天神地祇の孝
にめでさせ給ふゆへとぞ人盤(は)み奈(な)申あひ介(け)り*國
主もふ可(か)く感じ給ふて母尓(に)も子尓(に)も物多(た)ま
飛(ひ)介(け)李(り)」
「
本朝二十四孝 下巻(元禄10年)」より
------------------- 変体仮名変換後 ------------------
備中の*国浅口郡(こおり)西六條院村惣十郎市助とて兄弟あり
父をはやくうしなひ(失い)
おほぢ(祖父)なるおきな(翁)と田つくりていたりけるが
おほぢ 不幸にして耳つぶれ目しゐて 何してもかなひがたし
兄弟に母あり
母子三人みな*此おほぢにつかへて孝なり
おほぢ 茶をこのみ さけ(酒)をすけり(好けり)
兄弟まつし(貧し)といへど
しはらくも(暫くも)是をかかず(欠かず)
農の事いとまあれば薪を山にとりてひさきて(販ぎて)
茶酒の料(りやう)とせり
もしりやう(料)たらずてして 人にもとめかる(求め借る)事あれば
人みなおほぢかため(為)にして をのが身のためにあらさることをしりて
こふ(請ふ)にしたがひてかしけり(貸しけり)
朝夕のくひ物(食い物)おほぢにはくはし(精し)くはし(食わし)
母子三人がくへる(食える)はあらし(荒し)
おほぢ 物くふこと(毎)に母と兄弟と日ことにこれをとれり
そのあしなへて かはや(厠)にも行えざればなり
冬の夜の体たり
さむきには兄弟かわるかわるおほぢかあとにふしぬ
その足をあたためんがため也
夏の夜のあつくいふせき(鬱悒き)にも
兄弟かたはら(傍ら)にありて
いねず(居寝ず)して蚊をはらへり 帳なければ也
よろづにかく孝なりけれど
母なをかれら(彼等)がおこたらんこと
をりをり(折々)いましめおしへていはく
「おぢ(祖父)の世におはしまさん事今いくばくの日とかしるや
なんぢらおこたる事なかれ いささかもそりやく(粗略)にしなば
兄弟うせ(失せ)給ひし跡にてくふ(食う)とも かひ(甲斐)あらめや」と
兄弟つつしみうけたまはりて いくいく孝行をそつくしけり
おほぢ かれらが母にいひけるは
「そこの孝徳まことに
いひやらん(言い遣らん)かたなし
徳かならずむくひあり 惣十良市助妻あらん時
その妻そこに必(かならず)そ
この我をあはれめるがごとくなるべし」とよろこべり
おほぢ惣十郎に妻もとめしむ
惣十良「うけ給りぬ
やがてむかへ侍らむ」といひてもとめず
おぼぢのやみけがれたるさま
したしからぬ人に見らむがつらまし(辛まし)ければなり
かくて日数ふる(旧る)ままにおほぢのやまい
さま(様)かはりて物くるはしく(狂わしく)なりぬ
*此時しも市助は人につかへてほかにありけり
家にはただ母と惣十郎とのみありて
ひるよるまほり(守り)ゐてうちもねす(打ちも寝ず)
母子がこころくるしさ おもいやるへし
それより又ことせばかり過て おほぢをはりぬ(終わりぬ)
母と惣十良となげきかなしみ
衣をうりて葬祭をつとめいとなみけりとなん
惣十郎が父の跡とふべき月日 *此時しもめくり来りぬ
されども家に物なければ心にもまかせざりしを
そのとしみのらずとて*国主 倉をひらき給ひて
国人(たみ)をにぎはされければ
惣十郎其よね(米)をうけて いささかもおのか(己が)用とはなさで
父をとむらふわざになんつくしにけり
市助も外にありといへと 物を送りて祭をたすけ
又母のやしなひに力をそへけり
そののち惣十良 妻をむかへて あひともに母につかへぬ
つねにつまにいひけるやは
なんぢ(汝)ざえ(才)なきは わがとがむる*𠩄(所)にあらず
もしすこしも不孝ならば すみやかに出しやらん
われことばをたかへじ(違えじ)となむ よりて妻もよくつくしめり
されと猶 いへの内一つとして夫婦が心にまかせす
事ごとに母にとひてその云ところのままにす
田はおほぢか病にまぎれて久しくちからもいれざりければ
今年はことになりはひ(生業)もあしかるべくおもひ居けるに
さはなくてよくみのりて 人の田にははるかにましたり
是天神地祇の孝にめでさせ給ふゆへとぞ 人はみな申あひけり
*國主もふかく感じ給ふて 母にも子にも物たまひけり
祖父(おおじ/おほぢ): 父母の父。そふ。老人。老翁。
祖父(おじ/おぢ): 「おほぢ」の略。父母の父。
料(りょう): 代金
鬱悒し(いぶせし): 気分が晴れず、うっとうしい。むさくるしい。
粗略(そりゃく): おろそか。ぞんざい。なげやり。
生業(なりわい): 五穀がなるように務めるわざ。農作。生産の業。また、その作物。
天神地祇(てんじんちぎ): 天つ神と国つ神。すべての神々。
寺標
「天台宗圓珠院」「淺口西国第十番 祖師霊場第二番」
「是ヨリ明王院ヘ二十八町(約3054.52m) 是ヨリ龍城院ヘ十五甼(約1636.35m)」
「當院觀音講創立第十周年記念 昭和八*秊(年)十一月建之 現住 信盛 代」
地蔵堂
地蔵菩薩坐像が安置されている
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
石碑
「一隅を照らそう 比叡山開創一千二百年記念 天台座主卆二壽恵諦」
第253代天台座主
山田惠諦(えたい)大僧正(1895-1994年) 92歳の時の揮毫
比叡山開創一千二百年=1987年
「一地藏堂建立 (施主名)」
「昭和十六*秊(年)十一月 當院第三十二世柆田信盛 代」
石門
「清虚成法性」「解脱入空門」
「昭和八年(1933年)六月建之」
「當山第三十二世現住 柆田信盛 代
施主
當村 小林◯◯◯ 世話人 大西◯◯◯」
石燈籠1対
「奉納阿彌陀如來 天台智者大師 根本傳教大師」
「明治三十七辰年(1904年) 八月大吉良日」
「施主 ◯◯村 ◯◯◯◯」
六字名号碑(阿弥陀如来坐像)
「南無阿彌陀佛」
「天保七丙申年(1836年)季冬(12月)建」「願主當村 念佛講中」
密成上人の揮毫
山門
寺紋は桜
鐘樓
安永5年(1776年)4月に建立
梵鐘
「*(阿弥陀如来の種子「キリーク」) 本尊阿弥陀如來」
旧梵鐘の銘について「六條院町誌(p.113 昭和24年)」に「時安永五年(1776年)
丙申夏月明王蘭岩沙門篤順謹撰 現住第廿二世(※第廿四世の誤植)
法印亮皓架屋*籚(櫨)之(数年前此鐘を供出)」と記されている
手水鉢
扁額
「浄行寮」

奉讀誦法華經一千部倍増法樂供養塔(中央)
「奉讀誦法華經一千部倍増法樂供養塔」
「或以七寳成 鍮鉐赤白銅 白*𨭛(鑞)及鉛錫
鐵木及與泥」
「或以膠漆布 嚴餝(飾)作佛像 如是諸人等 皆已成佛道」
「願以此*功德(功徳)普及於 一切我等與衆生皆共成佛道
維時 明治廿五壬辰年(1892年) 季春金剛峰日
現住法印松田*
亮睿代建之
施主
當村向月 藤澤◯◯ 寄島村西安倉 三宅◯◯◯
世話人 同村道廣◯◯◯ 牧野◯◯◯
石工 東 ◯◯◯ 石藤◯◯ 」
「妙法蓮華経 方便品第二」より
奉修宗祖一千年遠忌報恩謝徳塔(向かって左)
「奉修宗祖一千年遠忌報恩謝*德(徳)塔」
「捨於*淸(清)淨土 愍衆故生此 能於此惡世 廣説無上道」
「願以此*功德(功徳) 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道」
「大正十年(1921年)四月吉日建之
第三十一世 憲睿代
施主 三宅◯◯◯ 世話人 亀岡◯◯
渡邊*𣓽溪(桃溪) 謹書 石工 東 ◯◯」
當山開基慈覺大師一千五十年遠忌報恩謝徳塔(同右)
「當山開基慈覺大師一千五十年遠忌報恩*謝德(謝徳)塔」
「我欣五頂引聲法
流布扶桑攝下根」
「超海傳燈*遺子孫 功如日月*
照乾坤」
「願以此*功德(功徳)普及於 一切我等與衆生皆共成佛道
大正三年(1914年)四月吉日建之 第三十一世 憲睿代
施主 在釜山
柏原◯◯◯ 世話人 亀岡◯◯◯ *𣓽溪(桃溪)謹書」
法華塔
塔身「法華塔」
基礎「夫一代時教中來
其至了義至眞實
者◯如法華経◯
也◯◯◯佛◯◯
之所克蓋法界萬
靈之所歸向◯◯
◯是*㳒華経(法華経)藏深
固幽遠無人能到
大哉故受持讀誦
解説書冩者乃◯
必竟成三菩提矣
櫻見山前住持宏
覺法印天賦総◯
自幼受*経朝讀夕
誦信而有年猶冩
壹部以永納于寳
塔衛?五種*㳒師(法師)◯
數焉冀此*功德(功徳)◯
力周遍為一切◯
◯而已矣
維*旹(=時)文化四年(1807年)丁
卯冬十二月
天台比丘香◯◯◯◯」
基壇「*有信士某一字
一石書寫妙典
以祈臨終正念
往生極樂成大
菩提者経石則
埋此塔基下」
了義(りょうぎ): 真実の義理を明白・完全にあらわしたもの。大乗の教え。
帰向(きこう): 心がその方に向かうこと。心をよせること。
有年(ゆうねん): 幾年かたつ
五種法師(ごしゅほうし): 5種類の法華経修行者のあり方。
受持法師・読経法師・誦経法師・解説法師・書写法師。
周遍(しゅうへん): 周挟。すみずみまで行き渡っている。あまねし。
妙典(みょうてん): 法華経
臨終正念: 死に臨んで心乱れず往生を信じて疑わないこと
宏覺大和尚は櫻見山第二十五世
「是法華経藏深固幽遠無人能到」「受持讀誦解説書冩」の出典は
「妙法蓮華経 法師品第十」
庭園
旧客殿
玄関の唐破風
丸瓦の紋は十六菊
客殿・庫裏
2016年4月24日に落慶法要が営まれている

旧本堂
「六條院町誌(p.27 昭和24年)」に「本堂平屋建瓦葺屋根入母屋作 御拜玄關唐破風造
五十四坪六九 寛文元年(1661年)十一月建築
但玄關は文久四年(1864年)正月」とある
「六條院町誌(pp.98-99 昭和24年)」に「誠貫小學 明治六年(1873年)三月
六條院西村の圓珠院を教授所(哲蒙所)とし本堂の東の間を使用、
教師高井良雄、生徒廿四人内女子二人(以下略)」とある
※文中の「教」の字は旧字の*敎
扁額
「浅口西国第十番 櫻見山圓珠院
夜もすがら 月を三室戸 わけゆ希(け)ば 宇治の川瀬に
たつはしら波(※西国10番三室戸寺の御詠歌)」
傳教大師霊場第二番 櫻見山圓珠院
十(とお)あまり
四とせ(四歳)の冬に 髪おろし
こゝろを法(のり 仏法)に すみ染の衣手(そで)
*(落款「觀音講員」)*(落款「現住信盛」)」
櫻見山第32世信盛住職の揮毫
傳教大師は14歳で得度
櫻見山長徳寺圓珠院
阿弥陀三尊像が安置されている
『南無阿弥陀佛』『おん あみりた ていせい から うん』
脇仏は不動明王と毘沙門天
「なまく さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん」
『南無毘沙門天王』『おん べい しらまんだや そわか』
聖観世音菩薩、辨財天女像もある
南無大慈大悲観世音菩薩』『おん
あろりきゃ そわか』
『おん そら そばていえい そわか』
「
浅口郡誌(p.302
大正14年)」に「(名称)圓珠院 櫻見山阿伽井坊長福寺(※「長徳寺」の誤植)
(位置)六条院西 (宗派)天臺宗叡山派
(本尊並脇立)阿彌陀如來 脇 不動尊 毘沙門天
(建立年代)承和五(※838年) 天文(再 ※1532-1555年)
(塔堂並境域)本堂(寛文五 ※1665年) 庫裏(元祿十二 ※1699年) 鐘樓(安永五 ※1776年)
地藏堂、護摩堂、鎭守堂、法華塔(文化四
※1807年) 供養塔 一五七八坪
(信徒財産)八五七人 五町五反九畝 (参考)比叡山延暦寺末、慈覺大師創建
(寶物)三尊來迎佛畫(惠心僧都筆)
慈覺大師畫像(豪潮律師筆 密成賛)
六字名號(徳本上人筆) 聖観世音菩薩(行基作) 辨財天女像(池田信濃守寄附)
第三七六節參照」と記されている
※文中の「福」の字は旧字の*福、同じく「僧」の字は旧字の*僧、
「徳」の字は旧字の*德
「
備中誌 浅口郡(p.119 明治35-37年)」に「櫻見山長徳寺圓珠院 天台宗明王院末寺也
田畑壹町壹反八畝七歩 境内共高拾貳石五斗九升
山林藪凡三町 年貢地
寺僧の説に慈覺大師草創と云 古へ龍王山城主細川下野守通薫より
供養の爲境内に石塔を建つ」とある
※文中の「徳」の字は旧字の*德、同じく「僧」の字は旧字の*僧
詳細は「六條院町誌(pp.24-28 昭和24年)」を参照
https://goo.gl/maps/tqxjBoCPAmE2
「光明遍照十方世界」「念佛衆生攝取不捨」
法界地蔵
「法界」「享保九甲辰天(1724年)」「二月十五日」
『南無地蔵大菩薩』『おん かかかび さんまえい そわか』
石燈籠1対
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